武満徹の映画エッセイ集『映像から音を削る』 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
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武満徹の映画エッセイ集『映像から音を削る』

 昨年の12月に、武満徹の生誕80年を記念し、Bunkamuraオーチャードホールで「武満徹トリヴュート?映画音楽を中心に?」なるイベントが開催された。大友良英と菊池成孔という今をときめくミュージシャンが映画音楽家・武満徹へのオマージュを捧げたコンサートである。 

 私は行けなかったのだが、友人の滝本誠さんに聞いたところ、素晴らしいステージだったという。

 

 プログラムを眺めると、菊池成孔プロジェクトで、フェリーニの『812』をモチーフにしたスコアがある。

 武満とフェリーニ? 

 菊池成孔は熱烈な『8 12 』フリークで、たしか、DVDのライナーノートで、生涯のベストワンと告白していたと記憶する。

 私も彼ほどではないが、1970年代にフィルムセンターのイタリア映画特集で初めて見て以来、夢中になり、一時、この映画にまつわる批評を探してきては読み耽ったことがある。

 

 その中で、最も印象に残ったのが、植草甚一の「僕は『812』を見て映画の<死>を思った。これ以上の映画はもう創られないだろうという確信である。」というフレーズと、武満徹の「映画『812』を見る。フェリーニは『812』を“実現”したことで偉大だ。」という冒頭から始まる「日録」の一節だ。この「日録」は、武満の第一エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社)に収められているが、多分、菊池成孔も、この美しいエッセイに触発されたに違いない。 

 

 武満徹が透徹した美意識と詩的な直観、深い思索をたたえたエッセイの書き手であることは、つとに知られているが、映画についても、鋭い洞察に満ちた論考を数多く発表している。

 武満徹が、現代音楽の世界で国際的な評価を獲得しているのは言うを待たないが、もしかしたら、今後は、それ以上に、映画音楽家としての名声がいっそう高まっていくのではないだろうか。  

 武満は百本近い映画音楽を手がけているが、彼自身が、年間、三百本もの映画を見る無類の映画狂でもあった。

 

 その映画好きの武満徹の全貌が露わになったのは、いうまでもなく1983年に、ジャン=リュック・ゴダールの『パッション』で開館した六本木シネ・ヴィヴァンのプログラムで始まった蓮實重彦との連載対談であった。

 ミニシアター・ブームの幕開けを告げる、この劇場は、無くなってしまった今、思えば、セゾン文化の最後の残照といった印象があるが、なによりも映画ファンが、この対談に唖然としたのは、二回目のゴッドフリー・レジオの『コヤニスカッティ』、三回目のニキータ・ミハルコフの『ヴァーリャ!』をコテンパンに批判していることである。劇場用パンフレットで、当該の作品をあからさまに叩くというのは、まさに前代未聞で、当時、大笑いしながら読んだものである。

 

 実は、ニキータ・ミハルコフは、武満徹のお気に入りの作家なのだが、蓮實重彦氏の激しい罵倒に、やや腰が引けてしまい、知らず知らずのうちに、相槌を打っている風情なのも妙に可笑しい。 

 

 しかし、タルコフスキーの『ノスタルジア』、ゴダールの『カルメンという名の女』、ダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』『エル・スール』といった作品では、ふたりの呼吸もぴったりで、映画談議の愉しさが、読む者にも豊かな波動となって、生き生きと伝わってくる。

 この連載対談は、「映画と音の誘惑」「映画・夢十夜」というふたつの長めの対話と合わせ、『シネマの快楽』としてリブロポートから刊行され、その後は、河出文庫に入っている。

 

 武満徹には、もう一冊、『夢の引用』(岩波書店)という素晴らしい映画エッセイ集がある。これは雑誌『世界』に連載された長編の映画をめぐる随想をまとめたものだ。

 

「私にとって、映画は、夢の引用であり、そして、夢と映画は、相互に可逆的な関係にあり、映画によって夢はまたその領域を拡大し続ける。私の(映画に対する)興味は、鮮明で現実的(リアル)な細部が夢という全体の多義性を深めているように、映画においてもその筋立てより、物語に酵母菌のように作用してそれを分解するような、細部へ向う。だが、そうした細部、夢の破片をことばによって写しとるのは不可能である。それを可能にするのは、また、映画でしかない。」

 

 このように目の覚めるような卓抜な考察が鏤められた『夢の引用』は、武満徹のなかでも最も美しい著作といえるだろう。

 

 私は、今、武満徹の映画エッセイ集『映像から音を削る』(小社刊)を編集している。初めに、奥様の武満浅香さんにお電話をして、企画の趣旨を縷々説明し、何とかご了解をいただいたのだが、そのための条件として、この『夢の引用』からは一切、原稿を使わないでほしいとおっしゃられた。むろん、私も、当初から、ひとつの小宇宙をなしている『夢の引用』からは、まったく使うつもりはなかった。この瀟洒な本は「永年の映画仲間である妻へ、感謝をこめて」と献辞が入っていることからもわかるように、武満夫妻にとって特別な意味を持っているからである。

 

 私が、新たな視点で編集した『映像から音を削る』に収録した映画をめぐるエッセイは、前述の「日録」を含めた『音、沈黙と測りあえるほどに』のほかには、『樹の鏡、草原の鏡』『音楽を呼びさますもの』『遠い呼び声の彼方へ』『時間の園丁』(いずれも新潮社)を底本にしているが、いくつか単行本未収録の文章も収められている。その代表的なものが、「ひきさかれた『女体』の傷は殺された牛よりもいたましい――恩地日出夫への手紙」である。

 

 この『映画芸術』に発表された一文は、恩地日出夫監督が、『女体』のなかで牛を殺すシーンを撮影したために、マスコミから激しい非難を浴びた際に、武満が励ましたエッセイである。

 

 二十年ほど前、ビデオ業界誌の編集長時代に、恩地日出夫監督に原稿を依頼したら、「武満徹からの手紙」という題のエッセイをいただいた。原稿を受け取る際に、恩地監督が、当時、とくに「アンブローズ・ビアスにしたがって言えば、あなたは嘘つきであるより詩人の側に立つ人です……」というくだりに、いかに深く感動し、慰められたかと嬉しそうに語っていたことが思い出される。

 

 武満徹の映画音楽の代表作といえば、小林正樹の『切腹』、勅使河原宏の『砂の女』が挙げられるが、私は、恩地日出夫監督と組んだ『あこがれ』『伊豆の踊子』『めぐりあい』には、抒情派のメロディ・メーカーである武満徹の資質がもっとも表出されていると思う。そして、これらのみずみずしい青春映画こそは、恩地日出夫がまぎれもない詩人であることを明かす傑作だと思う。 

 

 

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武満徹の映画エッセイ集『映像から音を削る』(清流出版)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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