虫明亜呂無ふたたび、そして宇津宮雅代 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
虫明亜呂無ふたたび、そして宇津宮雅代

いささか旧聞に属するが、『文学界』四月号の特集「随筆を読む」で、平松洋子さんが<わが偏愛する随筆家>として「虫明亜呂無――誇り高く、なつかしく、孤独」というエッセイを書いていた。その影響であろうか、ネット上でも、しばし、私が数年前に編集した虫明亜呂無の『女の足指と電話機――回想の女優たち』『仮面の女と愛の輪廻』(清流出版)という二冊のエッセイ集が話題になったようである。

 

平松洋子さんが書いていた虫明亜呂無と寺山修司の競馬をめぐるエピソードは、ちょっと怪談ふうなコントのようでもあり、とても面白い。ちなみに平松さんは読書エッセイ集『野蛮な読書』(集英社)でも虫明亜呂無に言及している。

 

私は、この二冊のエッセイ集を編むことで、従来、すぐれたスポーツ評論、スポーツ小説の書き手としてのみ評価が高かった虫明亜呂無という作家をもっと幅広い視野の中でとらえ返したいと考えた。とりわけ、映画、音楽、小説、演劇、ファッション、女性、恋愛とあらゆるテーマを自在に論じる、卓抜でポップなコラムニストとしての魅力を広く知らしめることができたのではないかと、自負している。

 

 虫明亜呂無の文章がひときわ魅力を放つのは、女性、とくに女優について語られたエッセイにおいてである。

たとえば、作家の堀江敏幸は、書評集『振り子で言葉を探るように』(毎日新聞社) 所収の、『仮面の女と愛の輪廻』を評した一文で、次のように書いている。

 

「特筆すべきは、女性を描くときの呼吸の艶(つや)だ。岩下志麻、岸田今日子、吉永小百合、池内淳子、太地喜和子、ジェーン・フォンダらの肖像の、冷静な距離を置きながら、眼で愛撫するようなまなざしの蕩尽は、小説だのエッセイだののジャンルを超えて印象深い。<僕は女優としての岩下志麻はもとより、女優としてのだれだれには、まったく興味がない。あるのは、ひたすら、彼女らが女であることである>と彼は記した。ほとんど片思いにも似た女性への注視は、だから年齢にも左右されない。」

 

 たとえば、『女の足指と電話機』というエロティックな書名は、三浦洋一のひとり会『ストリッパー物語・惜別編』について書いた「スポーツ・ニッポン」の連載「うぇんずでい・らぶ」のコラムのタイトルからとったものである。虫明亜呂無は、次のように書いている。

 

「舞台の上で、あおむけに寝た宇津宮雅代が、足指をそっくり三浦洋一にくわえられ、舐められるところがある。男女の愛欲が、ある緊張感を伴って表現される。と、三浦洋一のひもが、女の足をそのまま電話機にして、客引きの注文取りにつかう。ここが、舞台の演劇的ハイライトで、奇妙なセクシャルな情景がかもしだされ<女>のなまの味が、観客をとらえる。ひもを軽蔑し、しかもひもから離れられない<女>がかなり明白にクローズ・アップされてくる(宇津宮雅代は、あの個所は、独特な緊張感が女優をとらえる、と、語ってくれた)。」

 

 私は、このコラムを読み返すたびに、一九七七年に上演されたこの伝説的な舞台を見逃してしまったことが悔やまれてならない。というのも、一九六九年のデビュー作、ポーラテレビ小説『パンとあこがれ』以来、私は宇津宮雅代という女優の密かな、そして熱烈なファンであったからだ。

 

 私の手許には、奥様の虫明敏子さんから、お預かりした、虫明亜呂無が書き残した単行本未収録の原稿の膨大なスクラップがある。ときおり、気の向くままに、拾い読みするのだが、あまりの面白さに、読みふけってしまい、しばし、時を忘れてしまうほどだ。

そのなかに、ある雑誌に載った「縁は異なもの――恋愛感情を教えてもらった仲」という意味深なタイトルのエッセイがある。

虫明亜呂無の早稲田の同窓生で堂園という際立った美貌の女性がいた。ある時、彼女から、弟は宇津宮といって開成中学で虫明と同級生であったと教えられる。二十数年後、中学の同窓会でその宇津宮から、姪が新宿中村屋の創始者、相馬黒光を演じる『パンとあこがれ』に出るからよろしく、と挨拶される。

それが奇縁となって、虫明が、一時期、家族と離れ、経堂のマンションで仕事をしていた頃には、時おり、近所に住む宇津宮雅代が食事を作ってくれたという。

 

虫明亜呂無は「僕は彼女から、女の心理とか、女の感受性、女の美意識、女の恋愛感情などをつぶさに教えてもらった。……中略……彼女がはじめてお産をすることになったとき、お母さまが僕の家を訪ねてきて<よろしく頼みます>と言った。昔の同窓生だった女性からそう言われると、僕はあらためて歳月の流れと、人間の出逢いの深さを思わずにはいられなかった」と書いている。

 

虫明亜呂無は、このほかにも宇津宮雅代の魅力をめぐって、いくつかのエッセイを書いている。おびただしい女優へのオマージュだけを集めて、虫明亜呂無のエッセイ集を編んでみたいというのが、私のささやかな夢である。

 

ところで、デビュー当時、文学座の若手三羽烏などと呼ばれた宇津宮雅代は、やはり、舞台がメインで、映画では、これはという決定打はない。

 

そのなかで、私が好きな作品は、森谷司郎の青春映画の佳作『放課後』(73)だ。宇津宮雅代は、ヒロインの女子高生・栗田ひろみの同級生の姉で、スナックのママを演じていたが、父親の地井武男を、眼差しひとつで誘惑するシーンが、なんともエロティックであった。

ほんの数カットしか登場しないが、佐藤純弥の傑作『新幹線大爆破』(75)の爆弾犯のリーダー高倉健の別れた妻も強く印象に残っている。ラスト近く、海外逃亡しようとする高倉健を捕まえるべく、警察の要請で面通しのために羽田で待機していた彼女が、高倉健をと視線が合った瞬間の表情が忘れられない。

 

究極の一本を選ぶとすれば、数年前、ラピュタ阿佐ヶ谷の≪田中登追悼特集≫で上映された『横溝正史の鬼火 仮面の男と湖底の女』(83)だろうか。かつて、テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」で放映された二時間ドラマである。

田舎の旧家に嫁いだうら若き義母・宇津宮雅代の奸計によって、お互いに憎しみ合うように生きてきた兄と弟。ともに画家となった彼らは東京で再会するが、過酷な運命がふたりを破滅へと導いていく。宇津宮雅代は、『めまい』のキム・ノヴァクを彷彿とさせる、謎めいた<宿命の女>を演じ、妖艶な美しさがきわだっていた。

日活ロマンポルノの鬼才田中登が撮った、もっとも優れたテレビ映画であり、ぜひ、DVD化してほしい傑作だ。

 

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各紙で絶賛された虫明亜呂無のエッセイ集『女の足指と電話機――回想の女優たち』(清流出版)

 

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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