岩田宏、あるいは小笠原豊樹をめぐる断想 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
岩田宏、あるいは小笠原豊樹をめぐる断想

淀川長治、蓮實重彦、山田宏一氏の鼎談集『映画千夜一夜』(中公文庫)を読み返すたびに、世の中には、映画ファンであるならば、見ておかなければいけない映画が膨大に存在することにあらためて愕然となる。私の場合、たとえば、その筆頭に挙げられるのが、ヘンリー・ハサウェイの『永遠に愛せよ』(35)だ。とはいっても、ゲイリー・クーパーとアン・ハーディングが主演したこのハリウッド黄金期の古典的なメロドラマが気になり始めたのは、つい最近のことである。

 

十年ほど前に上梓された岩田宏のエッセイ集『渡り歩き』(草思社)の中に「夢の領域」という一文がある。アメリカのミステリ、大衆小説に頻出するピーター・イベットスンという謎の名前をめぐって入念に考察したエッセイで、読み進むうちに、それはダフネ・デュモーリアの祖父にあたるジョージ・デュモーリアの処女作『ピーター・イベットスン』に由来することが判明するのだが、他ならぬ『永遠に愛せよ』の原作が『ピーター・イベットソン』なのだ。

 

岩田宏は、『ピーター・イベットスン』の主人公の生い立ちが、作家ジョージ・デュモーリアのそれとほぼ同じであると指摘し、この夢の中の相愛をテーマにした哀切極まりない物語の骨子を紹介しているが、その手際があまりに見事で惚れ惚れとしてしまうのである。

以来、『永遠に愛せよ』は、もっとも見たい映画の一本となり、恐らく未訳であるはずのジュージ・デュモーリアの原作『ピーター・イベットソン』も、ぜひとも彼の翻訳で読みたいと思った。

 

 詩人の岩田宏と翻訳家である小笠原豊樹が同一人物であることに気づいたのは、いつ頃だったろうか。

 最初に名前を知ったのは、もちろん小笠原豊樹のほうである。最初に読んだ小笠原豊樹の翻訳は、多分、レイ・ブラッドベリの『太陽の黄金(きん)の林檎』(早川文庫)だったと思う。

私にとって、翻訳者としての小笠原豊樹という名前、ブランドに対する信頼感は絶大でゆるぎないものだ。

 たとえば、ロス・マクドナルドの『さむけ』(早川ミステリ文庫)を読み終えた時の得も言われぬ充実感は、今でもあざやかに憶えている。イリヤ・エレンブルグの『芸術家の運命』(美術出版社)の堅牢なタッチで描きだされた数々のポルトレはいかに魅力的であったことか。ウラジーミル・ナボコフの『四重奏/目』(白水社)、『ロシア文学講義』(TBSブリタニカ)の精妙で酔わせるような言語の魔術にも瞠目させられた。   

 

詩ではウラジーミル・マヤコフスキー、そして何といってもジャック・プレヴェールだ。昔、書肆ユリイカから出ていた小笠原豊樹訳の『プレヴェール詩集』(後にマガジンハウスから復刊された)は、何度、読み返したかしれない。たとえば次に引用する「夜のパリ」などは、すっかり暗誦してしまったほどだ。

 

三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで

はじめはきみの顔を隈なく見るため

つぎのはきみの目を見るため

最後のはきみのくちびるを見るため

残りのくらやみは今のすべてを想い出すため

きみを抱きしめながら。

 

この名高い詩を含む詩集『パロール』は、初期の谷川俊太郎の詩作にも深い影響を与えているはずである。私は、未だに、プレヴェールの詩に関しては小笠原豊樹訳以外では読む気がしない。

『天井桟敷の人々』のシナリオライターでもあったプレヴェールの詩が映像的であるのは言うを俟たないが、なぜか小笠原豊樹の翻訳には映画化された作品が多いことも特筆されよう。代表作としては、ジョン・ファウルズの『コレクター』(白水社)、『魔術師』(河出書房新社)、そしてメアリイ・マッカーシイの『グループ』を挙げたい。

 

『コレクター』は、ウィリアム・ワイラーの手堅い演出で見せるが、ジョン・ファウルズの原作は主人公のキャラクターがより一層屈折しており、彫りが深い。『魔術師』は、たしかダーク・ボガード主演で映画化されたはずで、日本未公開であるが、あの壮麗な地中海的幻想の世界を映像化するのは至難の業である。

 

シドニー・ルメットが監督した『グループ』は、もっと高く評価されていい〈女性映画〉の秀作である。一九三三年、バッサー女子大を卒業した八人の女性たちが、ニューディール政策下のアメリカ社会で、理想と現実の葛藤にさいなまれ、それぞれが挫折と幻滅を味わうという物語だが、キャメラが名手ボリス・カウフマンのせいか、エリア・カザンの『草原の輝き』を想起させる柔らかな色調と淡いノスタルジックなトーンが強く印象に残っている。

ところが、メアリイ・マッカーシイの原作のほうは、あけすけなまでにドライで、感傷を排した冷静な叙述と文体が、時としてグロテスクなまでに暴露的なユーモアをたたえているのだ。とくに第二章のヒロインの一人、ドティ・レンフルーが初めて男とベッドを共にするくだりなど、彼女のエスカレートする妄想や男とのトンチンカンな会話がアイロニーたっぷりで爆笑をさそう。この辛辣なユーモアが、ルメットの映画にはやや希薄なのだ。 

 

『グループ』の小笠原豊樹の訳者あとがきは、独立したメアリイ・マッカーシイ論として読める卓越したもので、「この小説は、新しい家具のようにグッド・センスという言葉で片付けるには、あまりにも多くの生々しい問題を含み、強烈な個性に満たされている。それはたぶん孤児の哀しみと、バッサーの教育と、トロツキストの政治運動と、「パーティザン・レヴュウ」の文学運動と、三度の離婚を経て来たひとりの女性の年輪のようなものであるのだろう」という指摘は正鵠を得ていると思う。

 

 岩田宏には、『同志たち、ごはんですよ』(草思社)という大部のエッセイ集がある。ここには、後に『私は好奇心の強い女』で話題となるヴィルゴット・シェーマンの伝説の獣姦映画『491』を試写で見た感想や、エリア・カザンの『アメリカ・アメリカ』とルイ・マルの『鬼火』を比較した「青春の獲得と喪失」などが収められている。『妻よ薔薇のように』と『彦六大いに笑う』を中野実、三好十郎の原作と比較して論じたエッセイも出色で、職能的映画批評家とはまったく異なる独自の視点がきわめて新鮮である。

 

そういえば、岩田宏は、ロバート・アルトマンの『三人の女』の劇場用パンフレットにも作品評を書いていて、とても読みごたえがあったと記憶する。私は、今、岩田宏=小笠原豊樹の映画エッセイ集を編んでみたい、というささやかな夢想にふけっている。

 

 

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メアリイ・マッカーシイ『グループ』(小笠原豊樹訳・早川書房)

 

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ジャック・プレヴェール『プレヴェール詩集』(小笠原豊樹訳・マガジンハウス)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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