エノケンの弟子としての内藤陳 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
エノケンの弟子としての内藤陳

 暮れも押し迫った十二月二十八日、内藤陳さんが亡くなった。新聞の訃報記事では日本冒険小説協会会長、『読まずに死ねるか!』シリーズの書評家としての活躍ぶりがクローズ・アップされていたが、たしかに「トリオ・ザ・パンチ」全盛期のコメディアンとしての彼を知るのは、恐らく私の世代ぐらいが最後ではないだろうか。 

 

 内藤陳さんがエノケン(榎本健一)の最期の弟子であったことは一部では知られているが、実際にどのような師弟関係にあったのかは不分明なままである。そこで、ふと、昔、『月刊イメージフォーラム』(一九八三年四月号)で「喜劇 笑いのアクション」という特集を組んだ時に、内藤陳さんのロング・インタビューに立ち遭ったことを思い出した。 

 

聞き手は初代編集長で内藤陳さんと親しいかわなかのぶひろさん、編集長の服部滋さんで、私はテープお越し要員みたいなものだったが、今、読み返してみると、エノケンと舞台への深い愛情が伝わってくる、出色のインタビューである。

 

たとえば、次のような発言には、当時の「MANZAI・ブーム」をクールに観察している内藤さんの視点が光っている。

「今のテレビ育ちのコメディアンの方は、恐らく徐々に全部駄目になっちゃうと思うんですよね。俺たちは舞台の空間を動き、蹴り、飛び上がりしてやったでしょう。毎日が客相手の舞台だから、毎日試行錯誤しながら、よりいいお笑いにもっていけるわけね。だって少なくとも毎日一回は駈け上がってサービスするとか、一回はその辺からボーンとジャンプして正座したまま坐るとか、遊べたものね。それはそのコメディアンが毎日稽古してるのと同じだからね。だから、未だにやれるんじゃない。」

 

 さらにエノケンの芸は継承されるのかどうかという問いに対しても。

「したいですね。したいけど残念ながら時代が悪いですね。……中略……親父がもっていた親父の笑いと僕のねらっているのとは違うけど、基本的な精神だけはね。それから、そんなカッコいいことを言ってるけど動けることも事実だっていう自信もあるしね。だから早くヨボヨボにならないうちにもっと頑張らなくちゃいけないんだけど、飲んべえだし、ものを食わないし、本が好きだし(笑)、なにしろコメディアンが本を読んでいると不思議に思われる時代だから(笑)」

 

 一九六〇年代当時、日劇ミュージックホールで人気絶頂だった「トリオ・ザ・パンチ」のコントにも、その精神は注入されていたとおぼしい。

「僕はだからもし(お客が)お判りにならなくてもいいと――、例えば、フィリップ・マーロウの台詞ね、それから007の動きね。それからジョン・フォードの西部劇の詩情、男の魂ね。ちょっとオーバーだけど、そういうものをひっくるめて映画的手法で演ってましたね。」

 

 このインタビューを終えた後、新宿ゴールデン街にある内藤陳さんが経営するバー「深夜プラスワン」に連れて行かれた。その後も何度か顔を出すようになったが、この時期の「深夜プラスワン」は北方謙三や矢作俊彦が常連でカウンターに居座っており、喧喧諤々の議論も日常茶飯事で、全国各地から冒険小説ファンが聖地巡礼のように集まる、一種の聖域のようなアウラが漂っていた。カウンターの中にはバイトでまだ学生だった坂東齢人がいて、並み居る作家たちに議論を吹っかけていたのをよく憶えている。後に『不夜城』で鮮烈なデビューを飾ることになる馳星周である。

 

 最後に内藤陳さんに会ったのは、二〇〇九年四月、新宿で開催された「イメージフォーラムフェスティバル」である。かわなかのぶひろさんの新作『酒場♯「汀」渚ようこ新宿コマ劇場公演「新宿ゲバゲバ・リサイタル」』が上映された時のことだ。この作品は、前年に、閉館が決まった新宿コマ劇場で念願のコンサートを実現させた歌手渚ようこさんの舞台裏を独自の視点で追ったドキュメンタリーである。内藤陳さんは、この舞台で十八番である西部劇の早撃ちコントを披露しているのだ。

 この上映の後に、かわなかさんと渚ようこさん、内藤陳さんのトーク、さらに渚ようこさんのミニ・ライブもあり、映画『連合赤軍・あさま山荘への道程』で流れた、「ここは静かな最前線」が聴けたのも嬉しかった。

 

 トークが終わって、ひさしぶりに会ったかわなかのぶひろさんに挨拶したところ、「これから打ち上げがあるからつきあわない?」と声をかけてくれたので、参加することにした。渚ようこさんとも初めて話したが、伝説のジャズシンガー安田南への憧れを滔々と語っていたのが印象的だった。遅れて来た世代である彼女は、林美雄の「パック・イン・ミュージック」はリアルタイムでは知らないものの、サブ・カルチュアが最も輝やいていた一九七〇年代への熱い想いがうかがえた。

 

 すっかり酔いが廻り、終電の時間も過ぎてしまって、これは長丁場を覚悟しなければならないな、と思ったところで、かわなかさんが「陳さんが待っているから、これから『深プラ』へ行こう」と言い出し、二十年ぶりぐらいに『深夜プラスワン』へ顔を出した。

この頃、内藤陳さんは、すでに食道ガンの告知をされていたはずだが、いたって、お元気な様子だった。昔のように、客を恐持てで諭すようなこともなく、カウンターの向こうで、グラス片手に柔和に微笑んでいた。

 その夜は、延々とゴールデン街のお店をハシゴする癖のあるかわなかさんとも、いつしかはぐれてしまい、最後は渚ようこさんの経営する「汀」に流れて、酔った勢いで、渚さんに「あなたは荒木一郎の「めぐりあい」と石原裕次郎の隠れた名曲「憎いあんちくしょう」をレパートリーに入れるべきです」などと話したのを憶えている。

 

 内藤陳さん独特のダンディズムあふれる笑いは、『月刊イメージフォーラム』でインタビューした時代には、すでに時流とは合わなくなっており、そのギャッップをめぐる絶望の深さが『深夜プラスワン』の経営や冒険小説への耽溺に拍車をかけたのかもしれない。

 その意味では、かわなかさんが撮った実験的ドキュメンタリー『渚ようこ「新宿ゲバゲバ・リサイタル」』は、内藤陳さんのコメディアン・舞台人としての最期の雄姿が見られる貴重な映像作品でもある。この映画は、この年の山形ドキュメンタリー映画祭でも上映され、好評を博したはずだが、以後、都内でも上映される機会が少ないようである。追悼の想いも込めて ぜひ、見てみたいと思う。

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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