2005.12.01サナエ・カワグチさん 笹本恒子さん 三戸節雄さん

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 わが社から11月初旬に刊行した『タイム・オブ・イノセンス――ある日系二世少女の物語』の著者、ニューヨーク在住のサナエ・カワグチさん(中央)がこの本を翻訳された堤江実さん(右)と一緒に来社された。カワグチさんはここ20年で覚えた日本語を流暢に話されるが、込み入った話になると、お二人は英語で意思疎通を図っていた。
  この日、担当した編集者の野本博君が、自宅の蔵書の中からタイムライフ社の英会話の教則本を探し出して持ってきた。その本には、カワグチさんがかつて親しく付き合ったジェリー伊藤さんがスピーカーとして出演している。その本の一節を音読されたカワグチさんの英会話の発音、イントネーションの素晴らしさには驚かされた。さすがロサンジェルス生まれである。
 この『タイム・オブ・イノセンス――ある日系二世少女の物語』は、戦後六十年のアニバーサリーな年に格好の企画である。第二次世界大戦中に日系人として差別や迫害、暴力の恐怖のなかを生き延びた日系二世少女を、実話に基づいて、迫力ある筆致で描き出している。収容所に収容されたのではなく、逃げ回って生き延びた日本人は1000人ほどいたらしい。その一人だったカワグチさん。この稀有な体験を、平和ボケの日本人にご一読をお勧めしたい。
 カワグチさんは、この後、日本各地の友人たちを訪ね、次々と本を宣伝してくれたが、そのハイライトとして11月23日(水)に東京文京区根津の居酒屋を借り切って出版パーティーが行なわれた。僕は先約があって出られなかったが、野本君が出席してくれた。彼の伝えるところによると、司会はカワグチさんとは旧知の画家・桐谷逸夫さん。集まった人々はみな、若き日のカワグチさんの友人・知人や、アメリカ旅行中マンハッタンのカワグチさんのアパートにお世話になったという方ばかりで、総勢三十数名の和気藹々とした宴だったという。
 冒頭の挨拶でカワグチさんは、「この本の出版を機に、昔からの仲間が集まってくれて大変うれしい。ジェリー伊藤さんは今、ロスに住んでいるが、彼とのラブ・ロマンスなど、まだ書いてないことがある。ぜひ続編を書きたいもの」と宣言し、幸せそうな顔をしていたという。
 この本を翻訳した堤江実さんは、11月中旬、わが社から上梓した『”ことば美人”になりたいあなたへ――明日を輝かせる31のヒント』の著者でもある。この日、カバーの装丁案が出来てお見せしたところ、とても気に入ってくれた。日本語の美しさと響きを堪能できる内容で、こちらのほうも男女問わずに読んでもらいたい一冊だ。

 

 

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 女性報道写真家の草分け的存在で第一人者の笹本恒子さん(右)が、来社された。笹本さんには、清流出版ではこれまでに『きらめいて生きる 明治の女性たち』をはじめ、『夢紡ぐ人びと』『ライカでショット!――お嬢さんカメラマンの昭和奮闘記』『昭和を彩る人びと――私の宝石箱の中から100人』の四冊を刊行していただいた。『ライカでショット!』のみがエッセイ集で、残りの3冊はすべて写真集。有名無名を問わず優れた方々を取材し、被写体に収めたいずれ劣らぬ力作である。今回の来社の目的は単行本ではなく、月刊『清流』の企画に相応しいテーマと人選を2件持ってこられたとの由。まだ企画段階であるので、僕は一定の条件さえクリアできればやりたいと思いながら耳を傾けた。
 その一つが、ある60代の夫婦の物語だ。夫は大学を卒業後、一流会社に入社する。縁あって結婚し、二人の子どもを設けるが、31歳のときにベーチェット病と診断される。やむを得ず会社を辞め、按摩鍼灸の資格を取るとともに、日本カウンセラー協会のカウンセリングアカデミーの勉強をする。その後、数々の試練をものともせず、積極的な人生を歩み、いまや市役所から生涯学習、保健所から難病関係、障害者センターからオンブズマンなどの審議会や協議会などへの委員を委嘱されるまでになったという。
  その奥さんの奮闘振りも素晴らしい。ガリ版印刷、和文タイプなどを勉強し、タイプ印刷会社に就職する。子育て期間を終えて、新しい印刷会社に就職し、定年まで勤務したという。笹本さんからお二人の経歴をかいつまんで聞くうち、このような魅力的なご夫妻を早く読者に伝えたいという気持ちが高まった。早速、同席した松原副編集長(左)に早い時期に取材をと要望を出した。
 かつて笹本恒子さんに憧れ、アメリカでフォトジャーナリズムを専攻し、報道写真家になろうとした人がいる。その方とは、いまの三洋電機の代表取締役会長兼CEOの野中ともよさんである。笹本さんの来し方は、同姓に励みと勇気を与えてきたのである。お年を感じさせないこの若さの秘密は、日々楽しむワインにあるようだが、いまだに仕事中心の生活を送っておられる。

 

 

 

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 経済・経営ジャーナリストの三戸節雄さん(左)が、デザイナーの廣瀬郁さん(右)を伴ってやって来た。清流出版から先に出版した『日本復活の救世主――大野耐一と「トヨタ生産方式」』は、海外に版権が売れたうえ、日本の一定の読者に読んでもらった。今度の新企画は、もう少し若い人々にまでトヨタ神話の神髄を理解してほしいとの三戸さんの願いが込められている。
  そのきっかけは、三戸さんが朝日新聞の「トヨタウェイ」というシリーズ連載企画の取材を受けたことにある。連載担当の朝日新聞記者・街風隆雄さんの言葉が三戸さんの情熱の火に油を注ぐことになった。新聞読者からもっと知りたいの声があり、反応もよかったのだ。三戸さんのハートは熱い。炎のジャーナリストと呼ばれる所以だ。三戸さんは「大野耐一の世界」をもう一度徹底解剖し、21世紀の「トヨタ生産方式」の基本教科書を作ろうと考えたのである。
 この企画に三戸さんは、デザイナーの大御所である廣瀬郁さんを巻き込んだ。これは深謀遠慮があってのことだ。まず、廣瀬さんが撮った大野耐一さんの写真が出てきた。この写真は朝日新聞からの希望もあり、廣瀬さんがストックの山の中から探し出した。約20年前、まる一日がかりで大野さんを追った貴重な写真である。どんな理由かは知らないが、この写真は連載中には使われなかった。しかし、三戸さんは欣喜雀躍した。大野耐一さんの勇姿とともに、トヨタ生産方式が見事に写し撮られていたからだ。
  もう一つは、廣瀬さんのデザイナーとしての熱い思いを、この本にぶつけてもらおうとの魂胆である。廣瀬さんは、1960年日宣美特選以来、数々の賞を受賞してきている。日本図書設計家協会設立発起人で、同協会初代事務局長なども歴任してきた。早速、廣瀬さんの構想を聞くと、A5判で本文横組みにし、写真レイアウトは大きく自由にとり、両方の欄外には小さな活字で解説、メモ、参考文献などを入れる、という腹案を出してくれた。
 廣瀬さんはお元気である。僕より2歳年上である。今年春先、喉頭がんと肺がんの手術を受けた方とは思えない。予後がよいので運動を始めているという。それにしてもプールで毎日600メートルほど泳いでいるとは……。この日も、われわれに付き合って、焼酎、日本酒、ウイスキーをちゃんぽんで飲みながら、本作りのアイデアは止まることがなかった。