『ルイス・ブニュエル』を読みながら思い出したこと - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
『ルイス・ブニュエル』を読みながら思い出したこと

 四方田犬彦の六百ページを超える大著『ルイス・ブニュエル』(作品社)を読んでいたら、次のような一節が目に止まった。

「一九八〇年代に入ると、これまで日本ではブニュエルの暗黒時代であると見なされていたメキシコでの諸作品に照明が投じられることになった。最初の契機となったのは、一九八四年に開催された「ぴあフィルムフェスティヴァル」のブニュエル特集である。……中略……わたしはこの年をもってブニェエル元年と呼びたい気持ちを、今でも抱いている。」

 

 そうだ、八四年にはPFFでルイス・ブニュエルの全三十二作品のうち二十九本を集めた大回顧上映会が開催されたのだ。あれは画期的な〈事件〉といってよかった。ブニュエルの自伝『映画 わが自由の幻想』(矢島翠訳・早川書房)が刊行されたのもこの年だった。

 

この空前絶後のブニュエル特集がすごかったのは、それまでまったく見ることができなかったメキシコ時代の彼の作品がほとんどすべて上映されたことである。

この特集によって、ルイス・ブニュエルにつきまとっていた〈難解でスキャンダラスなシュルレアリスムの巨匠〉というイメージが払拭されてしまった。

そして、それに代わって、ミュージカル、通俗メロドラマ、コメディ、とあらゆるジャンルを手がけ、スピーディなタッチで撮り上げてしまう、まるでマキノ雅弘を彷彿させる、プログラムピクチャーの職人監督としての貌が一挙にクローズアップされることになったのである。

 

世界中からプリントを集めたということで、二、三か国語の字幕が付いている奇怪なプリントが何本もあった。たしか、市ヶ谷のシネアーツで、連日、試写をやっていたはずで、そこで、たびたび、金井久美子さん、金井美恵子さん姉妹と一緒になり、見終わった後、近くの喫茶店で談笑した記憶がある。

金井美恵子さんは、かなり興奮気味に、ブニュエルについて語っていた。その後、金井さんは、何度も「メキシコ時代のブニュエル」というテーマでエッセイを書いていたが、それほど、このブニュエル特集は刺戟的であったということだ。

 

PFFの特集にあわせて、編集長である西嶋憲生さんの発案で、『月刊イメージフォーラム』でも「ルイス・ブニュエル伝説」という特集を組んだ。宇田川幸洋さんの「ブニュエル爺(ジー)の秘かな愉しみ」という長めのエッセイ、晩年のブニュエルの傑作のシナリオを書いたジャン=クロード・カリエールのインタビュー、ジャン・パイヤールの『銀河論』、ルイス・ガルシア=アブリネスの『ブニュエルの再生』というメキシコ時代の作品をテーマにした論考、それにメキシコ時代の十五作品の映画評を網羅した内容だった。

 

とりわけ、先日亡くなった梅本洋一さんによるカリエールのインタビューは、私も同行して帝国ホテルの一室で行ったのだが、演劇評論家でもあった梅本さんは、ピーター・ブルックとの共同作業について、熱心に訊いていたことが思い出される。

 

ちょうど同じ号に『女子大生・恥ずかしゼミナール』(後に『ドレミファ娘の血は騒ぐ』と改題)の製作ノートが載っているのだが、この問題作を撮ったばかりの黒沢清さんに『熱狂はエル・パオに達す』、水谷俊之さんに『昇天峠』と『幻影は電車に乗って旅をする』の批評を書いてもらった。ところが、その号が出た後で、『映画芸術』で評論家の野崎六助が、このふたりの批評にかみついたのだ。たしか、「こんな、理解不能な、ふざけきった文章を載せた編集部に猛省をうながす」みたいな批判であった。

 

しかし、今、ふたりの批評を読み返してみても、ふざけているとは思えない。ただ、未知のブニュエルの映画の世界に触れた、その新鮮な驚きの体験を、率直に言葉にしているだけである。

 

この特集では、私も『若い娘』とい過激なロリコン映画について書いている。PFFの特集の後で、一時、世界で一本しかないそのプリントが紛失してしまったという噂が流れた。実際、その後、ヘラルド・エースを中心にメキシコ時代の作品が上映される機会が増えたものの、この『若い娘』だけは、長い間、見ることができなかったが、数年前、日本でもようやくDVD化されたようだ。

 

四方田犬彦の『ルイス・ブニュエル』の最終章は「日本におけるブニュエル受容」と題され、ここは読みどころかと思う。戦前の瀧口修造の初紹介にはじまり、パリで『アンダルシアの犬』を見て、そのオリジナル脚本を訳出した映画評論家、内田岐三雄の功績が高く評価されている。

さらに、戦後、日本で初めて公開されたブニュエル作品『忘れられた人々』を、「シュルレアリスムと社会主義リアリズムを高次で統合した傑作」と喝破した花田清輝の炯眼が称賛され、その影響下から松本俊夫の名著『映像の発見』が生まれた背景が詳述されている。

この章で、興味深いのは、一九六〇年代に、唯一、メキシコ・シティの自宅でルイス・ブニュエルにインタビューした日本人への言及があることだ。金坂健二である。金坂は、ジョナス・メカスをはじめとするアメリカの実験映画、アンダーグラウンド文化の最初の紹介者であり、アメリカのカウンター・カルチャーに関する優れた批評家でもあった。

金坂健二のブニュエルのインタビューは、たぶん、一九六二年頃、『シナリオ』に掲載された「海外作家インタビュー」シリーズに載ったものではないかと思う。

 

今、私の手許にはアンドリュー・サリスが編纂した世界の映画作家へのインタビューをまとめた『インタヴューズ・ウィズ・フィルム・ディレクターズ』があるが、この中にも金坂健二による短いブニュエルへのインタビューが収録されている。初出は一九六二年の『フィルム・カルチャー』誌で、この時期、金坂健二がいかに旺盛に活躍していたかがわかる。このインタビューを読むと、ブニュエルは、ヌーヴェル・ヴァーグでは『二十四時間の情事』と『大人は判ってくれない』が好きであること、日本映画では『羅生門』『七人の侍』『地獄門』を見ていて、日本への関心はあるが、飛行機恐怖症のため、たぶん、日本へ行くことはないだろう、などと語っている。

 

金坂健二は、九〇年代であったろうか、映画祭かなにかのあるパーティで見かけたことがあるが、若い映画関係者、ライターたちのテーブルに立ち寄っては、しきりに「金坂健二です」と自己紹介している光景を憶えている。突然、声をかけられて、相手はぽかんとしていたが、あれだけの仕事を成し遂げた人物が、すでに忘れられた存在になっていることがショックであった。

 

私自身は、イメージフォーラム時代に、かわなかのぶひろさんから、「ジャパン・コーポ」総会において、金坂健二が「フィルム・アート・フェスティバル東京1969」開催をめぐって造反を起こした経緯をなんども訊いていたので、こちらから積極的に話をするということはなかった。

近年、北沢夏音による金坂健二の評伝ノンフィクションが書かれ、再評価が始まっているようだ。そして、金坂健二の造反で、「ジャパン・コーポ」を脱退し、「日本アンダーグラウンドセンター」をつくった佐藤重臣は、晩年、黙壺子アーカイブスで非合法でブニュエルの『アンダルシアの犬』や『黄金時代』『砂漠のシモン』を上映していたのだった。その佐藤重臣もふたたび脚光を浴びている。

『ルイス・ブニュエル』を読みながら、日本のアングラ文化との意外なむすびつきに思いを馳せてしまった。

 

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四方田犬彦著『ルイス・ブニュエル』(作品社)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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