高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2012年12月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2012年12月アーカイブ

あくまで私的な小沢昭一・考

 十二月十日、小沢昭一さんが亡くなった。享年八十三。十年ほど前に前立腺がんが見つかり、治療を続けていたことは知っていたが、それでも今、何とも形容しがたい喪失感に襲われている。

  それは、多分、私が初めて名前を覚えた喜劇人が小沢昭一さんであったせいかもしれない。

 

  一九六一年、私が小学校に入ったばかりの頃に、NHKの日曜夜八時から『若い季節』が始まった。淡路恵子が社長の「プランタン化粧品」を舞台に繰り広げられる洒落たコメディで、毎週楽しみに見ていた。この会社の社員にはハナ肇とクレイジー・キャッツ、ダニー飯田とパラダイス・キング、黒柳徹子、いつも白いタートルネックのセーターを着ている古今亭志ん朝などがいて、皆が行きつけの小料理屋の板前が渥美清だった。

今、考えでも信じがたいような豪華なメンバーである。そして小沢昭一さんは、たしかケチクマという渾名で、ケチでいつもぶつぶつ文句ばかり言っている若手社員を演じていた。その偏屈な、アクの強い、嫌われ者みたいな独特のキャラクターが毎回面白くてならず、子供心にも強烈な印象として焼き付いたのだった。

 

思えば、当時は、土曜の夜にNHKの『夢で逢いましょう』を見て、日曜日の夕方には民放の『てなもんや三度笠』と『シャボン玉ホリデー』を続けて見た後、『若い季節』にチャンネルを合わせるという黄金のルーティンが出来上がっていた。私のエンターテインメントに対する<基礎教養>は、この小学生の時に熱中したテレビドラマ、バラエティによって形成されたのは間違いない。

 

次に小沢昭一に出会ったのは、一九六九年に刊行された『私は河原乞食・考』(三一書房、のちに岩波現代文庫)である。ストリップから大道芸、香具師、ホモセクシュアル、落語など後の「日本の放浪芸」研究につながる私的な芸能論ともいうべき小沢さんの最初の著作であった。

この本を読んだきっかけは、その頃、毎週欠かさずに聴いていた永六輔の深夜放送「パック・イン・ミュージック」の影響が大きい。永六輔は、当時、熟読していた雑誌『話の特集』に「芸人その世界」を連載中で、「パック」にも小沢昭一をゲストに呼んで、この本を絶賛していたからだ。

 

たしか、中学校の卒業文集に「差別される芸について」などという身の程知らずの文章を書いたのを憶えているが、大半は、この小沢昭一さんの本の受け売りだったと思う。土台、中学生に理解できる本ではなかったのだが、そんないっぱしの芸の通人気取りのティーンエイジャーに、冷水を浴びせたのが、一九七二年に出た小林信彦さんの『日本の喜劇人』である。

 

当時、まさにむさぼるようにして読んだこの本には「上昇志向と下降志向」という章があり、渥美清と小沢昭一が対照されて論じられているのだが、次のような一節に、高校生だった私は心底驚いたのだ。

 

「ディテールにおいては鋭いものをもちながら、このエッセイ集(『私は河原乞食・考』)が、もう一つ私に迫らないのは、こういうところである。

『……新劇は新劇の伝統をまず作り上げることが急務でありましょう。しかし、それはそれとして、やはり、日本人のわれわれは、日本の伝統芸能に関心が向かざるを得ない。……。』

 この<それはそれとして>というのが、どうしてもわからない。

<新劇>人としての小沢昭一がいる。一方に、伝統芸能に心を寄せる小沢昭一がいる。これをつなぐのが、<それはそれとして>では、マズいのではないか。河原乞食・伝統芸能――それらを意識した小沢昭一が、<新劇>(でなくてもいい。芝居でいい)のなかで、どういう演技を見せるかということによって、私たちは、小沢昭一の、<それはそれとして>といったアイマイなものではない方向を初めて知りうるのである。

 小沢昭一の下降志向――ストリップや見世物やホモへの偏執――が、ある種のスノビズムやノヴェルティ(新奇さ)やモダニズムの裏返し(ブロードウェイ・ミュージカルへの憧れが、一転、大阪の角座の漫才に変る!)でないことは、よく納得できる。だが、小沢昭一には、どんなに下降しようとしても、しぜんに上昇してしまうようなところがある。

 一方、渥美清は、いくら上昇しても、彼の内部の、白骨が散らばっている眺めから、自由になれないところがある。

 昭和四十四年に、小沢が『私は河原乞食・考』を出版し、渥美が『男はつらいよ』で再起したのは、ほとんど、象徴的といってもいい。」

 

『日本の喜劇人』が掛け値なしの名著であるゆえんは、こういう厳しくも鋭い本質的な考察が、さりげなく随所に散見されるところにある。

 

  別段、小林信彦さんの指摘を内心で受け止めたわけではなかろうが、以後の小沢昭一さんの仕事を見渡すと、映画出演がめっきり減り、新劇俳優としては、劇団『芸能座』、『しゃぼん玉座』を主宰するいっぽうで、ライフワークのCD・DVD『日本の放浪芸』シリーズを纏め上げ、『放浪芸雑録』、『ものがたり 芸能と社会』(新潮社)などの大著を次々に物し、近年は、まるで市井の民俗学者のような風格と面影があった。

 

『日本の喜劇人』のほぼ三十年後に書かれた小林信彦さんの傑作評伝『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)の巻末に、小林さんと小沢昭一さんの「渥美清と僕たち」という、まさに見巧者同士による至高の芸談ともいうべき対話が載っているのは、一種、感動的でさえある。

 

  結局、俳優としての小沢昭一の魅力を探ろうとすれば、一九五〇年代後半から六〇年代の初頭につくられた日活のプログラム・ピクチュアになるのではないだろうか。  

  中平康の『牛乳屋フランキー』のライバルの牛乳配達屋、川島雄三の『貸間あり』の万年浪人生、『幕末太陽傳』の貸本屋・金蔵、『しとやかな獣』の金髪のインチキ歌手、主役では西村昭五郎の『競輪上人行状記』の競輪狂いの果てに寺を失ってしまう破戒僧などが、すぐさま思い浮かんでくる。

 

  数年前だったか、ラピュタ阿佐ヶ谷で「春原政久特集」が組まれた際に、小沢さんは主演作の『猫が変じて虎になる』が上映されると知るや、何度も通いつめたという話をきいたことがある。私は、テレビの『若い季節』と並行して撮られていた、この時代の小沢さん主演の喜劇映画をほとんど見ていないので、ぜひ、どこかの名画座でまとめて特集上映してほしいものだ。

 

  そういえば、この頃、小沢昭一さんが「やっときたか!」と欣喜雀躍した企画がある。川島雄三監督が小沢昭一主演で、山口瞳の直木賞受賞作『江分利満氏の優雅な生活』を映画化するという話である。すでにシナリオも完成しており、傑作『しとやかな獣』と同様に、主人公の社宅の一室からキャメラが一歩も出ないという実験的な作品になるはずであった。

  しかし、周知のように、一九六三年、川島監督の急逝により、『江分利満氏の優雅な生活』は、代わりに岡本喜八監督がメガホンをとって、小沢さんではなく、小林桂樹の主演で映画化された。

 

  今では、『江分利満氏の優雅な生活』は、岡本喜八監督の代表作として、その評価はゆるぎないものになっているが、それでも、私は、時々、川島雄三と小沢昭一のコンビによる幻のヴァージョンも、ぜひ、見て見たかったな、と思う。

 

 

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小沢昭一著『私は河原乞食・考』(岩波現代文庫)

イタリア映画の魅惑 あるいはマルコ・フェレーリ讃

ようやく企画・編集を手がけた吉岡芳子さんの『決定版!Vivaイタリア映画120選』(清流出版)が出来上がった。

佐藤忠男さんの日本映画、中条省平さんのフランス映画に続く国別のムーヴィーガイド・シリーズの第三弾だが、当初から、イタリア映画バージョンをつくるならば、吉岡芳子さんに執筆してもらうことは自明だった。

吉岡芳子さんとは、『月刊イメージフォーラム』の一九八四年十二月号の「現代イタリア映画を<発見>する」特集で、登場していただいて以来のおつきあいである。吉岡さんは、フランス映画社が『一九〇〇年』(76)、『カオス・シチリア物語』(84)などの傑作を立て続けに紹介し、一時、<イタリア映画社>などと呼ばれていた時代から、イタリア映画の字幕スーパーではすでに第一人者であった。以来、フェリーニ、ベルトルッチ、マルコ・ベロッキオ、エルマンノ・オルミといったイタリア映画界の巨匠たちすべての作品の字幕を手がけてきた。

 

吉岡さんは、映画批評家ではないが、長年培ったイタリア映画への真率な情熱では並ぶものがいないし、その信仰告白にも似た愛情あふれる作品解説はどれも読みごたえがある。 

ネオ・レアリズモの端緒とされるルキノ・ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(42)からベロッキオの『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(09)まで、ここに厳選された120本の作品を見れば、間違いなく、ひとかどの<イタリア映画通>になれるはずである。

 

作品選択に関しては、フェリーニほかの巨匠の作品はほぼ網羅されているが、吉岡さん自身の好みも自ずとはっきり出ていて、なかでも特筆すべきは、マルコ・フェレーリの映画が六本も入っていることだ。『最後の晩餐』(73)、『バイ・バイ・モンキー』(77)、『マイ・ワンダフル・ライフ』(79)、『町でいちばんの美女 ありきたりな狂気の物語』(81)、『未来は女のものである』(84)、『I LOVE YOU』(86)と題名を書き写すだけでも、マルコ・フェレーリという特異な映画作家の魅力が伝わってくるようだ。  

 

二〇〇一年から〇二年にかけてフィルムセンターで開催された大規模な特集「イタリア映画回顧展」でも、『猿女』(64)、『男と5つの風船』(68)というマルコ・フェレーリの未公開作品が二本入っていたが、これは恐らく作品選定委員の一人だった吉岡さんの尽力によるものだろう。

『猿女』は、胡散臭い山師ウーゴ・トニャッツィが、救貧院で見つけた体中が体毛で被われた女(アニー・ジラルド)を使って見世物にし、金もうけのショーを始める。ふたりは結婚し、女はやがて妊娠、毛むくじゃらの赤ん坊を生み落として、死んでしまうが、男は彼女の遺体を博物館から盗み出し、ふたたび見世物にするというお話。まるで『フリークス』のトッド・ブラウニングがフェリーニの『道』をリメイクしたら、こうなると妄想したくなるグロテスクな寓話なのだが、広場に集まった大群集の前で、アニー・ジラルドが突然、「ラ・ノビア」を歌い出すシーンに、不思議な感銘を受けたのを憶えている。

 

『男と5つの風船』も、お菓子工場主のマルチェロ・マストロヤンニが、婚約者カトリーヌ・スパークが風船を膨らませるのを見て、興味を覚え、風船に破裂するまでどれぐらい空気をいれられるかというオブセッションに憑りつかれる奇怪な話だ。やがて、乱痴気騒ぎの果てに、マルチェロは自宅のマンションの窓から投身自殺を遂げてしまう。

妊娠したカトリーヌ・スパークが異様に美しかったのが強く記憶に残っているが、フェレーリの映画では、一見、終末的でデカダンな世界を描いていても、澄み切った独特の明るさがあり、奇をてらったような難解さはまったくない。

 

八〇年代のフェレーリのミューズだったオリネラ・ムーティの妊婦姿がひときわ印象的な『未来は女のものである』という題名通り、フェレーリの映画は、すべて<未来は女のものである>というモチーフを飽くことなく語ってやまない。

 

ウーゴ・トニャッツィは、まさに、フェレーリの哲学を体現している奇特な俳優で、初期の『女王蜂』(63)では、豊満な若妻マリナ・ブラディの過剰な性欲に翻弄され、精力を吸い尽くされて、疲労困憊の果てに衰弱して死んでしまう夫を悲哀たっぷりに演じていた。ラスト、彼の葬式で喪服姿のマリナ・ブラディのどこか充ち足りないような不穏な表情のクローズアップがなんと無気味であったことか。

 

『最後の晩餐』では、ウーゴ・トニャッツィは美食家の料理長を演じている。社会的地位のある四人の男たちが、パリ郊外の古い屋敷に集まり、娼婦を呼んで、たらふく食べ、放縦きわまりない酒池肉林の果てに死んでいく壮絶な話であった。

 この映画は、二十歳の頃、公開時に見て、スカトロジーやら何やらが盛り沢山で、とても面白かった記憶があった。だが、中年になってからあらためて見直すと、比較にならない凄絶なまでの感動に襲われてしまった。若い時には深く味到することができない種類の作品というのがあって、『最後の晩餐』は、まさにその筆頭に来る映画ではなかろうか。

 

私が愛聴するアルバム『マルコ・フェレーリの映画/フィリップ・サルド作品集』でも、とりわけ『最後の晩餐』のメランコリックなナンバーは、何度、聴いても決して飽きることがない。この体の芯の奥底にじかに響くような官能的な旋律に比肩するのは、カルロス・ダレッシオのもの憂いピアノ・ソロによる『インディア・ソング』のスコアぐらいではないだろうか。

 

 このアルバムには、もう一曲、スタン・ゲッツのアルト・サックスが自在にブローする抒情的なナンバーが入っていて、ずっと気になっていたのだが、最近、ようやく、その作品を中古ビデオで見つけた。

『ピエラ 愛の遍歴』(83)という映画で、原案はなんとアルベルト・モラヴィアの最後の妻であった『不安の季節』のダーチャ・マライーニである。

幼少時から、男関係に自由奔放な母親エウジェニア(ハンナ・シグラ)に嫉妬と羨望、そして反撥を感じながら成長した娘ピエラ(イザベル・ユペール)の心理的な葛藤をラフなタッチで描いている。ピエラはやがて女優の道を歩む。

マルコ・フェレーリの映画では、浜辺で女たちが佇んでいるイメージが繰り返し現れるが、この作品でも、無人の海辺で、この母娘がお互いの服を脱がし合い、全裸のままに抱き合うというラストシーンが印象的である。

『ピエラ 愛の遍歴』では、冒頭からスタン・ゲッツの「枯葉」が軽快に流れ出し、思わず、陶然となってしまった。スタン・ゲッツは、この大スタンダード・ナンバーを数えきれないほど吹き込んでいるが、この映画で聴ける「枯葉」は彼のベスト・パフォーマンスといってよい。

 

『黄金の七人』に代表されるイタリアン・シネ・ジャズとはまったくコンセプトが異なるオーソドックスな音楽もさることながら、マルコ・フェレーリの映画は、もっともイタリア的な野放図さを感じさせながらも、いっぽうで、既存のイタリア映画のイメージを軽々と越えていくコスモポリタンな魅力が強烈にある。

 マルコ・フェレーリは一九九七年、七十歳で亡くなってしまったが、未公開作品も数多くあり、その全貌はいまだに謎めいているのだ。

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吉岡芳子著『決定版!Viva イタリア映画120選』(清流出版)

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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