「悪知恵」のすすめ ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓
「悪知恵」のすすめ ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓

この連載は終了しました。現在、単行本化に向けて編集作業中です!

掲載日(2016年9月 6日)

長らく、ご愛顧いただいたこのブログは終了しました。

ご愛読ありがとうございました。

現在、ブログの内容を書籍化し始めております。

サンプルとして、最終回のみ残しております。

タイトルや、定価などは未定ですが、2016年の11月頃に発売の予定です。

最終回 裁判官と病院長と隠者

掲載日(2016年7月21日)

すべての道がローマにたどり着くように

いかなる仕事をしても、いかなる生き方をしても、

自分自身を知ること、学ぶことに行き着くのだ。

 

自分を知ること、学ぶこと。これが神が命じた責務だ

「すべての道はローマに通じる」という格言はだれでも知っているが、それがラ・フォンテーヌの『寓話』の最後に置かれた「裁判官と病院長と隠者」から来ていることを知る人はほとんどいない。ましてや、どんな文脈で使われていたかを知る人は皆無に近いだろう。というわけで、この連載エッセイの最後に「すべての道はローマに通じる」の起源を示しておくことにしよう。
 ひとしく魂の救済にあこがれ、清らかに生きることを決意した三人の友がいた。彼らは、同じ動機から出発したが、それぞれ異なる道をだどることにした。すべての道はローマに通じるのだから、どの道を取っても、結局、最後は同じ目標に到達できると考えたのである。
 
一人は、いつの世にも絶えない訴訟沙汰につきものの煩わしさや障害から人々を救ってやろうと考え、いっさい報酬を受け取らずに、裁判官を引き受けることにした。なにしろ、人生の半ばどころか、四分の三を訴訟にすごす人もいるのだから、そういう愚かな努力を省略できたらどんなにいいだろうと思い、自分が調停人になってやろうと考えたのだ。
 もう一人は天職として医者を選び、病院長となった。たしかに、病人の苦しみを和らげることは、慈悲深い行いであり、称賛さるべき行為である。だが、こらえ性がなく、不機嫌な病人たちは病院長に対して不満を漏らした。「あの人は、だれそれに特別に気を配っている。絶対、あの患者の知り合いなんだ。わたしのことは放っておくくせに」と。病院長は不公平をなじられ、非難された。
 しかし、病院長が出会ったこうした不幸も、裁判官の陥った困惑に比べれば物の数ではなかった。というのも、裁判官の出した裁定に一人として満足するものはいなかったからである。被告にとっても原告にとっても、裁判官は不公正であり、相手をえこ贔屓し、公正な裁きを下していないということになる。
 この評判を聞いてガックリした裁判官は友である病院長に会いに出掛け、おおいに愚痴をこぼし合った。そして、これだけ誠心誠意尽くしているのにみんなから文句を言われるのは割に合わないと結論し、仕事をやめようということになった。
 
それと同時に、もう一人の友のことを思い出した。
 
この友は、二人とは別の道を歩み、いまでは奥深い森の隠者となっていた。峨々たる山並みを越え、清らかな泉の近くにいくと、隠者は太陽も知らないようなその場所に庵を開いていた。二人の友は、久しぶりに再会したその旧友に意見を求めた。
 すると隠者はこう語った。
 「いったい、この世のだれが、君たちよりもよく君たち自身のことを知っているだろうか? 自分のことは自分で決めるべきだ。自分を知ること、学ぶこと、これこそが至高の神がすべての人間に命じている第一の責務だろう。しかし、人が大勢いるところで、自分を知ることが果たしてできるだろうか? 人間というのは、静けさに満ちたところでしか、自分を知ることはできないものだ。泉の水を撹き濁してみたまえ。水面に君たち自身を映すことができるだろうか?」 
 
二人の友はいう通りにした。水底から浮き上がった泥が水を濁し、水面は鏡ではなくなった。隠者は続けて言った。
 「友よ、水が濁らぬようにすることだ。そうすれば君たち自身の姿が映る。もっとよく自分を見据えるために、人気(ひとけ)のないところにとどまりたまえ」
 
二人の友は隠者の言葉に従った。

 

結びの教訓━━自分自身を知れ!


 この寓話からラ・フォンテーヌが引き出した教訓は次のようなものである。
 人は訴訟を起こし、病気になるのだから、裁判官や医者が必要でないとはいわない。しかし、幸いなことに、そうした人材に事欠くことはない。名誉や金を求めて、人々は次から次へとそうした職業に就きたがるだろうから。
 
しかし、こうした人たちは、社会一般の必要にかまけて、肝心の自分自身について考えることを忘れてしまっている。
 同じことが国家の運営に携わる為政者、国王、大臣たちについてもいえる。
 
彼らはみな、あまたの忌まわしい事件に忙殺された結果、不幸に打ち砕かれるか、あるいは逆に幸福に毒されてしまっている。
 
そのために、自分自身のことがわからなくなっているのだ。いわんや、他者については何も知らない。
 なにかの機会に自分自身のことを考えるかもしれないが、しかし、追従者のおかげで、その機会も奪われてしまうだろう。
 来るべき時代のために、この教訓をこの書物の結びとしたい。私はこれを王に捧げる、賢人たちに勧める。自分自身を知れ、と」

                *

 さて、これで、ラ・フォンテーヌの『寓話』も最後となった。
 ページ数の関係で、すべての寓話を取り上げることはできなかったが、主要な寓話はほぼ網羅しつくしたかと思う。
 人間が自分自身を知るために心の中の最も深いところまで測鉛を降ろした17世紀フランス・モラリスト文学。
 この連載をつうじて、その輝かしい華であるラ・フォンテーヌの『寓話』のエッセンスを21世紀の日本人に届けることができたかどうかいささか心もとないが、少なくともその端緒くらいは開けたのではないかと自負している。
 ラ・フォンテーヌの名が日本でも人口に膾炙することを祈って筆を擱く。(完)

著者プロフィール
著者近影 鹿島 茂
(かしま・しげる)
仏文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。新刊に『ドーダの人、森鴎外』、『ドーダの人、小林秀雄』。大のネコ好きでもある。
Twitter ID: @office_kashima

ラ・フォンテーヌ
フランスの国民的な詩人。1621?1695年。モリエール、ラシーヌと並ぶ古典主義の代表的な作家。イソップ物語に独自の解釈を加えた「寓話」で、動物を主人公に人間性の真実を描く。『ラ・フォンテーヌ 寓話』(上・下/岩波文庫)で読むことができる。
「悪知恵」のすすめ ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓
大好評の既刊本 増刷出来!!
『「悪知恵」のすすめ ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓』
鹿島 茂著 本体1,700円+税

■内容から
無知な友より賢明な敵のほうがまし
小さな親切は、大きなお世話
最も強い者の理屈は最も正しい
性格のよくない人に何か与えると、必ず後悔する
確実な証拠をつかむまでは絶対に相手を信用するな
騙し騙されは人生にとって回避できないものである
……etc.
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