高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2013年4月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2013年4月アーカイブ

虫明亜呂無ふたたび、そして宇津宮雅代

いささか旧聞に属するが、『文学界』四月号の特集「随筆を読む」で、平松洋子さんが<わが偏愛する随筆家>として「虫明亜呂無――誇り高く、なつかしく、孤独」というエッセイを書いていた。その影響であろうか、ネット上でも、しばし、私が数年前に編集した虫明亜呂無の『女の足指と電話機――回想の女優たち』『仮面の女と愛の輪廻』(清流出版)という二冊のエッセイ集が話題になったようである。

 

平松洋子さんが書いていた虫明亜呂無と寺山修司の競馬をめぐるエピソードは、ちょっと怪談ふうなコントのようでもあり、とても面白い。ちなみに平松さんは読書エッセイ集『野蛮な読書』(集英社)でも虫明亜呂無に言及している。

 

私は、この二冊のエッセイ集を編むことで、従来、すぐれたスポーツ評論、スポーツ小説の書き手としてのみ評価が高かった虫明亜呂無という作家をもっと幅広い視野の中でとらえ返したいと考えた。とりわけ、映画、音楽、小説、演劇、ファッション、女性、恋愛とあらゆるテーマを自在に論じる、卓抜でポップなコラムニストとしての魅力を広く知らしめることができたのではないかと、自負している。

 

 虫明亜呂無の文章がひときわ魅力を放つのは、女性、とくに女優について語られたエッセイにおいてである。

たとえば、作家の堀江敏幸は、書評集『振り子で言葉を探るように』(毎日新聞社) 所収の、『仮面の女と愛の輪廻』を評した一文で、次のように書いている。

 

「特筆すべきは、女性を描くときの呼吸の艶(つや)だ。岩下志麻、岸田今日子、吉永小百合、池内淳子、太地喜和子、ジェーン・フォンダらの肖像の、冷静な距離を置きながら、眼で愛撫するようなまなざしの蕩尽は、小説だのエッセイだののジャンルを超えて印象深い。<僕は女優としての岩下志麻はもとより、女優としてのだれだれには、まったく興味がない。あるのは、ひたすら、彼女らが女であることである>と彼は記した。ほとんど片思いにも似た女性への注視は、だから年齢にも左右されない。」

 

 たとえば、『女の足指と電話機』というエロティックな書名は、三浦洋一のひとり会『ストリッパー物語・惜別編』について書いた「スポーツ・ニッポン」の連載「うぇんずでい・らぶ」のコラムのタイトルからとったものである。虫明亜呂無は、次のように書いている。

 

「舞台の上で、あおむけに寝た宇津宮雅代が、足指をそっくり三浦洋一にくわえられ、舐められるところがある。男女の愛欲が、ある緊張感を伴って表現される。と、三浦洋一のひもが、女の足をそのまま電話機にして、客引きの注文取りにつかう。ここが、舞台の演劇的ハイライトで、奇妙なセクシャルな情景がかもしだされ<女>のなまの味が、観客をとらえる。ひもを軽蔑し、しかもひもから離れられない<女>がかなり明白にクローズ・アップされてくる(宇津宮雅代は、あの個所は、独特な緊張感が女優をとらえる、と、語ってくれた)。」

 

 私は、このコラムを読み返すたびに、一九七七年に上演されたこの伝説的な舞台を見逃してしまったことが悔やまれてならない。というのも、一九六九年のデビュー作、ポーラテレビ小説『パンとあこがれ』以来、私は宇津宮雅代という女優の密かな、そして熱烈なファンであったからだ。

 

 私の手許には、奥様の虫明敏子さんから、お預かりした、虫明亜呂無が書き残した単行本未収録の原稿の膨大なスクラップがある。ときおり、気の向くままに、拾い読みするのだが、あまりの面白さに、読みふけってしまい、しばし、時を忘れてしまうほどだ。

そのなかに、ある雑誌に載った「縁は異なもの――恋愛感情を教えてもらった仲」という意味深なタイトルのエッセイがある。

虫明亜呂無の早稲田の同窓生で堂園という際立った美貌の女性がいた。ある時、彼女から、弟は宇津宮といって開成中学で虫明と同級生であったと教えられる。二十数年後、中学の同窓会でその宇津宮から、姪が新宿中村屋の創始者、相馬黒光を演じる『パンとあこがれ』に出るからよろしく、と挨拶される。

それが奇縁となって、虫明が、一時期、家族と離れ、経堂のマンションで仕事をしていた頃には、時おり、近所に住む宇津宮雅代が食事を作ってくれたという。

 

虫明亜呂無は「僕は彼女から、女の心理とか、女の感受性、女の美意識、女の恋愛感情などをつぶさに教えてもらった。……中略……彼女がはじめてお産をすることになったとき、お母さまが僕の家を訪ねてきて<よろしく頼みます>と言った。昔の同窓生だった女性からそう言われると、僕はあらためて歳月の流れと、人間の出逢いの深さを思わずにはいられなかった」と書いている。

 

虫明亜呂無は、このほかにも宇津宮雅代の魅力をめぐって、いくつかのエッセイを書いている。おびただしい女優へのオマージュだけを集めて、虫明亜呂無のエッセイ集を編んでみたいというのが、私のささやかな夢である。

 

ところで、デビュー当時、文学座の若手三羽烏などと呼ばれた宇津宮雅代は、やはり、舞台がメインで、映画では、これはという決定打はない。

 

そのなかで、私が好きな作品は、森谷司郎の青春映画の佳作『放課後』(73)だ。宇津宮雅代は、ヒロインの女子高生・栗田ひろみの同級生の姉で、スナックのママを演じていたが、父親の地井武男を、眼差しひとつで誘惑するシーンが、なんともエロティックであった。

ほんの数カットしか登場しないが、佐藤純弥の傑作『新幹線大爆破』(75)の爆弾犯のリーダー高倉健の別れた妻も強く印象に残っている。ラスト近く、海外逃亡しようとする高倉健を捕まえるべく、警察の要請で面通しのために羽田で待機していた彼女が、高倉健をと視線が合った瞬間の表情が忘れられない。

 

究極の一本を選ぶとすれば、数年前、ラピュタ阿佐ヶ谷の≪田中登追悼特集≫で上映された『横溝正史の鬼火 仮面の男と湖底の女』(83)だろうか。かつて、テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」で放映された二時間ドラマである。

田舎の旧家に嫁いだうら若き義母・宇津宮雅代の奸計によって、お互いに憎しみ合うように生きてきた兄と弟。ともに画家となった彼らは東京で再会するが、過酷な運命がふたりを破滅へと導いていく。宇津宮雅代は、『めまい』のキム・ノヴァクを彷彿とさせる、謎めいた<宿命の女>を演じ、妖艶な美しさがきわだっていた。

日活ロマンポルノの鬼才田中登が撮った、もっとも優れたテレビ映画であり、ぜひ、DVD化してほしい傑作だ。

 

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各紙で絶賛された虫明亜呂無のエッセイ集『女の足指と電話機――回想の女優たち』(清流出版)

 

片岡義男について知っている二、三の事柄

今、雑誌『ジャズ批評』で、「日本映画とジャズ」という特集を準備しているのだが、そのなかで、安田南と沖山秀子というふたりの映画女優=ジャズシンガーにスポットを当てることになった。『神々の深き欲望』『真剣勝負』『十九歳の地図』などの代表作がある沖山秀子と違って、安田南は、厳密には映画女優とは呼べないかもしれない。だが、若松孝二の『天使の恍惚』の主演、そして降板というスキャンダラスなアクシデント、黒テントの舞台における気風のよい歌姫としてのキャリアはもはや伝説と化しており、数年前に物故した、この魅力的な女性を私なりにきちんと追悼しておきたいという気持ちもあった。

 

今回、安田南については、どうしても話を聞きたかった人物がいる。ひとりは黒テントの演出家、佐藤信、もうひとりは、もちろん、一九七〇年代に一部で絶大な人気を誇ったFM東京の深夜放送「きまぐれ飛行船」で、安田南と一緒にパーソナリティを務めていた片岡義男である。

 

先日、片岡義男さんに会い、一九七四年に、「きまぐれ飛行船」が始まった意外な経緯を含めて、当時の貴重なお話をうかがうことができた。

安田南と「きまぐれ飛行船」をめぐる興趣が尽きない数々のエピソードは、六月発売予定の『ジャズ批評』を読んでいただくことにしよう。

私は、まず、片岡義男さんの当時とまったく変わらない若々しい声と風貌に、ただ驚くばかりであった。と、同時に、ゆくりなくも、一九七一年に三一書房から刊行された『ぼくはプレスリーが大好き』(後に角川文庫)を読んだ時の、衝撃が思い出された。

『ぼくはプレスリーが大好き』は、プレスリーという天才の出現を起点に、ブルースからロックンロールの変遷、対抗文化、ヒッピームーブメントの内実などを政治、社会史をも視野に収めて縦横に分析したとてつもない名著で、私は、今なお、日本人による戦後アメリカ文化論でこれを超えるものはないと思っている。

 

その直後、晶文社から出た訳編著『ロックの時代』(一九七二年)、『10セントの意識革命』(一九七四年)も繰り返し読んだ。とりわけ、『ロックの時代』に収められた「グランド・オール・オープリー」は、ロバート・アルトマンの傑作『ナッシュビル』を理解する上でもっとも重要なエッセイだし、『10セントの意識革命』所収のマンガ誌『マッド』を批判した長大な論考には、ただただ感嘆するほかなかった。

 

片岡義男という作家は、恐らく、出会った時代によってさまざまな受け止められ方をされる存在である。角川映画にもなった『スローなブギにしてくれ』に代表される爽快な青春小説の書き手のイメージがもっとも一般的だろうが、私にとっては、一貫してアメリカ文化の最良の水先案内人のひとりであった。

 

ところが、『日本語の外へ』(一九九七、筑摩書房)あたりから、片岡義男は、湾岸戦争以後のアメリカを鋭く批判する視点が研ぎ澄まされ、英語と日本語の根源的な差異について、さらに日本とアメリカのねじれた関係性まで踏み込んだ啓示に富む考察には、<哲学者>のような深い思索が見られ、圧倒される思いがしたものである。

ハワイから引きあげてきた祖父を持ち、岩国のハイスクークで学んだ片岡義男は、花田清輝ふうにいえば、日本語と英語という二つの焦点をもつ<楕円的な思考>を血肉化している稀有な文学者といえるのではないかと思う。

 

昔、片岡義男は、なにかのエッセイで、五歳の時、大映の<母もの>映画を見て、あまりの情緒過多な湿り気、お涙ちょうだいの作劇に嫌悪感を抱き、以後、絶対に日本映画を見ない決意をした、と書いていた。

 

ところが、最近では『彼女が演じた役――原節子の戦後主演作を見て考える』(早川書房)『映画を書く――日本映画の原風景』(文春文庫)、『吉永小百合の映画』(東京書籍)、『映画の中の昭和30年代――成瀬巳喜男と描いたあの時代と生活』(草思社)と立て続けに、日本映画に関する評論集を上梓している。

 

これらの一連の著作は、一見、若い時代のアメリカへの憧憬から、一転して、老境に入ると<日本回帰>を遂げるというある種の日本の文学者たちの典型的なパターンを踏襲しているかに思えるが、そうではない。まったく、逆で、片岡義男は、精神の老いとしてのノスタルジアとは無縁な鋭い眼差しで、戦前、戦中、戦後と連綿と続く<昭和>という時代を、そこに生起する日本人特有の心性の在り処を、<歴史意識>を踏まえて、粘り強く論究しているのだ。

 

片岡さんと話をしている際に、成瀬巳喜男を論じた『映画の中の昭和30年代』が話題になり、「成瀬の映画はホラー映画ですよ」という発言が出た。たとえば、『女の歴史』では、夫は戦死、息子は事故死、と男だけが次々に死んでいき、女だけが生き残る。これはコワい、と。かつて、情緒派の名匠などと称された成瀬巳喜男に、片岡さんがもっとも関心を惹かれたのは、その情緒の側面ではなく、物語を支えるより大きな<構造>、そして時代の生々しい痕跡、なのではないかとも思う。

 

片岡さんは、成瀬作品のなかでは『銀座化粧』『おかあさん』をもっとも高く評価しているが、その理由として次のように書いている。

「貧乏とは、自分の身体を直接に細々と動かして労働することをいとわない日々における、月末ごとの収支とつじつまが今月もなんとか合うか合わないか、という問題だ。……中略……一九五一、五二年あたりでこのような貧乏を娯楽映画にすると、描かれる生活はそのまま時代であり、もし時代が描かれたなら、それはそのまま生活だった。時代と生活は乖離していず、緊密に重なり合って一体だった。『銀座化粧』と『おかあさん』を見れば、このことはすぐにわかる。」

 

 また、『銀座化粧』に重ねて、半世紀前の映画を見るということが「長らく忘れていたものを思い出す、という営みが半分はあるとするなら、残りの半分は、新鮮な発見をして驚く、という営みだ。」と書いている。彼が言語化しようとするのは、後者であるのは言うまでもないだろう。

 

 私は、不明を恥じるようだが、片岡さんが『一九六〇年 青年と拳銃』(毎日新聞社)という赤木圭一郎論を書いていることを知らなかった。夭折した同世代の伝説的な俳優赤木圭一郎が主演した「拳銃無頼帖」シリーズ全四作を徹底分析したものだという。片岡さんが論じる日活無国籍アクション!これは、読まねばなるまい。

 

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片岡義男の名著『ぼくはプレスリーが大好き』(三一書房)

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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