◀第2回▶ なが~い年金生活。足りない分はどうする?

前回、人生百年時代を生きる私はどうやらお先真っ暗らしい、という話をいたしました。

しかも、それは私だけではなさそうだとも書きました。

ですので、今回はその話からしていこうと思います。

暗い予測の源になったのは政府発表のデータです。

厚生労働省の資料「令和3年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」によると、現時点でも公的年金受給者の半数弱が月額10万円未満しか貰えていません。さらに男女別で見ると、男性の約6割が月額15万円以上受給しているのに対し、女性は逆に6割以上が月額10万円未満になっています。

女性の受給額の平均値が低くなるのは、専業主婦率が高かった時代に妻は第三号被保険者であるケースが多く、厚生年金であっても受給年額が下がるためです。令和3年度の厚生年金の平均月額受給額は14万5,665円ですが、夫が亡くなった場合、第三号被保険者の受給金額は4分の3に減額されます。平均値で換算すると11万円弱になるので、いきおい女性の平均値が押し下げられるわけです。

 

年金収入だけでは、毎月赤字に

月収10万円。

生活費はこれで十分ですという人は、どれぐらいいるのでしょうか。

家賃の心配がなければなんとかなるかもしれません。

データ(住宅・土地統計調査 2018年)で見ると世帯の持ち家率は60パーセント程度。ですが、単身女性となると69パーセントにまで上がります。

家賃がいらない分、支出は押さえられます。しかし、修繕費や固定資産税、マンションだとさらに管理費などは必要ですから、そうした支出を勘案すると、やはり2~3万円はプラスして考えておきたいところ。

すると月3万円程度の赤字が発生します。

つまり年36万円、100歳まで生きるとしたら1260万円の貯蓄が必要です。私の5000万円弱に比べたらまだしもですが、それでも大金には変わりありません。

では、みんなそんなに貯蓄があるのでしょうか。

金融広報中央委員会が発表している令和4年(2022年)版「家計の金融行動に関する世論調査」によると、単身者の平均貯蓄額は50代で1,048万円、60代で1,388万円、70代で1,433万円となっています。

みなさん、結構持っているのねえ……とため息が出そうになりますが、ちょっと待ってください。
ここに統計の罠があります。

この数字、あくまでも「平均」なんです。つまり、とてつもない貯蓄額を持っている人が一人いるだけで、全体が上方に引っ張られるのですね。

案の定、中央値、つまり調べた人たちを順番にならべてちょうど真ん中になる人の金額となるとまったく違う数字が出てきました。

50代で53万円、60代で300万円、70代で485万円。驚くほど低くなります。半数以上の人が、老後を支えるには不十分な貯蓄しかないのです。

これが二人以上世帯、つまり家族と住んでいる人たちになると50代で350万円、60代で700万円、70代で800万円と倍以上に増えますが、人生百年時代の貯蓄としては不十分なのは前出の数字を見てもあきらかです。

これは困ったことになりました。

平均的な年金受給額や貯蓄額の中央値を鑑みるに、国民の半数近くが決してうかうかしていられない状況にあるようです。なかんずく、私のような単身女性高齢者(予備軍)の老後は真っ暗闇っぽい……。

ですが、もうお気づきのように、ここまでの試算はあくまで「年金しか収入がない場合」に限った話でした。他に収入を得る手段があればまた違ってきます。

この恐ろしい試算を覆す方法はただ一つ。

元気に働けるうちは働く。

これしかありません。

実は、日本国政府はもうとっくに政策を「生涯現役」路線に切り替えています。

高齢社会対策基本法、という法律があるのはご存知でしょうか。

平成7年(1995)に公布された法律で、直近では令和3年、つまり一昨年に改正法が施行されました。

内容は名前の通り、政府が高齢社会対策をするための基本となる法律です。これを読めば、政府がどのように高齢社会対策を進めていくつもりなのかがはっきりとわかります。ですので、この法律の内容をチェックしてみようと思います。

 

国が目指すのは、「みんなで高齢社会対策」

さて、法律にはその理念をざっくりと要約する「前文」がつきものです。もちろん高齢社会対策基本法にもあります。比較的短いので、以下に全文を引用したいと思います。

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我が国は、国民のたゆまぬ努力により、かつてない経済的繁栄を築き上げるとともに、人類の願望である長寿を享受できる社会を実現しつつある。今後、長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会の形成が望まれる。そのような社会は、すべての国民が安心して暮らすことができる社会でもある。

しかしながら、我が国の人口構造の高齢化は極めて急速に進んでおり、遠からず世界に例を見ない水準の高齢社会が到来するものと見込まれているが、高齢化の進展の速度に比べて国民の意識や社会のシステムの対応は遅れている。早急に対応すべき課題は多岐にわたるが、残されている時間は極めて少ない。

このような事態に対処して、国民一人一人が生涯にわたって真に幸福を享受できる高齢社会を築き上げていくためには、雇用、年金、医療、福祉、教育、社会参加、生活環境等に係る社会のシステムが高齢社会にふさわしいものとなるよう、不断に見直し、適切なものとしていく必要があり、そのためには、国及び地方公共団体はもとより、企業、地域社会、家庭及び個人が相互に協力しながらそれぞれの役割を積極的に果たしていくことが必要である。

ここに、高齢社会対策の基本理念を明らかにしてその方向を示し、国を始め社会全体として高齢社会対策を総合的に推進していくため、この法律を制定する。

──────────

要約すると「日本は長寿社会になって、国民全員がそれを享受できるようになるべきなんだけど、現実は追いついていないから社会全体で高齢化対策を進めていきましょうね」というところでしょう。大変結構なことだと思います。

しかし、実際にはどのように進めていくつもりなのでしょうか。

根本となる理念は次のようなもの、であるようです。

──────────

(基本理念)
第2条 高齢社会対策は、次の各号に掲げる社会が構築されることを基本理念として、行われなければならない。

一 国民が生涯にわたって就業その他の多様な社会的活動に参加する機会が確保される公正で活力ある社会

二 国民が生涯にわたって社会を構成する重要な一員として尊重され、地域社会が自立と連帯の精神に立脚して形成される社会

三 国民が生涯にわたって健やかで充実した生活を営むことができる豊かな社会

──────────

さて、ここで注目したいのが高齢社会対策基本法基本理念の第一が「生涯にわたって就業その他の多様な社会的活動に参加する」社会を目指すことになっている点です。「定年後は隠居して安穏と暮らせる」社会を目指していないのです。

さらに、国民は「生涯に渡って社会を構成する」一員であり「自立」していなければいけません。ぼんやりと他人様頼りの生活をする高齢者は国として望ましくないのです。しかも自助と共助は明記されていますが、公助については素知らぬ顔です。現政権の思想がとてもよく表れている気がするのですが、いかがでしょうか?

私などは第三こそが第一にもってくるべき“基本理念”であり、それを実現する責任の主体は国家であると宣言してもらいたいのですが……。

こうしたことを踏まえ、前文の主旨を私なりに国の本音バーションに翻訳しますと次の通りになります。

《我が国は世界に類を見ない高齢者社会になった。良し悪しはともかく、こうなることは数十年前からわかっていたにもかかわらず、国も社会も個人もほとんど準備ができていない。

そのため、老人といえどもギリギリまで現役でいてもらわないと立ち行かなくなる。よって、高齢者だろうがなんだろうがボケーっとさせずにキリキリ働かせる社会を作らなくてはならない。》

こんなところだと思うのですが、どうでしょう?

ちょっと意地悪な翻訳にも感じられるかもしれませんが、私は本当にこうなのであろうと見ています。というのも、各省庁が行っている個々の政策は自立促進政策ばかりなのです。

次回はそのあたりを確認しながら、21世紀老人はどんな働き方ができるのか、あるいはしなければならないのかを見ていきたいと思います。

 

門賀美央子(もんが・みおこ)

1971年、大阪府生まれ。文筆家。著書に『文豪の死に様』『死に方がわからない』など多数。
誠文堂新光社 よみもの.com で「もっと文豪の死に様」、双葉社 COLORFULで「老い方がわからない」を連載中。好きなものは旅と猫と酒。

◀第1回▶ 「人生百年」が現実に。喜ぶべきか、憂うべきか。

今月から「50歳からのハローワーク」と題するエッセイを連載することになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、このタイトル、一見して既視感を覚えられた方もいらっしゃるかと思います。

今からもう20年も前、2003年に芥川賞作家の村上龍さんが『13歳のハローワーク』という本をお出しになりました。

これから大人になっていく思春期の少年少女に向けて、無数にある職業の数々を具体的に解説し、「自分に合った未来/なりたい自分」を見つけてもらおうとする内容で、たいへんなベストセラーになりました。

当エッセイは、そんな素敵な本にあやかり、50歳以上の皆さんを対象に、「老後の稼ぎ方」に焦点をあてつつ「自分に合った未来/なりたい自分」を見つけるお手伝いをしたい、と願って書かれています。

……いえ、嘘はいけませんね。

本当は私が「老後の稼ぎ方」に焦点をあてつつ「自分に合った未来/なりたい自分」を見つけたいのです。

あら、50歳にもなってまだ自分探し? と思われたかもしれません。

確かに、私たちが子供だった頃……昭和の時代には50歳といえばそろそろ人生も終盤。還暦を過ぎたら社会の一線からは外れて余生を過ごすモードに入るのが当たり前でした。

しかし、時代は変わりました。

変わってしまったのです。

今や50歳は単なる人生の折返し地点に過ぎなくなってしまいました。

近頃、人生百年時代、なんていう言葉を目にする機会が増えましたね。

この言葉、長寿社会を象徴的に「百年」と表現しているだけではありません。日本は本当に「人生が百年続く時代」に入りつつあるのです。少なくとも、今の50代60代にとって“百歳まで生きる”は夢物語ではありません。十分あり得る、現実的な話です。この点をしっかりと脳に焼き付けておかないと、50歳を過ぎてから「自分に合った未来/なりたい自分」を探すなんて話はバカバカしく見えるでしょう。

ですので、最初の4回ほどは「21世紀に老人として生きるリアル」を確かめていこうと思います。

 

半世紀前の「余生」は15~25年

さて、その昔……今の50代60代が子供だった半世紀ほど前、日本人の平均寿命は女性が約75歳、男性が約70歳でした。ただし、もっとも死亡数が多くなるピーク年齢はだいたい平均寿命に4~5歳を足したぐらいなので、女性は80歳、男性は75歳前後で亡くなる人が多かったとみられます。

当時はちょうど社会全体が55歳定年制から60歳定年制に移り変わろうとしていた時代でした。ですので、サラリーマン男性の多くは15年から20年の「余生」があったでしょう。

一方、女性は学校卒業後、“家事手伝い”なる謎の身分に落ち着く人もたくさんいました。今だとニートに分類されてしまうでしょう。いやはや、世は変わったものです。

就職する人ももちろんいました。ですが、20代を半ばも過ぎれば結婚退職するか、会社から早期退職を求められました。中には女性のみ35歳定年制という信じられないような会社もありました。それは極端としても、女性は50歳定年とする会社が一般的だったようです。

なお、専業主婦率が高かった時代ではあったものの、女性の就業率そのものは4割程度ありました。しかし非正規がほとんど。ですので、男性のように「定年」を経験する女性は数少なかったでしょう。

多くの女性にとっては子育ての終了がひとつの区切りとなり、子供が独立した後が「余生」と感じられたのかもしれません。あるいは、夫の定年を以て自分も余生に入ったとみなした女性もいたでしょう。

そのように仮定すると当時の女性の「余生」は男性より長めの25年程度ということになります。

15年から25年の余生。決して短くはありません。しかし今と比べて退職金や年金支給額は多く、一方で物価はまだ安く、消費税はなく、社会保険料も今ほど高くなかった時代です。さらに核家族化もさほど進んでいなかったので、家族の平均像はサザエさん型の同居世帯でした。つまり、老後の世話をしてくれる人が誰かいる状態です。よって、老後生活がとても心配、という人は今よりはかなり少なかったでしょう。

 

90代まで生きるのが当り前の時代へ

しかし、半世紀の年月が流れ、状況は激変しました。

2023年の最新データによると、現在の日本人の平均寿命は女性が87.09歳、男性が81.05歳です。さらに40年後の未来、2060年には女性91.26年、男性85.22年に達すると見られています。今50歳ぐらいの人は平均余命が40歳はある、ということになります。

しかも、この数値は「平均」です。前述した通り、死亡ピークは平均寿命に4~5歳を足したぐらい。つまり、女性は95歳ぐらい、男性は90歳ぐらいまで当たり前のように生きることになるのです。「人生百年時代」は決して単なる比喩ではなかったのですね。

人生百年。

こう聞いて、どう思われるでしょうか?

百歳まで長生きできるなんて素敵! と心躍りますか?

それとも、そこまで生きるのって大変そう……とちょっと尻込みするでしょうか。

今52歳の私はというと、後者よりもっとネガティブで、「百年も生きなきゃいけないなんてうんざりする」というのが正直なところです。本当にそうなら、ようやく折り返しを過ぎたばかりになります。これまで生きてきたのと同じだけの時間をもう一度歩んでいかなければならないと思うと、手放しで喜ぶ気になれません。

もちろん、私だって十代の記憶力や体力、二十代のお肌、三十代の行動力、四十代の判断力や実行力を百歳まで保ったまま生きられるのであればやぶさかではありません。

しかし、人はどんどん老化します。つまり、心身ともに衰えていくのを覚悟しなければなりません。最近の老人がいくら昔よりは“若い”って言ったって、老化のスピードが少し緩やかになっているだけ。若返るわけではないのです。

しかし、それより心に重くのしかかるのが「経済問題」です。

寿命が長くなれば、老後資金もたくさん必要になります。

では、いくらあれば安心なのでしょうか?

これは個々の事情によって大きく異なるので、ひとまず私自身をモデルケースにして、必要な額を考えたいと思います。

 

公的年金だけで「余生」を生きるのはムリ!

私の生業は文筆業、今どきの言葉だとフリーランス・ライターです。ですので、定年退職という概念はありません。やりたければ何歳でもやっていられます。しかし、よほどの人気ライターでもない限り、いえ、よほどの人気ライターでも年をとるにつれ仕事は減っていきます。

先輩ライターの事情を眺めていると、今のところ60歳ぐらいがひとつの壁になっているようです。頑張れば65歳ぐらいまで同じ仕事をすることは可能かもしれませんが、貯蓄をする余裕などはなくなるでしょう。

ですので、普通のサラリーマンと同じく、定年60歳雇用延長65歳とみなすことにいたします。

では、まず支出金額から見ていきましょう。

私は持ち家がないので、借家の家賃が必須です。次に医療費や介護保険料を加えた上で、今後のインフレなども勘案すると、生活費としては月に18万円から20万円を見ておいたほうがよさそうです。まあ頑張って倹約するとして、ひとまず18万円にしておきましょう。

収入はどうでしょうか。年金は今のところ月額8万円弱といったところです。

令和2(2020)年度の国民年金平均支給額は月額56,252円です。私の場合、35歳まで会社勤めをしていたので厚生年金に加入していた期間があり、国民年金だけよりは少し多めにあるはずなのですが、将来的に月額が減らされる可能性が大きくあります。よって、手堅く7万円ということにしておきましょう。

ということは、65歳以後は毎月11万円も赤字が出ることになります。年換算すると132万円。この赤字分を貯蓄で補うとしたら一体どれぐらい必要になるのでしょうか。

もし人生百年時代を地でいってしまったとしましょう。

すると、余命は35年です。35年間、貯蓄だけで赤字補填しようとすると4620万円必要になります。

4620万円!

自分で計算しておいてなんですが、今とってもびっくりしています。

4620万円!

あまりに驚きすぎたので2度書いてしまいましたが、そんな大金、65歳までに全額用意しておくなんて到底無理です! 現時点で、老後資金として公的年金だけを頼りにしていては到底生きていけないのが確定しました。

さて、ここまでお読みになって、他人事と思われたでしょうか。それとも自分もそうなるかも……と心配になられたでしょうか。

実はこの数字、私の個人的な危機ではありません。

調べるうちに、これから老後を迎える女性の半数近くが、程度の大小はあれ、同じような境遇になりそうなことがわかってきました。

次回は、そのことについて触れたいと思います。

 

門賀美央子(もんが・みおこ)

1971年、大阪府生まれ。文筆家。著書に『文豪の死に様』『死に方がわからない』など多数。
誠文堂新光社 よみもの.com で「もっと文豪の死に様」、双葉社 COLORFULで「老い方がわからない」を連載中。好きなものは旅と猫と酒。