2022.10.05笹本恒子さん

笹本恒子さんと僕

・笹本恒子(1914年9月1日―2022年8月15日)さんが、とうとうお亡くなりになられた。享年107であった。笹本さんとは長いお付き合いだったので、訃報を聞いて様々な思いが込み上げて感慨無量であった。笹本さんの略歴に触れておこう。昭和15(1940)年、財団法人・写真協会に入社し、日本初の女性報道写真家となる。昭和16年に退社するまで、日米開戦前の国内報道写真を撮影した。日独伊三国同盟の婦人祝賀会など歴史的にも稀有な写真撮影もしている。昭和20年、終戦と同時に疎開先の千葉市で千葉新聞社に入社。昭和21年、東京に帰り、婦人民主新聞社の嘱託となる。昭和22年、フリー・ジャーナリストとなり、新聞、雑誌に写真・記事を提供する。昭和25(1950)年、この年に創立された日本写真家協会会員となる。昭和37年、「ササモト・デザイン・ルーム」を開設し服飾コンサルタントとなる。昭和42年、『フラワーデザイン教室』を出版し、東京・静岡に教室を持つ。昭和57(1982)年、新宿駅前にオリジナル服、装飾アクセサリーの店「アトリエ・SS」を開店する。平成9(1997)年には、東京都女性財団賞。平成13年、第16回ダイヤモンドレディ賞。2011年には、日本の文化活動に著しく貢献した人物、並びにグループに対して贈呈される吉川英治文化賞。2014年、第43回ベストドレッサー賞・特別賞。2016年、米国のルーシー賞(英語版 ライフタイム・アチーブメント部門賞)など数々の賞を受賞されている。

ファッションセンス抜群だった笹本さん

 僕は初めてお会いした時から、なんと着こなしの良い人なんだろう、といつも思っていた。笹本さんのプロフィールを見直してみて納得することができた。“服飾コンサルタント”としてご自分の店を持ったことがあり、アクセサリーの店も持ったことがあるほどだったからだ。僕は恵比寿駅からほど近い高層マンションに住んでいた頃の笹本さんのご自宅を訪ねたことはない。しかし、担当編集者だった臼井君に聞いたことがある。日当りが良いマンションの10階で一人暮らしをされていたが、ベランダで四季折々の草花を丹精込めて育て、部屋の中には、アジア、アフリカなどの民族衣装をアレンジした手作りの衣服やアクセサリーがいっぱい飾られていたという。2014年に「ベストドレッサー賞」を受賞されたというのも、むべなるかなである。

・笹本さんは、100歳を前にして、マンション内で転び大腿骨を骨折してしまう。さらに立ち上がろうと腕を突いたら手首も骨折する不運が重なる。あまりの痛さにそのまま気を失い、22時間倒れたままだったという。僕も脳出血で倒れて似たような体験をしているので、他人事だとは思えなかった。翌朝、取材で訪れた方が笹本さんの異変に気づき、なんとか鍵を開けて発見され、そのまま入院し緊急手術が行なわれた。これだけでは終わらない。なんと術後、療養中のベッドから転げ落ちて、反対側の大腿骨も骨折してしまう。これでは歩くこともままならない。車椅子生活を余儀なくされ、病院から直接、鎌倉市にある老人ホームへ入居されたのである。

 老人ホームは、西鎌倉駅から徒歩4分ほどの落ち着いた平屋の和風建築で、訪問介護を併設し、24時間スタッフが常駐するという恵まれた住環境だった。老人ホームは安心・安全な場所として重宝されるが、バリアフリーで何もかも介護の人がやってくれるので、身体を使わなくなり筋力低下は否めない。意識しないと頭も使わなくなり、老化が進行することになる。笹本さんはそんなことは百も承知だった。自分を甘やかさず、鼓舞する方法を知っていた。なんと真っ先に購入したのが、全身を見ることができる大きな鏡だった。「ここに移ってからすぐに買いました。いつも身だしなみには気をつけなければね。壁には大好きなゴッホの『ひまわり』の絵を飾りました。どうせなら気持ちよく暮らしたいですものね」。

・好奇心を持って常に前向きにというのが、笹本さんの真骨頂。プロとして仕事に生き、ときめきの対象を見つける名人でもあった。この鎌倉の老人ホームの最高齢は笹本さんだったが、「一番忙しくしているのも私かもしれません。とにかくボーッとしている時間がないの。いつどうなっても不思議ではないから、やり残した仕事を完成させないと、おちおち死ねません」と意気軒高であった。“好奇心ガール”というキャッチフレーズがピッタリであった。「いつも好奇心をもって、何かに心を向けて輝いていたい。人間って年中ときめいていないとダメになりますからね」。「ケガをしている脚が治ったら、これまで取り組んできた撮影の続きをやり遂げて、近年中に発表したいですね」と言っていた。まさに“好奇心ガール”の面目躍如である。

 清流出版を立ち上げた頃の僕は、月刊『清流』に続き、出版部門をスタートさせたいと思っていた。分野としては、海外翻訳物、文藝エッセイ、実用書、小説、童話などを候補に上げた。更には僕が好きな芸術分野も柱として考えていた。芸術分野といっても裾野は広い。書道や洋画・日本画などの画集、美術エッセイ、写真集などがその候補であった。ちょうど創業から3年ほど経った1996年、写真集の著者候補として恰好の人物にお会いできた。それが笹本恒子さんであった。笹本さんはその頃、あるテーマをもって写真を撮り続けていた。その対象への思いをこう語ってくれた。「女性の権利がまだ保障されていなかった明治時代に生まれ、大正、昭和と走り抜けてきた女性たちがいる。この人たちの苦労を残しておく必要があるのでは、との強い思いから、明治生まれの女性を撮り続けてきました」。僕は日ごろから、女性の持っている潜在的パワーには感服していたこともあり、そのテーマに強く心を惹きつけられた。ざっと写真を見せてもらって、すぐに出版することを決めた。笹本さんには写真選びと写真に添える説明文をお願いした。こうして写真集が完成の運びとなった。

1996年、弊社刊行の写真集

・『きらめいて生きる 明治の女性たち――[笹本恒子写真集]』はこうして世に出たのである。明治という時代に生まれ、大正、昭和と生き抜き、時代を牽引し斯界に名を馳せた女性ばかり。笹本さんは、60人もの女性たちに会い、毅然として生きる姿を活写してきた。お恥ずかしい話だが、題字は元気だったころの僕が書いたものだ。ちなみに登場人物は、歌手、小説家、詩人、随筆家、美容家、政治家、経営者、デザイナー、舞踊家など、極めて多岐にわたる。具体名(敬称略)を挙げれば、宇野千代、淡谷のり子、加藤シヅエから、佐多稲子、杉村春子、沢村貞子、秋野不矩、住井すゑ、丸木俊、飯田深雪、石垣綾子、井上八千代、北林谷栄、田中澄江、長岡輝子、三岸節子、吉行あぐり氏など錚々たる女性たちが並んでいる。判型もA4変形判を採用したので、迫力ある写真集となった。

 これをきっかけに笹本さんには、何冊か弊社から単行本を出させて頂いた。『夢紡ぐ人びと 一隅を照らす18人』(2002年)、『ライカでショット!――お嬢さんカメラマンの昭和奮戦記』(2002年)、『昭和を彩る人びと――私の宝石箱の中から一〇〇人』(2003年)など、弊社の出版物のラインナップに華を添えて頂いた。対談集を含めると、都合6冊の本を刊行させて頂いたことになる。笹本さんのお眼鏡に叶った対象者は、自分の信じる道をトコトン歩き続けてきた人ばかり。『夢紡ぐ人びと』で取り上げられた人を見ても、北海道富良野でラベンダーに憑かれた男・富田忠雄さん、北海道大学の原生林で森と共に生きた高橋延清さん、無言館館長の窪島誠一郎さん、仕事は命だと映画に打ち込んだ映画監督・新藤兼人さんなど、僕のよく知る人たちも取り上げられ、納得のいく人選であった。

2002年、弊社より刊行

2002年、弊社より刊行

2003年、弊社より刊行

 笹本さんは著書で、日々楽しく暮らすためのヒントを提案している。ほぼ毎日100グラムの牛肉を食べる。それも霜降り肉が好物で豚肉は食べない。食事は3食、自分で作る。焼き魚、煮魚は好きではない。肉といえば、脂身のある牛肉か鶏肉がメイン。夕食には、必ず赤ワインを1杯飲む。このワインが主食代わりでご飯やパンなど炭水化物は食べない。赤ワインはポリフェノールが多く健康にいいらしい。行動力も笹本さんの健康の源だ。重いカメラ機材をもって身軽に動く。また、テレビ番組を見ていて気付いたことはメモ、気になる新聞記事は切り抜いてスクラップする。時代の変化を敏感に読み取って、撮影テーマを見つけるためのアイデア集を作っていたのだ。

・そして身だしなみにも手を抜かなかった。常に見られていることを意識し、きちんとした服装を心がけていた。だから、いつも若々しく年齢不詳だった。「年齢を悟られずに生きる」ことを自分に課していた。確かに笹本さんは、長寿を売りものにしてはいなかった。そして「読む・書く・仕事&恋をする!」とある。いくつになっても、自分を甘やかさず、勉強を続けることの大切さを説いている。そして恋をし続けたいというのだから凄い。いくつになっても好きな対象があれば、心ときめいて日々を生きられる。これが笹本流の楽しく暮らすヒントであった。

2012年、弊社より刊行

2013年、吉沢久子さんとの対談集

 僕は月刊『清流』に連載して頂き『あの頃のこと 吉沢久子、27歳。戦時下の日記』として単行本になった吉沢久子さんと笹本恒子さんが対談したら、きっと面白い本が出来るのでないかと考えた。それが2013年、弊社から刊行された『はつらつ!――恒子さん98歳、久子さん95歳 楽しみのおすそ分け』(笹本恒子・吉沢久子共著)である。お2人とも100歳間近という年齢にもかかわらず、現役で元気に過ごしておられる日々の様子が伝わってくる好著である。自立して生きるお2人には共通点も多かった。他人の目や口は一切関係ない。あくまでも自分の好きなこと、自分のやりたいことを自然に貫いてきたからこそ、人生は充実しており、その輝きを増すのである。しかし、ともに鬼籍に入られてしまった。残念ではあるが、その生き方は映像や単行本として残されている。若い女性たちには、大いに参考になる生き方だと思う。それにしても、笹本恒子さんとは実に26年に亙る長いお付き合いであった。どれだけ多くのことを学ばせてもらったことか。巡り合えたことに感謝の念しかない。衷心よりご冥福をお祈り致します。


 長年続けて参りました「加登屋のメモと写真」は今回で最終回となります。これまでご愛読頂き、誠にありがとうございました。


加登屋陽一