高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2012年8月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2012年8月アーカイブ

武田百合子の映画エッセイについて

あれは、一九八〇年代の始め頃だったと思う。新宿で飲んでいて終電もなくなり、かなり酔った私は、ゴールデン街の「ラ・ジュテ」の階段を上がっていった。ふらふらとでカウンターに坐ると、隣には妙齢の美しい女性がひとりいて、ママの知代さんとなにやら話している。美貌に似合わず、脳天に突き抜けるような甲高い声が印象的で、その会話の断片から、どうやら渡辺兼人さんの写真展『既視の街』のオープニングの帰りらしいことはわかった。朦朧とした状態で、「兼人さんは私も知っていますけど、彼の写真はいいですよね」などと話に割って入り、しばらく悦に入って喋っているうちに、その女性は、「ガハハ」と大声で笑いながら、「ところであんた、誰?」とまじまじと私の顔を見た。

 

その時、私もやっと目の前にいるサングラスをしたその眼の大きい女性が、武田百合子さんであることに気づいたのだ。

すでに、『富士日記』と『犬が星見た―ロシア紀行』を読んではいたから、何やら、一気に、本の感想やら、武田泰淳の『富士』がいかにすごいかとか興奮気味にまくし立ててしまったことを覚えている。酔っていたとはいえ、この畏怖すべき女性と、束の間でも歓談できたことは、私のささやかな至福の記憶となっている。

 

その十年後ぐらいに、『A?ストア』で武田花さんに原稿を頼んで以来、親しくなり、酒席をともにする機会が増えた。ある時、その夜の「ラ・ジュテ」の出来事を話すと、私はまったく覚えていないのだが、花さんは、隣のテーブル席で完全に酔いつぶれて寝ていたのだという。

 

エッセイストというか作家、武田百合子さんの絶大なる人気というのは、没後二十年近くたってもまったく衰えることがない。金井美恵子、川上弘美、小川洋子といった錚々たる作家からのリスペクトもさることながら、今では、夫たる武田泰淳よりも声名を集めているといえるかもしれない。

しかし、武田泰淳の最晩年の著作『上海の螢』『めまいのする散歩』が、百合子さんの口述筆記によって、ひと際、味わい深いものになっていることは、特筆しておかなければならないだろう。

 

なかでも、私は『遊覧日記』(ちくま文庫)、『日々雑記』(中公文庫)に現れる映画に関する記述に心ひかれる。

たとえば『日々雑記』には、池袋の文芸坐地下劇場の「推理映画シリーズ 松本清張大会」に通い詰めた日々のことが書かれている。

ある日、『砂の器』の途中で、トイレに立った百合子さんが、ついでに売店で食べ物を物色していると、カメノコ半纏で赤ん坊を背負い、ゴム長靴をはいた小柄のおじさんが寄ってきて、「おねえさん、早く入らなくちゃ。これから丹波哲郎がしゃべるところがはじまるとこだから、急いで入らなきゃ」と教えてくれる光景の絶妙なおかしさはどうだろう。

 

休館する前の文芸坐地下劇場のあの独特のくすんだ雰囲気をこれほど見事にとらえた文章を、私はほかに知らない。

 

『日々雑記』には、花さんと厚生年金の裏手にあったアートシアター新宿で『フリークス』を見に行った際、「角刈り頭の御所人形みたいにつやつやした顏」で紺青色の運動着の上下を着たサンダル履きの男が、上映前の口上をはじめるスケッチがある。

「『フリークス』と併映のアメリカのミュージカルものは、マザコン故に五度も結婚した男が作ったのです、整然とした振付は軍隊の行進を真似て作ったのです、と静かな口調で簡潔な説明を加える。映画のことを話しだした途端に、本当の知識人、学究の人、といった雰囲気の口のきき方になった。……佐藤重臣のような人のことを<映画の子>というのだろう。」

 

 もうひとりの「映画の子」である小川徹から電話がかかってきて、百合子さんは、『映画芸術』の仕事を手伝う。その後、新橋の「敗戦後の外食券食堂のような店で一人前五百円のすきやき」を御馳走になる件は、次のように描かれている。

「O氏は、<人間ちゃんとしっかり食べとかなくちゃ>をくり返し、ひっきりなしに鍋の中かきまわしては、黒くなるほど煮え震えている肉を、自分の分までせっせとくれたり、嗄がれ声を張り上げて卵のお代わりを頼んでくれたりするので、私は十二分のもてなしをうけているなと、満足した。……御馳走さまでした、と立ち上がり、二足三足歩きだすと、相当大きな平べったい物体が倒れる音が背後でした。ビニールの丸椅子もろとも、O氏が仰向けに床に転がっていた。一瞬、ああ、こうしてOさんは死んでしまうのだ、と思った。」

 

一九六〇年代末期のアングラ文化を謳歌した『映画評論』の佐藤重臣、そして<裏目読み批評>で一時代を劃した『映画芸術』の小川徹というふたりの伝説の編集者については、これまで、さまざまな人たちが論評しているが、私は、『日々雑記』に収められた、このふたつのポルトレほどユーモラスで、美しく、哀切で、胸を打つものはほかにないと思っている。

 

 熱狂的なファンは、すでに知っていると思うが、武田百合子さんには、膨大な数の単行本未収録のエッセイが残されている。天衣無縫などと称されるが、実は細心周到な物書きであった百合子さんは、生前、雑誌掲載時の原稿については単行本に収録する際に厳密な加筆、訂正を施し、完璧を期す作業を怠りはしなかった。

 

 したがって、本人の推敲を経ていない原稿に関しては、単行本化できないということになっているのだ。

 

 私が、以前から、気になっているのは、一九八〇年代のはじめ頃に『話の特集』に連載されていた「テレビ日記」と、文芸誌『海』で連載されていた「映画館」というエッセイである。

 

「テレビ日記」は、私は、まったく読んだ記憶がなく、なんとなく森茉莉の『ドッキリチャンネル』のようなものを想像している。

「映画館」は、『二百三高地』『氷壁の女』『フィッツカラルド』、文芸坐の「陽の当たらない名画祭」で見た『ストレイト・タイム』『ボーダー』の二本立てなど、実にバラエティに富んでいる。

なかでも、浅草の東京クラブで見た『ファイヤー・フォックス』『アニマル・ラブ』『殺しのドレス』の三本立ては、映画のみならず、とくに『アニマル・ラブ』を見ながらの観客の反応をヴィヴィッドに再現する筆致が、爆笑ものだ。

百合子さんは東京クラブを出て、仁丹搭近くのお好み焼き屋に入り、そこで見かけた高校生カップルをさりげなくスケッチしてふいに終わる。

 

<映画>と<生活>がそのまま地続きであるような、この素晴しい連載エッセイをいずれ、本で読んでみたいものだ。そういえば、昭和モダニズム建築の粋と称された浅草の東京クラブという名画座を知っている世代は、もはや少数派ではないだろうか。

『遊覧日記』には、このモスラの形状を思わせる東京クラブを背後から撮った武田花さんの写真が収められている。

 

 日々雑記.jpg

 武田百合子『日々雑記』(中公文庫)

プレストン・スタージェス再考

 以前、紹介した日本スカイウェイの「巨匠たちのハリウッド」シリーズから、「プレストン・スタージェス傑作選」DVD―BOXが発売される。

『偉大なるマッギンティ』(40)『凱旋の英雄』(44)『崇高なとき』(44)というあまりにもシブい三本セットだ。

今や、プレストン・スタージェスの映画は『レディ・イヴ』(41)『サリヴァンの旅』(42)、そして『モーガンズ・クリークの奇跡』(44)までがワンコインDVDで見られる。なんとも便利な時代になったものだと思う。

 

 プレストン・スタージェスという映画作家をめぐっては、さまざまな思い出がある。

あれは、亡くなる数か月前だから、一九九三年の初めごろだったと思うが、突然、川喜多和子さんから電話がかかってきた。

「河原畑寧さんから聞いたんだけど、高崎さん、プレストン・スタージェスの輸入ビデオをいっぱい持ってんだって? 今、うちでやってるハル・ハートリーが大好きらしいんだけど、私、一本も見てないのよ。今度、貸してね」

 当時、アメリカでは一九三〇?四〇年代の古いロマンティック・コメディが低価格ビデオで出始めていて、私は仕事で渡米した際に、スタージェスのビデオをまとめて買ったりしていたのだ。

 

 川喜多和子さんが、プレストン・スタージェスの映画を見ていないのは、意外だったが、スタージェスの映画は、日本では、敗戦直後の占領下に『結婚五年目』(42、『パーム・ビーチ・ストーリー』)と『殺人幻想曲』(48)の二本しか封切られなかったから、昭和十五年生れの彼女が見ていないのは無理もないかなと思った。

 

 私見では、プレストン・スタージェスの映画にもっとも熱狂したのは、昭和七年から十年ぐらいに生まれて、ティーンエイジャーだった占領下時代にアメリカ映画を狂ったように見た世代にほぼ限定されている。つまり、小林信彦、三谷礼二、蓮實重彦さんといった方々である。

 

 私がプレストン・スタージェスの名前を初めて知ったのも、高校時代に読んだ小林信彦さんの『笑う男・道化の現代史』に収められた「アメリカ的喜劇の構造――非常識な状況の笑い」というエッセイからである。以来、私は、このアンチ・キャプラと称された伝説のアメリカの喜劇映画監督のことが気になってしかたがなかった。

 

 たとえば、その頃に読んだジャック・ケルアックの『路上』には、『サリヴァンの旅』の魅力的な名シーンの言及があるし、サンリオSF文庫から出ていたゴア・ヴィダルのハリウッドの内幕を描いた怪作『マイロン』(『マイラ』の続編)にもプレストン・スタージェスとおぼしき人物が登場していた。

 漠然と、アメリカの戦後文学の鬼才たちにとっても、プレストン・スタージェスという映画作家は、半ば、伝説のような存在なのではないかと思った。

 

 決定的だったのは、古本屋で見つけたドナルド・リチーの『現代アメリカ芸術論』(早川書房)だった。この一九五〇年に刊行されたアメリカ文化啓蒙書の中で、リチーは「プレストン・スタージェスの映画は、現在、製作される最上の喜劇であるばかりでなく、それは、また、社会批判としても最上の作品である。……もしもアメリカ映画に輝かしい希望があるとすれば、それはプレストン・スタージェス、アルフレッド・ヒッチコック、ジョン・フォードだ」とまで絶賛していたのだ。

 

 そんなこんなで、一九八五年、私は『月刊イメージフォーラム』でプレストン・スタージェスのささやかな特集を組んだ。マニー・ファーバーの「プレストン・スタージェス・ハリウッドの成功神話」という高名な論文の翻訳を掲載し、三谷礼二さんに「P・S、アイ・ラブ・ユー」という美しいプレストン・スタージェスへのオマージュを書いてもらった。三谷さんは、まさに、占領下で見ることができなかった幻のアメリカ映画の代表としてスタージェスの映画を挙げ、アメリカで一度だけ、テレビで見た『サリヴァンの旅』の感動を、あたかも、昨日見たかのように、ディテール豊かに回想していて、深い感銘を受けた。

 

この特集の時、私は、無謀にも、小林信彦さんにプレストン・スタージェスの評伝を書いてくれないかと依頼している。初めてにもかかわらず、小林さんとは延々と長電話で話したが、結局、手許にプレストン・スタージェスに関する資料が少ないのと、日本未公開の作品の大半を見ていないという理由で断られてしまった。小林さんは、当時、アメリカにいる友人に頼んで、テレビ放映されたスタージェスの映画を録画してもらっていると話していたのを覚えている。

しかし、このスタージェス特集はまったくといってよいほど反響がなかった。当時、日本でも恐らく海外でもプレストン・スタージェスは忘れられていた存在だったのである。

 

時はめぐって、川喜多和子さんが急逝した直後、当時、「エルンスト・ルビッチ生誕100年祭」を成功させたプレノン・アッシュの城戸俊治さんから「いよいよ、プレストン・スタージェスをやりたいので、作品選びに協力してほしい」という電話があった。

 

私は、この夢のようなプレノン・アッシュの暴挙(?)にすっかり狂喜してしまい、まず、『モーガンズ・クリークの奇跡』『凱旋の英雄』のようなカゲキすぎるクレイジーな作品は、あえてはずし、結局、正統派というか模範的というか、『サリヴァンの旅』『レディ・イヴ』『パーム・ビーチ・ストーリー』(旧題『結婚五年目』)の三本をピックアップした。

 

さらに、キネマ旬報に企画を持ち込み、封切りに間に合うように、ドナルド・スポトーの評伝『プレストン・スタージェス――ハリウッドの黄金時代が生んだ天才児』(森本努訳)を編集したりもした。実は、翻訳に着手した頃に、ダイアン・ジェイコブスの『七月のクリスマス――プレストン・スタージェスの生涯と芸術』という決定版の評伝を入手したのだが、もはや、手遅れだった。ドナルド・スポトーは、スタージェスの女性関係を異様なまでにゴシップ的に探索するいっぽうで、『レディ・イヴ』を失敗作と断じるような致命的な映画オンチぶりを自ら暴露しているので、ちょっと問題がある評伝なのだ。

 

プレノン・アッシュは連続して『アメリカン・ドリーマー』というスタージェスのドキュメンタリーをレイトショーで公開するなど頑張ってくれたが、「プレストン・スタージェス祭」と銘打たれた特集は一部では話題になったものの、大ヒットとは言い難く、後が続かなかった。

当時、プレノン・アッシュの城戸俊治さん、篠原弘子さんと、よく、これが成功したら、「スクリュウボール・コメディ映画祭」をやりたいね、などと話し合っていたものだったが。

 

今回、DVD化された『凱旋の英雄』は、実は、その特集でやろうと思っていた極め付きの一本であった。

『凱旋の英雄』は、花粉症のために海軍に入隊できなかったエディ・ブラッケンが酒場の給仕に身をやつしており、たまたま知り合った軍人たちが制服と勲章を貸してくれて、彼らと共に故郷の町に凱旋するや、エディは英雄と祭り上げられ、次期町長に推薦されてしまう、というあまりに不謹慎でブラックなコメディである。

 この映画は、アメリカの幾つかの州で上映禁止となったが、フランク・キャプラが戦意高揚のプロパガンダ映画をつくっていた戦時下で、こんなアイロニカルで辛辣な諷刺喜劇を撮っていたプレストン・スタージェスは、やはり、特異な映画作家というほかない。

 占領下政策として、戦争中につくられた全盛期のプレストン・スタージェスの傑作が日本で公開されなかったのは、故なきことではないのだと思う。

 

私は、フランク・ダラボンの『マジェスティック』(01)とクリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』(06)を見ていて、主人公が田舎の町に列車で凱旋するシーンが、『凱旋の英雄』の同工の場面をカット割りまでほぼそっくりに再現しているのに気づいて、驚いた記憶がある。

 

アメリカのダークサイドを乾いたタッチで笑殺するプレストン・スタージェスの喜劇は、決して甘やかなノスタルジアの対象ではなく、つねにみずみずしい、謎めいた魅力を放っている。

 

 プレストン.jpg 

『プレストン・スタージェス傑作選』DVD?BOX(日本スカイウェイ)

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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