実践者の眼 獅子文六の魅力 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
実践者の眼 獅子文六の魅力

  昨年、ちくま文庫から獅子文六の『コーヒーと恋愛』が復刊された。もしかしたら、獅子文六の静かなブームが起きているのだろうか。永年のファンとしてはうれしい限りだが、周知のように、獅子文六は、映画との関わりが深い。『コーヒーと恋愛』も松竹で『「可否道」より なんじゃもんじゃ』(63)の題で映画化されているが、井上和男の演出にメリハリがなく、ヒロインの森光子もやや精彩に欠ける。むしろ一九七四年に放映されたNHKの銀河テレビ小説『恋とコーヒー』の渡辺美佐子のほうがはるかに魅力的で、原作の味わいが感じられた記憶がある。 

 

獅子文六の映画化された作品は四十本ほどある。私は三分の一程度しか見ていないが、戦前なら清水宏の『信子』(40)、戦後は渋谷実の『てんやわんや』(50)、『やっさもっさ』(53)、松竹と大映の吉村公三郎で競作となった『自由学校』(51)、千葉泰樹の『大番』(57-58)四部作、川島雄三の『特急にっぽん』(61)といった作品がすぐさま思い浮かんでくる。

なかでも、最近、ラピュタ阿佐ヶ谷で上映された野崎正郎の『広い天』(59)は、疎開先に向かう少年と「馬おじさん」と呼ばれる中年の彫刻家との交流を描く隠れた秀作で、馬づらの伊藤雄之助があまりに原作のイメージ通りなので、笑ってしまう。

 

獅子文六は、近年、小林信彦、中野翠、堀江敏幸、平松洋子といった読み巧者が絶賛しているせいもあり、昭和を代表する大衆的なユーモア作家というイメージで語られることが多い。もちろん、その通りなのだが、私は、数年前、近所の古本屋で「獅子文六全集」(全十七巻・朝日新聞社)を格安の値段でみつけて以来、折に触れて、読み返すたびに、獅子文六はもっと一筋縄ではいかない、巨大なスケールの作家ではないかという思いを強くしている。

 

たとえば、二・二六事件で九死に一生を得た老首相の皮肉な運命を描いた晩年の傑作「出る幕」のトラジ・コミカルで絶妙な味わいは、ちょっと形容しがたい。こんな意想外な語り口で二・二六事件を描いた小説は空前絶後ではあるまいか。 

 

笠原和夫の『破滅の美学』(幻冬舎アウトロー文庫)に次のような一節がある。 

「そういえば、わたしも、二度ほど出刃包丁を持とうか、と思ったことがある。ひとつは、戦争が終わって海軍の復員兵としてくうやくわずの生活をしていたころで、戦時中、わたしたちの世代なら大方が感奮させられた小説『海軍』の著者岩田豊雄氏が、獅子文六のペンネームで『てんやわんや』『自由学校』を発表し、戦後社会のオピニオンリーダーとして脚光を浴びているのが許せなかった。海軍の実態は、岩田氏が書いたものとまったく違う。それはリアリストの岩田氏も認識していたはずである。それを美化し、筆力をもって若者たちを海軍に志向させ、それで死んだものも確実にいたはずだ。なにが『てんやわんや』だ、ふざけやがってーと、二十歳前後の荒んだ血で、岩田邸に乗りこもうと考えたのだが、これは空想に終わってしまった。いまでも、わたしは獅子文六に好感も敬意ももっていない。ただ、小説『海軍』はいまだに座右に愛蔵している。」

 

たしかに獅子文六は、戦時下に『海軍』を書いたために戦犯の容疑を受けたが、戦後になるや、戦争協力者から、安易に親米の民主主義者に転向した作家たちとは一線を劃すように毅然たる姿勢を貫いた。 

私が獅子文六の面白さを知ったのは花田清輝の影響が大きい。花田清輝は、『乱世今昔談』(講談社)所収の「有名無実」というエッセイで次のように書いている。   

「死の直後に発表された『モーニング物語』によれば、獅子文六は、半世紀前にパリでつくったモーニングを一着して、文化勲章をもらいに出かけた。これを、故人がケチだったためという人があるが、はたしてそうか。わたしは、そこに、名声というものにほとんど心をうごかされない、ひとりの達人のすがたをみた。おもうに、故人は、戦後、戦犯のリストにのせられたさいにも、大いにローバイもせず、虚心にその悪名を受けとったのではなかったろうか。達人というのがいいすぎなら、芸術家といいなおしてもいい。」

 

 獅子文六は、『食味歳時記』『飲み・食い・書く』といった食べ物エッセイの名著も多いが、映画に関するエッセイも少なからず残している。獅子文六が、『てんやわんや』でデビューした淡島千景に、「ヘップバーンとコルベールの間に君の道がある」という色紙を贈ったのは有名なエピソードだ。「『大番』余禄」というエッセイでは、小説を書き終わらないうちに始まった映画『大番』シリーズで、途中から淡島千景が演じたおまきさんの評判が高まり、本来、考えていたおまきさんと淡島千景の風貌がちゃんぽんになり、後半は、完全に淡島千景のイメージが作者を支配するようになってしまったと苦笑気味に書いている。

私は、なんとなく『やっさもっさ』で混血孤児院の理事長を演じた淡島千景が獅子文六の理想的なヒロイン像のように思えてならない。 

 

 昭和十五年に刊行された『牡丹亭雑記』には、獅子文六の笑いに関するエッセイが数多く収められているが、なかでも「映画に現われたユーモア」は、出色な面白さである。幼少期に見たニコニコ大会に始まり、新馬鹿大将、マック・セネットのエロチック喜劇、ウィル・ロジャースの静かなユーモア、マルクス兄弟の瘋癲的ユーモア、チャップリン、ルネ・クレールの諷刺的笑いと自らの喜劇映画体験を回想しながら、日本映画のある喜劇俳優についてこんなふうに書いている。

「だが、藤原釜足という役者だけは、僕の狭い見聞のうちでもっとも嘱望し得る一人だ。およそ彼ぐらい、平凡な一日本人の体躯容貌を備えた役者はない。まるで、平凡の典型の如きパーソナリティである。そこに、彼の絶大なる強みがあるのだと思う。彼は、あらゆる平凡な日本人の笑いと、悲しみを唄う資格をもっている。芸からいっても、素直で、真実で、P・C・L有数の技術者である。僕は『坊ちゃん』の中のウラナリを観て、彼に注目し始めたのだが、その後、大体に於いて、期待を裏切られない。……中略……彼は現代日本人として濃い属性をもっているのだから、日本の現実から生まれた役、演技を与えなければ、ウソである。僕は彼の主演で、牛乳配達かなんかの生活を、シミジミ描いた喜劇が見たい。日本の現代の真実がそこに示されれば、とりもなおさず、それがよいユーモア映画になるわけだ。」

 

 藤原釜足の個性をとらえたなかなかの卓見であると思う。獅子文六は、そのほかにも、一緒に文学座をつくった盟友岸田國士の娘である岸田今日子を深い愛情をこめつつも怜悧に分析した卓抜なエッセイを書いているし、生涯を通じて無二の親友だった徳川夢声の名著『夢声戦争日記』の書評では、爆撃機の試験飛行中に殉職した夢声の義弟、竜夫の思い出にほとんどの筆を費やしていて、感動的である。

 

かつて花田清輝が、「三島由紀夫の『近代能楽集』などとはちがって、能狂言の近代化ではなく、能狂言を否定的媒介にして、あざやかに近代をこえることに成功した」と讃嘆したのが岩田豊雄の戯曲『東は東』である。この戦前に発表された狂言形式の一幕物を、昭和二十九年、上演したのが武智鉄二で、その斬新な演出は、今なお、伝説的な舞台として語り継がれている。 

岩田豊雄=獅子文六は、ピランデルロの『作者を探す六人の登場人物』の名訳者で知られたアヴァンギャルドな芸術家だったのである。

 

どこか奇特な版元があれば、腕によりをかけて、『獅子文六映画・演劇エッセイ集』を編んでみたいというのが、私のささやかな夢である。 


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獅子文六著『コーヒーと恋愛』(ちくま文庫)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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