心のどこかの風景 -女性がおしえてくれること-
第35回「母との最後のおしゃべり」(前編)  ── 初めて見た母の涙
(掲載日:2011年10月 1日)


 昨日は母と最後のおしゃべりをした。

 七十二歳の母は二か月前、喉頭がんの宣告を受け、喉に出来たポリープを切除した。しかしそれだけでは完治に至らず、声帯と喉ぼとけをすべて切除することになった。手術日の前々日、「これからはしばらくおいしいものが食べられないから、好きなだけ食べてきなさい」と担当医に言われ、自宅に外泊で戻ったのだった。この日が母との最後のおしゃべりになるとは家族の誰ひとり言わなかったが、昼間から自然と家族でテーブルを囲むことになった。

「で、おいしいものは食べた?」と聞くと、母は「いつもと一緒。そんなこと言われて急にぜいたくしたらお腹を壊しますよ」と痛々しいかすれた声で言った。ポリープと一緒に声帯も少しばかり切除したので普通の声は出せないのだ。隣に座っていた八十二歳の父は、テレビでゴルフの試合を観ると言って、途中で自分の部屋に戻ってしまった。その時の父の後ろ姿がさみしげで小さく見えた。母の病気が余程ショックだったようだ。今まで見たことがない父のよわよわしい背中があった。

 おしゃべりは楽しかった。母は自分の半生を振り返り、あれこれと楽しそうに話した。亡くなった祖母が若い頃、とてもきれいで男にもて過ぎて困ったこと、父とはじめて会った日のこと、子どもが生まれる前に飼っていた犬のこと、僕ら子どもを預けて夫婦で出かけた旅行のことなど、これまで知らなかった驚くようなことが多く、思わず身を乗り出して聞いた。母というよりも一人の女性の物語として、聞いていてとても面白かった。

 僕の知っている限り母は病気知らずだった。風邪で寝込んだこともなく、それこそ七十二歳まで入院などしたこともなかった。

 とにかくいつも元気な人だった。五十歳から始めたレッスンのおかげで、歌はめきめきと上達し、カラオケ大会に出場すれば賞金を持ち帰るようになった。優勝は数知れず、しまいにはあまりに上手すぎるために出場も出来なくなってしまった。

 小さな頃からの母の夢は歌手になることだった。六十歳の時には念願のCDを自主製作し、母は自分の夢を叶えた。

「昨日の夜、寝ながら自分の歌を録音したテープを聞いていたら、さすがに涙が出たわ。もう唄えないかと思うとね……」と目をこすった。実はこのとき、僕は母が涙する姿を生まれて初めて見た。何があろうと泣かない人だった。母はタオルを両目にあてて声を出して思い切り泣いた。これほど歌が好きだった人が、声を出せなくなるなんてどれだけ辛いのだろうと思うと僕も泣けて泣けて仕方がなかった。

(後編へ続く、次回は10月15日です)

著者プロフィール
松浦弥太郎
(まつうら・やたろう)
1965年、東京都生まれ。『暮しの手帖』編集長。「COW BOOKS」代表。文筆家。18歳で渡米し、アメリカの書店文化に関心をもち、帰国後に書店を開業。著書に『くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集』『最低で最高の本屋』『日々の100』『今日もていねいに。』『あたらしいあたりまえ。』『松浦弥太郎の仕事術』『ぼくのいい本こういう本1,2』『あなたにありがとう。』『暮らしのヒント集2』などがある。

COW BOOKS http://www.cowbooks.jp/

暮しの手帖 http://www.kurashi-no-techo.co.jp/

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