高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2012年5月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2012年5月アーカイブ

バザン、ウォーショウ、そして西部劇

 時おり、無性に西部劇が見たくなることがある。手もとにこれという作品がなかったので、アマゾンでチェックしたところ、なんとバッド・ベティカーの『七人の無頼漢』(56)の輸入版DVDが七百円ぐらいで売っているではないか。さっそく注文して見てみたが、噂にたがわぬ素晴らしさだった。

 

バッド・ベティカーの『七人の無頼漢』という西部劇が神話的な輝きを帯びて語られるのは、むろん、アンドレ・バザンが『映画とか何か? その社会学的考察』(小海永二訳・美術出版社)の西部劇論の中で「模範的西部劇『七人の無頼漢』」という一章を割いて詳細に論じているからである。

バザンは次のように書いている。

「『七人の無頼漢』に感心したからといって、わたしは、バッド・ベティカーが最も偉大な西部劇監督だと――その仮説を完全には否定しないが――結論しているわけではなく、ただ、この映画はわたしが戦後見た中で恐らく最もすぐれた西部劇だと、結論しているにすぎない。この作品に匹敵しうるのは、ただ『裸の拍車』と『捜索者』とだけだ」

 

 このバザンの有名な一節を呪文のように唱えながら、『七人の無頼漢』は、ずっと、長い間、見てみたいと思っていた<幻の西部劇>だったのだ。バッド・ベティカーについては、三十年ぐらい前、テレビで放映された『決闘コマンチ砦』(60)を見て、深い感銘を受けたことがある。

ちょうど、その頃、『月刊イメージフォーラム』で「ハリウッドの神話学」という特集を組んだ際に、当時、ヘラルド・エースでニコラス・ローグの『ジェラシー』『赤い影』の宣伝をやっていた寺尾次郎さんのアイディアで、『カイエ・デュ・シネマ』のバッド・ベティカー・インタビューを翻訳してもらい、掲載したことも懐かしく思い出される。

 

 たとえば、アンドレ・バザンは、<超西部劇>という概念を生み出し、<自らが西部劇にすぎないことを恥じ、美学的、社会的、道徳的、心理的、政治的な、また、エロチシズムの次元での補足的な興味によって、要するに、このジャンルの映画に固有のものではないが、それを豊かにするように思われる何らかの価値によって、自己を正当化しようと努力している西部劇>と定義づけ、その典型として、『真昼の決闘』と『シェーン』を挙げている。

 

バザンの影響を受けた批評家時代のジャン=リュック・ゴダールがアンソニー・マンの『西部の人』を論じた「超人(スーパー)・マン」というエッセイも、「おそらく西部劇には三種類しかない」それは「イメージによる西部劇、思想による西部劇、イメージと思想による西部劇だ」といった爽快な独断が小気味よいが、こういう幅広い視野と深い射程をもったユニークな西部劇論は、日本では、なかなかお目にかかることがない。

 

では、本国アメリカではどうなのかといえば、バザン、ゴダール以前に、まさに「西部の人」という独創的な西部劇論を書いたロバート・ウォーショウという映画批評家がいたのだ。

 

一九六三年一月号の『映画評論』に植草甚一の「ロバート・ワーショーの西部劇論――むこうの批評を読むということ・5」というエッセイが載っている。恐らく『植草甚一スクラップ・ブック』シリーズにも収められていないこの地味な文章がずっと気になっていたのだが、植草甚一は、次のように書いている。

「……そしてこのときまた頭に浮かんできたのがロバート・ワーショーというアメリカのすぐれた映画批評家が一九五四年三・四月号に「パーティザン・レビュー」誌に発表した『西部の人』という西部劇論であった。これほどピンときた西部劇論は、ぼくの読書範囲のなかでは、かつていちどもなかったのである。ワーショーはジェイムズ・エイジーとともに戦後の映画批評家のなかでは群をぬいた存在であったが、一九五五年の三月に三十七歳で死んでしまった。それから七年たった一九六二年の春に、彼の評論がまとめられ、ライオネル・トリリングの序文つきで『直接的経験』と題して出版された。……とにかく、ワーショーの西部劇論を八年まえに読んだ時は、ちょっと唸ったが、いまでも面白いので、ここで取りあげたくなった」

 

 続いて、「ギャング映画と西部劇は、アメリカ映画のなかで、もっとも成功した特殊なタイプのものであり、ガンをもった人間が登場し、これらの人間の肉体的な一部となったガンと、ガンを使うときの身構えが、視覚上の中心となり、またエモーションをあたえる原動力となる点で、ふたつのタイプは共通しあっている」という印象的な冒頭から入っていき、「西部の男に見られるメランコリーは、人生はイバラの道をゆくようなものだという認識から発生してくるし、その孤独な生きかたは、ギャングのように環境によって左右されるものでなく、完全なものでありたいとねがう生まれつきの体質から来るものなのだ」という意想外な指摘がなされる。

 

さらに、「馬が走る荒野のなかで、ガンが視覚化されたモラルの核心となり、暴力の可能性をはらみながら物語が展開していく。だが、ここで気がつくことは、荒野にも、走る馬にもモラルがあるということだ。このことは西部劇が発展するにしたがい複雑なかたちをとるようになるが、要するに<開かれた世界>であることを、このような風景が語りはじめる」

 

 こんな調子で、創意あふれる知見をおりまぜながら、西部劇独特の魅力が悠然たるトーンで語られていくのだが、まったく、見事なものである。

 アメリカには、ヴァルター・ベンヤミンやジョージ・オーウェルの衣鉢を継ぐように、映画のようなポピュラー・カルチャーを、深い含蓄と愛情、傑出した才筆によって、つまり、ノーマン・ポドレッツのいう<芸術しての論文記事>に仕立て上げるジャーナリスティックな才能の系譜がある。

 

私は、漠然と、一九七一年に翻訳が出たスーザン・ソンタグの『反解釈』(竹内書店)あたりが、その先駆だと、ずっと長い間、思い込んでいたのだが、彼女のいわゆる<キャンプ的感受性>を秘めたエッセイは、映画批評の分野では、すでに一九五〇年代において三人の批評家によって実現されていたのだ。

それは、『エイジー・オン・フィルム』のジェイムズ・エイジーであり、のちに『否定的空間(ネガティブ・スペース)』をまとめるマニー・ファーバーであり、そして『直接的経験』を書いたロバート・ウォーショウなのだ。

『直接的経験』のなかで、ロバート・ウォーショウは、幾度か、T・S・エリオットの詩とハンフリー・ボガートのギャング映画を同時に、何の矛盾もなく愛することの意味を問うている。

 

一九五〇年代後半に、プレストン・スタージェス復権の論文「スタージェスの成功神話」を書いたマニー・ファーバーと同じ年に生まれ、サイレントコメディの偉大さを広く知らしめた傑作エッセイ『喜劇の黄金時代』を書いたジェイムズ・エイジーと同じ年に亡くなった、この夭折の映画批評家ロバート・ウォーショウの唯一の著作『直接的経験』を、日本でなんとか翻訳できないかと思う。

 

生硬で晦渋なアカデミックな理論書などよりも、エイジーやファーバー、ウォーショウの映画評論の古典的な名著を翻訳することこそ、今の疲弊した日本の映画ジャーナリズムにとって大きな刺戟となるはずである。 

 

 

 

 高崎12051.jpg

アンドレ・バザンが戦後最高の西部劇と絶賛したバッド・ベティカーの『七人の無頼漢』

日活ロマンポルノ考 堀英三という映画記者がいた

 今年は、映画会社の日活創立100周年に当たり、その一環として、五月には、都内の劇場で、「生きつづけるロマンポルノ」と銘打ち、蓮實重彦、山田宏一、山根貞男の各氏が選ぶ日活ロマンポルノ三十二作品の特集上映が行われる。

 

先日、「キネマ旬報」の<ロマンポルノ特集>の取材で、元日活のプロデューサー・成田尚哉さんに話を聞く機会があった。

成田さんとは世代が近いせいもあり、日活ロマンポルノを最初期から見ている者同士でもあって、往時を振り返りながらのリアルな言葉には、深く共感するものがあった。

 

とくに、セレクトされた三十二作品を見ながらの、次のような感想が強く印象に残った。

「……ピックアップされた、社会的に評価された傑作、秀作といわれる作品だけがロマンポルノではなくて、愚作、珍作、失敗作をぜんぶひっくるめたゴッタ煮のような膨大な作品そのものが僕にとってのロマンポルノなんです。ロマンポルノが撮影所を中心に、人々が映画作りをしたあるエロティックな運動体であったことは間違いないし……、だから、もうロマンポルノを神話化、神格化するのは勘弁してほしいと思っています。」

 

最近、若い世代の映画ファンと話していて、話が通じにくいなと思うのは、最初からロマンポルノを<作家主義的>な見方で特権化し、評価の定まった一部の映画作家・作品のみを顕揚する傾向が目立つことである。なかでも、気になるのは、当時、いかにロマンポルノが、社会的にも不当な差別や偏見に晒されていたかという<現実>があっさりと捨象されてしまっていることだ。

 

そのことで、今、思い浮かぶ、ある光景がある。

二〇〇六年の五月に、ラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショーで<田中登特集>が組まれた。支配人の石井紫さんの大英断によって実現した名企画で、私はチラシの解説と、三度にわたる田中登監督のトークの司会を頼まれた。

初日に、『(秘)女郎責め地獄』が上映され、主演の中川梨絵さんも来場されて、監督と三十年ぶりの再会を果たし、田中登監督も上機嫌だった。トークが終わって、近所の居酒屋で打ち上げをしていると、一橋大学で映画を勉強しているという女子大生がつかつかとやって来て、映画の感想を述べた。そして、その後ろには、私とほぼ同世代の女性が立っていた。

彼女は、挨拶すると、次のように話し始めた。

「一九七〇年代、私が学生の時に、田中さんの映画の評判は深夜放送などで伺っていて、ずっと見たかったのですが、当時は、女性がロマンポルノの上映館にひとりで見に行くのはとても勇気のいることで、不可能でした。今日は、娘が監督の映画を見に行くというので、無理やり付いてきました。三十数年ぶりに願いがやっと叶いました。映画、とてもすばらしくて感動しました」

 

田中登監督は、彼女の感想を黙って聞いていたが、ちょっと涙ぐんでいたように記憶している。

彼女の発言は、まさに、当時の、とくに女性の映画ファンの心情を代弁していた。ロマンポルノは、若い女性が気軽に見に行けるようなものではなかったのである。

一九七二年のことだが、『一条さゆり・濡れた欲情』『白い指の戯れ』の演技で、伊佐山ひろ子がその年の「キネマ旬報」主演女優賞を受賞するや、ポルノ女優を選出するなどけしからんと、ロートルの映画評論家が選考委員を降りてしまったという笑えないエピソードがあった時代なのだ。

 

成田さんは、日活ロマンポルノは、「朝日新聞で大きく取り上げたりしていたので、一般に認知されて」云々と語っていて、当時の記憶があざやかに甦ってきた。

 

日活ロマンポルノを最初期から熱烈に擁護する映画批評家は何人かいたが、当時、もっとも大きな影響力を持っていたのは、TBSの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティ林美雄さんと、朝日新聞の堀英三という映画記者であったと思う。

 

一九七〇年初頭、私はまだ高校生だったが、その頃が、もっとも熱心に雑誌、新聞の面白そうなカルチャー記事を丹念にスクラップしていた時期で、そのスクラップは今も手許にある。なかでも、朝日新聞の堀英三の記事には注目していた。

私が、堀英三という名前を初めて知ったのは、たぶん、一九七二年の八月、三大紙で初めて日活ロマンポルノを絶賛する批評を目にしたときである。その作品とは藤田敏八監督の『八月はエロスの匂い』だった。

 

「藤田敏八監督、久びさの作品である。やや観念的ではあるが、現代日本社会への洞察と予見に満ちた秀作だ」という冒頭の一節も印象的だが、この批評の眼目は、実は次に引用する最後のくだりにある。

「なお、最近の日活映画の好調ぶりはすばらしい。いわゆる日活ロマンポルノのうち、取上げたのはたまたまこの作品が最初だが、たとえば、今年はじめ公開された神代辰巳監督の『濡れた唇』などは、ここ数年の青春映画の中の傑作の一つである。」

 

 さらに、驚いたのは、この批評が出たすぐ後の夕刊の「芸術」欄に、今度は、堀英三の手になる「秀作つづく日活ロマンポルノ」と題したレポートが載ったことだ。

 

 その冒頭を引用してみよう。

「『濡れた唇』『濡れた欲情』『牝猫たちの夜』『(秘)女郎市場』『白い指の戯れ』『牝猫の情事』など、日活はこの一年間驚くべき集中度で秀作を発表し、同時に神代辰巳、田中登、曾根中生、加藤彰、村川透、藤井克彦、小沼勝、山口清一郎らの若手監督を誕生させた。このような現象は、六〇年前後の大島渚監督ら松竹大船ヌーベルバーグ、六七、八年の小川紳介監督ら独立プロ作家の集中的出現以来のことである。」

 さらに、日活ロマンポルノが性の階層性を鮮烈に浮き彫りにしたことを鋭く指摘して、次のように断言する。

「性だけで人間を描けないのは当然だが、逆に性抜きでは決して人間のすべてを語ることができないとすれば、日活ロマンポルノが、日本映画の未開のトビラをあけ放した意味は大きい」。

 

当時、三大紙でももっとも良識を謳われた朝日新聞に、一記者による、このような挑発的なロマンポルノ礼讃の記事が載ったこと自体、かつてないほどの驚きをもって受け止められたのではないかと想像される。

 

堀英三は、その前後にも、『水俣一揆/一生を問う人々』を完成させた土本典昭へのインタビューと作品評、森崎東監督のインタビュー、原正孝の『初国知所之天皇』、『フェリーニのローマ』の作品評、それに、藤田敏八、金井勝などの映画人の動向をレポートする「映画 ある状況・ある情熱」という連載を手がけているが、これらの記事は、今、読んでも、充分に刺激的だ。 

 

しかし、出る杭は打たれるというか、そのあまりに先鋭的な仕事ぶりが朝日新聞社内で問題視されたようで、その後、しばらくして、堀英三は、朝日新聞本体から、「朝日ジャーナル」編集部へ異動となったという話を聞いた。その後の、彼の消息は知らない。

いずれにせよ、以後、堀英三のようなラディカルな姿勢で果敢に時代と対峙した新聞の映画記者が現われることはなかったように思う。

思えば、「朝日ジャーナル」記者であった川本三郎が、映画化されたメモワール『マイバックページ』で描かれた、朝霞自衛官殺害事件に関連して逮捕されたのも、この時期で、まさに激動の時代だった。

川本三郎さんは、はたして、堀英三とは、深いつきあいがあったのだろうか。

 

「生きつづけるロマンポルノ」本ヴィジュアル.jpg

 「生きつづけるロマンポルノ」(C)日活

5/12()よりユーロスペースほかにて全国順次公開

« 2012年4月 | メインページ | アーカイブ | 2012年6月 »
著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
検索