加登屋のメモと写真…: 2017年10月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2017年10月アーカイブ

辻清明さん

清流出版 (2017年10月27日 10:23) | コメント(0) | トラックバック(0)

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「陶匠 辻清明の世界―明る寂びの美」―特別展のポスターの前で

・東京国立近代美術館工芸館で2017年11月23日まで2ヶ月強という長期間にわたり、「陶匠 辻清明の世界―明る寂びの美」が開催されている。工芸館の開館40周年記念と辻清明の没後10年を記念した特別展である。工芸館は、陶磁、ガラス、漆芸、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィックデザインなど 、近現代の工芸およびデザイン作品を展示紹介する東京国立近代美術館の分館として、1977年に開館されている 。北の丸公園の森の中に佇むように建つ洒落た赤レンガの建物であり、重要文化財にも指定されている。この工芸館が弊社からほど近い北の丸公園内であることと、弊社が辻清明氏の作陶品とコレクションを俯瞰した豪華本『独歩―辻清明の宇宙』(3万2400円 2010年8月)を刊行していることもあり、編集担当者だった臼井雅観君と出かけることにした。会場では、この本の編集で大変お世話になった、辻清明氏の秘書、山本幸子さんにも久し振りにお会いできた。

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辻清明の遊び心に溢れた「鬼の金棒」

・ちなみにこの豪華本『独歩―辻清明の宇宙』の写真はすべて、土門拳の愛弟子として知られる藤森武氏が撮影したものである。『独歩―辻清明の宇宙』は結構、難産の末に生まれた本であった。というのも、写真家の藤森武氏が前々から辻清明氏の陶芸作品をカメラに収めていたのだが、亡くなったことにより、撮影作業は途中で頓挫していたのだ。それを知った僕は、なんとか形に出来ないものかと思案していた。奥様の辻協さんに当たってみると、刊行に前向きなことがわかったので、中断していた豪華本企画を進めることになった。春まだ浅い3月、僕と担当編集者の臼井君、写真家の藤森武氏らと辻協さんにご挨拶するため、東京・多摩のご自宅へと伺うことになった。ご自宅は京王線の聖跡桜ヶ丘駅からタクシーで15分ほど、山の中腹に傾斜を利用して建てられた立派なお住まいであった。玄関前にはちょっとした野外パーティもできる庭があり、竹林がある奥まった場所に薪を燃料にした登り窯があった。敷地全体には、桜の木を中心とした植栽がなされ、自宅から小道を少し下ったところには、立派な茶室も設えられているといった凝りよう。

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辻協さんと
 
・辻清明(1927?2008年)は、陶磁の道に進む前、すでに4、5歳のころには古美術に関心があったという。生涯にわたって国内外の名品も多く蒐集したことでも知られている。その中でもとりわけ、古信楽の作品が与えた重要なインスピレーションが辻清明の「明る寂び」として作陶に生かされている。「明る寂び」とは、元々、山口諭助が自著『美の日本的完成』の中で用いた表現であり、「寂び」の考えを「冷え寂び」「暗寂び」などに分類したものの一つ。辻清明は、古信楽の中に見出した「明る寂び」について、優美で伸びやかで、夜明けの空に似て明るく澄んだ気配があり、そこはかとない華やかさや軽いユーモアを含んだものとして、自らの制作でも、目指すところと位置づけていた。また、自らの師として、故郷の奈良県に本格的な窯を築いて陶芸創作に励み、後に人間国宝となる富本憲吉(1886-1963年)や、やはり陶芸家で郷里茨城の名山筑波山に因んで波山と号した板谷波山(1872-1963年)らから教えを受けた。

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辻清明の年譜の前で
 
・板谷波山については付記しておきたい。簡単にプロフィールに触れておく。波山こと板谷嘉七は、茨城県真壁郡の下館城下(町制施行前の真壁郡下館町字田町)に、醤油醸造業と雑貨店を営み、文化人でもあった善吉(板谷増太郎善吉)とその妻・宇多の三男として生まれた。上京して2年後の1889年、18歳の嘉七は東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科に入学し、岡倉覚三(天心)、高村光雲らの指導を受けた。1894年に東京美術学校を卒業した後、1896年、金沢の石川県工業学校に彫刻科の主任教諭に採用され、同校で陶芸の指導を担当する。これをきっかけに本格的な作陶に励み、「勤川」を名乗る。1903年、先生の職を辞し、家族と共に上京し、東京府北豊島郡滝野川村(現・東京都北区田端)に粗末な住居と窯場小屋を築き、作陶の研究に打ち込む。1906年、初窯を焼き上げて好成績を得る。号を「波山」に改めたのはこの頃。波山は1908年の日本美術協会展の受賞以来、数々の賞を受賞し、1917年の第57回日本美術協会展で出品した「珍果花文花瓶」が同展最高の賞である1等賞金牌(金メダル)を受賞した。第二次世界大戦後の1953年、陶芸家として初めて文化勲章受章。1960年には重要無形文化財保持者(人間国宝)候補となるが辞退。「自分は単なる伝統文化の継承者ではなく芸術家」という自負がその理由と言われる。
 
・この板谷波山の生涯は、2004年に『HAZAN』というタイトル名で映画化、一般公開されている。主人公の板谷波山を演じたのが、人気俳優・榎木孝明さんだった。長々と書いてきたのは、僕がこの映画を気に入ったことと、もう一つの理由が榎木孝明さんへの思い入れからである。実は、榎木さんは、多彩な才能の持ち主で、軽いタッチの水彩画もお描きになる。画集も各社から刊行されている。弊社からも大判の画集『風の旅、心の旅』(1998年)と、続編である『自分への旅 風の旅、心の旅2』(2002年)を出版させて頂いた。榎木孝明ファンは女性を中心に全国各地にいて、お蔭さまで絵画展などのイベント会場で、この本を売って頂いたので、何刷も版を重ねることになった。弊社にとって大変有難い著者であった。

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辻清明のコレクション展示
 
・今回の辻清明の展覧会では、辻の工房を訪れて「作陶」に挑戦した、抽象画家の山口長男(1902-1983年)や同じく抽象画家だったアメリカ・カリフォルニア生まれのサム・フランシス(1923-1994年)ら、その他、アメリカの彫刻家でもあり、前衛陶芸を牽引したピーター・ヴォーコス(1924-2002年)、半世紀にわたって共に作陶した妻の辻協(協子 1930-2008年)ら、親交のあった作家の作品も併せて紹介されているのが興味深かった。余談だが、僕は山口長男も好きな画家で、弊社から『山口長男―終わりのないかたち』(2007年)という本を刊行させて頂いたことを思い出した。
 
・辻清明は、1955年に登り窯を築いて以降、信楽の土を用いた無釉焼き締め陶を活動の中心とし、古美術の蒐集や芸術家との交流を通して感性を磨き、信楽特有の美の世界を構築した。茶陶やオブジェなどの代表作とともに、古信楽や古代ペルーの土器など、きびしい目で選び抜かれた愛蔵品も興味深いものがある。「宇宙のシンボル」と称して、傍に置いていたという《天心》をはじめ、五百羅漢を模して作られた花生のほか、缶や瓶、帽子やステッキなどをかたどった、ユーモアあふれる作品も紹介されている。高台のついた器や、百合鉢など陶磁の発想を転用したガラスの作品や、筆だけでなく、時には筆替わりに藁も用いたという、のびやかな書作品も目を引いた。
 
・辻清明のプロフィールだが、父・清吉、母・とみ。東京府荏原郡(現・東京都世田谷区)に生まれる。四人兄弟の末っ子である。陶芸家の辻輝子は姉。1941年、姉・輝子とともに辻陶器研究所を設立し、倒焰式窯を築く。日本犬研究家の斎藤弘吉は義兄。妻の辻協、子の辻文夫、甥の辻厚成、大甥の辻厚志はすべて陶芸家となっている。骨董・古美術を愛好した父と、その父を頻繁に訪れる古美術商の影響で幼少の頃から焼物に惹かれ、学校へはほとんど行かずに陶芸を学んだ。父にせがんで初めて買ってもらったのが、雄鶏をいただき透かし彫りのある野々村仁清作「色絵雄鶏香炉」だった(戦火で焼失)。・辻清明の作品は世界的にも人気が高く、1963年、アメリカ合衆国・ホワイトハウスに『緑釉布目板皿』を収蔵。1965年、アメリカ・インディアナ大学美術館に『信楽自然釉壺』を収蔵。1973年、イタリア・ファエンツァ陶芸博物館に『茶碗』を収蔵。2001年、ドイツ・ハンブルクダヒトアホール美術館開催の日本現代陶芸展に招待出品された。2006年度には東京都名誉都民となっている。2008年、肝臓がんのため逝去。享年81。主な著書には、『趣味のやきもの作り』(徳間書店、1963)、『ぐいのみ』 (保育社、1963年)、『辻清明器蒐集』(文化出版局、1976年)、辻協共著『肴と器と』(講談社、1982年)、『焱に生きる 辻清明自伝』(日本経済新聞社、1985年)、『辻清明折々の古器 我が奔放コレクション人生』(世界文化社、1996年)、『陶芸家・辻清明の眼 作品とコレクション 愛知県陶磁資料館コレクション』(愛知県陶磁資料館、1999年)などがある。
 
・話は戻る。奥様の辻協さんにお会いしたとき、近い将来、辻清明の陶芸作品を展示する「辻清明美術館」を造りたい意向をお持ちだった。僕は、これはとてもいいお話だと思った。美術館ができて常設展示がなされれば、年間を通して多くのファンが訪れることになる。コーナーに本を置いて頂いて、販売してもらうこともできる、と夢は膨らんだ。しかし、好事魔多し、とはよくいったものだ。辻清明氏が逝去してからわずか4ヶ月ほど、後を追うようにして辻協さんが逝ってしまった。これには僕も大ショックだった。しかし、編集半ばにして放り投げるわけにもいかない。山形県にある東北芸術工科大学教授になられた長女の辻けいさんや、お弟子さんたちのご協力を得ながら、編集作業を進めることができた。特にデザイナーの坪内祝義氏がとてもいいお仕事をしてくれたと思う。装丁は満足のいくものだった。弊社で一番の豪華本であり、定価も3万2400円。果たして採算が合うかどうか、多少懸念された。これは僕の杞憂に終わった。前述した山本幸子さんが随分販促にも尽力してくれ、お蔭さまでかなりの黒字になった。多少は辻ご夫妻にご恩返しができたかと思っている。
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