『私が棄てた女』、あるいは「蒼井一郎」という映画批評家について - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
『私が棄てた女』、あるいは「蒼井一郎」という映画批評家について

 一本の映画について思いをめぐらす際には、その作品を論じた同時代の優れた批評が喚起されることがある。一番、有名な例を引けば、「映画芸術」に載った三島由紀夫の「『総長賭博』と『飛車角と吉良常』のなかの鶴田浩二」だろう。この批評で山下耕作の名作『博奕打ち・総長賭博』の評価は決定的なものとなった。

私の個人的な記憶をたどれば、たとえば、今やカルト映画として若い世代にも人気がある野田幸男の『〇課の女 赤い手錠』(74)は、封切り時に、「キネマ旬報」に載った球磨元男(早逝してしまったが、スポーツ新聞の記者だったと思う)の「瞠目すべき傑作」という大絶賛の短評に大いに刺激された。そして数か月遅れで、新宿昭和館でようやくつかまえ、驚愕したのをよく憶えている。ダイニチ映配末期に狂い咲いた長谷部安春の日活ニューアクションの代表作『野良猫ロック・セックスハンター』(70)についても、当時、「キネマ旬報」の読者投稿欄に載った藤田真男の「『野良猫ロック・セックスハンター』の論理と構造」という秀抜な論考が強く印象に残っている。

 

 一九八四年に出た山田宏一の書下ろしエッセイ集『シネ・ブラボー 小さな映画誌』(ケイブンシャ文庫)は、まさに、達意の名文による同時代の映画批評の宝庫で、「サミュエル・フラーの戦争 『最前線物語』」、「松田聖子のおでこ 『野菊の墓』」、「田中裕子とグリーンの誘惑 『天城越え』」、「森崎喜劇の行方 『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』」などは、それぞれの作品について書かれた最も魅力に富んだブリリアントな批評であった。

 

 その山田宏一さんから、はるか昔、日本ヘラルド映画の宣伝部長の山下健一郎さんが蒼井一郎というペンネームで映画評を書いていて、浦山桐郎論がすごくよくてね、という話を聞いたことがある。

 

 山下健一郎といえば、私が「月刊イメージフォーラム」編集部に在籍していた一九八〇年代の前半には、子会社のヘラルド・エースを原正人さんと共に牽引していた。『赤い帽子の女』『瀬戸内少年野球団』『片翼だけの天使』などのプロデューサーとして活躍していた時期で、恐らく、その頃は多忙を極め、映画批評を書く余裕はなかっただろう。

 

その後、私はフリーの編集者になったが、必要があって、戦後日本映画の批評の歴史を調べていて、小川徹が編集委員会代表を務めた『現代日本映画体系』全六巻(冬樹社)を通読する機会があり、ようやく「蒼井一郎」の書いたいくつかの批評を読むことができた。

第二巻「個人と力の回復」には「やむをえざる犯罪の物語――『警視庁シリーズ』論――」、第三巻「日本ヌーベルバーグ」には「渋谷実の笑い――『二人だけの砦』評――」が収められており、とくに前者は、東映の『警視庁シリーズ』を、その作られた高度成長期という時代背景を踏まえた精緻な分析が読みごたえがある。

「とどのつまり、警視庁シリーズ作品の絶ちがたい魅力とは、大都会の貧しい風景・貧しい犯罪の描写をはさんで、企業的アルチザン根性と本物のドキュメンタリー精神が、その接点のあたりで毎度安定した〈スタイル〉のなかにするりと統一されてしまうという、〈じれったさ〉にあったのかもしれないのだが……。」というくだりなどは、実に鋭い指摘で、読んでいると、猛然と「警視庁」シリーズ全作を見たくなってしまうほどだ。 

 

しかし、映画批評家、蒼井一郎の最高傑作といえば、やはり第五巻「幻想と政治の間」所収の「『私が棄てた女』と六〇年代」だろう。四百字詰め原稿用紙で四十枚ほどの長篇の論考で、初出が一九七〇年三月刊行の「シネマ70」四号というのも時代を感じさせ、象徴的である。

 

冒頭で、蒼井一郎は次のように書き出している。

「浦山桐郎の『私が棄てた女』について書こうとすると、それはひとつの明確な結論を持った文章として完結しないのではないか、という危惧を、最初から感じてしまう。……中略……『私が棄てた女』を正面切って分析した批評は少なく、いわば論理的解明ではなく心情的な共感として、ひとりひとりの胸の奥にスムーズにしまいこまれ、やがては記憶という錆びによって動かなくなる錠を下されてしまっていくように思える。

 多分その理由は、『私が棄てた女』という作品が、自己の内部と外部の両方に向かって発した〈問いかけ〉であり〈追求〉であり、〈否定〉でありながら、同時にその〈答え〉であり〈弁明〉であり、〈肯定〉であるという構造を持っているために、明確な一元的メッセージを受けとることができなかったからであろう。」 

 

『私が棄てた女』(69)を、私は、十年おきぐらいに名画座でかかると見返しているが、最初、二十歳前後で見た時には、さほど感銘を受けることのなかった、この作品は、歳を重ねて、見直すたびに、名状し難い苦さ、棘が刺さったような鈍い痛みにしばし襲われる。こういうタイプの映画はきわめて稀である。

蒼井一郎の批評は、この『私が棄てた女』という一筋縄ではいかない、不可解な魅力をたたえた映画に、全力でぶつかり、格闘し、〈言葉〉によって肉薄しようとした稀有な試みである。

 

『私が棄てた女』の主人公・吉岡(河原崎長一郎)は、勤め先の社長の姪であるマリ子(浅丘ルリ子)と結婚するいっぽうで、昔、学生時代に知り合い、妊娠させて棄てた女工の森田ミツ(小林トシ江)と再会した後、関係を持ち続ける。そして、ふたたび、見棄ててしまい、結果的には、ミツを死に追いやってしまう。

 

蒼井一郎は、吉岡の「俺は……ミツじゃないが、ミツは俺だよ」という謎めいた呟きの意味を問い直し、吉岡にとって、「死せるミツは、すでにあの「『道』のザンパーノにおけるジェルソミーナのような存在になっているのである」と卓見を述べている。

さらにラストのマリ子のモノローグについても次のような鋭い分析を加えている。

「ここでは、ミツとは対照的な環境に育ち、都会的知的な女性像として登場したマリ子が、吉岡に対するミツのような存在に転生している。吉岡にとっては、彼女自身が第二のミツになりうるかもしれない。だが、吉岡の方は、愛するものを愛し続けながら、ミツを殺した外部の敵、内部の敵と戦ってゆくことができるのだろうか。朝の空とも、夕暮れの空とも見える不思議なラストショットの空のあかね色は、その可能性と絶望の交錯のように見える。」

 

 浦山桐郎は、『キューポラのある街』(62)、『非行少女』(63)、そして『私が棄てた女』という日活時代の三本の作品で、作家生命を燃焼し尽くしてしまったというのが私の長年の持論で、とくに主人公の吉岡に烈しく自己を投影した『私が棄てた女』には、浦山桐郎のすべてがあると思える。

 

その後、山下健一郎さんとは、フリーのプロデューサーになられてから、数回、酒席を共にする機会があったが、酒が入ると、なんだか照れてしまい、直接、『私が棄てた女』論の感銘を伝えることはできなかった。山下さんは、二〇一〇年の八月に胆管細胞ガンで死去された。享年七〇。

その数か月後に、『ゴダール・ソシアリズム』の完成披露試写で、奥様の山下由紀子さんと偶然、お会いし、喫茶店で長々と話し込んだ。山下さんご自身も大変な映画狂で、シネ・ヴィヴァン六本木に勤務していた一九九〇年代には、ジョン・カサヴェテス特集などで一緒にイベントを企画したこともあった。山下さんは、「通夜では、原正人さんや河原畑寧さんなど親しかった沢山の友人たちが、いつまでたっても帰らずに主人の思い出を延々と語り合っていたんですよ」と嬉しそうに話されていたのが印象的だった。

山下健一郎さんは、豪放無頼なキャラクターの魅力もあって、黄金期のヘラルド映画時代の宣伝マンとしての伝説的なエピソードには事欠かないが、私としては、傑出した『私が棄てた女』論を書いた映画批評家・蒼井一郎としての貌を忘れないでおきたいのである。

 

206231e29fa003dfd5aa6110_L.jpg

浦山桐郎監督の名作『私が棄てた女』(VHSのみ。絶版)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
バックナンバー
検索