開高健さんのエッセイで、スタインベックの「朝めし」という掌編を知ったのは、十代の終わりだ。読書をして、その情景が鮮明に頭に浮かんでくる喜びを知ったのは、この小説がはじめてだった。
アメリカに旅立った十八歳のとき、あてもなくサンフランシスコの町を歩いていたのは、スタインベックの「朝めし」のような光景がどこかにあるに違いないという憧れを抱いていたからだ。
日が昇る直前の朝、テントのわきのストーブで、赤ん坊を小脇に抱いた若い女性が、手際よく朝食のベーコンを焼く様子は、文章とともに、今でも頭のなかに映像となって刻まれている。髪を無造作に後ろ結びにした女性の横顔が、朝日に照らされる様や、じゅうじゅうと音を立てて焼けるベーコンと、その肉汁をかけて食べる焼きたてのパン。それを見ている主人公の男。それは僕にとってアメリカそのものだった。
アメリカに滞在し始めの頃、英語が話せないことを克服しようと、晴れた日の朝、サンフランシスコのユニオンスクエアの角に立ち、手当たり次第に郵便局はどこですかと道行く人に訊いた。
「まっすぐ歩いてつきあたりを曲がれ」という人がいれば、「右に曲がって、すぐ左に曲がって、まっすぐ」という人がいるように、その答え方は人それぞれで、おおいに英語の勉強になった。
白いタンクトップを着て、黄金色の髪をポニーテールに結んだ二十代の女性が、こっちに向かって歩いてきたとき、反射的に次はこの人に訊いてみようと思った。女性の歩き方は雲の上を歩いているように美しかった。
「Excuse me,but Where is post office?」
郵便局の場所を訊いたとき、僕は女性のスカイブルーの目に見つめられ、一瞬で心を奪われてしまった。
女性は「いいわ」と答え、地面にしゃがみこみ、ジーンズのポケットから、小さなナイフを取り出し、パチンとナイフの刃を開いた。そして臆することなく、ナイフをペンの代わりにして、アスファルトに線を引いていった。ナイフはカリカリという音を立ててアスファルトを削り、何本かの線は立派な地図となった。それを見た僕は、アメリカの女性は、なんてかっこいいんだと、息が止まるくらいに驚いた。
「今ここよ。そして、ここから三ブロック先を右。少し歩けば郵便局は左側にあるわ」
女性はアスファルトに描かれた地図を、ナイフでなぞって親切に教えてくれた。
スタインベックの「朝めし」をそのとき思い出した。朝もやのなかで朝食を無心になって料理する女性の美しい横顔と、今、自分の真横で、ナイフでアスファルトに地図を描いた女性の横顔が重なった。
「わかったかしら?」と女性に訊かれ、その美しい青い目で見つめられた僕は、思わず「あなたの名前は?」と訊いて、女性にクスっと笑われた。
「さあ、なんて名前かしら?」
女性は名前を言わなかった。
「いい一日をね」
女性は立ち上がって、僕の頬に軽くキスをして立ち去った。
たった五分あまりのやりとりであったが、僕は胸を大砲で打ち抜かれたように感動した。孤独と向き合い、アメリカに小さな絶望を抱いていた僕は、アメリカに来てよかった、と希望が芽生えた。遠かったアメリカに近寄れたと思った。
次の日から僕はその女性ともう一度会いたくて、朝になると同じ時間に街角に立った。しかし、残念ながら女性とは二度と会えなかった。
今でもスタインベックの「朝めし」が大好きだ。読めばサンフランシスコで会った女性の横顔にいつでも会えるからだ。
(毎月1日、15日更新。次回は7月15日です)
