高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2013年8月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2013年8月アーカイブ

〈元祖オタク〉のシナリオライター、山崎忠昭について

 先日、どこかのソフトメーカーから、突然、昔のテレビアニメをDVD化するので脚本を手がけた山崎忠昭さんの著作権継承者を教えてほしいという電話があった。

 

 なぜ、そのような問い合わせがくるのだろうといぶかしく思ったが、すぐに、六年前、私が山崎忠昭さんの遺稿集『日活アクション無頼帖』(ワイズ出版)を編集したせいだと得心がいった。

 

『日活アクション無頼帖』は、一九八三年から八六年にかけて『月刊イメージフォーラム』に、山崎忠昭さんが連載していたメモワールである。ホン読みというシステム、プロットライターという職能に関するひねりのきいた考察があり、鈴木清順の『野獣の青春』や中平康の『危いことなら銭になる』など、山崎さんがシナリオを手がけた傑作の製作秘話が語られ、そして不遇時代の虫明亜呂無や長谷部安春、神代辰巳、佐藤重臣ほか映画人たちの爆笑エピソードが次々に披瀝される。まさに、日活無国籍アクションを中心とした六〇年代カルチュア・グラフィティとしても出色の面白さである。

 

 山崎忠昭さんは、六〇年代後半には映画界を離れ、テレビアニメの世界で活躍するようになるが、私はその方面にはまったく不案内なため、この遺稿集のために、テレビアニメのシナリオで共作することが多かった雪室俊一さんにインタビューをした。

 雪室俊一さんは、山崎さんの独特の作風を次のように分析している。 

「たとえば、『ルパン三世』もそうだけど、非日常の世界を書かせたら、山崎さんは冴えるんですよ。だから逆にホームドラマみたいなのは苦手で、書けないんですよ。……中略……山崎さんは原作を換骨奪胎するのがうまいんですよ。(『ムーミン』で)「無駄じゃ、無駄じゃ」なんて言っているジャコウネズミとか渡り鳥のようなスナフキンとか、ノンノンの兄貴のエリート、スノークとか、ああいう面白いキャラクターは、全部、山崎さんがつくったんですよ。だって、原作を読んだら、たんなるのどかな話で、ほんとにつまんないんでびっくりしましたもの。……山崎さんはお母さんとふたりだけの母子家庭だったとは微塵も思わせない、日常とは超越した世界を構築していたと思いますね。」

 

雪室さんは、山崎さんが、途中で『ウィークエンダー』やワイドショーの構成のほうに寄り道し、テレビ局は世代交代が激しいために、アニメの世界に戻った時にはもはや浦島太郎状態になってしまっていたと語っていたが、その指摘は正しいだろう。

 

山崎忠昭さんは、早稲田大学文学部演劇科を卒業しているが、卒論のテーマは「一九五〇年代のアメリカSF小説」というユニークなものだった。いわば〈元祖オタク〉というべきか。当時、翻訳もされていなかったロバート・A・ハインラインやフレドリック・ブラウン、レイ・ブラッドベリ、シオドア・スタージョンなどのペーパーバックを神保町の古本屋で大量に買いあさっていたと嬉しそうに語っていたのを憶えているが、恐らく、その卒論は担当の大学教授にはまったく理解不能だったのではないかと思われる。

 

山崎さんの奇想に満ちたアモラルな感覚については、さまざまな逸話が残されている。たとえば、『テレビの黄金時代』で、小林信彦さんは次のように書いている。

「山崎忠昭は奇妙なギャグを考える才能があり、のちに小川英と共同で小林旭映画の脚本を書いたが、コワいところもあった。日活でお盆映画を企画したとき、原爆の被害者の亡霊ものを考え、ぼつになった。「それはまずいでしょう」とぼくが言うと、「まずいですかねえ?」 彼は納得しない。コワいというのはそういう瞬間であり、おおむねは内向的な、静かな人物であった。」

 

日本テレビの敏腕プロデューサーであった山口剛さんも山崎さんに興味を抱き、藤竜也主演のアクションドラマ『プロハンター』で、ホンを依頼し、プロットを提出してもらった時のエピソードを、『ジャズ批評』七月号「日本映画とジャズ」特集のインタビューで次のように語っている。

「ひとつは、鎌倉の奥に巨大生物を作っている秘密工場があって象のように大きなネズミと戦う奇想天外な話(笑)。もうひとつは、血統書つきの名犬がどんどん失踪する事件で、それはナチスの残党が自分たちの犬の価値を高めようとしている陰謀で、鎌倉の奥に巨大な犬の収容所があるって話(笑)。カメラが引けども引けども、何万頭の犬の収容されたアウシュビッツが延々と続いているんです。たしかに話は面白いんだけど、「とても実現不可能です」って言ったら、「ちょっとトイレに行ってくる」って言ってそれっきり帰って来なくなっちゃって(笑)。」

 

たしかに、山崎忠昭さんの書くものには、どこかモラルのタガがはずれた刺すような〈毒〉と〈狂気〉が宿っていたような気がする。

日本テレビの伝説的なプロデューサー井原高忠がつくったバラエティ番組『九ちゃん!』に集まった三人の作家が、その後、朝日ソノラマからジュブナイルものをそれぞれ発表する。小林信彦の『オヨヨ島の冒険』、井上ひさしの『ブンとフン』、そして山崎忠昭の『悪魔がねらっている』である。小林、井上両氏は、この作品によって本格的に小説の世界に進出し、大きな飛躍を遂げることになる。

いっぽう、山崎さんの『悪魔がねらっている』は、当時、井上ひさしさんが絶賛したと言われるが、あまり話題にはならなかったようだ。澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』と『秘密結社の手帖』にインスパイされたオカルト風の恐怖小説で、巧みなストーリーテリングは、『悪を呼ぶ少年』などトマス・トライオンの一連の作品を彷彿させるものがあった。『悪魔がねらっている』は、数年前、まんだらけの店頭で、法外な価格が付けられていたのを見かけたことがある。

 

山崎忠昭さんは、晩年、テレビの仕事もなくなり、時おり、幻聴に悩まされるらしく意味不明の電話がかかって来ることが多くなった。私は、ときどき、会っては、一緒に酒を飲み、励ますことぐらいしかできなかった。 

あれは、亡くなる数年前だったろうか、地下鉄サリン事件が起こり、オウム真理教の幹部が一斉に検挙された時期に、久々に山崎さんに会ったら、事件にまつわる参考試写で岡本喜八監督の『殺人狂時代』を見た公安の人間が、こういうホンを書いた人物を不審に思ったらしく、突然、会いにやってきたと語っていた。

その時に、「こんなものを書いてみたので、読んでみてくれませんか」と、B5判の用紙にワープロで打たれた小説を手渡された。

 

題名は『ルミよ 祈りて 闇なる邪悪を祓え』とある。

美少女ヒロイン、ルミが、ある日、突然、超能力を授かり、真言密教を武器に、巨大な悪と闘うという荒唐無稽なサイキック・アドベンチャー小説である。スティーブン・キングの『ファイアー・スターター』と『風の谷のナウシカ』をブレンドさせたようなフシギな味わいがある。

とくに大島渚監督の『少年』を思わせる、ヤクザな義父によって当たり屋をやらされている薄倖のヒロイン、ルミの哀切極まりない描写が強く印象に残る。

オウムを思わせる邪悪な新興宗教組織が登場したり、『家畜人ヤプー』ばりの奇天烈で残虐なSMの描写があったり、まったく飽かせない語り口は、山崎忠昭の卓越した手腕をうかがわせるに充分である。

このグロテスクでイノセントなダークファンタジーは私の手許に残されている。どこか奇特な出版社が、この異能の作家、山崎忠昭の幻の小説を世に出してくれないだろうか。


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山崎忠昭著『日活アクション無頼帖』(ワイズ出版)

 

悪魔が狙って.jpg

山崎忠昭著『悪魔がねらっている』(朝日ソノラマ)

和田誠 または寛大なるイロニスト 

最近、私が編集した『ジャズ批評』七月号の「日本映画とジャズ」特集で、和田誠さんにジャズピアニスト・作曲家の八木正生についての追想ふうなエッセイを書いてもらった。故人への真正な尊敬の気持ちが伝わってくる見事な一文で、あらためて和田誠という稀有なマルチ的な才能をめぐって思いをはせた。

 

和田誠さんには、本業のイラストレーター以外に、エッセイストとしても名著がたくさんある。私の好みではジャズのスタンダード・ナンバーの魅力を綴った『いつか聴いた歌』(文春文庫)がトップに来るが、『ビギン・ザ・ビギン―日本ショウビジネス楽屋口―』(文春文庫)もすばらしい。  

そして、もちろん映画の名セリフを介したエッセイ集『お楽しみはこれからだ』(文藝春秋)全七冊があり、山田宏一さんとの無類に楽しい対談集『たかが映画じゃないか』(文藝春秋)、『ヒッチコックに進路を取れ』(草思社)と枚挙にいとまがない。

 

 私が初めて買った和田誠の本は、一九七三年に出た『PEOPLE 和田誠肖像画集』(美術出版社)である。草森紳一が、当時、この画集を丸ごと論じた「寛大なるイロニー」というエッセイで、「『PEOPLE』は私の宝ものである」と絶賛していたが、私も未だに手許においてあり、時々、ページをめくると得も言われぬ至福感に包まれる。

  

 巻頭に横尾忠則の「和田誠の似顔絵について」というエッセイが収められているが、これは、今、読んでももっとも優れた和田誠論のひとつだろう。

 横尾忠則は、神戸新聞社にデザイナーの卵として勤めていた一九五七年に、和田誠が『夜のマグリット』と題するイヴ・モンタンの似顔絵をあしらった映画ポスターで、日宣美賞を受賞したことに大変なショックをうけたと告白している。

「こうして和田君は今日、ついに自らの手で、グラフィック・デザインの世界に庶民性とアイロニイとエンターテインメントというデザインにとって重要な要素をうえつけた。……中略……また和田君は自らの趣味という、非常に個人的で没社会的な領域を縦に掘り下げながら、いつのまにか横の社会と大きなパイプで結合させてしまった。」

 

 さらに、横尾忠則は次のように書いている。

「和田君はアングラやアバンギャルドなる芸術が大嫌いである。まあこうした運動は非常に自己主張的であり、時には暴力的なコミュニケーションの方法をとる。しかしこうした暴力的な表現の背景には性や死のイメージにささえられた、人間の生々しい欲望が露出した狂気の世界があるが、ぼくは最近こうした不安な芸術がなんともいやになってきた。……このことはぼく自身がマイナスの不安の想念にささえられている証拠でもある。こんなとき和田君の人間愛に満ちた似顔絵などをみるとぼくは本当にほっとするのである。」

 

 アングラとサイケデリックの時代を象徴する存在だった横尾忠則が、自分と対極にある和田誠の個性を鮮やかに洞察したエッセイだと思うが、いくつか気になる指摘もある。たとえば、和田誠は、ほんとうにアヴァンギャルドが嫌いだったのだろうか。 

 

 ひとつ、思い出したエピソードがある。

 一九八四年の秋、私が編集していた『月刊イメージフォーラム』で、和田誠さんが最初に監督した劇映画『麻雀放浪記』をめぐって、一緒に脚本を書いた澤井信一郎監督と対談してもらったことがある。場所は、当時、澤井さんが『Wの悲劇』を撮影していた東映の大泉撮影所近くの小料理屋だった。 

その前年に二号にわたって『天城越え』をめぐる三村晴彦監督と澤井信一郎監督の徹底討議が載ったことがあり、この時の舌鋒鋭い澤井監督の論客ぶりはすさまじいものだった。和田誠さんもそれを読んでいたので、ある程度、覚悟はしていたようだ。とにかく、澤井さんは具体的なディテールをめぐって鋭い突っ込みを入れてくるので、司会の私も思わず手に汗を握るような白熱した対話となった。とくに和田さんの演出について、カット割りはうまいが、割ったカットの中の充実度が足りないという指摘には、和田さんもかなり応えた感じであった。 

その帰り、ぐったりと疲れて、和田誠さんと西武池袋線に乗っている時に、私は、ふいに「『麻雀放浪記』のラスト近く、バクチ打ちの出目徳(高品格)の死体が水たまりに転げ落ちるシーンを見て、ルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』を思い出しました」と呟いた。

すると、和田さんはちょっと驚いたような顔をして、「実はね、まだ、これは山田宏一にも言っていないんだけど、あのシーンを原稿用紙に書いている時に、突然、中学生の時に見た『忘れられた人々』の不良少年の死体がごみ溜めに落ちていくシーンを思い浮かべたんだよ。僕とブニュエルって、みんな、意外に思うだろうけどね」と話してくれた。私が、密かにわが意を得たりと思ったのはいうまでもない。

 

しかし、たしかに、心優しいユーモリスト風な和田誠のイメージと〈魔と残酷の発想〉に憑りつかれた過激なシュルレアリスト、ルイス・ブニュエルとは、一見、結びつかないような気もする。

その十年後、『怖がる人々』がビデオ化された際に、今度は編集長をやっていたビデオ業界誌『A?ストア』で、ひさびさに和田誠さんにインタビューをする機会があった。

その時に、和田さんが何気ない雑談のさなか、「僕が、一番好きな評論家というのはねえ」と言いだした。

私はそれまで、和田誠さんのエッセイ集をかなり読んでいたので、恐らく、植草甚一か、双葉十三郎、野口久光、あるいは淀川長治あたりだろうと想像していた。しかし、和田さんが口にしたのは、まったく意外な名前だった。

「花田清輝なんだよ」

 

思えば、日本で、ルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』を最初にもっとも高く評価したのは花田清輝であった。花田清輝がもっとも充実した時期に上梓した『大衆のエネルギー』や『映画的思考』には、その批評が載っているし、若き日の和田誠が読んでいたことは、当然、考えられるのだ。

 

和田誠さんは、もっとも匿名性の強いポピュラー・カルチャーである映画のポスターで初めて日宣美賞を獲り、一九六〇年代には、武満徹や寺山修司、八木正生らと映画音楽を一緒につくり、『話の特集』の斬新なレイアウトでクラス・マガジンの黄金時代を切り開いた。さまざまなジャンルを軽々と越境し、八面六臂の活躍を続ける和田誠とは、もしかしたら、かつて花田清輝が提唱した大衆芸術としての『アヴァンギャルド芸術』をもっとも理想的な形で体現した芸術家ではなかろうか。

 

そういえば前述のエッセイで、草森紳一が『PEOPLE』でもっとも気に入った作品は、眼光鋭いルイス・ブニュエルを描いた肖像画であった。なるほど「寛大なるイロニー」とは、和田誠のクールな作風を形容するにもっともふさわしい。

 

 

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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