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松浦弥太郎(まつうら・やたろう)
1965年、東京都生まれ。『暮しの手帖』編集長。「COW BOOKS」代表。文筆家。18歳で渡米し、アメリカの書店文化に関心をもち、帰国後に書店を開業。著書に『くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集』『最低で最高の本屋』『日々の100』『今日もていねいに。』『あたらしいあたりまえ。』『松浦弥太郎の仕事術』などがある。
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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
バックナンバー
『夜になっても遊びつづけろ』を再読する
『ルイス・ブニュエル』を読みながら思い出したこと
〈元祖オタク〉のシナリオライター、山崎忠昭について
和田誠 または寛大なるイロニスト
大岡昇平とルイズ・ブルックス
岩田宏、あるいは小笠原豊樹をめぐる断想
クラス・マガジン『話の特集』が輝いていた時代
田中眞澄の遺稿集『小津ありき――知られざる小津安二郎』
桂ゆきとジャン・ジュネ
虫明亜呂無ふたたび、そして宇津宮雅代
片岡義男について知っている二、三の事柄
わが偏愛するエリオット・グールドの七〇年代
寺山修司とネルソン・オルグレン
織田作之助と川島雄三
「ぼくの映画というのは、ぼくの悶えみたいな気がする」――大島渚追悼
映画狂のミステリ作家、小泉喜美子の思い出
あくまで私的な小沢昭一・考
イタリア映画の魅惑 あるいはマルコ・フェレーリ讃
大和屋竺という映画作家がいた時代
若松孝二をめぐる個人的な追想
ピーター・ブルックの幻の傑作『蠅の王』
スーザン・ソンタグと蓮實重彦の微妙な対話
『ライク・サムワン・イン・ラブ』を見て、J・V・ヒューゼンを想う
周防正行とユニット・ファイブの時代
武田百合子の映画エッセイについて
プレストン・スタージェス再考
映画的な作家、武田泰淳の凄みについて
名キャメラマン萩原憲治の日活映画史
加藤泰を愛した女たち あるいは袴塚紀子さん追想
ジャズで踊って、または幻のタップ映画『舗道の囁き』
バザン、ウォーショウ、そして西部劇
日活ロマンポルノ考 堀英三という映画記者がいた
マックス・オフュルスの方へ
映画作家としてのアイダ・ルピノ
前田陽一の幻のテレビドラマ『小春日和/インディアンサマー』
奥村昭夫、ゴダールに殉じたある映画的人生
清水宏と大山健二
瀬川昌治とビリー・ワイルダー
伝説の映画批評家、内田岐三雄について
エノケンの弟子としての内藤陳
遅ればせながら矢島翠を追悼する
花田清輝の映画的思考とは何か
ラディカルな映画史家としての竹中労
ジョーン・ディディオンによる<喪の仕事>
エリザベス・ボウエンの『日ざかり』が映画になっていた
渡辺温、及川道子、そして『アンドロギュノスの裔(ちすじ)』
安田南 いま、いずこ
原田芳雄、林美雄、そして「サマー・クリスマス」
イヴリン・ウォー原作の幻の未公開映画
武満徹の映画エッセイ集『映像から音を削る』
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