高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2014年7月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2014年7月アーカイブ

ダニエル・シュミットとミニシアターの時代

 オーディトリウム渋谷で大規模な「ダニエル・シュミット映画祭」が始まった。第一部は彼のほぼ全作を網羅した「レトロスペクティヴ」、第二部はドキュメンタリー『ダニエル・シュミット――思考する猫』、第三部は「ダニエル・シュミットの悪夢―彼が愛した人と映画」と題し、『歴史は女で作られる』『グリード』など彼が偏愛してやまなかった八本の映画が上映される。

 先日、『ダニエル・シュミット――思考する猫』の試写を見せてもらった。私は、パスカル・ホフマンとベニー・ヤールがチューリッヒ芸術大学大学院の終了制作として撮った、この優れたドキュメンタリーを見て、さまざまな思いに耽ってしまった。

 

ダニエル・シュミットという名前は、ミニシアターが華々しく登場した一九八〇年代初頭という時代の記憶と深く結びついている。一九八一年に、フィルムセンターの特集「スイス映画の史的展望」において、シュミットの『ラ・パロマ』が上映された時の異様な混雑ぶりはよく憶えている。その理由は、はっきりしていた。蓮實重彦が、当時、『話の特集』のコラムで、この無名の映画作家の『ラ・パロマ』を大絶賛していたからだ。

今、思えば、ダニエル・シュミットを世界中でもっとも高く評価したのは、日本の映画ファンであり、より正確に言えば、当時、絶大な影響力を誇示していた蓮實重彦の扇動的な批評によるところが大きかったと思う。一九八二年にアテネ・フランセで開催された「ダニエル・シュミット映画祭」は、日本で一本も正式公開されていない映画作家の特集としては、異例の大成功を収めた。

この年に、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが亡くなり、ちょうど、映画祭で来日していたシュミットがドイツ文化会館でファスビンダーの追悼講演とシンポジウムを行った。この時に司会兼通訳を務めた岩淵達治さんには、その後、シュミットへのインタビューをお願いし、それらをまとめる形で、『月刊イメージフォーラム』で「R・W・ファスビンダー研究」という特集をつくったのである。

 

ダニエル・シュミットといえば耽美的でキッチュで倒錯的なメロドラマの作家と語られがちだが、私がこのシンポジウムで、強く印象に残ったのは、彼の次のような発言だった。

 

「だいたい私は、二人の人間関係、たとえば、男と女とか夫婦関係というものが最少単位のファシズムの発生するベースだと思う。つまり、ファシズムをそういうふうに二人の人間の従属関係から捉えた場合は、日本だろうとソ連だろうとアメリカだろうとドイツだろうと皆同じではないだろうか。」

 

『思考する猫』ではシュミットの、一九六〇年代のベルリンにおける政治運動やカウンター・カルチャーの洗礼を浴びた経験が語られていて興味深かった。そして、一九七〇年以後は、映画の世界で一挙にバロック風な幻想的な資質を開花させた経緯が、あざやかにスケッチされており、あらためて、一筋縄ではいかない映画作家だなと思った。

この作品のなかで、図らずも、シュミットをスイスの山脈の斜面によって自己形成を遂げた〈山の人〉と指摘するビュル・オジェと蓮實重彦はさすがに鋭い洞察を示しているが、すっかり頭部が薄くなってしまったキャメラマンのレナート・ベルタが登場すると、妙になつかしくなって思わず見入ってしまった。

レナート・ベルタは、『今宵かぎりは……』(72)以後のダニエル・シュミットのほぼ全作品、さらに、ゴダール、アラン・レネ、そしてなによりも、スイス映画の盟友アラン・タネールのキャメラマンとして知られている。

そのレナート・ベルタが最初に来日したのは、一九八五年に開催された「アラン・タネール映画祭」の時だった。招聘したユーロスペースの堀越謙三さんから依頼があり、ベルタへのインタビューを行ったのだが、面白かったのは、その後、ベルタが、突然、新宿歌舞伎町のノゾキ部屋に行きたい、と言いだしたことだ。

どうやら、シュミットら映画仲間から、新宿の風俗情報などを聞いていたらしい。ベルタと新婚らしき奥さん、それに通訳をお願いした、当時ヘラルドエースにいた寺尾次郎さん、それに私というメンバーで、当時、人気絶頂だったアトリエ・キーホールかどこかを数軒、ハシゴしたはずだが、レナート・ベルタが好奇心に満ちた眼差しで、そんな東京の怪しげな最前線の風俗店をみつめていたのを、おぼろげながら記憶している。

 

ダニエル・シュミット、アラン・タネール、そしてレナート・ベルタは、ミニシアターの黄金時代をそのまま体現する固有名詞といってよいだろう。映画批評家ではもちろん蓮實重彦の名前を逸するわけにはいかない。そして、配給・興行のサイドで、この時代をシンボライズする人物といえば、やはりユーロスペース代表の堀越謙三さんをおいてほかにいないだろう。

 

私は、以前から、ミニシアター・ブームの牽引役を務め、レオス・カラックス、アッバス・キアロスタミのプロデューサーとして、さらには東京藝大大学院映像研究科を立ち上げた教育者の貌も持つ堀越謙三さんのユニークな軌跡に深い関心を抱いていた。

今度、筑摩書房のPR誌「ちくま」で始まった堀越さんの聞き書きのメモワールは、ミニシアターという時代がなんだったのか、をめぐってある答えを与えてくれるような気がしている。

 

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『ダニエル・シュミット――思考する猫』

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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