加登屋のメモと写真…: 2013年5月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2013年5月アーカイブ

長谷邦夫さん

清流出版 (2013年5月22日 18:55) | コメント(0) | トラックバック(0)

 

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漫画家・長谷邦夫(ながたに・くにお)さんは、現在、脳出血で入院中という。お見舞いに行きたいが、ご自宅は栃木県塩谷郡高根沢町で、いささか遠い。写真の替わりをいろいろ迷ったが、石ノ森章太郎『章説 トキワ荘の春』(清流出版刊)から似顔絵を拝借した。

 

 

 

5月の連休明けのこと、臼井雅観君が僕に知らせてくれた――「長谷邦夫さんに弊社刊行の『漫画に愛を叫んだ男たち』が増刷になったことを知らせるため、ご自宅に電話したところ、奥様がお出になられて、《4月末に脳出血で倒れ、入院している》」とのことだった。僕はびっくりして、あのお元気だった長谷さんも、ついに僕と同病になった……と暗澹たる気持ちに陥った。長谷さんは「長谷邦夫の日記」というブログをもっておられるので、パソコンでそこに当たってみると、51日付で、ご長男が代筆した次のような状況経過が載っていた。

 

今日、病院に行ってきました。

意識ははっきりしており、会話もできました。

出血は左脳側で、右半身にしびれがあるようです。

動かしたりは出来ますが力は入らないとのことで

トイレも車椅子で連れて行ってもらうような感じです。

血圧を下げる処置をしながら、落ちついたらすぐ

リハビリも並行して進める模様です。

とりあえずは重症ではないので、ご安心ください。

油断禁物ですが………

 

・重症ではなかったようなので少し安心したが、僕の病院仲間には脳出血、脳梗塞患者が圧倒的に多い。もう一つの脳卒中であるくも膜下出血の場合、死亡率がかなり高い。僕の場合は、2回脳出血になり、左右両方の脳を損傷し、右半身不随、言語障害をもつ身になってしまった。長谷邦夫さんのその後をお聞きしてないのでなんともいえないが、早めにリハビリに励んで、一日も早く復帰して、元気な姿を見せてほしい。

 

・長谷邦夫さんとは、前の出版社、ダイヤモンド社でお会いして以来、長いお付き合いになる。ダイヤモンド社で何冊も単行本のシリーズ物をお願いし、僕が清流出版を創業後も1冊刊行させていただいた。お付き合いの経緯を少し述べると、初めて会ったのは、かれこれ30年前にもなろうか。新宿のゴールデン街で、旧知の波乗社、山口哲夫さんと呑んだ時ご紹介を受けた。その時、長谷さんは赤塚不二夫のブレーンというかアシスタント役として紹介された。僕はダイヤモンド社で、新ジャンルであるマンガ本を出したい旨を話した。この話には赤塚不二夫も大いに乗り気になって、「DIAMOND COMICS」と題して、全六冊を刊行するに至った。実務はフジオプロの桑田専務が交渉に当たり、両者の取り分が決着した。そして、長谷さんは一冊ごとにユニークなストーリーから気の利いた科白までアイデアを出してくれた。絵も赤塚不二夫とそっくり似せて描いてくれた。だが、その内、超多忙を極めた赤塚不二夫抜きの、いわゆる権限のあるゴーストライターとしてお付き合いすることになった。その時の刊行タイトルは、『孫子――ライバルに勝つ兵法』、『葉隠――死ぬ気の意思決定』、『五輪書――達人に学ぶ競争優位の智略』、『論語――究極の自己啓発術』、『菜根譚――成功を呼ぶマインド・コントロール術』、『君主論――リーダーシップ発揮の極意』(各ダイヤモンド社刊、1986年から1987年)。すべて順調に売れ、お堅い経済物主力のダイヤモンド社で初めて「経済マンガ路線」が認められたのであった。

 

6年後、赤塚不二夫がアルコール依存症で入院した時、僕はもはや長谷邦夫という自分名義で刊行すべきではないかと思った。新しいシリーズは「長谷邦夫+フジオプロ」の著者名によって、『南方熊楠――永遠なるエコロジー曼荼羅の光芒』、『出口王仁三郎――“軍国日本を震撼させた土俗の超能力者』、『アインシュタイン――はじめて宇宙の果てまで見た男』、『ノストラダムス――滅亡へのカウント・ダウンが始まった!』、『フロイト――あなたの深層心理にいま一つの光があたる!』(各ダイヤモンド社刊、1992年)の五冊刊行に至った。「コミック世紀の巨人」をシリーズタイトルに謳い、伝記マンガを刊行してもらったのである。売れ行きは赤塚本と同様、好調に推移した。この漫画ジャンルの11冊は、カバー、扉、見返し等、ことごとくデザイナーの中川恵司さんに引き受けてもらった。当時、『プレジデント』誌のカバーを全部引き受けていて売れっ子の中川恵司さんも、乗りに乗って素晴らしいデザインを毎回提案してくれた。

 

・お付き合いするうち、長谷邦夫さんが無類の本好きであり、博学なので薀蓄の一部を文章に書いてもらった。今で言うと内田樹さんや小田嶋隆さん、呉智英さんに依頼するような気持ちだった。そうした結果が『快読術――BOOK TO THE FUTURE ブック・トゥ・ザ・フューチャー』(1990年)、『脳に気持ちいい乱読術』(各ダイヤモンド社刊、1992年)の二冊。これらの本は、読書に纏わる今の時代でも通じる路線だ。一冊目の見返しの惹句に「“時代感覚”を磨く読書術!――漫画家にして、詩人、エッセイスト、ジャズ愛好家、そして稀代の推理小説読み。このいくつもの顔を持つ博覧強記の読書家が時代を読み取る読書術、時代感覚を磨く読書術を軽いタッチで披露してくれる」と謳った。そして、二冊目の見返しに「ひとはなぜ本を読むのか? それは“脳に気持ちいいからだ!” こう喝破する漫画家・長谷邦夫は、稀代の乱読家。そして、発想を豊かにし、独創を生み出すには、乱読に限ると、宇宙論から、モダン・ホラー、ジャズ論、世阿弥論、ダニエル・ベルの大著まで幅広い読書に挑戦、読書の醍醐味、効用を実践的に繰り広げる」と、大上段に宣伝したのだが、この惹句は嘘偽りのない僕の本音だった。

 

・ここで、ちょっと脱線する。わが社は19943月の創業だが、その前の一年間は僕がダイヤモンド社を辞めて、九段下のマンションの一室で得難いメンバーと新雑誌の構想を練っていた時期だ。方向は女性誌と決めて、産みの苦しさを味わった。その時、長谷邦夫さんも100メートルほど近くの飛鳥新社が産んだ子会社で悩んでいた。コミックペーパー『日刊アスカ』の発刊に参加し、1993年暮れに創刊にこぎつけた。長谷邦夫さんは、「ニュース・コミック」の構成を担当し、あれこれ試行錯誤され、僕と数回、近所の珈琲館で情報交換した。結局、新しいコミックペーパーは、編集企画や発行資金の弱体もあって半年で廃刊となった。そして、長谷邦夫さんも僕の前からいなくなった。その後、長谷邦夫さんは住まいも葛飾区南水元から栃木県に引っ越した。仕事も漫画創作をしばらくやめて、大学と短期大学、専門学校でマンガ論、デザイン美術、マンガ創作の指導や「現代風俗文化論」を展開していた。大垣女子短期大学、椙山女学園大学、中京大学、宇都宮アートアンドスポーツ専門学校などの講師をやっていた。ネットで検索して見ると、長谷邦夫さんを慕う生徒さんが今も期待している様子が窺える。

 

・最後になったが、肝心のわが清流出版の本を宣伝したい。長谷邦夫さんと10年ぶりに仕事をした作品だ。『漫画に愛を叫んだ男たち』(定価1890円〈税込〉 2004年刊)である。装丁は西山孝司さん。《手塚治虫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄、寺田ヒロオ、水野英子……。漫画史にその名をとどろかせた伝説の「トキワ荘」アパートの住人たちである。その中には、この本の著者である長谷邦夫さんもいた。長谷さんは赤塚不二夫と知り合い、その人生に大きくかかわってきた。全盛時を支えたブレーンであり、ときには赤塚のゴーストライターをしたこともある。その長谷邦夫さんが描いたあの頃の漫画少年たちの青春群像、そしてその後、淡雪のように消えていった人もいれば、日の出の勢いで世に出て一世を風靡した人もいた……。「夢と挫折」を描いた渾身の書き下ろし小説である。》と、宣伝文句を繰り返したが、本質は一言「漫画と心中してもかまわない男たちの生き様を高らかに謳った本」としか言えない。

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西山孝司さんの装丁である

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