2008.05.01東北旅行 角館

08051.jpg

(上の写真は、秋田・角館にある新潮社記念文学館で、椎名其二さんを展示したパネル。このコーナー、石川達三、高井有一氏らと並んでいる。) 

  • 今回は、4月下旬に参加した「バリアフリー 桜を巡る東北旅行」のことを書いておきたい。このツアーに興味を引かれた理由は、その行程に秋田・角館が入っていたからである。わが私淑する恩師・椎名其二先生の故郷、角館を訪ねることは僕にとって長年の念願だった。その夢が右半身不随の身になってから実現することになろうとは、思ってもみなかった。
  • 椎名其二といって、今、日本人で知っている人がどれだけいるだろう。知る人ぞ知るだけに、おそらく、記憶に留めている人はそれほど多くはない。本欄にも何回か書いたが、椎名さんを一言で表現するのは難しい。在仏40年、モラリストであり、自由人で実に高潔な人だった。出会いは椎名さんが71歳、僕が18歳の時だった。椎名さんの貴重なお話と体験をお聞きし、心揺さぶられた僕は、以来、椎名さんのことは片時も忘れたことがなく、敬愛し続けてきた。本欄でもまた書かずにいられない。
  • 結論として角館に行ってよかった。つくづくそう思う。出発する前、僕の手帳に控えていたメモ「椎名先生生家=角館町田町上丁18」が、実際どうすれば探すことができるか心配であった。だが、今回の旅行で椎名先生の生家跡をはっきり確認できた。その日は、朝から氷雨が降っていた。しかもザーザー降りの悪条件であった。最初、バス・ツアーで降りたのが武家屋敷の中心、角館樺細工伝承館である。ツキも味方してくれたと思うのだが、受付けの女性に聞いてみると、「田町上丁」には総合情報センターがあり、すぐ近くには新潮社記念文学館もあるという。そこで同行した妻が機転を利かせて新潮社記念文学館に電話をかけ、「椎名其二さんのことを知りたくて訪ねた云々」というと、「わかりました。すぐおいでください」という。車椅子を押して約20分、二人ともずぶ濡れになりながら教えていただいた道を急いだ。
  • 館長の菅原球子さんに「これまで何度も角館に来ようとしたが、延び延びになって」と話すと、展示されたパネルの椎名先生がかわりに、あの懐かしい顔とズーズー弁で答えてくれた(ホント僕の耳に聞こえた)。「おやおや、どちらさんでしょうかね。おひさしぶり。足があまり動かないようだが。おや、手も半分動かない。無理しなさった。でも人間五体満足は、あまりよござんせんから。おらも貧乏と疲労でやっと生きてきた……」。展示パネルの中では椎名先生とマリー夫人をはじめ、若き日の野見山暁治・陽子夫妻も、息子のガストン夫妻も、安齋和雄さんも、蜷川譲さんもみな達者である。さにあらん、今から52年前の写真である。見ているうちにこみ上げてくるものがあり、涙が溢れてきた。
  •  

     

     

    08052.jpg

    (前列中央が椎名其二・マリー夫妻、後列左から息子のガストン夫妻、野見山暁治・陽子夫妻、安齋和雄、蜷川譲の各氏)

    ・ここで椎名其二さんと交流のあった主だった人々を列挙しておきたい。
      亡くなった方では(敬称略)、石川三四郎、黒岩涙香、佐伯祐三、芹沢光治良、堀井金太郎(梁歩)、森有正、山内義雄、山本夏彦、吉江喬松、浜口陽三、小牧近江、新庄嘉章、恒川義夫、小島亮一、中村光夫、青野季吉、山口長男、渡辺頴吉、望月百合子、阿部よしゑ、大沢武雄、龍野忠久、ポール=ルクリュ、ジャック・ルクリュ、ロマン・ロラン……。
      現在生きている方では、旧知の野見山暁治さんはじめ、近藤信行、モリトー良子、小宮山量平、安齋美恵子、岡本半三、高松千栄子、戸田吉三郎、長島秀吉、神本洋治、菅原猛……の方々。みなさん、椎名さん譲りのアミチエ(友情)溢れる人々だと思う。

     

     

     

    08054.jpg

    (武家屋敷らしい旧家の佇まい。現在の持ち主は太田さん。立派な門構えに驚く。)

     

    08055.jpg

    (入口を入ったところに庭がある。その場所から奥に、多分、椎名其二さんが第1回目の帰国した時、長兄が建てた木造の洋館を偲ばせる建物がある。)

    ・菅原球子さんから教えていただいた「椎名其二生家跡」を急いで見に行った。何せバスの集合時刻が迫っている。生家跡は田町武家屋敷通りに面しており、記念文学館から約五〇メートル離れた場所にあった。現在の持ち主は、太田芳文氏。塀の隅にある「おおた後援会」から察するに政治家らしい(あとで調べたところ、前・角館町長だった)。ちょうどわれわれが門に近づいた時、家の中から車に乗った人が出て行った。あとはひっそりと静まり返ったままだ。
      フランスから1回目の帰国の時(大正11年)、椎名家の長兄・純一郎さんは弟・其二さんのために当時としては珍しい木造の洋館を屋敷内に建てた。その面影がいまでもはっきりとわかる建造物である。たぶん、二階部分に椎名さんの部屋があったのではないか。しばし、感慨に浸った。純一郎さんは明治15年生まれだから、其二さんより5歳年長。昭和12年に亡くなっている。純一郎さんの一高の同窓生には安倍能成や藤村操氏らがいる。角館初の地元新聞「角館時報」創刊に尽力、大正期の角館の若きリーダーとして活躍した方である。

     

     

     

    08053.jpg

    (角館ガイドマップ。これを見ると、椎名其二生家跡「田町上丁18」を見つけるのは簡単。新潮社記念文学館の住所は、5番地違いの「田町上丁23」であった。)

    • それにしても新潮社を創立した佐藤義亮さん(明治11年?昭和26年)は素晴らしい業績を残した。角館町のご出身で、18歳の春、文学に生涯を賭ける覚悟で東京へ出た。数々の困難を克服し、1904年(26歳)で新潮社を創立している。以来、文芸に秀でた総合出版社として、新潮社は不動の地位を得た。今年は佐藤義亮生誕130年に当たるとか。機会があったら新潮社記念文学館を、もう一度、ゆっくり訪ねてみたいと思っている。
    • 約半世紀前、大学に入学したばかりのころである。ある時、高校からの学友・長島秀吉君と僕は、大学院の校舎に行った。新入生には縁遠い校舎である。そこの廊下に山内義雄先生が張り紙を出していた。ちょっと長くなるが、その文章を控えていたので披露する。
       「椎名其二さんのこと――――山内義雄    滞仏四十年といっても、それは椎名さんの場合、簡単に言いきれないものがあります。最近、『中央公論』に連載中の滞仏自叙伝によって御承知の方もあろうと思いますが、永い滞仏中、終始フランスの思想、文化、社会、政治にわたっての巨細な観察と犀利な批判につとめられた椎名さんのような方は、けだし稀有の人をもってゆるされるだろうと思います。そうした椎名さんのフランス語については今さら言うまでもありませんが、語学を通じて、さらに語学を踏みこえて、フランス文化の骨髄をいかにつかむべきかについての椎名さんの教えは、聴くべきもの多々あることを信じて疑いません。
       かつて一旦帰朝の際、吉江喬松博士の招請により早稲田大学フランス文学科に教鞭をとっておられたころの椎名さんのお仕事には、バルザック、ギーヨマン、ペロションなどの文学作品の翻訳とともに、ファーブル『昆虫記』の翻訳がかぞえられます。文学者であるとともに科学者であり、さらに一個哲人のおもかげある椎名さんの祖国日本に帰られてからのお仕事には、大きな期待を禁じ得ないものがあります。」
       この文章を見て、僕ら二人は勇み立った。長島君はフランス語が得意だったが、僕の第2外国語はドイツ語で、ABC(アー・ベー・セー)も分らなかった。でもどうしても、椎名先生にお会いしたくなった。フランス語にも猛然と興味が湧いてきた。
    • 閑話休題。昭和2年、再びフランスに帰る決意した椎名先生は、翌年、渡辺頴吉さんの紹介があり、大倉商事パリ支社で働くことになった。しかし、戦争に加担する武器を扱っている商社には勤めたくない、と勤め始めて数日で辞めてしまう。いかにも椎名さんらしいエピソードである。
        大倉商事を斡旋した渡辺頴吉さんの孫に当たるのが、正慶孝君のお通夜でお会いした片倉芳和さん(本欄2008年3月の写真参照)の奥様。90云歳のおばあさんからの話によると、椎名其二さんの思い出は今でも生き生きと残っているとのこと。
        また、4月に嶋田親一さんの著になる『人と会うは幸せ!』という本が弊社から刊行されたが、嶋田さんの祖父・小牧近江さんについて書いている個所がある。新潮社記念文学館では奇しくも椎名其二さん、小牧近江さん、渡辺頴吉さんが、展示パネルの上で、楽しく、仲良く語り合っている。わが亡父が秋田市出身だけに、このところ秋田ゆかりの話題が多く、奇妙な巡り合せに驚いている。
    • 同じく閑話休題。今回の「バリアフリー 桜を巡る東北旅行」は、身障者の方々に向けて旅行業者が組んで、提供したもの。この2泊3日の行程は、僕のような身では有難いの一語。聞くと添乗員も前職は介護関係の仕事に就いていたという。入浴も介護してくれ、温泉も楽しんだ。秋田・角館ばかりでなく、盛岡の石川啄木の詩碑、宮沢賢治記念館、北上市のサトウハチロー記念館等を見学して、文学を堪能した。

    08056.jpg

    (在りし日の椎名さんと僕が話している情景を長島君が撮ってくれた。6畳一間きりで、持ち物もごく少なかった。後日、フランスへ帰る際、その中から、椎名さんが製本装丁した総革の美しい本を3冊頂戴した。僕の宝物だ。)