高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2014年5月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2014年5月アーカイブ

白鳥あかねメモワールと池田敏春のこと

私が企画・編集した白鳥あかねさんの聞き書きの自伝『スクリプターはストリッパーではありません』(国書刊行会)がようやくできあがった。一九五五年、日活にスクリプターとして入社し、小林旭の人気を決定づけた「渡り鳥」シリーズをはじめとする日活アクション映画の黄金期から、神代辰巳、藤田敏八、根岸吉太郎らの才能が開花したロマンポルノの現場を経て、ディレクターズ・カンパニーとの熱い共闘……と、戦後映画界の盛衰をみつめてきた白鳥さんのメモワールは、日活映画のみならず日本映画ファンには必読といっておきたい。

 

本書には、今村昌平、浦山桐郎、長谷川和彦、曾根中生といった常軌を逸した破天荒な映画人たちが続々登場し、産経新聞で書評を書いてくれた中条省平さんの表現を借りれば、「現場そのものがドラマチックな人間喜劇」の様相を呈するが、そのなかでも、ひと際、鮮烈な印象を与える人物が、池田敏春である。

池田敏春は、ロマンポルノで復活した日活に七四年に入社して『天使のはらわた・赤い淫画』(81)などの秀作を撮り、さらに、ディレクターズ・カンパニーの第一作『人魚伝説』(84)を監督したが、興行的に不入りで、その後は、次第に作品数も減り、二〇一〇年、『人魚伝説』の舞台となった三重県伊勢志摩の海上で自死した。

 

白鳥さんは、本書で次のように語っている。

「私が池田の訃報を聞いたその日に、渋谷の名画座(シネマヴェーラ渋谷)でちょうど『人魚伝説』をやっていたんです。矢も楯もたまらず観に行って、涙がとまらなかったですね。でも観終ったら池田が死んだのも納得できたというか、こんな映画をつくったら死ぬしかないのかなとも思いましたね。それほどすごい映画でした。」

 

 私も深く同意するが、今や、原発誘致問題などアクチュアルなテーマを内包するカルト・ムーヴィーとして高い評価を得ている『人魚伝説』も、公開時には賛否両論であったように思う。当時、熱狂的な擁護者ではシネセゾンにいた市井義久さんがひとり気を吐き、キネカ大森で池田敏春特集を組んだ時など、私が在籍していた『月刊イメージフォーラム』に、連日のようにファックスを送ってきたことが思い出される。

 というのも、『人魚伝説』が公開される直前、『月刊イメージフォーラム』の八四年四月号で、「日本映画への発言」という特集を組み、池田敏春監督のインタビューや、『人魚伝説』の製作ノートを掲載していたからだ。

 

 この特集では、八〇年代半ばの時点で、一般、自主映画を問わず活躍中の若手監督二〇人に抱負・提言を書いてもらったが、巻頭の対談で、『神田川淫乱戦争』(83)で商業映画デビューしたばかりの黒沢清と早大シネ研のエースとして絶大な人気があった山川直人という組み合わせには、いかにも当時の時代の気分が反映されていると思う。

 

 この時、池田敏春は、原稿を書く時間がなく、編集部に来てもらい、私が談話を纏める形になったが、初対面の池田監督は、終始、うつむくような感じで人見知りが激しい方だなという印象を持った。

池田監督はこんなふうに当時の心境を語っている。

「『人魚伝説』は単純に女が主人公で、いかに活劇として成立させるかということに興味があったんです。……中略……、現場でも、僕自身の自己暗示というか錯覚がスタッフや役者たちに伝わり、一種、別な表現を使えば〈共犯幻想〉というか、幻想を共有することで画面に熱気なり力が生じることはあると思うんです。今回の現場はそんなことを初めて感じさせてくれました。それと同時に自分の恥しさ、羞恥心みたいなことを強烈に意識させられましたね。……中略……今度、角川で撮ることになった『湯殿山麓呪い村』は、『人魚伝説』と同じように〈殺戮〉が主題になるんですが、『人魚伝説』が、全篇、鮮血で真っ赤だったから、今回は血を一滴も見せない殺戮は可能か、ということを考えているんです。」

 

 七〇年代に一部で聖典のように読まれた『共犯幻想』(嗚呼、真崎・守!)というフレーズが自然に吐露されるのが、いかにも池田監督らしいと思える。

 

 チーフ助監督・渡辺容大の手になる製作ノートも、四百字詰めで五十枚を超えるボリュームがあり、この伝説的な映画の過酷な現場が、実に活き活きと描かれていて読みごたえがある。この中に、白鳥あかねさんが創作し、撮影されたものの、編集段階で惜しくもカットされてしまった幻のシーンについての記述がある。

ヒロインのみぎわ(白都真理)とセックスした翌朝、心の葛藤を持てあましながら一人引き上げていく祥平(清水健太郎)が、客引き女と出会う場面である。シナリオではこうなっている。

 

客引き女 「あんさん燃えとんのやないの。もう一晩どないや。」

祥平   「女なんかもう顔も見とうないわ。」

客引き女 「あいにくやな、船着場はあっちやに。」

祥平   「この道は、どこ行くんか?」

客引き女 「坂上ったら墓や。」

祥平   「こっちは?」

客引き女 「どんづまりや。」

祥平   「どんづまり……け。」

 

 清水健太郎が好演した不甲斐ない、地元の大立者の息子の末路を暗示するかのような秀逸なシーンだが、ちなみに、この客引き女を演じたのは、白鳥あかねさん自身で、これは、ぜひ、見て見たかった!

 

 その後、最後に、池田敏春監督と会ったのは、一九九二年、私がビデオ業界誌の編集長時代で、パイオニアLDCが製作した『くれないものがたり』のゼロ号試写をイマジカで見た時だった。赤江瀑の短篇の映画化で、修学旅行で京都を訪れた高校生が、妖しい香の世界に魅せられていく物語だった。スーパー16で撮られ、本来オリジナルビデオ作品としてつくられた作品だが、あまりに完成度が高かったために、劇場公開されたのではなかったろうか。

『くれないものがたり』は、京都の街の佇まいや、日本家屋、とくに障子の部屋や庭の灯籠が、突如、深紅に染まり、蠱惑的な幻想空間へと変貌する、鈴木清順ばりのケレンたっぷりの演出に瞠目させられた。とりわけ、ヒロインを演じた竹井みどりが優美に官能的に撮られていたのには感嘆した。そんな感想を伝えると、池田監督は照れたように苦笑するばかりだった。その直後に、竹井みどりにインタビューしたのだが、彼女も池田敏春の繊細な演出ぶりを称賛していた。

当時から、池田敏春といえば、血みどろの殺戮や暴力的な描写ばかりが取り沙汰されがちだったが、『くれないものがたり』は、綿密な色彩設計や日本的な情緒を画面ににじませる端正で正攻法の演出に唸った。思えば、『天使のはらわた 赤い淫画』の泉じゅん、『人魚伝説』の白都真理、そして『くれないものがたり』の竹井みどりにしてもすべて彼女たちにとって代表作といってよい。池田敏春は、なによりも女優を美しく撮れる監督であったことは特筆されねばならない。

 

白鳥さんの本の刊行に合わせて、六月十五日から約二か月間、ラピュタ阿佐ヶ谷で「映画のすべてを記録する 白鳥あかねのスクリプター人生」という特集が組まれている。三十三本の上映作品の中には、以前、このコラムでも紹介した皇太子(今上天皇)を主人公とする西河克己の問題作『孤獨の人』をはじめ、『人魚伝説』、そして近年、海外でもカルト・ムーヴィーとして評価が高い『死霊の罠』という二本の池田敏春の映画が入っている。ぜひ、この機会に、スクリーンで池田敏春の特異で官能的な魅力を味わってほしい。

 

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白鳥あかね著『スクリプターはストリッパーではありません』(国書刊行会)

『ブルージャスミン』と「ブルー・ムーン」

『ブルージャスミン』は、近年、ヨーロッパの各都市を舞台に、いささか弛緩したロマンティック・コメディを連作していたウディ・アレンが、ひさびさにアメリカ西海岸を背景に撮ったダークな味わいのドラマだ。セレブリティの世界から転落したジャスミン(ケイト・ブランシェット)が、どん底からはい上がろうと身悶える姿を冷徹にとらえたウディ・アレンのまなざしは辛辣きわまりない。

虚栄心の塊のようなケイト・ブランシェットは、なまなかな感情移入を完璧に拒むヒロインだが、狂気の淵をのぞかせる、その鬼気迫る演技には、ただ圧倒されるほかない。最近のウディ・アレンの映画ではもっとも心に沁み入る、チェーホフ的ともいうべき苦い、メランコリックな笑いに彩られている。

 

 現在のアメリカ映画界で、ウディ・アレンは、ジャズのスタンダード・ナンバーをもっとも愛情をこめて、巧みに使う映画作家だが、この作品では、ケイト・ブランシェットが、「大切な出会いの歌なの、歌詞は忘れたけど」と呟き、「ブルー・ムーン」が何度も流れる。とりわけ、幕切れで、コラル・フォークスのピアノソロによる「ブルー・ムーン」の旋律が聴こえてくると、なんだか粛然たる思いにとらわれてしまった。

 

「ブルー・ムーン」は、「ロマンティックじゃない?」「時さえ忘れて」「恋に恋して」「イッツ・イージー・トゥ・リメンバー」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などの名曲で知られるロレンツ・ハート&リチャード・ロジャースの代表作といってよいだろう。

 この名曲の誕生には、紆余曲折がある。最初は、クラーク・ゲイブルとウィリアム・パウエル主演の『男の世界』(34)のなかで「ザ・バッド・イン・エヴリマン」という題で、挿入歌として使われている。ただし、歌手シャーリー・ロスがメロディを口ずさむシーンがあっただけで、ほとんど話題にはならなかった。そこで、ロレンツ・ハートが「ブルー・ムーン」の題で新たに詞を書くと、今度は、当時の美人歌手コニー・ボズウェルが歌って大ヒットとなった。

私の手許にも、メル・トーメ、ジュリー・ロンドン、ディーン・マーチン、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンなどが歌ったアルバムがあるが、とりわけ、私が密かにトニー・ベネットの最高傑作と考えている名盤『ロング・アンド・ファー・アウェイ』に入っている「ブルー・ムーン」は、何度、聴いても陶然となる、すばらしい絶唱だ。

 

「ブルー・ムーン」は、一九六一年には、ザ・マーセルズがアップテンポのドゥー・ワップのスタイルで歌ってミリオンセラーとなったが、私が、この曲を最初に強烈に印象づけられたのは、ジョン・ランディスの『狼男アメリカン』(81)だった。この映画では、ザ・マーセルズのバージョンをメインにして、サム・クックのソウルフルな熱唱、そしてボビー・ヴィントンの甘く切ない「ブルー・ムーン」がそれぞれ使われている。

『狼男アメリカン』は、当初は、『ブルー・ムーン殺人事件』という素敵な邦題だったはずで、当時、SF映画雑誌『スターログ日本版』の編集者だった私は、早めに試写を見て、『ブルー・ムーン殺人事件』の題で、紹介記事を書いた記憶がある。なぜ『狼男アメリカン』などというつまらないタイトルに変わってしまったのだろうか。 

 

 日本映画で、もっとも早く「ブルー・ムーン」が使われたのは、間違いなく、鈴木傳明が監督・主演した『舗道の囁き』(36)だろう。加賀まり子の父親で戦後、大映のプロデューサーとして活躍した加賀四郎が製作した、この幻の作品は、日本最初の本格的なダンス・ミュージカル映画といってよい。中川三郎のアパートで一夜を過ごしたジャズ歌手のベティ稲田が、翌朝、食事の用意をしながら、「ブルー・ムーン」を口づさむと、それに合わせて、中川三郎が超絶技巧のタップを踊り出すシーンは、まさに、アステア&ロジャーズ映画を彷彿とさせる愉しさである。

 

 インストルメンタルでは、フェリーニの『81/2』(63)で、マルチェロ・マストロヤンニの映画監督が愛人と逗留しているロケ地に、妻のアヌーク・エーメが初めて登場するシーンに流れる「ブルー・ムーン」が忘れられない。『81/2』は、ニーノ・ロータのさまざまに変奏される主題曲が有名だが、既成のスコアでは、湯治場のシーンでダイナミックに響きわたる「ワルキューレの騎行」と「セヴィリアの理髪師」が傑出した効果を上げているのは周知の通り。なかでも、広場のステージで、フル・オーケストラが演奏する哀愁に満ちた「ブルー・ムーン」は、なんともゴージャスで美しかった。

ところが、最近、DVDで見直したところ、この場面に使われていた「ブルー・ムーン」が、まったく別な曲に替えられていた。これはいったい、なぜだろう。著作権の問題だろうか。

 


 最後に、「ブルー・ムーン」の極め付けといっていい名演を紹介したい。狂気じみたアナーキーな笑いが炸裂するマルクス兄弟の映画のなかでも、もっとも豊かな音楽性が感じられるのが『マルクス兄弟珍サーカス』(39)である。サーカス巡業の移動列車内で、チコがピアノで弾く「ビア樽ポルカ」、グルーチョが怪しげな振り付けで歌い踊る「刺青の女リディア」も実に可笑しいが、動物園のくだりで、黒人たちのジャズ・コーラスをバックに、ハーポがお得意のハープで「ブルー・ムーン」を弾くシーンは、一度見たら忘れられない。 典雅きわまりないハーポの演奏に唖然とした表情で聴き入っている少女のショットがあるが、恐らく、マルクス兄弟の全作品のなかでも屈指の、どこか神々しさすら漂う感動的なシーンであった。


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『マルクス兄弟珍サーカス』でハーポが「ブルー・ムーン」を弾く名場面

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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