高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2012年9月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2012年9月アーカイブ

『ライク・サムワン・イン・ラブ』を見て、J・V・ヒューゼンを想う

イラン映画の名匠アッバス・キアロスタミが日本を舞台に撮った新作『ライク・サムワン・イン・ラブ』という題名を聞けば、ジャズ・ファンなら、すぐさま、ジョニー・バークの作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲した同名のスタンダード・ナンバーを思い起こすだろう。

映画の中では、もと大学教授のタカシ(奥野匡)が、デリヘル嬢の女子大生明子(高梨臨)を自宅に呼んだ際に、レコードをかけるシーンで、デューク・エリントンの「ソリチュード」に続いて、エラ・フィッツジェラルドの名唱ともいうべき「ライク・サムワン・イン・ラブ」が聴こえてくる。

 

映画では意表を突くラストシーンに、ふたたびこの曲が流れるのだが、エラのスローなバラードは、不意打ちを食らって呆然とする観客をやさしく慰撫するような、不思議な鎮静作用があり、あらためて、スタンダード・ナンバーの偉大さに思いをはせることになる。

  

ジミー・ヴァン・ヒューゼンは、アーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュインのような二十世紀を代表する巨人ではないが、以前、このコラムで取り上げたジョニー・マーサーと同様、アメリカのポピュラー音楽の歴史には欠かせない名ソング・ライターである。

 

 黄金期のハリウッド映画と深い関わりがある点でも、ジョニー・マーサーとJ・V・ヒューゼンはとても似ている。

「ライク・サムワン・イン・ラブ」も、もともと『ユーコンの美女』(44)という日本未公開の西部劇の中で、ダイナ・ショアが歌って大ヒットした曲である。

J・V・ヒューゼンは、フランク・シナトラとは、彼の無名時代からの大親友で、トミー・ドーシー楽団の座付き歌手だった若き日のシナトラが歌った「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス」などは、ジャズ・シンガーが必ずレパートリーに加える不朽の名曲といってよい。

 

『珍道中』シリーズをはじめパラマウントでビング・クロスビーが主演した映画にも数多くの佳曲を書いており、『我が道を往く』(44)の中の「星にスイング」は、アカデミー主題歌賞を受賞している。その後も、作詞家のサミー・カーンとのコンビで、フランク・シナトラが劇中で歌った『抱擁』(57)の「オール・ザ・ウェイ」、『波も涙も暖かい』(59)の「ハイ・ホープス」はオスカーを受賞している。六〇年代に入っても、『パパは王様』(63)の「コール・ミー・イレスポンシブル」と、トータルで四度もアカデミー主題歌賞を受賞した作曲家は、もしかしたら、J・V・ヒューゼンだけかもしれない。

 

そして、「ライク・サムワン・イン・ラブ」「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス」と並んで、私がもっとも好きなジミー・ヴァン・ヒューゼンの名曲に「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」がある。

「夢の残滓だけでもとっておくべきだった。恋がこんなに冷たい雨の日に変わってしまうなんて……」というジョニー・バークの詞がなんとも切ないトーチ・ソングの代表作である。

 

私は、これまで「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」を、ローリンド・アルメイダとのデュオによるサミー・デイヴィス・ジュニアの軽妙洒脱なヴォーカル、アン・バートンの絶唱、そして名盤『フライト・トゥ・デンマーク』に収められた、デューク・ジョーダンのしっとりしたピアノトリオなどで愛聴してきたが、このナンバーが生まれたのは、一九五三年初演のブロードウェイ・ミュージカル『フランドルの謝肉祭』である。

 

『フランドルの謝肉祭』は、フランソワ・ロゼー主演、シャルル・スパーク脚本、ジャック・フェデール監督の往年のフランス映画『女だけの都』(35)を翻案したミュージカルで、台本・演出を手がけたのは、なんとあの天才喜劇映画監督プレストン・スタージェスなのだ。

 

一九五三年といえば、プレストン・スタージェスは、もはや奇跡と呼ばれた栄光のパラマウント時代をとうに過ぎて、二十世紀フォックスで『殺人幻想曲』(48)、『バシュフル・ベンドのブロンド美人』(49)を撮ったものの、タイクーン、ダリル・D・ザナックから興行的に失敗作とみなされ、契約も更新されず、長く苦しい失意の日々を送っていた時期だった。

 

厳密には、プレストン・スタージェスは、プロデューサーからジョージ・オッペンハイマーとハーバート・フィールズの台本の改訂を依頼され、演出も引き継いだだけだったようだが、この『フランドルの謝肉祭』という舞台がアメリカでのスタージェスのほぼ最後の仕事であるのは間違いない。

 

主演のドロレス・グレイは、当時のスタージェスを「優雅だけれど独裁的だった」と次のように回想している。

「彼は舞台の仕事から長らく遠ざかっていたせいか、私たちにどう動いてほしいのかまったく判っていませんでしたね。……彼は絶えず新しいページを私たちに持ってきて、ずっと台本を書き直していたわけですけれど、私たちみんなに対してどんどん専制的になることで、ご自分の恐怖心を隠していたようです」

 

 しかし、プレストン・スタージェスの懸命な直しは効を奏さず、この『フランドルの謝肉祭』は、わずか四日間で打ち切られてしまう。一方で、主演のドロレス・グレイは、この舞台でトニー賞の主演女優賞を受賞し、彼女が舞台で歌った挿入歌「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」は、永遠のスタンダード・ナンバーとして今なお歌い継がれている。

 

ドロレス・グレイは、一九四六年、『アニーよ銃をとれ』のロンドン公演で主役を演じ、帰国後、この舞台に出演したのだが、以後、МGMと契約、スタンリー・ドーネンの『いつも上天気』(55)で映画デビューを飾り、さらに、ヴィンセント・ミネリの『バラの肌着』(57)にも出演し、本格的な女優になっていくのである。

女優の魅力を最大限に引き出す名人であったプレストン・スタージェスは、生涯、最後にこの<呪われた舞台>でドロレス・グレイという女優を誕生させたといってよいかもしれない。

舞台で彼女が歌った「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」は残念ながらレコード化された形跡はない。そのかわり、五六年に録音した『ウォーム・ブランディ』というバラード中心のアルバムが残されている。ドロレス・グレイはジュリー・ロンドンをさらに甘くしたようなエロティックなハスキー・ヴォイスで、夜中に聴いていると病みつきになりそうな魅力がある。

私は、時々、この悩ましいバラード集を聴きながら、プレストン・スタージェスの数奇な運命を想ったりしている。

 

 

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ドロレス・グレイの悩殺的なアルバム『ウォーム・ブランディ』

周防正行とユニット・ファイブの時代

 先日、雑誌『清流』のために、新作『終(つい)の信託』を撮った周防正行監督にインタビューをしてきた。

『終の信託』は、終末医療の現場で一人の女医の決断が引き起こす事件の顚末を描いた作品で、これまでの明るい大衆的なエンターテインメントを志向してきた彼の映画とは異なり、まるでポーランドのキェシロフスキを思わせる渋く沈鬱なダークなトーンの画面が印象的で、ヒロインを演じた草刈民代のハードなベッドシーンまであるのには驚いた。

 

 思えば、周防さんが、こういう<濡れ場>を撮ったのは、デビュー作『変態家族・兄貴の嫁さん』(84)以来ではないだろうか。

 周防さんも、その話題に触れると、「なんだか撮り方を忘れちゃって」などど苦笑していたが、そういえば、私が最初に周防監督にインタビューしたのは、もはや、三十年近く前のことになる。 

 

 周防正行監督の『変態家族・兄貴の嫁さん』は、全編のカットが小津安二郎の映画へのオマージュに終始するという恐るべき大胆不敵なピンク映画で、初号試写を見た蓮實重彦さんが、当時、『話の特集』で連載していた「シネマの扇動装置」で大絶賛したことから、その名前が一挙に映画ファンの間で広まったことはよく知られている。

 

 当時、私も、早速、新宿の歌舞伎町にあったピンク映画の封切館に見に行った。すると、『変態家族・兄貴の嫁さん』が始まると同時に、熱狂的ハスミファンと思しき数人の若い女性グループがどかどかと入ってきて、映画が終わると、回りの中年男たちの怪訝そうな視線を浴びながら、さっと出ていくフシギな光景を目撃している。

 

 この時代は、前年に、黒沢清監督が『神田川淫乱戦争』(助監督に周防さんがついている)を撮るなど、ピンク映画が異常な熱気に包まれていた時代で、私も、ずいぶん見ているが、なかでも、<ユニット・ファイブ>と呼ばれた若い映画監督の集団の存在がとても気になっていた。

 

 そこで『月刊イメージフォーラム』の一九八年五月号で「現代日本映画の座標」という特集を組み、彼らにインタビューを試みたのだ。座談会のメンバーは、磯村一路、福岡芳穂、水谷俊之、米田彰、周防正行の五人で、皆、高橋伴明監督の助監督出身である。

当時、高橋監督がディレクターズ・カンパニーへの参加を機に、高橋プロを解散したので、五人で青山に事務所をつくり、活動拠点にすると抱負を語ってくれた。ユニット・ファイブは、私とほぼ同世代ということもあり、彼らのつくるピンク映画は当時、すでに退潮気味であった日活ロマンポルノよりもはるかに刺激的であった。

 

 ユニット・ファイブのメンバーの中では水谷俊之監督『視姦白日夢』(83)にもっとも衝撃を受けた。コピー機セールスマンの男(山路和弘)の日常を描いた作品で、男が、次第に妄想と現実の区別がつかなくなり、無人の高速道路で、全裸の妻をナイフでメッタ刺しにして殺害する幻想シーンなど、劇場のスクリーンで見ていて、思わず、めまいが起きそうになったほどだ。 

 

 その当時のピンク映画では、高橋伴明監督の『襲られた女』(81)が一部で絶賛されていた。しかし、私は、このロベール・アンリコの『冒険者たち』へのオマージュともいうべきパセティックな青春映画に感銘を受けつつも、全共闘世代特有の、あまりにホモ・ソーシャルで過剰なセンチメンタリズムが気になってもいたので、『視姦白日夢』の水谷俊之こそ、自分と同世代の感受性をもっともヴィヴィッドに体現する映画作家ではないかと思えたのだ。

 

明らかに、ユニット・ファイブでは水谷さんと周防さんが、高橋伴明監督のウェットなセンチメンタリズムからもっとも無縁な、乾いたポップで同時代的な感覚を濃厚に感じさせ、いわゆる当時の流行語でいえば、<ポストモダンな感覚のピンク映画>がようやく出現したように思われた。

 

ほかのメンバーの作品にも触れておこう。

福岡芳穂監督では『凌辱!制服処女』(85)という作品が強く印象に残っている。

 

米田彰監督の作品では『虐待奴隷少女』(83)が忘れがたい。この映画は、山路和弘が、白痴の女の子を引き受けたものの、最後に棄ててしまう悲惨な話だったが、これは、驚くべきことに、フェリーニの『道』(54)のザンパノとジェルソミーナの関係のあからさまな変奏なのだった。

米田監督は、座談会でももっとも寡黙で、ほとんど発言しなかったような記憶があるのだが、とてもシャイな方だった印象がある。

それにしても、「虐待奴隷少女」の濃密なセンチメンタリズムは師匠・高橋伴明以上で、いまどき、こんな反時代的な情趣纏綿たる作品を撮る監督がいるのかと驚き、逆に感動したのを覚えている。

 

磯村一路監督では、中年の不倫のカップルの行方を追う『愛欲の日々 エクスタシー』(85)が鮮烈だった。まるで<愛の不毛>を謳った初期のミケランジェロ・アントニオーニを思わせるような、独特のアンニュイの感覚が画面を覆い尽くしているのだ。さらに、主人公たちと対照的に、最後に心中を遂げる無邪気な若いカップルが登場するが、このエピソードは、明らかに山川方夫の傑作ショートショート『赤い手帖』にインスパイアされたものであった。

磯村監督は、愛欲を怜悧なまなざしでとらえている点では、ユニット・ファイブの中は最も成熟していた映画作家だったといえるかもしれない。

 

後年、磯村監督は、田中麗奈主演の『がんばっていきまっしょい』(98)で大ブレイクし、青春映画の旗手のごとく賞揚されたが、私は未だに、彼の最高傑作は、この『愛欲の日々 エクスタシー』だと思っている。

 

周防正行監督は、その後、『ファンシイダンス』(89)、『シコふんじゃった』(92)、『Shall we ダンス?』(96)、『それでもボクはやってない』(07)と寡作ながら、大ヒット作、ベストワン作品を連打し、文字通り、日本映画界を代表する映画監督になったのは周知のとおりである。

 

あれは、十数年ぐらい前だっただろうか、銀座の映画館で小津安二郎をめぐるイベントがあり、出かけたところ、偶然、席が隣あわせとなったのが周防さんで、その後、有楽町のガード下の飲み屋で一献、傾けたことがある。

 

久々に会った周防さんは、長いスパンで大きな予算の大作を続けて成功させているヒットメイカーとしての自負を漲らせていたが、その時、たとえば、たまには、五千万円ぐらいの低予算で、『変態家族・兄貴の嫁さん』のような、作り手の勝手・わがままし放題の映画を撮ってみるのは、いかがですか?と訊いてみた。

どんな返事が返って来たのかは忘れてしまったが、新作『終の信託』を見ながら、従来のエンターテインメント志向から社会派的な主題に徐々に移行しながらも、周防さんなりに筋を通した映画つくりをしているな、と心強く思った。 

 

『変態家族・兄貴の嫁さん』は、もはや、周防さん自身が所有している35ミリのプリントしか存在しないらしい。ぜひ、機会があれば、スクリーンで上映してもらいたいものだ。

 

 

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周防正行監督の新作『終りの信託』のパンフレット

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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