映画狂のミステリ作家、小泉喜美子の思い出 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
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映画狂のミステリ作家、小泉喜美子の思い出

 

 ハリウッドを舞台にした傑作小説を三冊選ぶとすれば、ナサニエル・ウエストの『いなごの日』(角川文庫)、スコット・フィッツジェラルドの『ラスト・タイクーン』(角川文庫)、それにバッド・シュールバーグの『何がサミイを走らせるのか?』(新書館)を挙げることに異論はないだろう。

 

 最近、必要があって、『何がサミイを走らせるのか?』を再読し、その訳者あとがきの小泉喜美子さんのマニアックな解説にほとほと感心させられた。小泉喜美子さんは都会的な洒落たミステリ作家として知られていたが、私は、むしろアーウィン・ショーをはじめとする英米の現代小説、ミステリの優れた翻訳家として親しんでいた。なかでも、かつて植草甚一が「こんなにも謙虚な推理作家はいままでいなかった」と絶賛したP・D・ジェイムズの出世作『女には向かない職業』(早川ポケミス)は名訳で、私のお気に入りの一作だった。

 

 その『女には向かない職業』がかつて映画化され、日本で上映されたことがある。といっても一般封切りではなく、一九八二年、まだ焼失する前の京橋フィルムセンターの「現代イギリス映画の展望」という特集での一度だけの上映だった。

 当時、『月刊イメージフォーラム』の編集者だった私は、このきわめて珍しい作品を、ぜひ翻訳者である小泉喜美子さんに見てもらい、批評を書いてもらおうと考えた。

 

  たしか、フィルムセンターで待ち合わせた際には、やはりミステリ通の映画評論家である渡辺祥子さんも一緒だったと思う。見終わった後で、三人で歓談した記憶がある。

残念ながら、映画の出来はイマイチだった。とくに小泉さんは、ヒロインのコーデリア・グレイの魅力がまったく描けていないことが不満だったようで、作品評でも次のような鋭い指摘をしている。

「原作にはない子供の登場などもその一例だが、最たるものはコーデリアが妙な個人感情に負けてこの事件担当をオリたいと依頼主に申し出、そのあと、彼とベッドをともにするという挿話をつけ加えたのは珍。およそこんなことをする女性ではないというふうに描かれているところが原作の一番の特色なのに!……中略……彼女がプロの(卵の)私立探偵としてあくまで冷静非情に事件に対処する立場でいながらなおかつ、女として、人間としての感情を投影せざるをえないところが映画では表現されていない。P・D・ジェイムズの描いたコーデリアの内面は単なる父性や異性への思慕ではなく、もっと大きな人間性に根差した悲痛な怒りとでもいうようなものである。」

 

 小泉さんから原稿を受け取る際には、赤坂の自宅マンション近くのホテルのラウンジを指定された。午後もまだ早い時間だったが、ビール、そしてウィスキーを注文し、すでに赤ら顔でちょっと酔っている感じであった。ちょうど、内藤陳さんと一緒に住んでいた時期だったと思うが、酔うにしたがい、レイモンド・チャンドラーが生んだ私立探偵フィリップ・マーロウを自分の恋人のように連呼する半面、当時、ベストセラーが次々に映画化されていたある日本のミステリ作家を「ホテルマンあがりのつまんない奴!」と罵倒する始末で、こちらは、ただひたすら黙って拝聴するだけだった。

 

今でも思い出すのは、私が、当時、忘れられていた伝説の映画監督プレストン・スタージェスのことを話題にすると、眼を輝かせて、「小林信彦さんがよく書いているけど、戦後のあの頃は、小林さんだけじゃなくて、東京のオマセな高校生はみんなプレストン・スタージェスの『結婚五年目』と『殺人幻想曲』に夢中になったものよ!友だちの河野基比呂がとくにすごく詳しいわよ、原稿を頼んでみたら?」と教えてくれたことである。あの頃、河野基比古はテレビ東京「木曜洋画劇場」の解説を務めていたが、映画音楽に強い映画評論家という印象だった。思えば、河野基比古は、小泉さんの前夫、生島治郎と早稲田の同級生でもあった。

 

その後、小泉さんとお会いする機会はなかったが、時おり、編集部に電話がかかってきたり、出たばかりのエッセイ集『やさしく殺して』(鎌倉書房)を送ってくれたりした。その頃、生島治郎がベストセラー『片翼だけの天使』のモデルとなった女性と再婚したことがニュースになり、小泉さんが、その配偶者を非難するような手記を女性誌に発表したため、生島治郎から絶交されたという話を伝え聞いた。当時、粋とソフィスティケーションを信条とする小泉さんらしからぬ振る舞いだなと思ったのを憶えている。

 

小泉喜美子さんは、ずっと生島治郎の影を引き摺っていた気がする。その後、内藤陳さんとも別れ、一九八五年、新宿のゴールデン街の酒場の階段から酔って転落し、脳挫傷を負って、意識が戻らぬまま急逝してしまった。享年五十一。

当時から、築地生まれのチャキチャキの江戸っ子で、銀座をこよなく愛した小泉さんが何故、もっとも似つかわしくないゴールデン街で亡くなってしまったのかといぶかしく思う人は多かった。

 

小泉喜美子という作家については、ふたつの優れたポルトレが残されている。

ひとつは戸板康二の『あの人この人――昭和人物誌』(文春文庫)に入っている「小泉喜美子の博識」で、生前、小泉さんを娘のように可愛がっていた戸板康二の深い愛情が伝わってくる滋味深いエッセイである。

 

もうひとつは、関川夏央のエッセイ集『水のように笑う』(双葉社)に収められた「あるミステリー作家の思い出」という印象深いスケッチである(関川は、今のような居丈高な文芸評論家ではなく、初期の屈託した自虐的なコラムを書いていた頃が一番良い)。関川は、次のように書いている。

「彼女は東京人のわがまま、孤独、粋好み、華やかさへの傾斜、すべてを持っていた。男たちを愛したが、日常生活をともにいとなむのは不得手そうに見えた。マーロウに憧れ、いつもコートの広い背中に頬を押しあてていたいという感じがあった。しかし、酒の入った霧の夜にしかそのようなかりそめの充足はあり得ないのだ、ということも彼女は知っていたと思う。いつもどこかにかすかな不幸がちらついて見えるひとだった。酒と酒のもたらす数瞬の高揚に殉じたという気がした。」

 

小泉喜美子さんの没後、『ミステリ歳時記』(晶文社)、『ブルネットに銀の簪』(早川書房)と続けてエッセイ集が刊行されたが、私が書いてもらった『女には向かない職業』の映画評は、たぶん、どちらにも収められていなかったと思う。

 

小泉さんが亡くなって十年後に、私はプレノン・アッシュのプレストン・スタージェス映画祭の企画に関わることになったが、その際にも、ふと、彼女がもし生きていたら、『サリヴァンの旅』や『レディ・イヴ』についてどんな感想をもっただろうか思わずにはいられなかったのである。

 

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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