高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2014年4月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2014年4月アーカイブ

イタロ・カルヴィーノの映画作法

 最近、試写で『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』というイタリアのドキュメンタリー映画を見た。ローマを取り巻く高速道路GRAの周辺に住む、ひと癖もふた癖もある個性的な人物たちを定点観測のようにスケッチした愛すべき小品で、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞しているが、プレスを読んで驚いた。監督のジャンフランコ・ロージが、「この映画はイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』にインスパイアされた」と語っていたからだ。 

 

イタロ・カルヴィーノは、多分、翻訳された作品をほとんど読んでいる唯一の作家といっていいかもしれない。亡くなって三十年近くの歳月が流れたが、彼の発見者であるチェーザレ・パヴェーゼと同様、未だに岩波文庫で陸続とその作品が復刊されているのはうれしい限りである。一時期、高橋源一郎が激賞したせいもあってか、カルヴィーノは、〈エレガントな前衛〉〈ポストモダンの作家〉などと称されて、実験的なメタ・フィクションの作家と目されがちだが、私にとっては、カルヴィーノとは、なによりも豊潤なイタリア映画の名作と同じように、〈美しい物語〉の語り手である。

 

最初に読んだのは、一九七一年に晶文社から刊行が始まった〈文学のおくりもの〉シリーズの『まっぷたつの子爵』 だった。その詩的で奇想に満ちた面白さにめまいのような感動を覚え、すぐさま『木のぼり男爵』(白水社)、『不在の騎士』(学芸書林)、『マルコヴァルドさんの四季』(岩波少年文庫)と読み継いで、すっかり魅了されてしまった。

とりわけ、十八世紀の啓蒙思想の時代を背景に、ある日、森の木に登って、一生涯、木から降りてこなくなった少年を描いた『木のぼり男爵』は、あまりの童話的な残酷さと澄み切ったユーモアの混交に圧倒された。

ちょうど、その頃、封切られた『フェリーニのアマルコルド』(73)に、主人公の少年が精神病院に入院しているテオ叔父さんを連れ出して、一家で郊外にピクニックにでかけるエピソードがあった。テオ叔父さんは、突然、田舎家のはずれにある樹にのぼりはじめる。そして、夕暮れになっても、降りて来ず、地平線の彼方に向かって、「女を抱かせろ!」と叫び続けるのだ。この涙が出るほど、可笑しい場面を見ながら、私は、まるで『木のぼり男爵』のようだ、と呟いた。

 

それ以来、ずっと長い間、私は、イタロ・カルヴィーノの魔術的な想像力とフェリーニのノスタルジアに満ちたサーカス的な夢想の世界は、きわめて近しいのではないかと思っていた。

一九八五年、不思議な偶然だが、カルヴィーノが亡くなる直前、雑誌『ユリイカ』が「イタロ・カルヴィーノ 不思議な国の不思議な作家」という特集を組んだことがあった。その号はとても充実した内容で、今も私の手元にあるが、とくにパゾリーニへの深い友情を感じさせる「パゾリーニへの最後の手紙」、偉大なコメディアン、グルーチョ・マルクスを追悼した「グルーチョの葉巻」などを読むと、カルヴィーノがいかに映画に深く傾倒していたのかが了解されるのだ。

 

カルヴィーノの没後、ずいぶん経ってから、『サン・ジョヴァンニの道――書かれなかった[自伝](朝日新聞社)が刊行された。この中にある「ある観客の自伝」という章は、カルヴィーノの幼少期から青春時代に出会ったアメリカ映画やイタリア映画への想いを綴ったメモワールで、とくに後半は、まるごとフェリーニへの熱いオマージュとなっている。たとえば、次のような一節はどうだろうか。

 

「フェリーニのヒーローの伝記――それを監督は毎回最初から撮りなおす――は、この意味でわたしのものよりはるかに典型的だ。若者が地方を離れ、ローマに出て、スクリーンの向こう側へ移って映画をつくり、自分自身が映画になるからだ。フェリーニの作品は、裏返された映画なのだ。映写機は客席をのみこみ、カメラはセットに背を向けているというのに、その二つの極がいつももたれあいながら、地方はローマによって憶いだされることで意味を獲得し、ローマは地方からやってくる人びとのなかに意味を獲得し、両側に棲む怪物じみた人間たちのはざまで同じ神話が生まれ、それが『甘い生活』のアニタ・エクバーグの巨大な女神となって、そのまわりを回っている。フェリーニの仕事が狙っているのは、この発作的な神話を明るみに出し位置づけることであり、その中心にあるのが、さまざまな原型が螺旋状にひしめきあう『812』における自己分析なのだ。」

 

まさに、目の覚めるような卓見がちりばめられたこの美しいエッセイを読み返しながら、私は、カルヴィーノが、シナリオライターとして関わった二本の作品があったことを思い出した。

一本は、フォルコ・クィリチ監督の『チコと鮫』(62)、もう一本は、『ヴォッカチオ70』(62)の第一話、マニオ・モニチェリが監督した「レンツォとルチアーナ」である。

このオムニバス大作は、深夜、巨大な女神アニタ・エクバーグがローマの街を闊歩する、フェリーニ篇の「アントニオ博士の誘惑」ばかりが取り沙汰されるが、日本では劇場公開されなかった職人モニチェリのパートも、実に愛すべき小品である。

実は、最近、初めてこの「レンツォとルチアーナ」を見て驚いたことがある。工場に勤めるカップルが、職場結婚を禁止されているために極秘で結婚式をあげたものの、発覚して会社をクビになる。夫は夜間勤務の工場で働き、妻は、夫が早朝、帰宅する時刻に、目覚まし時計と共にベッドを起きだし、コーヒーを用意し、あわただしくキッスをかわしながら、仕事へ出かけて行く。残された夫は、ベッドに入ると、片側の、今しがたまで妻が寝ていた、その躰のかたちをとどめたままの温かい窪みのなかで、顔を枕にうづめ、妻の薫りにくるまれるようにして眠りにつくのだ。

このエロティックなラストシーンを見ながら、私は、カルヴィーノの傑作短篇集『むずかしい愛』(福武書店、のちに岩波文庫)のなかの名篇「ある夫婦の冒険」の忘れがたいエピソードがそのまま再現されているので、思わず、微苦笑してしまった。   

 

イタロ・カルヴィーノは、名著『なぜ古典を読むのか』(みすず書房、のちに河出文庫)のなかで、「古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさとなる本だ。しかし、これを、よりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじくらい重要な資質だ。」と書いている。この古典についての見事な定義は、イタロ・カルヴィーノの作品にそのまま当てはまるように思えるのである。

 

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イタロ・カルヴィーノの傑作短篇集『むずかしい愛』(和田忠彦訳・岩波文庫)

 

 

 

 

 

『そこのみにて光輝く』と一九七〇年代、ニューシネマの記憶

 さる三月二十一日の夜、赤坂BLITZで「我が青春のパック・イン・ミュージック」なる気恥ずかしいタイトルのイベントがあり、私も一員である「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」に招待チケットが回ってきたので、のこのこと出かけて行った。久々に何人かのメンバーに再会し、林美雄夫人の文子さんにもご挨拶ができた。会場は五十代、六十代でぎっしりと埋めつくされていた。小島一慶と兵藤ゆきの司会で、山崎ハコ、山本コウタロー、小室等のミニライブがあり、客席には、パックでパーソナリティだったTBSの元アナウンサー桝井論平の顔も見られ、さながら、パックの同窓会の様相を呈した。

 

 私がパックをもっとも熱心に聴いていたのは、林美雄さんが金曜第二部を担当していた一九七四年の八月までである。だから、一九八二年まで続いたパックの終了時の記憶はまったく欠落している。ただ、この夜のイベントで改めて実感したのは、パック・イン・ミュージックの歴史の中で、超メジャーの野沢那智と超マイナーの林美雄というすでに鬼籍に入った二人の存在がいかに大きかったかということだ。

 

「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」では、一時、もし林美雄が生きていたら、絶賛したであろう新作映画を各人が推薦しようという呼びかけがあったが、最近、これは、絶対に林さんが狂喜するだろうと思える映画を見た。

呉美保監督の『そこのみにて光輝く』だ。原作は一九九〇年に四十一歳で自死した作家、佐藤泰志が遺した唯一の長篇小説である。

村上春樹と同世代の佐藤泰志は、その小説を読むと、同時代の映画の引用が目につき、かなりの映画狂であったことがわかる。作り手たちもそのことを意識していると思しく、映画『そこのみにて光輝く』は、一九七〇年代のアメリカン・ニューシネマやATGの青春映画、初期の日活ロマンポルノの記憶を刺戟するような不思議な魅力をたたえている。

たとえば、主人公の達夫(綾野剛)と拓児(菅田将暉)がパチンコ屋で、百円ライターをきっかけに知り合うシーンは、『スケアクロウ』(73)の冒頭、最後の一本のマッチがきっかけで、ジーン・ハックマンとアル・パチーノが意気投合する場面を、思い起こさせる。

ある過去の事故の記憶にさいなまれ、無為な日々を送る達夫は、バラックのような拓児の家で、姉の千夏(池脇千鶴)と出会い、心を動かされる。千夏は売春で貧しい家の家計を支え、母親のかずこ(伊佐山ひろ子)は、脳梗塞で寝たきりの父親の性欲処理を黙々とこなしている。この荒みきった悲惨な家族の光景は、東京の川向うの浦安を舞台に、行き場のない女たちの淀んだ日常を描いた曾根中生の『色情姉妹』(72)を彷彿とさせる。

さらに、自転車をくねくねと乗り回す拓児や、互いに惹かれあう達夫と千夏が、人の気配がない寒々とした砂浜を歩くシーンは、神代辰巳の『恋人たちは濡れた』(73)の大江徹や中川梨絵の抱えていた白々とした虚脱感や閉塞感とだぶって見えて仕方がなかった。

 

絶えず煙草を吸い、よるべない怒りや焦燥をもてあます綾野剛、絶望の淵からなんとか外の世界へと視線を投げかけようと身悶える池脇千鶴、ノンシャランな存在感が『共食い』以上にリアルに迫ってくる菅田将暉、それぞれがベストパフォーマンスと言えるすばらしさだ。だか、私は、この映画では脇役がひときわ光っていると思う。千鶴の愛人で気勢をあげながらも、千鶴への身勝手な執着を止められない造園会社の社長を演じた高橋和也の浅ましさ、そして、かつて達夫の上司で、達夫の「家族持ちたくなったんだ」という言葉に、「バカか、俺を見れ、誰もいねえ、……それでいいんだ」と自嘲気味に呟く火野正平の深い皺が刻み込まれた異貌は、忘れがたい強烈な印象を残す。

 

俳優たちの自在でのびやかな演技を引き出した呉美保監督の演出手腕も見事だが、七〇年代ニューシネマのルックを意識した撮影の近藤龍人も特筆すべきだろう。深夜、函館のネオン街をあてどない不眠症患者のごとく徘徊する達夫に寄り添うキャメラは、ロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』(73)で、夜のロサンゼルスを彷徨うフィリップ・マーロウをとらえたヴィルモス・ジグモンドの魔術的なキャメラワークを想起させる。 

画面からにじむような橙色の光が氾濫する『そこのみにて光輝く』の海辺のラストシーンを見ながら、私が思い出していたのは、フランク・ペリーの『去年の夏』(69)だった。まぎれもなく藤田敏八の『八月の濡れた砂』(71)に影響を与えた、このニューシネマの隠れた秀作は、夏にもかかわらず、全篇にわたって、陽光がさすことはなく、空はどんよりと曇り、橙色のくすんだ色調で染まっていたという記憶がある。しかし、ある意味では、『八月の濡れた砂』以上に残酷で、悲痛な結末を迎える『去年の夏』とは対照的に、『そこのみにて光輝く』は、かすかな希望にも似た曙光に満たされて、幕を閉じる。

 

『そこのみにて光輝く』は、今の酷薄な格差社会の実相をリアルに映し出しながらも、いっぽうで、一九七〇年代という時代をめぐって思いを馳せるような、稀有な思索的な映画である。 

 

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呉美保監督『そこのみにて光輝く』

(C) 2014 佐藤泰志 / 「そこのみにて光輝く」製作委員会

 

*お詫びと訂正

 

前々々回のコラム「『私が棄てた女』、あるいは「蒼井一郎」という映画批評家について」の中で、球磨元男氏について(早逝してしまったが、スポーツ新聞の記者だったと思う)と書きましたが、読者の方から、球磨氏は「東宝東和の宣伝部に勤めていらした方」であるとご指摘をいただきました。ここにつつしんでお詫びし、訂正いたします。

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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