富士五湖100キロチャレンジウルトラマラソン挑戦記 - 「挫けない力」ブログ
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富士五湖100キロチャレンジウルトラマラソン挑戦記

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(写真は、21日、朝の5時のスタート直前のもの。気温はかなり低く、雨も強く

降る中でのスタートとなりました)

ついにそのときを迎え、あとは走るだけと腹をくくっていました。

やるべきことはある程度やったという気持ちです。

しかし実際のところ、未知の距離となにが起こるかわからないという不安、

さまざまな心配事は常に心にありました。

 

不安や心配に付き合っていても、あまりいいことはないので、

あまり深く考えないようにしました。

 

レース前日の20日土曜日は、8時に起床し、10時半くらいに家を出て、

立川から特急かいじに乗って大月へ。

大月からは富士急行に乗って富士山の駅を目指します。

富士急に乗るのはおそらく初めて。特急の中は新幹線のグリーン車

など比較にならないほど広くちょっとびっくり。

窓外の景色を見ながら、いよいよ現地に入るのだと緊張感が高まりました。

 

外は曇り空。明日の予報は雨。

雨といっても、おそらく小雨で、午後にはあがりそうだという予報だったので、

あまり心配はしていませんでした。

主に、夜走っていた私にとっては、20度以上に気温が上がるよりも、

少し寒いくらいのほうがコンディションとしてはいいと思っていました。

 

富士山の駅に到着。電車を降りて初めてわかったのが、急行電車の

この外観。なかなか味のあるイラストですね。

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富士山の駅も建て替えてあまり間がないのかキレイでした。

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説明会の会場までのバスを探していると、この大会に出場するT君から声が

かかりました。どうやら同じ電車で来ていたようです。

彼は、以前にも書きましたが、ベテランランナーでサブスリーの経験者。

私がフルマラソンに挑んだのも、彼の影響でした。

今回はサブテンを狙っての参加。私の挑戦が刺激にもなったようです。

 

会場に着くと、なんと雪がうっすら降っていました。

これは!と、危機感が。いくらなんでもこんなに寒いなんて、聞いてないよ

という感じ。

まあ、天候にはさからえないので、受け入れるしかありません。

 

前日受付を済まして、説明会に参加しました。

ゲストのワイナイナ選手、岩崎恭子さんなどが華を添えていました。

出場する人たちを見てみると、やはりフルマラソンに比べやや年齢は高め。

意外なのは、女性が多いことでした。

みんな、それぞれにこの大会に備えて着実に準備を積み重ねてきた人たち。

みんなで完走しよう!と勝手に気持ちの中で盛り上がっていました(笑)。

 

富士山の駅に引き返し、タクシーで宿へ。

宿は、ペンションのようなところで、食事もなし。ちょっと連れ込み宿?

のような感じですが、贅沢は言えません。

荷物を下ろし、一息ついてT君とコンビニで夕食、明日の朝食の買い物。

近くにファミレスなどはあったのですが、次の日は2時半起床の予定なので、

宿で落ち着いて食事をし、ゆっくり備えることに。

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T君の部屋で炭水化物を多く摂るようにして、コンビニ弁当などを平らげ、

缶ビール二本ほど飲んで、明日のレースについていろいろ話ました。

すぐに自分の部屋に引き上げて、明日の準備。

シャツにゼッケンをつけたり、事前に預けておく荷物を整理したり。

荷物はコースの二ヶ所、60キロと70キロ付近のニ地点で受け取れるよう

にスタート地点で預けておくことができます。

私は、サプリメントやタオル、着替えなどを中に入れました。

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あとは、風呂に入ってテレビを見ながら明日のレースについて考えを

めぐらせます。

社長が私のために村上春樹さんのランニングの本から、サロマ100キロに

挑戦したときのことを書いた部分を手書きで抜き出してくれた紙があり、

それを見返してみました。

 

50キロ地点から脚の筋肉が痛み、腹も減って喉が乾いてくる。

55キロ地点で着替えなどをして少し休憩。

ここから75キロ地点までは飛んでもなく苦しい時間。

痛みを訴え、思い通りに動かない体の各所を説き伏せ、励まし、叱り、おだて、

鼓舞する。

「僕は人間ではない─一個の機械だ。

機械だから、何を感じる必要もない、前に進むだけだ」

という言葉をマントラのように繰り返す。

75キロ付近、何かがすうっと抜ける。肉体的痛みが姿を消して

走るという行為が形而上的な領域に。

85キロ過ぎに、瞑想状態。夕暮れ、静かな幸福感。

ゴール。喜びより安堵。

 

私のレースプランは、シンプルに、序盤の50キロを6時間で走り、

残りの50キロを7時間で走るというもの。

うまくいけば13時間ちょうどで、制限時間に1時間ほど余裕があります。

そして、できるだけ序盤の50キロを走った時点で、体力と気力が残って

いるのが理想でした。

42キロ以上をほとんど走ったことがない自分にとって、50キロ以上は

未知の距離。練習で、一度歩きを含めて55キロという経験があるだけ。

あとは、出たとこ勝負。

 

寝酒代わりに、焼酎を少し飲んで、テレビをオフタイマーにしてベッドへ。

テレビ東京のアド街を見ながら、いつの間にか意識が遠のいていました。

何度か、目が覚めたと思いますが、

2時半の少し前に完全に目が覚めました。

まったく眠れないことも覚悟していましたが、4時間以上眠れたようです。

これは、今日のレースにとってかなり大きなこと。

かすかな手ごたえがありました。

 

顔を洗い、朝飯のおにぎり二個とゼリーを流し込みます。

気になるのは、かすかに聞こえる雨音。小雨ではないようです。

着替えを済ませ、テレビをつけると、いわゆる深夜番組が流れています。

下手をすれば、いつもなら寝る時間に起きているわけです(笑)。

今日一日、どんな苦しみが、いや喜びがあるのか、なんともいえない

気分で準備をしていきました。

 

T君の部屋をノックすると、彼は準備が遅れたらしくあとで行くので、

先に行っていてくれとのこと。彼とはタイムが違うので、お互い無事に

完走すればゴール地点で会うこともないでしょう。

お互いの健闘を祈って別れました。

雨が降って真っ暗な、しかもかなり寒い中、会場である富士北麓公園行き

のバスが来る場所まで歩きました。

なんとも心細い気分でした。

 

バスに乗ると、当然みんな参加者です。

これから待っている距離への思いからか、知り合い同士が乗り合わせて

いても、言葉は少なく、皆、一様に静かに自分と向き合っているように

思えました。少なくとも、眠気のせいではないようです。

 

会場に入り、荷物を預けスタート地点へ。

なんと雪が…。寒さを物語りますね(笑)。

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すでに、112キロの人たちはスタートを切ったようです。

それにしても、寒い。そして雨脚はまったく弱まってきません。

こんなコンディションの中を走るのはさすがに初めての経験です。

 

ほかの参加者は、ビニールのカッパや、防水の上着を着ていました。

私も、上着は持ってきていましたが、薄手で防水でもなく、カッパも

用意していませんでした。

これはまずいと昨夜思っていて、緊急の手段、着てきた上着が、

ちょうど撥水加工の登山用の服だったのでそれを着て走ることに。

こんなにゴワゴワした服を着て走るなんてありえないことですが、

あまりに寒いので、仕方がありません。

 

そして、いよいよ5時、100キロのスタートです。

3000名以上の参加者がいっせいにスタートしていきます。

ちょうど、日の出の時刻ですが、雨が降っていて夜中の感じ。

雨の中、100キロ先のゴール地点を目指して走り始めました。

 

最初は公園から下っていくので楽に走ることができます。

そのうち、段々と薄明るくなってきました。

ただ、寒さがどうしようもない。さらに、雨がひどく、足先から

冷たい水が入ってきて、叫びたいくらいに不快です。

手袋代わりの軍手からも、冷たい雨がしみてきます。

 

20キロ、30キロ地点で、いつもほどに余裕がないことに気づき、

一気に不安になってきました。

そして、寒さゆえか何度もトイレに行きたくなるのです。

このトイレが結構曲者で、時間のロスにもなります。

あまりにひどいコンディション。みな、黙々と文句も言わず

走り続けています。すごいなあ、と思いました。

もしかしたら、私と同じように心の中で毒づいているのかもしれません。

でも、この人たちは「受け入れ」がいいのだと思います。

現実を直視して、ならばその現実の中でベストを尽くす。

芯の強い潔さを感じたのです。

 

途中、ブログ用に写真を撮りたかったのですが、序盤は

雨がすごいし、後半はその余裕もなく、もっと写真をお見せ

したかったのですが、文章のみですみません。

 

雨は一向に止まず、ようやく雨脚が弱くなったのが40キロ過ぎだった

でしょうか。

30キロを超えたあたりで、私も寒さや足先の不快感を自然に

受け入れていました。「慣れ」ただけかもしれません(笑)。

補給もできるだけ丁寧にとり、時間も予定より10分ほど遅れているくらい。

ようやく、レースを作れていると思え始めてきました。

 

40キロ過ぎてから55キロくらいまで、かつて経験したことがないような

爽快な気分が訪れました。

何か、自然に笑ってしまうような気分のよさ。

気持ちが軽く、沿道の応援にも自然な笑顔で、そして声で感謝の気持ちを

表わせます。

フルマラソンの距離を走って、こんなに気分がよく体にも余力を感じるなど

思いもしなかった。

このとき、ゴール、完走の手ごたえを始めて持ちました。

 

50キロは6時間10分くらいだったでしょうか。

前半より、ラップはむしろ上がっていたのではないかと思います。

55キロくらいから、やはり村上氏の書いているように、脚が悲鳴を上げ始めました。

でも、あの言葉を思い出し、同様になだめ、鼓舞しペースを保ちました。

 

60キロ過ぎたら、歩いてもよしにしよう。そう思ったのですが、

もっと頑張れる、そう自分に言い聞かせて、休憩所以外では立ち止まることなく、

かなりの山道もゆっくり走り続けて、ゴールへ向かって歩を進めました。

ただ、オーバーペースだけはしないように気をつけて。

60キロ過ぎ、ここからが一番つらいところだ、自分にそう言い聞かせ、

さあ、苦しみよ、かかってこい!

そんな気分で限界に挑みました。

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(曇ってしまいましたが、確か65キロくらいのエイドステーションの様子です)

すると70キロの休憩ポイントまで、走りが持ち、脚の苦痛も限界に達していましたが

なんとか予定の時間にたどり着きました。

しかし、脚はもう使い物にならないくらいに痛み、屈伸などのストレッチも痛くて

できないくらいです。座ってしまうともう二度と立ち上がれそうもない。

ここで、インナーを着替え、補給も多めにして、走り始めます。

 

しかし…ここからはかなりダラダラ続く坂道。下りもまじえてですが、確か5キロくらい

は坂が続いたのではないでしょうか。

一瞬、脚の痛みが消えました。あれはなんだったのか。

それで、75キロまでは走り続けることができました。

しかし、75キロを超えて延々と続く坂道に、さすがに歩いてしまいました。

できれば、歩かず完走したかったのですが、さすがにそれは無理でした。

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(ちょっとわかりづらいですが、コース図です)

5分ほど歩いて、あとは走って80キロ地点へ。ついに、ゴールが見えてきました。

ただし、本当の100キロの怖さは、ここからでした。

時間的には制限時間まで4時間あり、計算としては歩いても完走できます。

完走が何よりの目標でしたが、今の私にとっては、13時間を切るという新しい

目標が生まれていました。

楽をしても完走、苦労しても完走。であれば、苦労をあえてとりたい。

こんなに苦痛が嫌いでぐうたらな私が、いつの間にかそんな気持ちになって

いたのです。我ながら驚きました(笑)。

 

ここまで、走りながら私を支えてくれたのは、

レースに出ると公言してから、いろいろな励ましの言葉をくれた周囲の人々、

そして、お目にかかったことはないけれど、FBに書き込みをいただいた方々、

さらに、当日の沿道からの応援でした。

本当に、自分の力で走っているのではないと実感しました。

 

さらに、これまでの練習の記憶が次々に脳裏に浮かんだのも意外な経験

でした。霧雨の中を走っていると、多摩湖自転車道で走った、同じ霧雨を

思い出し、やや晴れてきたときに感じた匂いに、路上55キロ走のときに感じた

匂いを感じ、坂道を走っていると、三浦マラソンの坂を思い出し…。

記憶が今、このレースに集約して、私を応援してくれているかのようでした。

 

さて、80キロ以降。

脚の痛みがぶり返し、走るのがとてつもなく苦痛になってきました。

意識もたまに朦朧まではいかなくても、立ちくらみのような感じも出てきて…。

ただ、意識はどこまでもクリアでした。

もっと朦朧としてくれれば、痛みも感じることがないのに、などと考えたりして。

約5キロごとのエイドが待ち遠しく、確か、15分くらい歩いたような気がします。

いや、歩いたのは上りの坂道だけでした。

坂道を免罪符にしたわけです。

 

85キロを抜け、あと15キロ。13時間を切るには、90キロ地点で2時間半は

ほしいと考えていました。

このコースは最後にかなり長い坂道が待ってます。ここは歩くことになるので、

1時間半はかかると計算したわけです。

そして、この85キロ地点から90キロまで、どんなに辛くても、走り続けること

を自らに課し、これがこのレースのクライマックスだと思って走りきりました。

 

90キロ、残り時間は2時間半。計算どおりでした。

でも、頑張りすぎたのか、ホッとして歩いてしまうと、再び走れなくなってしまい、

15分ほど歩きました。

再び、気力を振り絞って、走ったり、歩いたりを繰り返し、ついに残り5キロの

地点に。

ここからは、スタート地点でもある富士北麓公園を目指し、なんと4キロもの

かなり急な坂道になります。

 

すでに、脚はぼろぼろ、とても走る気力も残っていませんでした。

ただただ、早足でゴールを目指します。

静かな林の中、どこまでも続く道はなにか神々しいのですが、なぜ、95キロ

走ってきてこの坂道か!とコースレイアウトに不満が(笑)。

ここまで来て、不満を抱えているのですから、精神修養がまったく足りていません(笑)。

80キロを過ぎてからは、沿道の応援に答える余裕もなく…。

 

村上氏のレースとは後半が大違いでした。

おそらく、彼はかなり走りこんでいて、後半の脚が残っていたからこそ、

あれほど、幸福な気分で85キロから走れたのでしょう。

 

残り1キロ、下り坂です。

しかし、この下りさえ、脚が痛くて走れない、というか走りたくない。

ようやく、残り500メートルくらいで、走り始め、

いよいよゴールの会場へ。

少しずつ、心がほぐれ始めるのを感じます。

もううす暗くなっている中、会場は明かりがともり、多くの人がいました。

ゴールまで、人垣ができて、帰ってくる選手を全力で祝福してくれる人たち。

私も、声援に応え、その声援に少し目頭が熱くなりました。

 

ゴール地点、タイムを見ると13時間11分過ぎ。

テープを切るとスタッフから労いの言葉をいただき、メダルを首にかけて

もらい、タオルを肩にかけてもらいました。

よかった…。安堵感が静かに全身を包みます。

達成感よりも、確かに安堵感でした。

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(完走者に贈られるメダル。これが欲しかったー!)

これまでの努力が報われた瞬間、泣きそうになりましたが、

照れくさくて、瞬間的に気持ちを変えたのかもしれません。

どこまでいっても、素直ではないなあと思います。

でも、そうでもしないと、本当に声を出して泣いてしまいかねないほど、

一瞬、気持ちが昂ぶったのは覚えています。

 

さて、着替えだ…とゴール地点から歩いていると、T君の姿が。

ここでも、少し熱くなりましたが、こいつの前に泣くわけにはいきません。

「え?待っててくれたの?」と声をかけると、

どうやら、、彼はあまりの寒さとコンディションの悪さにサブテンは無理と

判断し、とにかく完走したところ、12時間くらいかかったので、あまり

待ったわけじゃないということ。

私のことは、コンディションが悪いので途中でリタイアしただろうと思って

いたので、意外だということでした。

なんだか、褒められたのかけなされたのか。

 

ともかく、水分を補給して、がちがちになった体で着替えをし、

富士山駅までのバスに乗って会場をあとにしたのでした。

 

長々とすみません。

もっと書くべきことがあるような気がします。

でも、とにかく、私がどんなレースをしたのか、その概略だけでも

わかっていただければと思い、長文になりました。

 

一日たって、全身筋肉痛です。

でも、それこそが、なによりの勲章のような気がしています。

なにひとつ、確乎たることを成し遂げてこられなかった私が、

『挫けない力』編集担当として、100キロに挑戦する気になり、

そして練習を積んで、本当に100キロを完走することができた。

これは、私の人生にとって、大きな一歩になることは間違いないと

思います。

 

この場を借りて、石田さん、白戸さん、会社のみんな、応援して

くださったみなさん、そしてT君に、心から感謝いたします。

みなさん、本当にありがとうございます!

 

このブログは、FB、ツイッターを含めて今後も細々とですが、

更新して参りたいと思います。

これからも、よろしければぜひ、おつき合いいただけますと光栄です。

『挫けない力』特設サイト 仕事にRunが効く!!
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