加登屋のメモと写真…: 2007年4月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2007年4月アーカイブ

野見山暁治さん 正岡千年さん

清流出版 (2007年4月 1日 14:17)

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  • 本欄にも何度かご登場いただいた画家の野見山暁治さん(左)が来社された。刊行されたばかりの自著『アトリエ日記』にサインをし、友人・知人に献本する作業である。その作業を一生懸命に手伝ってくれたのがアシスタントの山口千里さん(右)。
  • 山口さんも野見山さんと同郷の福岡県のご出身。聖心女子大学を出て、国展、女流画家展を中心に活躍中で、伊藤廉記念賞、東京セントラル美術館油絵大賞、第2回ジャパン大賞、上野の森美術館大賞、国展奨励賞などを受賞した気鋭の画家で、現在、国画会会友。
  • この本は、生活の友社から発行の月刊誌『美術の窓』に現在も好評連載中の「アトリエ日記」に加筆修正したもの。連載はすでに4年目に入っているが、画家の身辺雑記的な日常は、日ごろ知りえないだけに興味深い。締め切りに追われ呻吟しながらの個展作品制作から、時には画廊・美術館・博物館巡り、私淑した椎名其二氏(注1)にまつわるパリの思い出、男友だち女友だちとの交流等々......が淡々と綴られている。かつて『一枚の絵』編集長として活躍した野本博君を虜にした連載である。僕も野見山さんの単行本を出したかったので大いに満足している。
  • その日の夕方、献本作業を終えたお二人と、わが社のメンバー(編集担当の野本君をはじめ、臼井君、藤木君、僕)とで、近くの小さな料理店「嘉門」で軽く打ち上げをした。それが文字通り素晴らしい小宴であった。一言では言えないが、野見山さんの話はエスプリに富み、かつ軽妙洒脱。一同、思い出に残る夕べとなった。
  • 僕が初めて野見山さんのお名前を知ったのは、大学1年生の時。逆算すると現在86歳になった野見山さんが38歳の頃。かれこれ半世紀近く前のことになる。それも僕が敬愛し生涯忘れえぬ孤高の人・椎名其二さんを通してだった。この椎名さんについては本欄に何回か書いたこともあるから、詳細は繰り返さない。第一、椎名さんのことになると、一冊の書物でも言い尽くせない。
  • 野見山さんは心の中で、「こんな時、椎名さんならどうするだろう?」と自分に問いかけることがあるとおっしゃったが、僕も同じである。人生の曲がり角や岐路に立たされた時、「椎名さんだったらどうするか」と考える。問いかける師がいて幸せだったと思うと同時に、亡き恩師の期待を裏切ることばかりの人生だった、との忸怩たる思いがある。
  • 野見山さんは『アトリエ日記』の中で、「その昔、椎名さんは早稲田でフランス文学を教えていたせいで、おおかたが都の西北。しかし今となっては門下生たち、殆どが椎名さんの年齢を超えている。」とお書きになっている。出会った時が73歳で、いま生きていれば120歳になる椎名さん。懐かしく思い出される。野見山さんの語る椎名さんの思い出話を聞いていると、まだご存命のような気がしてきた。椎名其二さん、野見山暁治さん(注2)――お二人との出会いが、僕の人生に彩りを添えてくれた。このことに感謝している。
  • ホームページの「おしらせ WHAT'S NEW」欄でも告知しているが、4月22日(日)の17時30分から、東京都千代田区神田錦町3-28の學士會館で、「野見山暁治さんと窪島誠一郎さんの出版記念対談の夕べ」を開催する予定だ。対談の他にも、NHKのチーフ・アナウンサー、青木裕子さんがお二人の本からさわりの部分を朗読する。また、天満敦子さんがヴァイオリン演奏をしてくださる。19時30分からの懇親会費用を含めて2,500円(税込)。ぜひ皆様のご参加をお願いしたい。
  • (注1)

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    椎名其二さんの風貌。写真が紛失し、コピーしか残っていない。演壇風景は早稲田大学フランス友の会に出席した折の一枚が残っていた。もう一枚の写真は早稲田の下宿で撮ったもの。

    (注2)

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    野見山暁治さんとツーショット。撮影者は長島秀吉さん、場所は長島葡萄房。長島君と僕は椎名さんのことになると、今でも夢中になる。

     

     

     

     

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  • 書家・水墨画家で「伝説の人」正岡千年さん(写真)。千年さんの語り下ろしの本を作ることになった。取材場所は千年さんの中学時代からの友人で「絵手紙の創始者」である小池邦夫さん(注3)の家。都合4日間にわたって行ない、足りなければ補足取材をすることになった。小池さんの家はわが家からも近く、野川を挟んで健常者であれば徒歩10分ほどの距離。そもそもこの企画は、小池さんの奥様である恭子さんが提案されたものだ。
  • 絵手紙に理解があり、小池さんとも面識がある佐竹茉莉子さんがライターを務めてくれる。佐竹さんのご母堂である作家・清川妙さんには、単行本執筆のほか、月刊「清流」に何回か連載していただいたことがあり、親子ともどもお世話になっている。この企画は僕も楽しみにしていただけに、現場に立ち合いたいとの思いがあった。幸い春分の日のこの日、小池さんのほうからのお招きで、第2回目の取材に立ち合わせていただいた。
  • 正岡さんと小池さんは共に愛媛県松山市の出身。僕より一歳若い昭和16年生まれ。正岡子規、河東碧梧桐など俳人の他、近くはノーベル文学賞作家・大江健三郎などを輩出した名門松山東高校を卒業後、小池さんは東京学芸大学の書道科、千年さんは青山学院大学法学部に進んでいる。
  • 学芸大学に入学した小池さんは、とまどいの連続だった。毎日毎日、中国古典の臨書ばかりだったのだ。そもそも学芸大学を目指した動機が「芸」の字が入っているから、芸術を教えてくれる大学だと思ったというからギャップは当然ある。書道の先生を養成する大学とは思ってもみなかったのだから。
  • その溜まりに溜まったうっぷんが千年さんに向かった。毎日のように、雨あられと手紙が届くようになる。東京学芸大学よりも社会から学ぼうと心に決めてからは、塾で国語講師のバイトをしながら偽学生として他大学の講義を聴講し、各種講演会にも通う。下宿に近かった明治、中央といった大学にもぐり込み、土門拳、岡本太郎、松本清張、亀井勝一郎、中村光夫、伊藤整など文学・芸術分野のみならず、三鬼陽之助、草柳大蔵など評論家の講演も数多く聞いている。土門拳の講演を聞いて感動した時は、百通を超える葉書の感想文が届いてさすがの千年さんも驚いたらしい。
  • 上京後、20歳から25歳にかけて受け取った葉書、手紙、絵手紙など約2,000通。それにしても膨大な量だ。単純計算でも1日1通以上出し続けたことになる。出した小池さんもすごいが、この手紙をすべてとって置く正岡さんもすごい。さらには『邦夫ノート』として編集し私家版としてこれを本にまとめている。いわば絵手紙の基礎づくりを正岡さんとの交流で築いたのである。
  • 後に小池さんは画家の中川一政さん、小説家の瀧井孝作さんの知遇を得る。瀧井さんが言った「手紙だって文学足りうる」の言葉が、その後の小池さんの進路を決めた。手紙書きとして生きようと心に決めたのである。その間、小池さんは34歳の時、季刊『銀花』へ1年間で6万枚描くという快挙も達成する。1日200枚の絵手紙である。精神的にも肉体的にも苦労の1年だったという。小池さんについては臼井君がわが社に入る前、『絵手紙を創った男』(あすか書房刊)で、246ページの力作を書いている。同君は、今はわが社の出版部長で活躍中のことは言うまでもない。
  • 結局、正岡さんも司法試験の道を断念し、芸術の分野に惹かれていった。書の世界に関しては共通の友として励ましあい、高価な道具を譲りあう間柄となっている。この日も、友情の熱さを感じさせるエピソードが語られた。傍から見ても信頼の絆が感じ取れた。
  • この日の取材は8時間ほど。しかし、それほど時間が経ったようには感じられなかった。いろいろ話題が出たが、単行本になる際まで極秘にしておきたい。まとめ役のライター・佐竹茉莉子さんの筆に期待しよう。ここでは、正岡さんの硯についての見識を少し述べることにする。
  • 机の硯(注4)を見てほしい。正岡さんの前には小池さん所蔵の硯が机いっぱいに並べられている。正岡さんによると、全部、名品揃いだという。そもそも端渓硯は美の象徴と言われ、中国の明代ころまでは、高貴な人はただ硯を磨るのが高尚な趣味だったという。後にもったいないからと、書や水墨画へと派生していったが、もともとは硯と水が主役だった。小池さんの硯はいずれも、バブルの頃はかなりな値が付いたものと思われるという。硯に水をつけるとさらに良さが分かる。水をつけて置いたら、薄く緑の線が浮いてきたが、これは翡翠の色だという。いい硯は半永久的に減らないそうだ。その一つの硯は、中川一政さんが所有していたものが、中央公論社長だった嶋中鵬二さんに渡り、それから小池さんのものとなった。いい硯はその箱書き等で来歴が知れるのである。中国・明の時代に掘り出された岩盤が端渓の硯として命を吹き込まれ、小池さんの所有に至った経緯は、たどれば、映画『レッド・ヴァイオリン』のような数奇な変遷が予想され、興味が尽きない。
  • 正岡さんは実践的な書の修行者である。理論的にも裏打ちされており、語り口は明解。中国と日本の歴史、文学にも通じている。いわばマクロの視点と硯、筆、墨のミクロの世界に通じていらっしゃる。書家・石川九楊さんとは別の意味で、久しぶりに真贋を見抜く目を持った方を目の当たりにして興奮する一日だった。
  • (注3)

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    絵手紙の創始者・小池邦夫さんと奥様の恭子さん。


    (注4)

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    正岡さんの前にある小池さん所蔵の硯は、いづれも名品揃い。明朝の端渓硯 は、かるく水を含ませた紙で擦ると白くなる。硯を何時間も磨るのが本来、究極の趣味だったという。

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