スーザン・ソンタグと蓮實重彦の微妙な対話 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
スーザン・ソンタグと蓮實重彦の微妙な対話

 草森紳一、平岡正明のように没後、その著作が次々に刊行されるのは稀有なことだが、二〇〇四年に亡くなったスーザン・ソンタグものそのひとりといえそうだ。講演・エッセイをまとめた『同じ時のなかで』(NTT出版)が刊行され、その後も、二〇一〇年には、ソンタグの十四歳から三十歳までの日記を息子が編纂した『私は生まれなおしている――日記とノート 19471963』(デイヴィッド・リーフ編、河出書房新社)、二〇一二年には、最初に書かれた長篇小説『夢の賜物』(河出書房新社)が出ている。翻訳はすべてソンタグと生前から交友関係の深かった木幡和江氏である。

 

 晩年のスーザン・ソンタグは、9.11直後に、ブッシュ政権の対外政策を痛烈に批判して日本でも話題になったことがあるが、やはり、大江健三郎との往復書簡とか、主に政治的なテーマにからめて語られることが多かったような気がする。

 

 ひさびさに、スーザン・ソンタグの著作『私は生まれなおしている』を読んでみて、若き日の同性愛にまつわる、あからさまで切迫したトーンの記述が延々と続くのに驚かされたり、また、「性的な欠乏感と知的な<欠乏感>は似ている」といったアフォリズムめいた言葉が強く印象に残った。

 

 今、スーザン・ソンタグが若い世代にどんなふうに読まれているのかは知らない。しかし、一九七一年に、彼女の『反解釈』(竹内書店、のちにちくま学芸文庫)の翻訳が刊行された時の目の覚めるような衝撃は、今も鮮やかに思い浮かべることができる。

一九七〇年代とは、間違いなく、スーザン・ソンタグがアメリカを代表する文化英雄として熱狂的に評価され、競って読まれた時代であった。

 私は、『反解釈』を、たしか数年後に古本屋で入手したのだと思うが、「模範的苦悩者としての芸術家」と題されたパヴェーゼ論、「ミシェル・レリスの『成熟の年齢』」といった未知なる作家論は言うに及ばず、「ブレッソンにおける精神のスタイル」「ゴダールの『女と男のいる舗道』」などの映画評論、「惨劇のイマジネーション」という『地球防衛軍』から『ラドン』までを俎上に載せた空想科学映画論などはとてつもなく刺激的だった。

そして、なんといっても「<キャンプ>についてのノート」という画期的なエッセイは、何度、読み返したか、わからない。

 

当時は、今野雄二、金坂健二、小野耕世といった同時代のアメリカ映画、アメリカ文化を論じる批評家の評論をよく読んでいたが、『反解釈』を読むと、彼らの評論が、明らかにソンタグのキャンプ論の受け売りであったり、下敷きにしていることがわかって苦笑したことを覚えている。

 

冒頭の「反解釈」というエッセイには、「最良の批評とは(まことに稀少なものだが)、内容への考察を形式への考察のなかに溶解せしめる種類の批評である」とし、その好個の例として、アーウィン・パノフスキーの「映画における様式と媒体」、ロラン・バルトの「ラシーヌ論」と「ロブ=グリエ論」、アウエルバッハの「ミメーシス」、ヴァルター・ベンヤミンの論文「短編作家論――ニコライ・レスコフの作品をめぐって」、マニー・ファーバーの映画批評などが挙げられている。

 

また、当時の私は、次のような一節にも心ひかれた。

「すぐれた映画は必ずわれわれを、解釈の欲求から完全に解放してくれるところの直接性をもっている。キューカーやウォルシュやホークスやその他かぞえきれない昔のハリウッド映画監督の作品には、トリュフォーの『ピアニストを撃て』や『突然炎のごとく』、ゴダールの『勝手にしやがれ』、アントニオーニの『情事』、オルミの『いいなずけ』などのようなヨーロッパの新進監督の最良の作品に劣らず、このような反象徴的、解放的な性格がまさしく存在する。」

 

「透明――これこそこんにち芸術において、また批評において、最高の価値であり、最大の解放力である。透明とはもの自体の、つまりあるものがまさにそのものであるということの、輝きと艶を経験することの謂いである。これが、たとえばブレッソンや小津安二郎の映画の、あるいはルノワールの『ゲームの規則』の、偉大さにほかならない。」

 

今なら、こういうエッセイは、ちょっと気のきいたシネ・フィルであれば、似たようなことを書くことは可能かもしれないが、スーザン・ソンタグが、すでに一九六四年に、こういう挑発的な論考を書いていたことの決定的な新しさは記憶に留めておきたい。

 

ロラン・バルトやロブ=グリエの名前が引かれていることから、当時、隆盛を誇っていたフランスのヌーヴェル・クリティックの影響も当然、あったには違いない。

 

ここで、もうひとり、一九七〇年代に、同じように、内容よりも形式を重視する、表層批評をマニフェストに掲げて登場した蓮實重彦の名前が浮上してくる。

実は、意外に知られていないが、伝説の文芸誌『海』の一九七九年七月号で、創刊十周年記念・特別対談として、スーザン・ソンタグと蓮實重彦が対談しているのだ。

 

この「メタフォアの陥穽」というテーマで行われた対談は、今、読んでもめっぽう面白い。というのも、当時、『映画の神話学』『映像の詩学』を上梓したばかりで、まさに、向かうところ敵なしのカリスマ的存在であった蓮實さんが、唯一、ここではソンタグの前でタジタジになっているからである。

そうなってしまった原因は、明らかに蓮實さんにある。

こんな不用意な屈折した社交辞令のような発言で対話を始めてしまったからである。

 

「今日、こうしてソンタグさんとお話しできるのは、大変嬉しいことだと思います。というのは、もう十年以上昔になりますが、ソンタグさんの『反解釈』という著作の翻訳が出たときに、私がこの『海』という雑誌で書評をしたことがあるからです。私の漠然とした記憶では、たぶん、少し悪口めいたことを言ったんじゃないかという気がします。その悪口というのは、もちろんあの書物の中に書かれている内容に関したものではなくて、当時、ソンタグさんの評判が日本ではあまり高かったので、たぶん一種の嫉妬のようなものから、一種のソンタグ神話批判めいたものを書いたわけです」

 

と語り、さらに、彼女がその若さと美貌から<アメリカ前衛芸術界のナタリー・ウッド>と喧伝された例を引いて、現代における神話的イメージについて言及したのだが、これがソンタグの次のような怒りを買ってしまったのだ。

 

「今日の対話のはじまり方は、私にとって、考えうる最も不幸なはじまり方です。一つには、私が出来るならばまったく関わりたくないと思っているまさにそのことを、蓮實さんの今ご発言は、促進するというか、永続させることに加担するものであるように、私には聞こえるからです。……私の著作に関する書評で、私にまつわりついていたイメージゆえに、あるいは私がすでに有名になり過ぎていたがゆえに批判的な立場を取ったとおっしゃいましたが、そういうものなかったら取らなかったであろう立場を、そういうものゆえに取ったというのであれば、私にとっては考えられないことですし、また、批判すべきことでもあると思うのです。」

 

 こうして極めて不穏なムードで始まった対話は、たとえば、<複製>と<複数性>という主題の意味を取り違えたりするなど、最後までギクシャクした感じが抜けきらなかった。だが、フローベールの『ブーヴァールとペキッシュ』とスーザン・ソンタグの小説『死の装具』を<宇宙論的な死のヴィジョン>という視点で比較した議論などはとても面白いし、批評家ではなく小説家としてのソンタグを積極的に顕揚するあたりに、蓮實さんらしいシニカルなイヤミさが際立っている。

 

実は、この『海』の対談は、熱狂的なハスミファンの編集者によって纏められた河出書房新社の『映画狂人』(河出書房新社)シリーズにも収められていない。もしかしたら、蓮實さんのほうで単行本化したくない理由があるのかもしれないが、一九七〇年代から八〇年代にかけて、紛れもなく日米を代表する批評家であったふたりの微妙な緊張を孕んだダイアローグは、今でも充分に読まれる価値があると思う。

 

 

 

 スーザン.jpg

スーザン・ソンタグ著『同じ時のなかで』(NTT出版)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
バックナンバー
検索