2015.12.18鈴木皓詞さん

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鈴木皓詞さん(左)が原稿をわが社に持参して下さった。その後、「新世界菜館」で食事をしながら雑談をした。

 

 

・鈴木皓詞さんは、茶の湯の専門家であり、茶の湯について雑誌の連載や単行本等でもその博識ぶりを披露している。茶の湯の根本はご存じの通り、亭主が客を迎えることにある。客を迎えるに当たっては、主人が心を尽くすのは、世界中どの地域どの人種においても変わることがない。またその際には、少しでも見栄えよく飾り贅を尽くすのが人情というものではないだろうか。鈴木さんは、長らく茶の湯の歴史を俯瞰してきて、その深淵を熟知されている方である。

「我が国でも、平安時代以来の饗応は、世界中の習慣と、何等変わりありません。通常の感覚とは著しく異なります。どのように違うのかといえば、簡素の中にも季節感を盛り込むことに主眼を置いたものだからです。これが茶の湯のもてなしの根本です」と鈴木さんはおっしゃる。

 

・僕は、鈴木皓詞さんがお書きになられた『世外井上馨――近代数寄者の魁』(宮帯出版社、平成25年刊)が印象深く心に残っている。意外と知られていない井上馨の近代数寄者「世外」としての側面に注目し、その茶の真髄に迫っているからだ。1909年(明治42年)、茶会好きだった井上馨は、奈良の東大寺から「八窓庵」という茶室を移設し、翌年の春に連続で茶会を開いていく。八窓庵の席披きでは明治天皇に献茶し、天覧歌舞伎においても演劇の近代化を図っている。

 

長州藩士であった井上聞多(後の馨)は、奇兵隊を率いた高杉晋作と親しく、幕府や守旧派と戦い、西洋列強や薩摩と対峙しながら激動の幕末を生き延びた。維新政府において、外務卿・外務大臣・農商務大臣・内務大臣・大蔵大臣と政府の要職を歴任した。外務卿時代には鹿鳴館を建設し、不平等条約改正交渉にあたったことはあまりにも有名である。元老となった井上馨は、廃仏毀釈を背景に茶席に密教美術を持ち込んで、新たな数奇の世界を創出したのである。六本木ヒルズの裏手、現在の六本木高校があるあたりは、かつて内田山という高台だった。この場所に井上馨の邸宅があった。そんな井上馨を鈴木さんは、茶の湯の面からアプローチして希代の数寄者を見事に活写してみせている。

 

・また、鈴木さんの著書『近代茶人たちの茶会』(淡交社、平成13年刊)では、新しい時代に適応した茶会を模索し続けた数寄者の達人たちの熱い思いに迫っている。小間・広間・田舎間を併用して仏教美術や古筆を導入した益田鈍翁(本名:孝、三井物産を設立、日本経済新聞前身の中外物価新報を創刊)をはじめとして、根津青山(嘉一郎、東武鉄道の創設者)・村山玄庵(龍平、朝日新聞社の創設者)・小林逸翁(一三、阪急電鉄・阪急百貨店・宝塚歌劇団の創設者)・松永耳庵(安左ヱ門、電力王)など、近代数寄者の見識と創意のプロセスを茶会によって再見してみせている。

余談になるが、僕は松永耳庵翁には頭が上がらない。もちろん、僕がこの長崎県壱岐生まれの電力王と直接、どうこうしたというわけではない。実は鈴木さんが年に何回か送ってくれる酒の名前が、「松永安左ヱ門翁」(長崎県壱岐市、玄海酒造)なのだ。高価で貴重な本格焼酎で、呑み始めたら止められない美味しさである。他にも鈴木さんは、レア物で手に入りにくい「森伊蔵」(鹿児島県垂水市)、「百年の孤独」(宮崎県児湯郡高鍋町)等の銘柄も送ってくれたことがあり、至福の刻を楽しんだものだ。

 

・また、鈴木さんは著書『茶の湯のことば』(淡交社、平成19年刊)では、「一客一亭」「関守石」「手なり」等、茶の湯の世界で親しまれた言葉を、《もてなし/しつらい/よそおい/ふるまい/うつろい》の五章に分け、 簡潔な解説と多彩なイメージ写真で紹介する。茶道愛好家はもちろん、「和のもてなしの心」に興味を持っている人には、恰好の参考書ではないだろうか。時あたかも2020年の東京オリンピックを目前に控えている。「おもてなし」の精神を発揮するにはどうすればいいのか、その答えがこの本に凝縮されている。ありきたりではない、一味違った和風のイメージを求めている方にも参考になる本である。

 

・私たちはまさに動乱の時代を生きている。人心は羅針盤を失って難破寸前である。だから動乱の世こそ、茶の湯を用いるべきである、と鈴木さんは訴える。

――「何物も信じられない世にあって、信じた人間に瞬間でも誠を見ることが出来たらよし、とするのが茶の湯である。茶の湯は、おのれの心を糺しながら驕ることなく、今を精一杯に生きることを教えています」――

茶の湯は人間の心のためのもの。茶の湯を語りながら、結局は人の心を語ることになる。世の中の仕組みが変わることで、人間の在り方が大きく変化する。当然、茶の湯も変わっていかなければならない。今や人間の心は温暖化によって崩壊する氷山のように、跡形もなく溶け出している。人間が人間である限り、心が全ての原点。あらゆることは自分の心から出発して、結果は自分の心へと還る。

――「茶の湯もまた、お茶に関わる一人一人が、心を改め、心を組み換えていかなければならない時期を迎えています。その心を整えるために、茶の湯には最高の方法が具備されているのです」――(『茶の湯からの発信』清流出版、平成14年刊)

 また、『物に執して』(里文出版、平成20年刊)では、物に守られ、救われている鈴木さんはじめ我々が物と人との68の邂逅、そして交歓を追究する。瀬戸黒茶碗に金海茶碗、掛軸、懸仏、両界曼荼羅から、すりこぎ、孫の手、陶器の壷に至るまで、物に執した著者が綴った物と人との交歓は素晴らしい。

・これまで鈴木さんの著になる単行本を取り上げ、その薀蓄を紹介してきたが、執筆している雑誌もご紹介する。まず真っ先に、わが月刊『清流』誌を挙げたい。あとは、『陶説』『茶会の取合せ』『東美』『淡交』『酒、器スタイル』『和なごみ』『茶人と茶道具』『目の眼』などの雑誌が挙げられる。僕は、『酒、器スタイル』という雑誌は未見だが、大いに興味がある。『陶説』『淡交』や『和なごみ』は何回かもらって、鈴木さんの含蓄のある文章を読んだ。

・わが清流出版の月刊『清流』は創刊以来22年目に入っているが、創刊号からご執筆されている方が二人だけいる。安芸倫雄さんと鈴木皓詞さんである。僕の友人からも「鈴木皓詞さんの連載を楽しみにしている」とよく言われる。僕の数少ない女友達も、圧倒的に鈴木さんファンが多い。『清流』の最新号が届くと、真っ先に鈴木さんのページを開くという方がいるのだ。趣味が茶の湯という方は、すべからく鈴木さんの誌上弟子と思っているに違いない。そして、鈴木さんが取り上げる話題は実に多岐にわたる。日本の伝統行事から、戦国武将や高貴なお方、僧門の偉い方、文化人等の茶にまつわる逸話など、心に沁みてくるお話ばかり。だからこそ、もっと読みたいという方が多いのも、当然といえば当然である。

 

・ここまで書いてきて、偶然にパソコンで検索し「鈴木皓詞」と打ったら、なんとなんと鈴木さんがホームページを設けていることが分かり、びっくり仰天! それも立派なホームページで、感心してしまった。鈴木さんとは長いお付き合いだが、ITやパソコン関係の話題には一切触れることなく付き合ってきた。鈴木さんはパソコンの世界とは関係がないと思ってきた。その意味で、晴天の霹靂、君子豹変、のような驚きである。みなさんも≪茶人 鈴木皓詞のホームページへようこそ!≫をクリックすれば、見事なホームページを見ることができる。冒頭画面に須田剋太(こくた)の揮毫になる「愚」の書、その後「愚茶へのいざない」の文章が目に飛び込んでくる。あとは、茶の蘊蓄が次々と現れて、鈴木さんのことが分かる仕掛け、ぜひ一読をお勧めしたい。

 

鈴木皓詞さんは、北海道のお生まれ。得度して僧籍に入るが還俗。日本大学藝術学部卒業、在学中より裏千家の茶の湯を学ぶ。自ずと数寄者の蘊蓄が備わった。お茶の世界は、茶室、庭、茶道具、焼物、掛けもの、書画……など、広範囲にわたって関係してくる。美術品の鑑定はよほどの目利きでなければ務まらない。あの小林秀雄も何度か苦渋を飲まされている。真贋を見分ける目を養う近道というものはない。骨董屋さんも一流になるには、小僧の頃から本物を見続けて、目を肥やしていくしかない。鈴木さんは、その確かな目利きのお一人。「ご覧になって、この壺、茶碗……はこの値で決めましょう」という値決めをすることも許されている。かつて中尊寺の夥しい宝物の値段が、何年もかけ、鈴木さんのアドヴァイスによって確定したという話もある。

 

・鈴木さんとのお付き合いも、かれこれ35年になろうか。きっかけは僕のかつての職場ダイヤモンド社の同僚、否、麻雀、競馬、将棋等の遊び仲間であった田村紀男さん(元ダイヤモンド社社長)に紹介されたことによる。田村さんは秋田県出身で直木賞作家の和田芳恵氏の甥筋と聞いた。その同郷の和田芳恵さんを師として学んだ鈴木皓詞さんは、最初、小説家志望だった。その後、曾野綾子さん、三浦朱門さんご夫妻と運命的な出会いをする。三浦朱門さんが文化庁長官になった際、鈴木さんは秘書役として尽力された。その三浦さんも、日本文藝家協会理事長、日本芸術院院長などを歴任された。その間も、お付き合いを続け、鈴木さん曰く「私はこのお二人の食客で、週に4回もごちそうになったこともあるんですよ」。長いお付き合いである。曾野綾子さん、三浦朱門さんとの交流では、数々の面白い逸話もあったようだ。抱腹絶倒の話もお聞きしたが、残念ながら差し障りがあるのでここで披露することはできない。

 

鈴木皓詞さんは、茶の湯の世界では異色の存在であるらしい。なぜかといえば“裏千家”のみならず、“表千家”、“武者小路千家”など、流派を超えて親しいお付き合いをされていることにある。そんな付き合いができる人というのは、この世界でも稀有な存在らしい。鈴木さんの存在が、茶の湯の世界に果たしている役割は大きいといわざるを得ない。これからのより一層のご活躍をお祈りしたい。