加登屋のメモと写真…: 2014年9月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2014年9月アーカイブ

中平まみさん

清流出版 (2014年9月19日 11:05)

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出版記念パーティでの中平まみさん


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中平まみさんの新刊(未知谷刊、本体2000円+税)



・去る8月20日(水)、中平まみさんの出版記念会が渋谷駅前、東急プラザ渋谷9階にあるロシア料理店ロゴスキーで行われた。書名は『天気の話は致しません ――あの作家(ひと)は私の前ではこんなふう』で、8月初旬に、未知谷から刊行された。僕はたまたまその日は、ディサービスと月1回の脳外診察等で朝の9時から夕方の7時まで動けなかったので、臼井雅観君に出席してもらった。そもそも中平さんとは、当時、出版部長だった臼井君が古くからの知り合いだったことでお付き合いが始まったもの。清流出版から刊行されていた小川宏さんの著『夫はうつ 妻はがん』を読んだ中平さんから臼井君に電話が掛かってきたのだ。2001年の参議院選挙に自由連合から比例代表で立候補、落選後、精神的に疲れ果て、うつ病を患っていた中平さんは、たまたま書店で小川さんのうつ病闘病記の本を購入し、あとがきで旧知の臼井君の名前を見つけたというわけだ。


・清流出版に訪ねてきた中平さんは、2000年の『フルーツフル』(実業之日本社刊)を出版以来、しばらく刊行はなく是非にと望んでいた。訊けばエッセイ集何冊分かの原稿は手元にあるという。僕は読んで面白かったらとの条件つきで、ゴーを出した。すると中平さんから、段ボールに3箱分にも及ぶ過去のエッセイの掲載紙誌が送られてきた。28年分というから、これだけの分量になったわけだ。臼井君もこの量にはビックリしたようだ。急遽、外部編集者として藤野吉彦さんに手伝ってもらって、掲載エッセイの選別作業をすることになった。それが6年前に刊行された『王子(プリンス)来るまで眠り姫』(清流出版刊、2008年)という本である。この時も、盛大の出版記念パーティが行なわれた。場所も中平さんの住まいにほど近い、渋谷のセルリアンタワー東急ホテル宴会場であった。僕は臼井君と外部編集者の藤野さんと三人でこのパーティに出席したが、出席者も多士済済で実に賑やかなパーティだった。プリンセス・スタイルの中平さんに合わせて、中平さんが敬愛する直木賞作家・志茂田景樹氏が、手作りの王冠をかむり、王子役を務めたことを思い出す。ちなみに志茂田さんと僕は同じ辰年生まれの74歳(学年は志茂田さんの方が早生まれで一年先輩)だが、精神年齢はどっちもうんと若い。


・この出版パーティでは、前々からお会いしたいと思っていた人物に会えた。それが康芳夫(こう・よしお)さんである。黒マント姿で、あたりに怪しげな雰囲気を醸し出していた。僕より3歳年上だが、東大在学中の1961年に、五月祭の企画委員長を務め、ジャズ・フェスティバルや文化人によるティーチインを開催する。これがプロデュース業の原点となった。このとき石原慎太郎の知遇を得て、1962年に彼の紹介で「赤い呼び屋」と呼ばれた神彰が主催するアート・フレンド・アソシエーションに就職、本格的に興行師としての仕事を開始する。やがてパートナー神彰と訣別し、単独で活動を再開。金平正紀の協力のもと1972年、日本武道館でモハメド・アリ対マックフォスター、翌年のトム・ジョーンズの来日公演を実現させ、大いに名を上げる。以降の康芳夫は「虚業家」を自称、正統的なプロデュース業からキワモノ的な仕事が多くなる。1973年の石原慎太郎を隊長とする「国際ネッシー探検隊」、1976年のオリバー君招聘とアントニオ猪木対モハメド・アリのコーディネートである。アリを呼ぶためブラック・ムスリムに入信し、マネージャーに近づき話をつけたというから、やることが大胆不敵である。しかし、成功失敗の振幅は大きく、浮沈変転の連続である。1977年、ハイチでトラ対空手家・山元守の試合をプロデュースするも、動物愛護協会からのクレームと愛護協会の要職にいたブリジット・バルドーがカーター大統領に電報を打ち、アメリカの圧力で中止。1979年、アントニオ猪木対ウガンダの「人食いイディ・アミン・ダダ・オウメ大統領」の試合は、政変でアミンが国外逃亡し中止を余儀なくされた。このあたり虚業家の面目躍如である。中平さんは、康芳夫のような傑物をよくぞゲストに迎えたものだ。中平さんの人脈は、実に多士済済。出版記念パーティは、梁山泊の様相を呈していたのである。その頃、『虚人魁人康芳夫――国際暗黒プロデューサーの自伝』(学習研究社刊、2005年)を読んでいた僕には、最高のプレゼントとなった。


・中平まみさんの父君、中平康さんについても触れておかねばなるまい。映画監督だった中平康さんの父親は洋画家の高橋虎之助であり、母親はヴァイオリニストの中平俊であった。俊の祖母もヴァイオリニストだったというから、芸術家一家で生まれ育ち、康は一人娘だった母親の中平姓を継いだことになる。昭和23(1948)年、東京大学を中退し、川島雄三監督に憧れ、松竹大船撮影所の戦後第1回助監督募集に応募、1500人中8人(鈴木清順、松山善三、斉藤武市、井上和男、生駒千里、今井雄五郎、有本正)の内に撰ばれ、松竹に入社する。憧れであった川島をはじめ、佐々木康、木下惠介、大庭秀雄、原研吉、渋谷実、黒澤明等の助監督を務める。ベレー帽にポケットだらけのツナギ服をスタイリッシュに着こなし、体中に七つ道具をつめ込んで撮影所を走りまわる彼の姿は周囲の注目を集め、かぶっていたベレー帽は彼の生涯のトレードマークとなった。


・助監督時代は、自ら志願して就いた黒澤明と川島雄三に可愛がられた。多くの助監督が後輩を指導する際、脚本を勉強することを第一とするのが通常であったのに対し、その他に中平さんは編集の技術も身に付けることを強く主張するなど、助監督時代から既に後の映画テクニックへの執着を見せる。増村保造、岡本喜八、市川崑、沢島忠、鈴木清順らと共にモダン派と称され、映画テクニックを駆使したスピーディーなテンポと洗練されたタッチの技巧派監督として知られる。映画をあくまでも純粋視覚芸術のように捉え、題材として何を描くかではなく、どのように描くかという映画の本質たる「スタイル」と「テクニック」で見せる演出を信条とした。代表作に『狂った果実』、『月曜日のユカ』、『街燈』、『紅の翼』、『殺したのは誰だ』などがある。人となりについては、中平まみさんの著『ブラックシープ 映画監督「中平康」伝』(ワイズ出版刊、1999年)に詳しい。


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乾杯の音頭をとった志茂田景樹さん


・出版記念会の話に戻ろう。発起人代表は既出の志茂田景樹さん。中平さんの良き理解者であり、後見人でもある。自身の版元「KIBA BOOK」から中平まみさんの著『囚われた天使』も刊行している。新刊の『天気の話は致しません――あの作家(ひと)は私の前ではこんなふう』の本の内容について触れておくと、中平さんの作家との関わりを描いたもの。登場するのは10人の作家、すなわち石原慎太郎、菊村到、江藤淳、佐藤愛子、志茂田景樹、中上健次、戸川昌子、中山千夏、野坂昭如、吉村昭との関わりを描いている。僕もよく女房にやられるのだが、女性の記憶力とは誠に恐ろしい。何十年か前のことを蒸し返し、あの時あなたはこうだった、この時はこうだったと攻め立てる。閉口するほどだが、中平さんの記憶力も半端ではない。よくまあ、こんな細かいことまで、というようなことを覚えていて詳述している。こんなことまで書かれたらたまらないと、買い占める作家も出てくるのではないか、と心配になるほどだ。志茂田さんは、乾杯の音頭をとる時、こんな話をしたそうだ。「この本は話題性に富んでいるので、ちょっとしたきっかけで化ける可能性がある。5万、10万売れてもおかしくない本だ」と……。話題になってくれればと願っている。


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挨拶に立った中平康監督の盟友・矢崎泰久さん(元『話の特集』の編集長、フリージャーナリスト)


・ところで清流出版から出した『王子(プリンス)来るまで眠り姫』だが、有難いことに中平さんは、著者買いを続けてくれている。5冊、10冊ずつでも、継続して買って頂けるのは有難い。臼井君によれば、この本の中にどうしても差し替えたい写真があるそうで、そのためには増刷までもっていかなければならない。中平さんは、それを何年かかってもやり遂げるから断裁しないでと釘を刺している。なんとも頼もしい限りである。今回の新刊がブレークすれば、過去の単行本にもスポットが当たる可能性がある。そんな時が来ればいいのだが、と願ってやまない。


・最後になるが、中平さんのもう一つの活動を伝えておきたい。捨てられた恵まれない犬猫などの介護、殺生をなくす運動を続けている。きっかけは自らの実体験であった。うつ病を病み、苦しんでいた時、中平さんの心の拠り所となり、生きる意欲をかきたててくれたのが犬だった。以来、不幸せな境遇にある犬猫の、引き取り手を探す運動に手を染める。一匹でも殺処分から救い、幸せな生涯を送って欲しいと願っているのだ。もう無くなってしまったが、捨てられて自力で生きていけない犬を集めて、面倒をみる都立の動物愛護センターが世田谷区にもあった。環状8号線の千歳台当たりで、僕が都心から家に帰る途中、甲州街道が混んでいると、千歳台に方向を変えるので、間近に見ることもしばしばだった。近くを通るたび、中平さんを思い出した。いい里親を見つけ、引き取ってもらう。一方的な可愛がり方ではなく、人間も動物によって救われ、そして癒される。まさにウィンウィンの関係を目指している。犬と共に生きていく、そんな人を探して一匹でも救おうとする姿に、頭が下がった。先日、欧米などの捨て犬を介護するテレビ番組を見たが、その費用が並々ならず、篤志家が主に努力している実情をレポートしていた。僕は犬猫にあまり興味がないので、捨て犬を引き取ることはできない。もし、犬猫が好きで共に生きていくのに興味があるという方は、是非、お近くの動物愛護相談センターを訪ねて欲しい。

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