映画的な作家、武田泰淳の凄みについて - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
映画的な作家、武田泰淳の凄みについて

 今秋、中央公論新社から刊行される『ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短篇集』の編集を手伝っていることもあり、ここのところ、武田泰淳の全集を読み直している。

あらためて、スゴイ作家だなあと感嘆するほかないのだが、今年、生誕百周年を迎える武田泰淳について、表立った大きな再評価の動きがないのは、いささかさびしい。

 

武田泰淳は、『ひかりごけ』や『風媒花』『蝮のすゑ』『異形の者』といった作品から、どうしても<戦争><革命>といった気宇壮大なテーマに取り組んだ難解な作家、<第一次戦後派を代表する巨人>いうイメージが流布してしまっていて、結果、敬して遠ざけられる存在になっているような気がしてならない。

 

私自身は、数年前、『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』(小社刊)という映画エッセイ集を編集したせいもあるが、武田泰淳といえば<映画>のイメージと深く結びついている。なにしろ、最初に読んだ武田泰淳の小説が『白昼の通り魔』だったからである。

あれは、一九七〇年代の半ば頃だったが、四谷公会堂かどこかの自主上映会で、初めて、大島渚監督の『白昼の通り魔』を見て、いささか興奮してしまった。そして、大島監督の本を読むと、「原作は、文学的にはだれ一人認めていないけれど、武田泰淳のすごい傑作だと思います。この傑作に対する感動が出発点になっているんです」という発言があった。そこで、ぜひ、原作を読んでみたいと思い、古書店を探し回ったが、なかなか見つからず、偶然、手にした『映画芸術』一九六六年三月号に、原作の短篇がまるまる収録されていたので、狂喜してしまった。 

一読し、映画とはまた異なった深い感銘を受けた。

小説は篠崎シノの手記という体裁をとっているが、映画の中で、通り魔の英助、彼の妻となる倉マツ子先生、シノの心中相手の村長の息子・源治と、シノとの間で交わされる際立って印象的なダイアローグは、すべてほぼそのまま原作通りで、というより原作ではさらに異様な凄みを帯びて迫ってくるのだ。

大島渚の映画は、それまでの長回し主体ではなく、細かいショットを積み重ね、ハイキーのモノクロ映像がフォトジェニックで美しくモダーンだが、武田泰淳の原作は、もっと方言のもつ猥雑な可笑しみ、諧謔が生かされ、初期の深沢七郎の「ポルカ」ものを彷彿させるような土俗的でフォークロア的な黒いユーモアが溢れているのだった。

 

『誰を方舟に残すのか』も奇妙な短篇である。はるか昔、テレビの土曜洋画劇場で『二十七人の漂流者』というアメリカ映画を見たことがあり、印象に残っていたのだが、前半は、この『二十七人の漂流者』の映画批評としても読めるのだ。映画は、ヒッチコックの『救命艇』とよく似たワンセット・ドラマで、豪華船が沈没して、一艘の救命ボートに大勢が乗り込み、人数が多すぎて転覆してしまうために、船長のタイロン・パワーが老人、女性、怪我人と、弱い者から容赦なく海に放り出す。

武田泰淳は、極限状況下で露わにされるエゴイズムとモラルの相克をめぐって入念な考察に耽り、一転、後半では、ノアの方舟におけるノアと三人の子セム、ヤム、ヤペテを登場させ、「旧約」創世記談義を開陳するのだ。

 

極限状況モノといえば、『「ゴジラ」の来る夜』は、いよいよゴジラが上陸するというときに、資本家とその美人秘書、労組の指導者と天才的な脱獄囚、宗教家と『ゴジラ』映画のグラマー女優による特攻隊が編成される。彼らは無人の病院にたてこもり、なぜか互いに殺し合いを始めるというSFである。武田泰淳は、その数年前に、水爆投下のボタンを押した人物の戦争責任をモチーフに『第一のボタン』という同工のSFを書いている。

 当時、花田清輝は、「科学小説」というエッセイにおいて、H・G・ウェルズやスウィフトと比較しながら、この作品の文体を強く批判し、「『第一のボタン』のなかに霧のようにただよっていた仏教的ニヒリズムが薄れてしまうと、水爆投下後の風景のような、惨憺たる廃墟があらわれたというわけだ」と皮肉まじりに書いている。しかし、ドタバタ喜劇のタッチで、第三時世界大戦前夜の不安をアレゴリカルに描く、この諷刺的なSFは、むしろファルスの精神を顕揚した花田好みの作品のはずで、もっと高く評価されてよいと思う。

 

『空間の犯罪』は、『流人島にて』(篠田正浩が映画化した『処刑の島』の原作)などに連なる一種の復讐譚である。不具者の八一がヤクザの親分黒岩に侮辱され、「ガスタンクにでも登ってみろ」という自分に投げかけられた言葉を呪詛のように受け止める。以後、高い所に上るという不可能事に思いをめぐらす主人公が、ガスタンクの頂上に上り詰め、下界の黒岩に向けて絶叫するクライマックスは圧巻である。高所恐怖症者の末期に眼に映じた下界の街の光景は壮麗な幻想と悪夢に彩られ、まるで、エドガ・アラン・ポーやG・K・チェスタートンの瞑想的な恐怖譚を思わせる。武田泰淳は、創意豊かな<幻視者>なのだ。

 

武田泰淳は「映画と私」というエッセイで、幼少期に映画と出会い、「そのしびれるような魔力から逃れることができなかった」と告白しているが、自作の映画化作品についてはどう思っていたのだろうか。一人娘で写真家の武田花さんによれば、家の中ではほとんど話題に出た記憶がなかったそうだ。

大島渚の『白昼の通り魔』をのぞいては、内田吐夢の『森と湖のまつり』も、吉村公三郎『貴族の階段』も、熊井啓の『ひかりごけ』も成功しているとは言い難い。

 

一番、気にかかるのは、相米慎二監督が撮りたかった『富士』のことだ。たしか、『台風クラブ』が東京映画祭ヤングシネマで受賞した直後から、名コンビの田中陽造が脚本を書いていたはずで、あの名状しがたい巨大な傑作と格闘し、呻吟したものの、結局、完成をみなかったとも伝え聞いた。

いつだったか、新宿の酒場「ブラ」で、武田花さんら数人と一緒に呑んでいたら、離れた席に田中陽造さんがいて、誰かが武田花さんを紹介したところ、したたか酔っていた田中陽造さんが、一瞬、直立不動の姿勢になり、恐縮したように挨拶していたのが妙に可笑しかった記憶がある。その時、陽造さんの武田泰淳への深い尊敬のようなものを感じたのだ。

 

相米慎二監督と最後に会ったのは、ロバート・アルトマンの『クッキー・フォーチュン』のパンフレットのためにインタビューした時だった。アルトマンの描くアメリカの風景の話から、相米さんが、なぜか、ふいに「武田花さんの写真は、いいよなあ。すごくいい」と呟いた。その翌年、相米さんは急逝してしまうのだが、生前、武田花さんと相米さんが一緒に呑む機会をつくれればよかった、と悔やまれてならない。

武田泰淳、最晩年の畢生の大作『富士』の映画化は、たぶん、永遠に幻の企画のままであろう。

 

 

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『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』(清流出版)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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