加登屋のメモと写真…: 2008年3月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2008年3月アーカイブ

正慶孝さん追悼ほか

清流出版 (2008年3月 1日 10:22)

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・わが社から昨年8月、今は亡きプロウィンドサーファー飯島夏樹さんを偲んで『パパといっしょ』(吉田ふよう著 千金美穂画)を刊行した。この絵本はハワイ在住の遺児たちにも読んで欲しいと、バイリンガル版で刊行したが、その英文訳を担当してくれたのがデイヴィッド・H・シャピロさん(左)だ。1942年、ニューヨーク生まれ。かつてエチオピア、フィリピンなどを巡り、26歳で来日した。以降、東京とニューヨークを行き来しながら、バイリンガル辞典の編集、大学講師などを勤めた方である。

・実は、今度、シャピロさん原作の絵本の刊行を計画している。原文も日本語である。仮題は『ばーか、かーば、ちんどんや!』。かばのピポを主人公とする面白い作品である。「かばにはかばの常識がある。かばにしかない理性と品格がある」と示唆する寓話的なストーリー。子供も大人も読めるので、刊行の暁にはぜひともご一読を乞う。

・シャピロさんは、この作品にぴったりの挿絵画家を推薦してくれた。ダミーを描いてもらって、その絵が気に入ったのである。デュフォ恭子さん(右)がその人。恭子さんは名古屋市の生まれだが、いまはフランス人と結婚して、普段はパリ市近郊に住んでいる。たまたま来日して、東京でシャピロさんと会い、この話を詰めてくれた。恭子さんは、昨年刊行の『ぴいすけのそら』(チャイルド本社)の挿絵を担当された。その本を持って来てくれた。

・シャピロさんは、『雨のち みみず晴れ』(情報センター出版局刊)、『ハリィの山』(ブロンズ新社刊)等の作品で、寓話のセンスが素晴らしい方だ。著書『菊とサラブレッド』(ミデアム出版社刊)のほか、「ザ・タタミ」はニューヨークのオフブロードウェイで、「サイモンSAYS」は日本で上演されたとか。ちなみにある競馬新聞で、ご自分のコラムを持っていたこともあるという。

・デュフォ恭子さんは、海外の生活が長い。大学はメキシコに留学、その後、日本の南山大学外国部学部スペイン語科を卒業、一旦、日本で就職したが、すぐ海外に目を向け、青年海外協力隊に参加、カンボジア教育省青年総局勤務、パリのアカデミージュリアン留学、結婚した夫の赴任によりコートジボワールに赴いたこともある。その間も、デザイン、挿絵、絵本の表紙......を欠かせず発表してきた。

・シャピロさんとデュフォ恭子さん二人の出会いも面白い。わが社から刊行された『大野耐一さん「トヨタ生産方式」は21世紀も元気ですよ』(Text三戸節雄、Photography廣瀬郁)の廣瀬さんの所で、初めて出会ったという。頻繁に海外出張している廣瀬さんらしい引き合わせである。シャピロさんの『雨のち みみず晴れ』の本は、廣瀬郁さんのご子息の広瀬弦さんが「画」を担当しているが、今回はデュフォ恭子さんの絵で新展開を図るつもりらしい。

 

 

 

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・昨年末、わが社から刊行した『神田村通信』の著者・鹿島茂さん(左)とカバー・本文挿絵を担当してくれた奥様の岸リューリさん(右)。お二人を招いて、編集担当の長沼里香と臼井出版部長、僕の五人でホテルグランドパレスの23Fクラウンレストランでささやかな出版のお祝いをした。

・『神田村通信』は、神田神保町の東京堂で発売と同時に、その週のベストワンに選ばれた。以降、順位は多少上下しつつも、ベスト10には入り続け、刊行後すでに数ヶ月経ったにも関わらず、今週も3位に入っていると岸リューリさんが報告してくれた。本書は、月刊『清流』に連載された神田村暮らしのエッセイをメインにプラスして、他の雑誌、新聞からのエッセイを精選して一冊に編んだもの。東京堂のすぐ傍に仕事場と居宅があり、勤め先の共立女子大も神田村にある。だから帯にこう書いた。「本の町・神田神保町に暮らす"フラヌール鹿島"の全生活を公開!!」と。幸いなことに他の書店でも売れ行きがよく、本が売れない時代だけに発行人として喜ばしい限りだ。

・鹿島茂さんといえば、32歳の時、翻訳した『映画と精神分析』(クリスチャン・メッツ著 白水社 1981)を皮切りに、数々の著訳書があり、現在ざっと数えただけでも120冊余を超える。わが国有数の書き手として、一年で4?5冊の本を出版していらっしゃる。

・1991年には『馬車が買いたい!』(白水社刊)でサントリー学芸賞、96年に『子供より古書が大事と思いたい』(青土社刊)で講談社エッセイ賞、98年に『愛書狂』(角川春樹事務所刊)でゲスナー賞、99年に『職業別パリ風俗』(白水社刊)で読売文学賞、2002年に『成功する読書日記』(文藝春秋刊)で毎日書評賞を受賞している。出版する本が軒並み高く評価されるという稀有な作家である。しかし、これだけの売れっ子になると、書き下ろしは絶対に無理だという。20本以上の連載を抱えていると聞けば、無理ならんと思えてくる。

・今回わが社の『神田村通信』とほぼ同時期に刊行された『パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』(平凡社刊)、『ジョルジュ・バルビエ画集 永遠のエレガンスを求めて』(六耀社刊)、『あの頃、あの詩を』(文藝春秋刊)、『乳房とサルトル』(光文社刊)のうち、前の二冊の版元、平凡社と六耀社が共同で出版記念パーティを開くと知らせを受けたが、二冊とも、ご長男であるカメラマンの鹿島直さんが関わっての企画だそうだ。

・鹿島茂さんは、なんといっても19世紀フランスを専門領域とし、わけてもオノレ・ド・バルザック、エミール・ゾラ、ヴィクトル・ユゴー等を題材にしたエッセイで知られている。その上、古書マニアとして有名だ。毎回、フランスへ行くと、どっさり古書を買ってしまう。船便でも送る。その本好きな鹿島さんが、世界でも稀有な古本屋街・神田神保町に引っ越したのだから、さあ大変。あっと言う間に蔵書約5万冊。日を追ってその数も増え、書棚がどんどん増え続けている。その途中経過は、わが社の『神田村通信』をじっくり読んでもらいたい。

・今後、マルセル・プルーストの作品と本格的に取り組む。そのために今年1月、イリエ=コンブレーのプルーストの生家を訪ねたという。その他にも盛り沢山の研究・執筆テーマがあり、ともかく寝る暇もないくらい忙しい方である。4月からは、長年勤めていた共立女子大学から、明治大学に今年誕生した国際日本学部に転任する話も出た。明大も神田駿河台が本校。相変わらず神田村住まいは変わらない。

・当日、別れ際にご夫妻へ記念にサインをお願いすると、2008.2.20の日付とともに、岸リューリさんは猫のイラストをサッサッと描き、鹿島茂さんがバルザックの愛した座右銘「進みながら、強くなる」を書いてくれた。

 

 

 

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・僕が出版企画で会いたい方は、なんらかの引力を感じる方である。何か強みがある方、個性的な方、因縁を感じる方、斯界の第一人者、加えて文章力があればいうことない。

・僕の前の職場、ダイヤモンド社で出版局編集長を務めた小黒通顕さん(右)が、嶋田親一さん(左)を紹介してくれた。嶋田さんは、昭和6年生まれ。略歴を見て、早稲田大学高等学院卒の所にまず注目した。

・新制高等学院の第1期生(昭和253月卒)に当たる方だ。卒業名簿を見ると、嶋田親一さんの同級生は優秀な人が多く、世に出た人が目に付く。かつて僕が新入社員時代、麻雀など親しく付き合った元プレジデント社取締役、元高千穂商科大学学長の高野邦彦さんが同じクラス。ほかのクラスにも作家・元参議院議員の野末陳平さん、元参議院議員・元経済企画庁長官・現在の世界銀行MIGA初代長官の寺澤芳男さん、演出家の加藤新吉さん、経営学の望月衛さん、元東洋経済新報社社長の中島資皓さんなど多士済々で、主に実業界で活躍する経営者が多い。嶋田さんも学院を出た後、大学の政治経済学部経済学科に進んでいるから、僕のいわば大先輩である。ちなみに僕は学院の第10期生に当たる。

・その嶋田親一さんが持ってきた企画は、ご自分が演出家、プロデューサーとして接したスター50人の素顔という読み物だった。いわば芸能秘録で、「わが忘れじのスター交友録」である。一読、これはいまこそ世に問うべき本だ、と感じた。今のところ仮題は『人と会うは幸せ!――わが「芸界秘録」五〇』である。

・嶋田さんは、日本演劇協会理事、放送批評懇談会理事を務め、その他、フジテレビ開局に参加し、ディレクター、プロデューサーとして活躍、新国劇社長、スタジオアルタ常務取締役等を経験した猛者である。美空ひばりに「シマちゃん」と慕われたと聞くが、石原裕次郎とも付き合いがあった。嶋田さんは友人に、「片方だけならともかく、ひばりと裕次郎の両人と交友があるという人は極めて珍しい」と言われたそうだ。確かにそう思える。ここに森繁久弥、森光子などといった大御所が入ってくるのだから、人脈の凄さがわかろうというもの。

・嶋田親一さんは秋田県の出で、親類にフランス文学の小牧近江さんがいると聞いて、縁の深さを感じた。僕は大学時代、恩師・山内義雄先生が「フランス友の会」を主宰し、そこに小牧近江さんを招いて講演をお願いしたことがある。小牧さんはアンリ・バルビュス『地獄』の訳出で有名な上、フランスから帰国後、雑誌『種撒く人』を創刊して、日本のプロレタリア文学を生んだ。小牧近江さんの教壇での立ち姿を昨日のことのように思い出した。

出版パーティのことにも触れておかねばならない。46日(日)、この本の刊行を記念して行われる。詳細はまだ知らされていないが、一軒の店を一日中借り切って、一日何回でも出入り自由とするらしい。そのための通行手形のようなチケットを発行するという。この凝りよう、念の入れようったらどうだろう。まさに根っからの名プロデューサー、名ディレクターである。

 

 

 

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・僕の学友の正慶孝さんが、突然お亡くなりになった。第一報を知らせてくれたのが前項登場の小黒通顕さんである。小黒さんと親しい科学技術・経済ジャーナリストの猪口修道さんからの電話で知った模様。正慶孝さんの死因は心臓発作だという。享年67歳。明星大学教授、文化社会学者、評論家。あまりにも早すぎる死で、約半世紀もの間、親しく付き合った学友の僕は呆然自失状態である。

・親しかったから、特にアポイントも取らず、よくわが社を訪ねて来た。来るとよく酒になった。酒はそれほど強くはなかったが、談論風発する楽しい酒だった。真っ赤な顔をして、乗ってくると駄洒落を連発していたのを懐かしく思い出す。

・訳書として出たダニエル・ベルの『二十世紀文化の散歩道』『21世紀への予感――現代の問題を未来の視点から読む』(いずれもダイヤモンド社刊。僕が担当した)はいまだに名著の誉れ高い。著書に、『IT時代のライフ・スタイル宣言――新しい未来社会の展望』(清流出版刊)、『経済学ワンダーランド』(八千代出版刊)、『新大陸ヨーロッパの策謀』(学習研究社刊)などの他、共著も多数ある。

・科学技術からライフスタイルに至る問題について独特の視角で論じ、経済社会の変動を歴史の流れの中で文明の次元で捉えて、洞察に満ちた分析と総合的な検証を展開し、正確な言葉の概念を確立することで知られた練達の文化社会学者であった。かつて親しくお付き合いをされた碩学・清水幾太郎さんを彷彿する方。また、藤原肇博士と共著で『ジャパン・レボリューション――「日本再生」への処方箋』(清流出版刊)を刊行すると、多くの読者がファンになった。

・正慶孝さんは「歩く百科事典」、博覧強記の人、百科全書派(アンシクロペディスト)、「意味論(セマンティックス)の達人」......さまざまな表現で礼賛された。その博識ぶり、その魅力をもっと多くの人に知って欲しかった。

・21日(金)の夜、亡くなったが、その直前まで新宿のゴールデン街のバー「花の木」で親しい方々と呑んでいたらしい。別れて帰宅途中での出来事だった。丸の内線に乗るため、地下鉄の駅構内に入ったところで心臓発作に襲われたのである。駅員が通報してすぐに救急車で東京医大に運ばれたが、すでに手遅れだった。

・ここでは、宮崎正弘さんの「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成20年(2008217日(日曜日)通巻 第2087号から、「追悼文」を転載することをお許し願いたい。

((( 宮崎正弘さんの追悼文 )))
 昭和48年前後と記憶しますが、初めて正慶孝さんと出会った場面は加瀬英明氏主宰のなにかのパーティでした。平河町の北野アームズの十階で、やけに外国人が多かった。
 当時、『中央公論』の編集長は島村力さんで、銀座が好きな人で、のちに拓殖大学教授になった。島村さんとは韓国へ一緒に取材したこともあり正慶さんを交えて、そんな話をしたように記憶します。
 その後、正慶さんは中央公論のなかで、「WILL」(経済ビジネス中心の大型判。当時は中央公論が出していた。現在の花田紀凱氏主宰の『WILL』とは別)編集部に移動され、ほぼ毎月のように何かを書けと言われ、励んだものです。昭和56年前後のバブル時代には、よく経済の分析を寄稿しました。
 小生が当時書いたロボット革命の本や「資源戦争」に関して興味を惹いたようです。正慶さんは中央公論編集者の傍ら、哲学解説書の本を書かれ、その博覧強記にはいつも圧倒されましたが、ダニエル・ベルの翻訳と解説も正慶さんが遺した大きな仕事でしょう。(ダニエル・ベル著、正慶訳『二十世紀文化の散歩道』、1990年、ダイヤモンド社刊、同『21世紀の予感  現代の問題を未来の視点から読む』、ダイヤモンド社刊、91年)。あれはたしかホテルオークラでのポール・ボネのパーティのときに上記の分厚い本を頂きました。しかも当該書籍の半分が正慶さんの解説でしたっけ。
 その後、アカディミズムの世界へ転身、明星大学教授となられ、さて面白い本は何時出るのか、と期待していたところでした。最近の三、四年ほどは憂国忌にも皆出席。意外と三島ファンでもあった。近代思想を解説する正慶さんが、情念の世界にも通じているのは意外でした。維新の志士群像は誰でも知っていることですが、かれの博識は板垣退助、三島通庸ら自由民権運動の闘士たちにおよび、その出身地から学校、人脈など人生の軌跡にやたらと該博なことでした。作家の中村彰彦氏ら共通の友人と飲むと、この話でときに盛り上がる(と言うより宴席は荒れたりしました)。
 光文社時代の正慶氏と仲間だった高田清さんがなくなる前まで毎年やっていた"神楽坂忘年会"でも必ず正慶さんと同席、小生が「この人が、かの『歩くエンサイクロベディア、正慶ニカ』です」と参加者に紹介するとまんざらでもない表情でした。
 最後に飲んだのは、まさにその新宿ゴールデン街の名物バア「花の木」で、昨年師走、恒例の「自由」社の忘年会のあと、二次会に十数名の有志(勇士?)が繰り出し、カラオケ大会。それから正慶教授と二人で広田和子さん経営の『花の木』での「三次会」へ。そこで昔の芸術論などを酒の勢いで議論したものでした。 合掌     宮崎正弘

・上の写真は、118日(金)、正慶孝さん(右)とカヴァザンさん(左)を交え、次の企画のため打合せ中の模様。この後、2週間でお亡くなりになるとはあまりに切ないし、残念無念!

 

 

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●お通夜で。喪主の昭子さんを囲んでお二人のお嬢様。一番左に片倉芳和さん(早稲田大学雄弁会で正慶さんと弁論を鍛えた仲。現在は日本大学非常勤講師)、ピアニストの鈴木恭代さん(右から二人目)、斉藤勝義さん(右から三人目。片倉芳和さんは斉藤さんの義弟にあたる)、藤木健太郎君(右)、車椅子の僕。なお撮影者は、臼井雅観君。

 

 

 

 

 

 

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