高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2012年2月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2012年2月アーカイブ

清水宏と大山健二

 ここのところ、フィルムセンターで香川京子特集、新東宝特集と続けて通って、何本かの清水宏の映画を見た。

尾崎一雄の<芳兵衛もの>をベースにした、島崎雪子の天衣無縫な魅力が満喫できる『もぐら横丁』(53)とか、非行少女の厚生施設を舞台に、香川京子が苛酷な現実に向き合う先生をひたむきに演じた『何故彼女等はそうなったか』(56)などを見ると、まだまだ、日本映画史には、見るべき秀作がゴマンとあるのだなと実感させられる。

そして、これはまったく個人的な事柄なのだが、最近、清水宏の映画の楽しみのひとつに大山健二という監督そっくりのずんぐりと太った体躯の俳優を見ることがある。

 

もう、半世紀近くも前になるが、小学生の頃に、夏になると、よく東京に住んでいる大叔父が田舎にやってきた。祖母のすぐ下の弟で、名前は大山健二といった。祖母が「映画俳優をやっていて、むかしは、田中絹代と仲良しだったんだよ」と、自慢げに語っていたのをおぼろげに覚えている。当時は、子供心に、白髪でとても洒落たモダンな雰囲気を感じさせて、田舎にはいないタイプの人だなと思ったが、どんな映画に出ているのかはまったくわからなかった。

 

一九六〇年代の半ばで、すでに映画界は斜陽産業だったには違いないが、子供にとっては、映画俳優などという人種は、まったく異空間にいる存在だった。ただ、当時、絶大な人気を誇っていたテレビの『ザ・ガードマン』に時々、客演することがあり、ああ、こういうのに出ている人なのかとちょっと驚いた記憶がある。

 

大山健二が亡くなったのは、私が高校に入った頃だった。そろそろ意識的に映画を見始めてはいたが、あくまで洋画中心で、まだまだ日本映画への関心は薄かったのである。

東京へ出てきて、いよいよ映画狂いが嵩じ、名画座回りにうつつを抜かしていた時期、大山健二という存在が急に目の前に浮上してきた。

 

最初は増村保造の映画である。たとえば、『妻は告白する』(60)では、若尾文子に判決を言い渡す裁判長の役、『「女の小箱より」夫が見た』(62)では、愛人の岸田今日子に刺され、血まみれの瀕死状態にある田宮二郎を診察する医師などを演じていたのだ。ただし、台詞は少なく、すでに、この頃はその他大勢の脇役に甘んじていたのだなと思った。

 

しばらくたって、私が『月刊イメージフォーラム』に入ってから、松竹蒲田モダニズムの特集を組んだことがあった。編集長の西嶋憲生さんが中心に進めていた企画だったが、小津安二郎、清水宏、斎藤寅次郎などの初期のナンセンス喜劇のなかに、大山健二の名前がずいぶん見つかった。

 

たしか、その頃、フィルムセンターにいた佐伯知紀さんが、近々、上映される松竹蒲田特集のプログラムの中で、とくに大山健二が出演している映画に印をつけて送ってくれたことがあった。なかでも、清水宏の映画が多かったのを憶えている。しかし、恐らく主役を務めたことはなく、全盛期でも三番手、四番手の位置にいたのではないかと思う。

 

その後、たとえば、小津安二郎の『大学よいとこ』(36)のカンニングにいそしむ落第生、『淑女は何を忘れたか』(37)の応援団長などバンカラの風来坊のような役を嬉々として演じているのを見て、こういうコメディリリーフがもっとも得意な役者だとわかった。

作品が存在しないので、場面スチルで想像するほかないが、『居候は高鼾』(39)などを眺めると、ほんとうに監督の清水宏にそっくりで、清水宏は、自分の分身がわりにカリカチュアライズして、大山健二を好んで起用していたのではないかと思えるほどだ。

 

だが、はっきりいえば、小津安二郎に見出された同世代の笠智衆のように、滋味深い名演をみせることなどなかったし、代表作と言える作品も一本もない。身贔屓を抜きにしても、今思えば、どこか泥臭さが抜けない、大根役者だったと思える。とくに若い頃はどこか険がある顔で、実際、戦前は、女性関係などはかなり派手であったと聞いたこともある。

 

晩年、連れ添った夫人の浪子さんは和服が似合う端正な美しい女性で、ひときわ印象に残っている。下町の由緒ある旅館の娘で、駆け落ち同然で一緒になったとのことだったが、今、思うと、まさに、成瀬巳喜男の『流れる』の世界から抜け出たようなしっとりとした風情が感じられた。その浪子さんの葬儀に出たのも、はや十数年前のことだ。

 

吉村公三郎監督の『一粒の麦』(58)は、東北の中学を卒業し、集団就職で出て来た貧しい少年たちがさまざまな苦難に遭遇する秀作だったが、大山健二は、この映画で、選挙目当てに自らの立場を利用しつつ、少年たちを手厚く庇護する同郷の代議士を演じていた。福島県の三春出身で、東北訛りが抜けなかった大山健二には、まさにぴったりの役で、飄々とした存在感は出色だったし、彼の数少ない好演のひとつに挙げられるのではないだろうか。

 

先頃、亡くなった淡島千景さんの鬼気迫る名演が光る隠れた名作『母のおもかげ』(59)は、清水宏の遺作でもある。追悼の思いで、エアチェックしたDVDで再見すると、小さな役でちゃんと大山健二が出ていた。律儀に、清水宏の最晩年までつきあったことになる。

 

今になって、つくづく思うのは、大山健二がもう少し長生きしてくれていたら、ということだ。

全盛期の松竹蒲田モダニズム時代の思い出を存分に聞いていてみたかった。

とくに、清水宏と小津について。さらに、及川道子、桑野通子という伝説的な女優たちのことを、じっくりと聞いてみたかった。それだけが心残りである。

 

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清水宏監督『居候は高鼾』(39)。左より大山健二、近衛敏明、高峰三枝子、夏川大二郎、日守新一

 

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晩年の大山健二

瀬川昌治とビリー・ワイルダー

 先日、フリーペーパー『東映キネマ旬報』から東映創立60周年特集として「私の東映映画オールタイムベスト10」というアンケートを頼まれた。この手の遊びは大好きなので、喜んで参加したが、一本だけ、恐らく私以外、誰も入れないであろう個人的な思い入れのある作品を忍ばせておいた。

1961年に封切られた『乾杯!ごきげん野郎』である。このニュー東映で作られたコメディ映画を、私はなぜか公開時に見ていて、子供心に、主演の三田佳子の可憐な美しさ、映画そのものの洒落たモダンな雰囲気に魅了され、ずっと長い間、幻の映画として記憶されていた。

 

 まさか、後年、この映画を撮った瀬川昌治監督の自伝『乾杯!ごきげん映画人生』(清流出版)を自分で企画・編集することになろうとは夢にも思わなかったが、いっぽうで、不思議なご縁を感じてもいる。

 

二〇〇七年に刊行された『乾杯!ごきげん映画人生』は書評にも恵まれ、増刷にもなった。このメモワールは、もともとスポーツ新聞に連載されたコラムをまとめたものだが、その後も、瀬川さんにお会いするたびに、その六十年にわたる波瀾に富んだ映画人生には、まだまだ貴重な面白いエピソードがふんだんにあることを知った私は、書き下ろしで、自伝の続篇を企画することにしたのである。

 

三年ほど前、そろそろ執筆に取りかかっていただこうとしたが、ちょうどその頃、眼の手術を受けたばかりの瀬川監督は、一冊の本を書き下ろすのはやや不安があるという。そこで、私は、瀬川ファンの若い映画批評家・映像作家である寺岡ユウジさんに聞き手として加わってもらい、彼がまとめた膨大なインタビューの原稿に、瀬川監督が加筆・訂正し、完成させるという形をとった。

 

その自伝パート2である『素晴しき哉!映画人生』がようやく三月上旬に刊行されることになった。題名は、もちろん、フランク・キャプラの名作『素晴しき哉!人生』のもじりである。

瀬川監督の作品のベースに、アメリカ映画の影響があることは、つとに知られているが、今回のメモワールでは、最終章で自らの原点であるアメリカ映画の魅力が語られている。

 

瀬川監督は、当時、見た映画の劇場用パンフレット一千冊近くを、きちんとファイルされている。今回は、それらのパンフレットを手に取りながら、お話を伺ったのだが、西部劇、メロドラマ、ミュージカル、犯罪映画、戦争映画、コメディとあらゆるジャンルの作品を丹念に見ているのにまず、驚いてしまう。

 

たとえば、瀬川監督は、『カサブランカ』や『雨に唄えば』のような有名作はもちろんだが、美術教師のケイリー・グラントが高校生のシャーリー・テンプルに翻弄されるアーヴィング・レイスの『独身者と女学生』(47)とか、美人グラマー女優でハスキー・ヴォイスのジャズ歌手としても知られたティナ・ルイスが主演したマイケル・カーティスの西部劇『決断』(58)なんていう、私が、見たくてしょうがない、<映画史に残らないアメリカ映画の隠れた逸品>を、あたかも、昨日、見たかのように活き活きと語り出すのである。 

 

なかでも、瀬川監督のお気に入りは、アルフレッド・ヒッチコックとビリー・ワイルダーで、このふたりの映画監督の作品のパンフレットは別個にファイリングされていた。

ヒッチコックは『断崖』(41)から見ているそうだが、ビリー・ワイルダーとの衝撃的な出会いについては、本書で次のように語っている。

「当時、私は新東宝の助監督だった。徹夜明けでくたびれ果て、どこかねぐらがないかと探していて、新宿ヒカリ座という小さな映画館にたどり着いた。今はもう面影もないが、新宿三越の裏あたりにあったその小屋は、封切りから落ちた作品を上映する二番館だった。

 ともかく寝ようと思って館内の座席にすわってアクビなどしていると上映が始まった。

ところが、この映画が凄い。第二次大戦にロンメル将軍の戦車隊がアフリカに快進撃をし、連合軍が敗走に敗走を重ねる。その謎を解くべくアメリカの将校がスパイするという話だが、まずファーストシーンの迫力に、眠気も一挙に吹き飛んでしまった。監督/脚本のタイトルはビリー・ワイルダー。私は初めてこの大監督の名前を知ったのだが、それが、一九四三年製作、一九五〇年日本公開の『熱砂の秘密』だった。」

 

以後、瀬川監督は、ビリー・ワイルダーの映画を心待ちにして、封切りのたびに見に行き、「私は、ワイルダーを、勝手に師匠と思っている」とまで書いている。

 

実は、私は、以前から、瀬川昌治監督をたんなる<日本の喜劇映画の名匠>という呼称では括り切れない複雑な味わいのある映画作家で、その点でもビリー・ワイルダーにとても似ているのではないかと思っている。

 

周知のように、ビリー・ワイルダーは、『お熱いのがお好き』(59)や『アパートの鍵貸します』(60)のようなコメディ映画の傑作で知られているが、いっぽうで、『深夜の告白』(44)、『サンセット大通り』(50)、『地獄の英雄』(51)のような人間の抱えるダークサイドを深くえぐるニューロティックな犯罪ドラマ、フィルムノワールの名手でもある。私は、彼の本領は、むしろ、こちらのほうにあるとさえ思っている。

 

瀬川監督自身、東映で『ぽんこつ』(60)というコメディでデビューし、喜劇映画を連作することになったが、それ以前の脚本家時代には、小林恒夫監督の『暴力街』(55)、『殺人者を逃すな』(57)、大曽根辰夫監督の『顏』(57)、杉江敏夫監督の『三十六人の乗客』(57)、蔵原惟繕監督の『ある脅迫』(61)などの犯罪もの、サスペンスものの傑作シナリオを数多く手がけている。

 

そのフィルモグラフィーを眺めても、たとえば、安藤昇がムショ帰りのヤクザを演じた『密告(たれこみ)』(68)は、まるで、ジャン・ピエール・メルヴィルの『サムライ』を思わせる、冷え冷えとした感触が鮮烈な印象を残すフィルム・ノワールだった。この映画の発想の原点が、当時、一部で高く評価されたジョン・ブアマンの『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(67)にあったことは、瀬川監督自身が明言している通りである。 

 

同じ年につくられた『喜劇<夫>売ります』(68)などは、喜劇と銘打っているものの、ビリー・ワイルダーの『ねえ!キスしてよ』(64)と瓜二つといってよいほどの、苦い味わいをもったスワッピング・コメディであった。

 

最近の若手映画監督には、異常なまでのシネフィル(映画狂)出身が多いが、そういうタイプに限って、いかにも頭デッカチな観念偏重型の作品が多いような気がする。

しかし、瀬川昌治監督の場合は、抱腹絶倒な喜劇にしろ、人間の精神の暗黒面に迫るフィルム・ノワールにしろ、どんなテーマ、素材にアプローチしても、深い人間洞察と豊かな経験に裏打ちされた彼自身の生理と資質がくっきりと作品世界に現われるのだ。

 

まさに、それこそが真の映画作家の証しといえるだろう。

『素晴しき哉 映画人生!』は、そんな瀬川昌治さんの魅力がたっぷりと味わえる傑作メモワールになっていると思う。

 

 

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瀬川昌治著『乾杯!ごきげん映画人生』

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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