2006.06.01藤田慶喜さん 清水正さん 野見山暁治さんほか

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わが社から先月、刊行された『サフィア――新生イラクを担う族長の娘』(ヨハンナ・アワド=ガイスラー著 福田和代・伊東明美共訳)をご覧になって、桜美林大学教授の藤田慶喜(けいき)さん(左)が来社された。担当編集者の高橋与実と二人でお話を聞いたのだが、著者のガイスラーさん(オーストリア人)とは旧知の間柄だという。かつて藤田さんは、ウイーンの国際連合工業開発機関に務めておられたことがある。その時の秘書がガイスラーさんだったというのだ。最近、日本人も世界を股に駆け活躍する人が多くなった。藤田さんも、国際連合という公の組織でお仕事をされたわけで、そのお一人といえる。
ここで、後日送られてきた藤田さんの経歴を書いたメモを見て、僕なりに類推しながらご紹介すると、藤田さんは現在70歳。学生時代は麻布中・高校に学んで、東京大学理学部地学科に進む。卒業後、東北大学工学部大学院に進み、金属工学を学ぶ。就職先は富士製鉄(現・新日本製鉄)。研究所、製造部門(工場長、課長)をはじめ数々の役職を経て、新日鉄エンジニアリング本部長を務めた。ここまでの会社員生活がいわば第1段階。
その後、ウイーンの国際連合工業開発機関へと転出される。前述したように、その時の秘書がガイスラーさんだった。当時、ガイスラーさんも35歳前後、バリバリのキャリアウーマンであった。この国連職員として海外生活。この期間が第2段階。
その後、藤田さんは帰国し、NGO、団体講師等を経て、桜美林大学大学院国際学研究科・経営政策学部教授の職に就く。つい最近まで、同大学副学長を歴任されたほか、現在も同大学の総合研究機構長・国際学研究所長を務めておられる。この期間がいわば第3段階である。
歩まれた足跡を見てみると、道は変わっても、その都度役割を精一杯務めてきたことが分かる。現在は、日本マクロエンジニアリング学会会長、循環型社会研究委員会委員長、社団法人産業環境管理協会参与、人間環境活性化研究科会理事のほか、国際環境NGO、FoEJ(元地球の友)の代表理事に就任予定など、公務も増えて、多事ご多端な日々を過ごしておられる。
藤田さんの令弟は、NHKの解説委員であった藤田太寅(たかのぶ)さんである。太寅さんは数々の番組のキャスター、コーディネーターを務め、「NHKスペシャル」「クローズ・アップ現代」「ETV特集」など、躍動する時代の最前線を凝視した番組制作で活躍された。1999年に関西学院大学総合政策学部教授に転身され、同大学で日本経済論、メディア社会論を論じておられる。兄弟揃って華麗なる転職を遂げ、活躍の場を広げていかれたのはうらやましい限り。が、誰でも簡単に真似のできるものではない。恐らく二人とも、中高一貫の麻布学園で学ばれたが、その頃からの友人関係がプラスに働いたのではと推測する。
ところでこうして藤田慶喜さんの知遇を得たのもご縁である。藤田さんには、専門のマクロエンジニアリングの世界を、一般読者向けに分りやすく書いていただきたいと思っているのだが……。

 

 

 

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本欄に何回も登場している明星大学教授の正慶孝さん(右)が、写真家の沖守弘さん(左)を伴って来社された。沖さんは、世界で初めてマザー・テレサの写真集を出された方。正慶さん曰く、日本よりも世界に名を轟かせたカメラマンであるとのこと。
沖さんはマザー・テレサの写真を撮るため、23年間に80回もインドを訪問しているとか……。写真集『マザー・テレサ 愛はかぎりなく』は、1997年、小学館より刊行された。何度も通い詰めてマザー・テレサの信任を得た沖さんだからこそ成った企画である。マザー・テレサは、1997年9月に亡くなったが、その三ヶ月前、沖守弘さんも第三期の食道がんにかかり全摘手術を受けている。その際、マザー・テレサから温かいお見舞いの手紙をもらったという。
マザー・テレサは天に召されたが、幸い沖さんは食道がんを克服し、いまもって元気に活躍されている。マザー・テレサに関しては、前述の写真集の他、『マザー・テレサ あふれる愛』(講談社刊)、『マザー・テレサ 愛に生きる――めぐまれない人びとにささげる一生』(くもん出版刊)等の著書もある。
今回、わが社に提案された企画は、もう一つのライフワークであるインドの文化風俗秘境を撮った写真集である。こうしたジャンルでも過去に、『沖守弘写真集 インド・祭り――神々とともに生きて5000年』(社団法人世界友情協会刊)、『インド・大地の民俗画』(未来社刊)といった大作を出している。
後者の本は沖さんが写真撮影し、本文・解説を小西正捷さんが担当、定価が7140円の大著である。このくらいの定価で驚くのはまだ早い。沖さんが写真撮影して、伊東照司さんが解説文を書いた『原始仏教美術図典』(雄山閣出版刊)は、定価が12,743円という豪華本である。これを見ると、値段に関係なく本を所有したくなるほど素晴らしい。しかし、時代が時代である。もう少し廉価にとのご所望も分かる。できればそうしたいと思っている。
「インドの仮面劇」「民俗画」「祭り」「仏教美術」など30年余間に撮影してきたテーマは多岐にわたり、約10万枚の映像に達した。インドでもあまりよく知られていない地方の貴重な写真で、文化遺産的に優れた作品も多い。刊行に向けて、前向きに検討してみようかと思っている。

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わが社からつい最近刊行された『ウラ読みドストエフスキー』の著者、日本大学藝術学部教授・清水正さん(右)が、出来上がったばかりの本を受け取りに来社された。カバーイラストはいまや超がつく売れっ子漫画家のしりあがり寿さん。カバーデザインは、しりあがりさんの本の装丁を多く手掛けているあきやまみみこさんにお願いした。編集協力は、野本博君(中央)である。
かたや当代稀に見る書き手の清水さん、受けて立つ名編集者の野本君、ともに日本大学藝術学部卒業の名コンビで、つまらない本を作るわけがない! 本書の刊行については僕も入れ込んだが、かつて2006年2月分の本欄でも紹介したように、清水さんのウラ読み、ウルトラ読みを満載したユニークな本ができた。「ドストエフスキー研究の第一人者が大胆に読み解く衝撃の書!!」という帯文句に相応しい内容の本になったと思う。
詳しい内容は読んでのお楽しみということで差し控えるが、一つヒントをいうと、「はじめに」を読むだけでも、この本が現代の根源的な問題、疑問に答える本であると断言しても差し支えない。著者は次のように書く。
――わたしは昭和24年に生まれた。いわゆる団塊の世代に属する。戦後に生まれた者として、戦争を直接知ることもなく、当たり前のこととして民主教育を受けてきた。が、教育の現場が教える正義や善は、ほんの少し現実社会に目を向ければ脆くも崩れ去る。ましてや国際社会で起こっている様々な紛争や戦争の前では、善も悪もその境界をたちまち失う。戦争では人殺しが平然と行われる。公平や平等や愛を大声で叫ぶ人間が、同時に利権や信仰の違いで骨肉の争いを続けている――
こうした文章にぶつかると、先へと読みたくなる。で、その先もほんの少しだけ引用しよう。
――人間の神秘を解き明かそうとしたドストエフスキーを生涯にわたって苦しめた問題は、神の存在である。神は存在するのかしないのか。神は存在するとして、どうしてこの地上の世界を不条理なものとして創造したのか。ドストエフスキーの人神論者たちは、神がこの世に正義・真実・公平を実現していないと見て反逆の狼煙を上げる――
と続く。
具体的な事件、戦争、殺人の例は引用を省くが、最後に「ドストエフスキーの文学は、時代や民族を超えた普遍性を備えている」とある。このように冒頭の一部を読むだけでも、清水さんの志の高さの一端がご理解いただけよう。
清水正さんの『ウラ読みドストエフスキー』の本文には、各章にわたって人間と神の問題を徹底的に見つめ、描き出したドストエフスキーの文学に秘められた謎が分析されている。数字、言葉、時間、場所等から導き出される隠された真意。まさに目から鱗の文章が続出する。ぜひ、お読みいただきたい。
本書の出版記念パーティが5月27日、埼玉県さいたま市浦和区の浦和ロイヤルパインズホテルで行なわれた。僕はあいにくリハビリの予約があって欠席したが、臼井出版部長、野本君をはじめ、学生時代、清水さんの大学院の教え子である編集部の長沼里香が出席した。出席したメンバーによれば、午後5時から1時間の講演を聴いた後、場所を変えてフルコースの食事付きの祝宴となった。作家・文化人、日大藝術学部の講師や教授、新聞・出版関係等マスコミ関係者、後援者など50人ほどが集い、大盛況だったという。

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本欄2005年8月分で紹介した蒲田耕二さん(左)が、「オフィス・サンビーニャ」代表で、音楽プロデューサーである田中勝則さん(右)を伴って来社された。蒲田耕二さんにご執筆いただいているシャンソンの本の原稿がやっと完成して、この日はその本に付けるCDの打ち合わせもあって、田中さんに専門家の立場からご参加いただいた。このCDには、約25曲のシャンソンを収めることになっている。収録作品はいずれ劣らぬシャンソンの名曲ばかり。今から完成が楽しみである。
CDの候補曲をアットランダムに挙げると、「さくらんぼの実るころ」「枯葉」「モンマルトルの丘」(以上、コラ・ヴォケール)、「愛の讃歌」「私の兵隊さん」「アコーディオン弾き」(以上、エディット・ピアフ)、「セーヌの花」「ガレリアン」(以上、イヴ・モンタン)、「小雨降る径」「マリネラ」(以上、ティノ・ロッシ)、「失われた恋」「ロマンス」(以上、ジュリエット・グレコ)、「人の気も知らないで」「かもめ」(以上、ダミア)。
あとは「パリの橋の下」(リュシエンヌ・ドリール)、「愛の言葉を」(リュシエンヌ・ボワイエ)、「詩人の魂」(イヴェット・ジロー)、「ブン」(シャルル・トレネ)、「バラ色のさくらんぼと白いリンゴの花」(アンドレ・クラヴォー)、「パリ祭」(リス・ゴーティ)、「マドモワゼル・ド・パリ」(ジャクリーヌ・フランソワ)、「小さなひなげしのように」(ムルージ)、「ゴリラ」(ジョルジュ・ブラッサンス)等の曲である。あの時代の本物のシャンソン。本場の雰囲気を味わってもらおうという趣向である。
田中勝則さんによると、CDはシンガポールで作ったほうが廉価で便利だという話になり、専門家の意見に従うことに決めた。蒲田さんが、田中勝則さんは音楽雑誌にCD評論などを寄稿した優れた書き手でもあるというので、藤木君と僕はぜひ一度、記事を見せてほしいと希望を述べた。
お二人が帰った後、パソコンで調べてみると、自主レーベル「ライス」から注目盤を精力的にリリースし続ける音楽評論家・田中勝則さんの活動ぶりが分かった。『インドネシア音楽の本』(1996年 北沢図書出版刊)をはじめ、15年程前には季刊「ノイズ」のミュージック・マガジン別冊で毎回執筆されているほか、名ライナーノーツ田中さんは「オフィス・サンビーニャ」で奄美音楽のRIKKI「ミス・ユー・アマミ」を売り出して、自ら解説も書いていることが分かった。田中さんは、つい先月、亡くなったブラジルのサンバ音楽家ギリェルミ・ジ・ブリートの「新しい生命」の対訳をされたほか、各国の民族音楽にも詳しい方で、この方面に疎い僕らが学ぶべきことは多々ある。今後、田中さんの企画がどんどん出てくることを期待してやまない。ちなみに蒲田さんの本のタイトルは『聴かせてよ愛の歌を――日本が愛したシャンソン100』(仮題)。400ページから500ページに及ぶ、シャンソンの決定版ともいうべき本になるはずだ。期待してお待ちいただきたい。

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わが社から『こんな音楽があったんだ!――目からウロコのCDガイド』(みつとみ俊郎著)でいろいろと手伝ってくれた編集工房「ラグタイム」の青柳亮さん(左)の紹介で、クラシックを分かりやすく説いてくれる著者・室田尚子さん(中央)とお会いした。
室田さんは、東京芸術大学大学院修士課程(音楽学)を修了し、現在は音楽評論家で、武蔵野音楽大学講師、早稲田大学非常勤講師等も兼務している。「クラシック音楽を楽しむ」ことを常に活動の中心に置き執筆以外に企画や講演なども行なっている。わが社にとって得がたい人と、担当の藤木君が惚れ込んで著者に決定した。僕も室田さんならやさしく、わかりやすいクラシックの本ができる確信が湧いてくる。
昨年、室田さんはPHP研究所から『チャット恋愛学 ネットは人格を変える?』というユニークな本を出版したが、それ以前は、全部クラシックがらみの本を執筆されている。すべて共著だが、『200CD&DVD 映画で覚えるクラシック名曲』(学習研究社刊)、『ぴあ クラシック・ワンダーランド』(ぴあ株式会社刊)、『200CD クラシック音楽の聴き方上手』『200クラシック用語事典』(以上、立風書房刊)、『ヴィジュアル系の時代 ロック・化粧・ジェンダー』(青弓社刊)、『鳴り響く”性”──日本のポピュラー音楽とジェンダー』(勁草書房刊)、『ショパンを読む本?ショパンをめぐる29のアプローチ』(ヤマハミュージックメディア刊)等……。音楽之友社からも二冊出しており、このジャンルについては、専門的過ぎず、気軽に読める本作りを心得ておられる方だ。
室田さんのホームページを見た僕が、クラシックの本の案内役乃至は質問者として、室田さんお気に入りの猫ちゃんを起用したらどうかという案を出したところ、満更でもないような返事が返ってきた。『ネコも知りたいクラシックの本』とか『クラシックだったらお答えします。ゴロニャン!』という本ができたら、面白いと思う。

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井上昭正さん(左)は国際経営協力センターの社長で、経営コンサルタントとして著名な方。今回、外部編集者の谷島悦雄さん(右)のプロデュースでわが社から本を出させていただくことになった。『国際ライセンスをもつ経営コンサルタントへの道』『人材力強化の研修戦略』『人材開発の組織戦略』など、コンサルティングの専門書は何冊も出されている方だが、一般読者向きの本というわが社の依頼に応えていただいたものだ。
この日の来社は、井上さんの脱稿した原稿を、谷島さんが編集者として眼を通した入稿用原稿と写真類を持参していただいた。担当者の臼井君も谷島さんの手際よいやり取りで好都合というわけだ。
この本は100年以上売れ続けているヒット商品を持つ会社7社にスポットを当て、なぜそれほど大衆に支持されてきたのか、その秘密を探り出そうとするもの。この7社の業種は食品会社、事務機メーカー、筆記具など多岐にわたる。具体的に名前を挙げれば、木村屋の桜あんぱん、金鳥の蚊取り線香、キューピーマヨネーズ、田崎の真珠、事務機のイトーキ、ゼブラのボールペン、カゴメ・ブランドなど、いずれ劣らぬ日本を代表するお馴染みブランド。
コンサルタントとして第一線で活躍中の著者が、精力的に当該会社に取材を繰り返して脱稿にこぎつけたものであり、かなりの労作であることは一目見て分かった。その歴史的商品のマーケティング戦略の秘密が、わかりやすい筆致で解明されている。あとは臼井君がデザイナーとどう形にしていくか、にかかっている。
仮題は『アンパンはなぜ売れ続けるのか?』だったが、いいタイトル案だが、一社の例しか表現できていないので、他の六社に対して失礼ではないかという疑問も出た。本を出すまで、なんとか知恵を絞りたい。

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本欄に何回かご登場している画家・野見山暁治さん(左)が、5月22日から6月3日まで銀座のみゆき画廊で個展をされているので、僕は野本博君とこの個展を見に行った。オリジナル版画豆本「どこかに居る」も出版、展示されていて、よい個展だった。画廊店主の牛尾京美さん(右)にもお話を聞くことができた。現在、野本君が担当で野見山さんの単行本の編集が進んでいる。本の刊行時には、野見山さんの画との相乗効果も見込めることから、画廊に置かせてもらいたい要望を述べたところ、牛尾さんは快く承諾してくださった。年内にも発刊予定だが、牛尾さんよろしくお願いします。
野見山さんは、原稿執筆のほか、ご本業のデッサン、絵画の実作、旅……といつもお忙しい。それでも本人はいつも悠揚迫らぬ態度で、生活を送っておられるように見える。そういう風に見られるのも、野見山さんの生き方のコツであろう。この銀座個展の前、5月11日から14日までMMGのパリのジャルダン・デ・チュイルリーで行なわれる「国際版画展」Salon International de l’Estampe2006 に出品するため、フランス行きのスケジュールを組んだ。人から見るとかなり強行軍に感じるが、本人は一向に介しない。85歳とも思えぬ強健ぶりである。
 その出発前の5月3日、野見山暁治さんを中心に10名余りが、会席料理の「銀座大増」に集まった。「在仏40年でモラリストであり自由人だった」椎名其二さんの縁にまつわる人々の集まりだ。この日は、たまたまドイツからモリトー良子さんが日本に戻っていたため、僕たちにまでお声をかけてくださった。有難いことに、モリトー良子さんは10年来、月刊『清流』の有料購読者である。お蔭で野本君と僕は光栄にも先生方と親しく接することができた。有難いことである。
以下、当日の模様を2枚の写真で紹介する。

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右から野本博君(野見山さんの本の編集担当者)、曽禰知子さん(モリトー良子さんの妹、ご主人は前東急ハンズ社長)、野見山暁治さん(昨年12月菊池寛賞受賞。今年2月わが社から出た『小熊秀雄童話集』に「池袋モンパルナスと小熊秀雄」と題し、窪島誠一郎さんとの対談を収録)、加登屋、モリトー良子さん(在ドイツ。椎名さん直伝の製本家。令弟は住田良能産経新聞社社長)、安齋和雄未亡人の美恵子さん(この会の常連で早稲田大学教授の安齋和雄さんは、先年お亡くなりになった)。近藤信行夫人、近藤信行さん(作家・評論家、山梨県立文学館長、元中央公論社の名編集長)、山口千里さん(野見山暁治さんの秘書)、岡本半三さん(画家。10歳で奥村土牛、23歳で安井曾太郎と日本画と洋画の両巨匠に師事。1951年一水会展入選後、フランスへ留学。その際、野見山暁治さんと椎名其二さんと知り合った)、高松千栄子さん(岡本半三さんのパートナー)。
当日、僕が椎名其二さんにいただいたHan Rynerの装丁本を持って行ったところ、著者の名前はどう読めばよいのでしょうかと安齋美恵子さんから質問を受けた。説明すると、後日、故安齋教授の持っていたHan Ryner の原書が6冊会社に届き、いっぺんに僕はアン・リネルの研究家になった気分を味わった。

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野見山暁治さんは、僕にとって約半世紀、気になっていた方、いや正確にいうと憧れていた方。もちろん専門の絵画について言うことはないが、窪島誠一郎さんと『無言館』の建設を筆頭に、行動する姿が素晴らしい。それに加えて、書くものが心の襞に染み入るようで印象に残る。『四百字のデッサン』を初めて読んだ時の衝撃は忘れられない。昨年、発行の『いつも今日――私の履歴書』に至るまで、約15冊の本をお書きになっている。どの本をとっても、奥行きが深く、何度でも読み返したい文章だ。文化功労賞を受賞されたが、画家、作家ともに高評価できる方はそう多くはない。