加登屋のメモと写真…: 2006年9月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2006年9月アーカイブ

金子人見さん 藤森武さん 林立人さんほか

清流出版 (2006年9月 1日 10:55)

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 イラストレーターのくすはら順子さん(左)が、鹿島建設?の建築設計部建築設計グループ副部長の金子人見さん(右)を伴って来社された。くすはらさんが事務所を置くビルの所有者と金子さんが友人ということで知り合ったのだという。
 くすはらさんは、わが社で単行本の装画(岸本葉子+渡辺葉の共著『葉と葉子のふたりごと』
、石丸晶子著『百花繚乱 江戸を生きた女たち』)や、本文中の挿し絵(エリザベス・コーツワース著『極楽にいった猫』)をはじめ、月刊『清流』のイラスト等で活躍していらっしゃる。日本児童出版美術家連盟会員であるくすはらさんのイラストは、独特なユーモア溢れる作風で、僕も大変気に入っている。
 目下、『清流』に連載中の作品などは金田一秀穂さんの本文も素晴らしいが、くすはらさんのイラストも秀逸で、毎回笑いを誘われる。デフォルメされた人物を墨の濃淡を使ってダイナミックに表現している。こういう作品を生み出すのも才能だと思う。近年は、イラストに本の装丁、CDジャケット、紙粘土造形、壁画......と何かとお忙しい。
 金子人見さんは団塊世代。肩書きでお分かりになるように建築設計の専門家だが、実に多趣味である。お持ちいただいた原稿を見せてもらったが、人文、科学、哲学まで幅広い学究型の人である。「ターニング・ポイント」というエッセイがあった。その中に金子さんが車を手放すくだりがある。その理由に共感を覚えた。生活のゆとりを見出そうとしたこともあるが、何より事故を起こすことで相手の方や自分の周りの人の人生を台無しにしたくなかったからと金子さんは書いている。手放したとき、安堵感が体の隅々まで染み渡ったそうだ。その他のメリットとして、電車で考え事をする時間が生まれ、歩くことの快感を知り、煩わしい維持管理も不要になった由。排気ガスや資源の浪費などまで入れたら、一石四鳥、五鳥にもなると結論づけている。これを読んだだけでも、金子さんの地球の未来を憂える温かい心情が漂ってくる。清流出版にふさわしいエッセイ集となるはずだ。くすはらさんの装画、イラスト入りで、刊行に向け前向きに検討することにした。

 

 

 

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 写真家の藤森武さん(写真)が、来社された。藤森さんは、日本を代表する写真家土門拳に早くから師事、全国各地の仏像や寺院のほか、勅使河原蒼風、熊谷守一といった芸術家、芹沢銈介のコレクションや白洲正子の蒐集品等を撮り続けてきた方でも知られる。東京写真短期大学(現東京工芸大学)を卒業、凸版印刷写真部を経て、フリーランサーとなる。現在、日本写真家協会会員、土門拳記念館理事・学芸員を務めている。
 藤森さんの作品だが、単独写真集としては『ござる――狂言師野村万作の芸』(講談社刊)、『日本の観音像』(小学館刊)、『独楽――熊谷守一の世界』(世界文化社刊)などがある。また本文は他人、写真撮影が藤森さんの組み合わせで数々のコラボレーション企画がある。そのなかでも、田中恵さんとの『隠れた仏たち』シリーズ(東京美術刊)が有名だ。『里の仏』『華の仏』『神と仏』『山の仏』『海の仏』の全5巻だが、どの刊をとっても素晴らしい出来栄え。田中恵さんの文章と藤森さんの写真は、日本各地の知られざる仏像の傑作を通して日本人の忘れていた世界、各地に安置された美しい仏たちが勢揃いするような気持ちにさせる。
 白洲正子さんとの『花日記』『器つれづれ』、宇野千代さんとの『きもの日和』(いずれも世界文化社刊)、藤井健三さんとの『銘仙――大正昭和のおしゃれ着物』(平凡社刊)なども心に響いた。その他、「藤森ワールド」には魅せられた作品が多い。師である土門拳を記録した『土門拳骨董の美学』(平凡社刊)は、僕の気に入った一冊だ。この土門拳については、話が弾んだ。
 土門拳が脳出血になったことは、同病の僕にとっては大いに関心があるところ。藤森さんの話を聞くと、とても真似できないなという気持ちになった。土門拳は51歳の時、脳出血で倒れるが、その後も大型カメラによる古寺撮影を続け数々の名作品を残している。再び脳出血で右半身不随となるが、左手で画を描くなどリハビリに励み、車椅子で弟子に指示しながら精力的に撮影を行った。70歳から晩年の11年間は、寝たきり状態となり覚醒することなく81歳で亡くなった。凄まじいプロ魂で生涯を終えた師を間近にして、弟子としてはいやが上にも写真道への精進を誓ったに違いない。
 この日、藤森武さんから興味あるテーマをいくつか提案された。ここでは明かすことはできないが、ことごとく賛成したい企画であった。

 

 

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 中川典子さんは、京都生まれの京都育ち。大阪藝術大学を卒業されて、編集者として裏千家の機関紙『淡交』『なごみ』などを刊行している淡交社に勤めていた。京菓子を担当した後、季刊誌『淡交別冊』の編集部に7年間勤務している。出版部の臼井君とはその編集者時代に知り合ったという。弊社刊行の太田治子さんの著になる『空の上のお星さま』に『淡交別冊』に掲載された文章を所収させていただいたことが縁である。
 中川さんは編集者として数々の単行本ヒット作を仕掛け、会社側からは慰留されたようだが、木のやさしさ、木のぬくもり、木の美しさに魅せられ、退社することになる。ヒノキ、スギ、マツ、ブナ、トチ、ケヤキ、カリン......、木の種類は多い。その名前と材質を覚えるだけでも大変だ。その上、同じ木でも育った場所や気候風土によって固さや性質などが違ってくる。木の性質を100%生かすための「木取り」など一生勉強だという。
 そこで中川さんは、編集者時代の伝手を頼って、岐阜県、奈良県吉野で修業をしている。現在、家業の銘木業・酢屋(屋号・千年銘木商会)に戻って見習い中である。この酢屋だが創業以来280年になるという老舗である。森鴎外の小説にもある高瀬川の運搬許可を持つ銘木商で、六代目酢屋嘉兵衛の折、坂本龍馬を匿った店として知られる。司馬遼太郎著『竜馬がゆく』の第8巻に登場し、海援隊京都本部が置かれていた場所だという。
 さて、木の話に戻すが、さすがに床の間や床柱くらいは知っている人もいるだろうが、鴨居、長押、欄間などといわれて、分からない人のほうが多いだろう。中川さんはこの時代の風潮に逆行し、なんとか木の魅力を知って欲しいとのコンセプトから、さまざまな試みをしてきている。「京都新聞」に1年以上にわたって連載された「木林学ことはじめ」、現在『家庭画報』に連載中の「木のことば」などその一環である。
 また、中川さんは淡交社勤務の頃、京菓子を担当した下地もあって和菓子の普及にも一役買っている。各地でイベントを催して、和菓子の魅力を知ってもらおうとの目論みだ。茶道と茶室、和菓子と木との関わりも考えてみれば関係が深い。日本の伝統に息づく精神は、和菓子も銘木も同じである。
 中川さんから「男の暮らしに銘木を」と題した単行本の企画提案をされた。木のやさしさ、木のぬくもり、木の美しさを知ってもらうための企画である。酢屋の天然銘木で作ったブックエンドや小皿、衝立、椅子などを文章で説明するとともに写真掲載するものだ。床の間製作、古家具や古建具、古家具の修理、町家改修なども手掛けている酢屋のことである。微調整は必要だが、面白い本ができそうな気がする。

 

 

 

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  詩人の林立人(はやし・たつんど)さん(右)が来社された。日本現代詩人会前・理事、日本文芸家協会会員、第52回H氏賞選考委員長(2002年度)等を務める文学界の隠れた至宝である。僕とは実に36年ぶりの再会であった。話は古くなるが、僕が29歳の時、社命からフランスで刊行されている『Realites』という月刊誌の日本語版『レアリテ』を出すことになった。林さんには、その日本語版の表紙から本文、奥付に至るまで、デザイン&レイアウトを担当していただいた。
 当時、林さんはデザイナーとして有名な方で、かつ新進気鋭の詩人でもあった。僕は詩人に「狂気のエレガンス」を編集ポリシーとしているから、それを念頭にデザインしてほしいと伝えた。詩人は無理な注文にもかかわらず、その言葉を信じ、割の合わぬデザインの仕事を快く引き受けてくれた。それから間もなく、林立人詩集『ツエツペリン』(詩学社刊)を上梓された。若かりし僕は、詩人の感性の閃きに魅せられたことを昨日のことのように覚えている。
『レアリテ』は僕をはじめ、藤平(後に工藤)庸子さん、嶋中行雄君、川鍋宏之君等の編集陣に混じり、アルバイトで日大藝術学部4年生・野本博君が参加していた。今回、林さんと再会なったのは、野本君が林さんの実妹(田代美代子さん)から辿って、やっと現住所を突き止めてくれたことによる。
 その田代美代子さんは、なんと月刊『清流』の昨年5月号「この人に会いたくて」欄にすでにご登場いただいていた。シャンソン歌手としてデビュー後、和田弘とマヒナスターズと組んで「愛して愛して愛しちゃったのよ」を大ヒットさせた田代さんだが、いまは子どもたちのために「寺子屋」を広めたいとの願いで、ユネスコ世界寺子屋運動を支援する実に奇特な方である。
 林さんは、6年前から大都会の喧騒を逃れ、山梨県の北杜市北巨摩郡明野村で暮らしている。甲府生まれの日本画家・野田修一郎さんが明野村に仕事場を構えたのがそもそものきっかけ。野田さんは1993年にお亡くなりになったが、林さんの生活は、今も野田さんとの交友の面影が色濃く残っているようだ。
 今回いただいた林さんの詩集『モリ』(花神社刊)は、序詩の部分で「背に<詩>と記された薄い本を書棚から抜いた intrare Mori<モリへ>とあるからモリへ向かう......mement Mori〈死を想え〉羅甸まがいの念仏が聞こえたような」という文章から始まっている。後記にも、「......老人の薀蓄が、耳のなかを、繰り返し素通りするうちに、突然、読み終えたばかりの、ホイジンガの『中世の秋』で語られた、中世ヨーロッパ人たちの、思想のひとつの背景となるラテン語〈mement Mori〉が脈絡もなく頭の中で鳴りだし、ぼくを混乱させた。......」とある。格調高い詩である。
 林さんも触れておられるが、歴史家として名をなす以前、サンスクリットに通暁、インド学者だったホイジンガが基調にあることが分かる。林さんは、その詩集に『林立人 詩《モリ》を読む』のCDを作製して付けている。朗読は自ら行ない、作曲とチェロが山本護さん(本職は牧師さん)、ピアノ演奏が竹内亜紀さん(故・元キネマ旬報社社長の令嬢)の伴奏の素晴らしい演奏付きだ。いまも、毎日のように聞いているが、僕のお気に入りCDである。
 林さんは、2006年1月26日付け「山梨日日新聞」に、中国の詩人・陶淵明、『方丈記』の作者・鴨長明、アメリカの随筆家で『ウォールデン――森の生活』の著者、ヘンリー・D・ソローの3人の名前をあげ、24歳で山梨の四尾連湖畔に素朴な小屋を建て、独居の隠棲生活を続けた詩人・求道家である「野沢一(はじめ)」について語っている。このことが、取りも直さず「森の詩人」である林立人のスタンスを物語っているようで頷ける。
 やっと再会叶った尊敬する詩人に、僕は大いに期待している。まずは月刊『清流』で、風雪の鑿で彫り上げた風貌をご覧いただく。そして読書の楽しみと森の思想について語ってもらいたい。この世俗に染まらない哲学者のような詩人の書く言葉を、単行本に纏めて読者に提供できれば本望だと思っている。

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