加登屋のメモと写真…: 2014年6月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2014年6月アーカイブ

鈴木れいこさん

清流出版 (2014年6月19日 16:52)

れいこ1.jpg

れいこ2.jpg

鈴木れいこさんと僕。神田神保町の「新世界菜館」で。(撮影:臼井雅観君)

・過日、鈴木れいこさんが清流出版に来社され、お昼をご一緒させていただいた。僕は鈴木さんには頭が上がらない。というのも、『旺盛な欲望は七分で抑えよ――評伝 昭和の女傑 松田妙子』(2008年10月)という鈴木さんの著を清流出版から刊行させていただいたのだが、在庫がゼロになってしまったのだ。つまり、市中の本を残らず売り切ってしまったわけだ。今は電子出版用として倉庫に数冊を残すのみである。種明かしをすると、鈴木れいこさんが書いた評伝の主人公・松田妙子さんが在庫していた分を全部買い取ってくれたのだ。販売効率的にいってもこれ以上の本はなく、発行者としての僕は、お二人に感謝するとともに、刊行に踏み切って良かったと思った。

・最初、鈴木さんがこの企画を提案してきた時、僕は一瞬ドキリとしたのを覚えている。当の松田妙子さんという人物をよく知っていたからだ。1970年代のある時期、僕の古巣であるダイヤモンド社のビルに松田妙子さんも一時、同居していたのである。当時、ダイヤモンド社は、9つの子会社も含めて社員は550名ほどの出版社で、自社ビルのスペースが余っていた。今のように総合的出版社としての「ダイヤモンド社」ではなく、経済専門出版社を謳う「経済雑誌ダイヤモンド社」だった頃のことである。住所は千代田区霞ヶ関1丁目4番地の1と、通産省の隣に位置しており抜群の立地だった。2階部分を日本住宅金融株式会社に貸し、10階には将棋の木村義雄名人や松田妙子さんほか、著名な弁護士等のオフィスとして貸していた。しばらくして、日本住宅金融の庭山慶一郎社長と松田妙子さんが、しばしば話しながら歩いているのを見掛けたからこのビルがご縁で知遇を得たものと思われる。実は、僕はそれより数年前、松田妙子さんに取材したことがあった。場所は銀座の殖産住宅の子会社だったと思う。テーマは、これからの日本の住宅産業についてだった。毅然として理路整然、歯に衣着せぬ物言いで、女傑との印象が強く残っていた。その松田妙子女史が、なんとダイヤモンド社の10階に移ってきたわけだ。

・振り返ってみれば、松田妙子さんは1954(昭和29)年に渡米し、南カリフォルニア大学テレビマスコミ科に学ぶかたわら、NBCテレビへ勤務。帰国後、コスモPR取締役等を経て、1964年、日本ホームズを設立した。その後、松田さんはどんどん力を発揮し、向かうところ敵なしの勢いだった。建築審議会委員、東京都公安委員他多くの委員を務め、政策提言を行った。87年藍綬褒章受章、99年東京大学博士号(工学)取得。現在、87歳になったが、財団法人住宅産業研修財団会長、財団法人生涯学習開発財団理事長、大工育成塾塾長などを務めている。まさに女傑という呼び方がピッタリの方。さもありなん、松田妙子さんの父君は、元衆議院議長、文部大臣の松田竹千代氏である。竹千代氏はアメリカで過ごした破天荒な青春時代を『無宿の足跡』(昭和43年、講談社)に残しているが、社会福祉事業に一生を捧げた政治家としてよく知られる。だから妙子さんは東京幡ヶ谷の社会事業施設「労働クラブ」に併設された自宅で産声を上げている。余談だが、『旺盛な欲望は七分で抑えよ』のタイトルは、編集担当した臼井君が提案してきたものだが、聞いてみると父君である竹千代氏が娘妙子に贈ったアドヴァイスの言葉から取ったものだという。小さい頃から、妙子さんのあまりに破天荒なお転婆ぶりに、多少不安に思ったのであろうか。僕にはそんな親心が透けて見えた気がした。

・鈴木さんが松田妙子の名前を聞いたのは、メキシコ在住のバレリーナ、ワトソン繁子からだった。鈴木さんが『ワトソン・繁子――バレリーナ服部智恵子の娘』(彩流社)という本を書くため、メキシコに滞在していた時のことである。松田妙子と幼馴染だった繁子は、彼女を懐かしんで、「好奇心いっぱいに生きている男まさりの才女なの、傑物だわ、愉快な人よ」と言ったという。帰国して大宅文庫で調べものをしていた鈴木さんは、1972年の『Newsweek』誌に、松田妙子が「強烈な個性を持ったレディにしてボス」と紹介されているのを見つけた。鈴木さんは、この記事に興味をひかれ評伝を書いてみたいと思ったのだ。それにしても、松田妙子と三島由紀夫が親しくお付き合いをしていたなど、鈴木さんの本を読むまで知らなかった。河口湖にあった別荘に三島がよく訪ねてきたのだという。日本人にはめずらしいボディラインの妙子の後ろ姿を気に入った三島が、「コカ・コーラのボトルみたいだ」と言っていて、しばしば妙子は三島のちょっと前を歩かされた。また、川端康成邸に原稿を届ける三島に妙子が付き添ったこともあるというから、よほど信頼が厚かったに違いない。それにしても、こんな秘話をよく鈴木さんは引き出したものだ。よほど信頼関係が築けていない限り、出てくる話ではない。

 

れいこ本.jpg


・鈴木さんは最近、彩流社から『台湾 乳なる祖国――娘たちへの贈り物』という本を刊行した。実は鈴木さんは1935(昭和10)年、台湾台北市のお生まれなのだ。1947年に台湾から引き揚げてきたが、12歳まで台湾で過ごしている。1冊、僕も贈呈していただいたが、日本統治下の12年間の少女時代の想い出から敗戦による混乱の中での引き揚げ、そして晩年、再び台湾に住んでかつて親交のあった人たちとの再会を描いている。台湾に半生を賭け、壮年期を過ごした父君が残した小冊子を頼りに、当時は知らなかった部分を補填しながら、記憶にある故郷を書くことに専念したというが、幸せなひと時だったのではないだろうか。鈴木さん自身、こうして育ててくれた父君を偲びながら筆を進めるうち、不思議な安らぎに全身を包まれた気がしたと書いている。母と娘との関係というのは濃密で、よく書かれているテーマだ。しかし、娘が父との関係を問い直していくというのは、読んでいて新鮮に思えた。そして、少し羨ましかった。というのも、僕には娘がいないからだ。仮にいたとしたら、どんな関係が築けただろうか、そんなことを想像したものだ。

・鈴木さんは、1980(昭和55)年、朝日新聞記者の夫の定年退職後、台湾、シンガポール、アメリカ、カナダ、スペイン、コスタリカ、メキシコなどを訪ね、一年の半分を海外旅行に費やしたという。著書も、すでに6冊。『旅は始まったばかり――シニア夫婦の生きがい探し』(1991年、ブロンズ新社)、『世界でいちばん住みよいところ』(1997年、マガジンハウス)、『日本に住むザビエル家の末裔――ルイス・フォンテス神父の足跡』(2003年、彩流社)、『ワトソン・繁子――バレリーナ服部智恵子の娘』(2006年、彩流社)、『旺盛な欲望は七分で抑えよ――評伝 昭和の女傑 松田妙子』(2008年、清流出版)、『台湾 乳なる祖国――娘たちへの贈物』(2014年、彩流社)。

この中で、気になった本は、断然、『日本に住むザビエル家の末裔――ルイス・フォンテス神父の足跡』である。この本は、各新聞でも書評に取り上げられ、丁寧な解説が付いている。そうした素晴らしい書評があるのに、屋上屋の僕の拙い解説は一切控えたい。では、3つの新聞の書評をご紹介する。

まず、『キリスト教新聞』の書評から。

――ルイスさんはスペイン生まれ。ザビエルが日本からパリに送った手紙を16歳の時に読み感動、日本へ渡ることを決心した。25歳でマドリッドの神学大を卒業後に来日。20年間、上智大や早稲田大で倫理学や比較宗教論を教え、84年から10年間は福岡県の高校で教師として働いた。ザビエルの兄ミゲルはルイスさんの父の祖先でフランス系。ちなみにルイスさんの母はケルト系で、祖先にはスペインの画家ゴヤが肖像画を描いている、プラド美術館の創設者ホセ・モニノ・イ・レドンドがいる。ルイスさんは現在、山口県下松市在住。日本での司牧生活はすでに50年以上になる。現在は、字部市アストピアに完成した、チャペルを備えたブライダル施設「フェリース」で働いている。本の著者である鈴木れいこさんは、ルイスさんのスペイン語教室の生徒。「聖フランシスコ・ザビエルがお手本」というルイスさん。神に頼り切った飾らない人柄が本の中からも十分に伝わってくる。

  次は、『中国新聞』の書評。

――日本にキリスト教をはじめて伝えたフランシスコ・ザビエルの兄の子孫で、下松市に住むルイス・フォンテス神父(72)のザビエルに導かれた運命的な半生を、光市のエッセイスト鈴木れいこさん(68)が執筆した。「日本に住むザビエル家の末裔」のタイトルで彩流社(東京)から出版された。鈴木さんは4年前、海辺の風景が気に入って光市に移り住んだ。2年前から通う中国新聞カルチャーセンターのスペイン語講座の講師がフォンテス神父だった。スペイン語の講義のおもしろさや知識の深さに人間的興味を覚えたのに加え、ザビエルの子孫という事実が、創作意欲を刺激したという。2001年6月ごろから聞き取りで取材を続け、ザビエル関連の書籍を求めて図書館通いをしながら、昨年10月に書き上げた。神父自身が、ザビエルとのつながりを知ったのは六年前。『スペインの親類から送られてきた結婚式の案内状だった。覚えのない署名だったため手元の資料を調べるなどして、自分の14代前がザビエルの長兄ミゲルであることを知った。ザビエルとのえにしは50年前にさかのぼる。偶然手にしたザビエルの書簡集が日本への興味をかき立て、神学校を経て日本へと向かわせた。こうしたエピソードや、宣教の足跡、人々との触れ合いなどを5章にまとめた。これが3冊目の著書となる鈴木さんは「神父の取材を通じ、人間の信念というものを学べた」と話している。

  最後に『西日本新聞』の書評。

――日本にキリスト教をはじめて伝えたフランシスコ・ザビエルの兄の子孫で、山口県に住むようになった著者は、スペイン語を学ぶため語学教室を訪れる。そこの講師は神父のルイス・マギーネ・フォンテスさん。何と、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの子孫だった。ルイスさんは来日47年になるが、そのことは数年前まで本人も知らなかった。故国スペインから届いた結婚式の案内がきっかけで家系調べに熱中、系図をつきあわせていくうち、14代前の先祖がザビエルの長兄ミゲルだと分かった。ルイスさんは少年時代、長崎のキリシタン殉教者の絵に日本への興味を募らせた。さらに山口で宣教していた神父が書いた本に出合い、ザビエルの書簡集を読み、日本行きの気持ちを固めた。はるか昔のザビエル、そして今、同じように日本に来た末裔の自分─ルイスさんは「導き」と思う。本書は、宗教土壌の違いに戸惑いつつも日本で神父として歩むルイスさんの姿を追う。

  鈴木れいこさんの本には、このような素晴らしい書評で迎えられている。鈴木さんの目のつけところもよいが、それを的確に紹介するべく人がいる。僕は、今、地方新聞文化部にも目利きがいるなと嬉しくなった。

・もう一度言うが、鈴木さんの最新刊『台湾 乳なる祖国――娘たちへの贈り物』もとても面白い視点で書かれている。日本と台湾の関係は、尖閣諸島界隈の漁業権の問題などあったが好転しつつある。日本統治時代に台湾の水利事業で大きな功績を残した日本人技師、八田與一をたたえる記念公園の建設も実現した。2011年3月11日発生の東日本大震災に際しては、台湾がいち早く救援隊派遣を表明。人口が約13倍の米国を大きく上回る義捐金が集まったことは記憶に新しい。また、国立故宮博物院の日本展覧会開催なども始まる。中国王朝芸術の粋を集めた台北・故宮コレクションのうち、人気の高さからこれまで海外展示が見送られてきた清代玉器の逸品「翠玉白菜」「肉形石」を含む計231件が、東京と福岡で公開されることになっている。台湾と日本との関係を問い直すに恰好の著ではないだろうか。

・今後も鈴木れいこさんの優れた嗅覚と自由自在の人物像に恵まれて、われわれに素晴らしい作品を読ませていただきたい。ご健筆とご健勝をお祈りする。

« 2014年5月 | メインページ | アーカイブ | 2014年7月 »
検索
2014年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
カテゴリ