高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2011年12月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2011年12月アーカイブ

遅ればせながら矢島翠を追悼する

 今年も数多くの映画人の訃報に接した。八月三十日には、矢島翠が呼吸不全で亡くなっている。享年七十九。ああ、間に合わなかったという思いがこみあげてきた。

実は、数年前から、矢島翠の映画エッセイ集をつくりたいと思っていたからである。

 

新聞の訃報では、評論家の故加藤周一のパートナーであることばかりが強調されていて、名著『ヴェネティア暮し』(平凡社ライブラリー)を始めとする彼女の優れた仕事について言及したものはほとんどなかった。まともな追悼文すら出なかったのではないだろうか。

 

矢島翠は、『現代のシネマ・アントニオーニ』(ピエール・ルブロオン著、三一書房)、ルイス・ブニュエルの自伝『映画 わが自由の幻想』(早川書房)などの優れた翻訳者としても知られるが、私にとっては、なによりもまず、戦後最高の女性映画批評家であった。とくに、小川徹が編集長として辣腕をふるっていた一九六〇年代半ば頃の『映画芸術』では、ほぼ毎号のように映画評論を書いており、どれも読みごたえがあった。

 

この頃の『映画芸術』については、三島由紀夫の次の評言が正鵠を得ている。

「『映画芸術』という雑誌は全く面白い雑誌で映画をサカナにして、竹林の七賢人が、浮世離れのした高遠な議論を毎号やっている。浮世とは低俗なる大衆であり、その低俗なる大衆の無意識の部分を、知的に、あるときは社会科学的に分析して、とんでもない結論をみちびき出す。その結論がとてつもなく面白い。世間で悪評高く大コケにコケた映画がここでは傑作の折紙をつけられたりする。なまぬるい良識派の映画批評や、平和主義と見せかけながら政府の文化政策のお先棒をかついでいるような映画批評は、ここには見当たらない。」

 

恐らくは、小川徹自身の<文芸コンプレックス>のなせるわざでもあったのだが、六〇年代の『映画芸術』は、高名な文学者や哲学者、文芸評論家などによる<局外批評>が主流を占めていた。しかし、こうした<裏目読み批評>の大半は、その悪しき<政治主義>ゆえに、今となってはまったく読むに耐えるシロモノではない。だが、矢島翠の映画批評には、そうした時代思潮には左右されない、しなやかな知性と批評精神が脈打っており、今、読んでも、充分に刺激的なのである。

 

なかでも、吉田喜重とミケランジェロ・アントニオーニについての優れた論考が多かった。

たとえば、今、私の手許にある『映画芸術』(一九六七年八月号)は、「アントニオーニ 日本での9日間」という特集が組まれ、『欲望』の公開に合わせて来日したアントニオーニに、吉田喜重がインタビューした記事が載っている。これは、かつて吉田喜重が書いたアントニオーニ論を矢島翠がフランス語に訳してアントニオーニに送ったところ、彼がとても秀逸な批評であると高く評価したことから実現したものである。

 

矢島翠には『出会いの遠近法――私の映画論』(潮出版社)という映画評論集がある。追悼の思いもこめて、ひさびさに読み返してみたが、黒澤明、今村昌平、大島渚から若松孝二までを視野に入れて、日本映画における<母性信仰>を批判的に検証した「勤勉な巫女たち」がやはり圧倒的だ。

アントニオーニと吉田喜重の映像には<女の視線によるエロティシズムがふくまれている>という仮説から論をすすめる「現代映画にあらわれた性」も、フロイトや柳田國男の『妹の力』、吉本隆明の『共同幻想論』を自在に引用しながら、まったく晦渋さを感じさせない平易な語り口で、映画におけるセックスの主題を深く追求している。

 

なかでも「思慕の流れ――フランソワ・トリュフォーの世界」は、トリュフォーの映画における<女の顏>へのオブセッション、そして<トリュフォーの描く弱い男たちは、?棄てられた少年?の遠い記憶を、その内部にもっている」という指摘には深く啓発させられた。

 

「そして何も変わらなかった――ジョセフ・ロージーの世界」も、赤狩りでアメリカを追われたロージーの<独特の女性嫌悪>を読み解きながら、傑作『恋』を周到に分析したくだりには感嘆させられた。達意の日本語によって書かれた批評を読む悦びというものを味わった気がする。

 

 そういえば、幼少時から矢島翠と親交があり、名文家として知られた須賀敦子は『ヴェネティア暮し』の解説の中で、「対象を忍耐ぶかくじっくり見定める著者の、まれな教養と素質が、爽やかな理性に支えられてどの章にも光を放っている」と書いている。矢島翠の映画批評の魅力は、まさに、「まれな教養と素質が、爽やかな理性にささえられて」いるところにあるのだ。

 

 私は、一度だけ、矢島翠と言葉を交わしたことがある。もう、十五、六年ほど前になるが、ヴェネティア映画祭グランプリを獲った台湾の鬼才ツァイ・ミンリャンの『愛情萬歳』が公開された時のことだ。配給会社のプレノン・アッシュから劇場用パンフレットの編集を頼まれた私は、ぜひ、矢島翠に作品評を書いてもらおうと思った。

というのも、急激な高度成長を遂げた台北を舞台に、高級マンションをセールスする若い女性の空漠とした内面と凄絶な孤独を描いたこの傑作は、<愛の不毛三部作>を撮っていた頃のアントニオーニを、否応なく思い起こさせたからだ。

 

たしか、試写の後で、お茶に誘って、感想を尋ねた記憶があるのだが、その時に、矢島翠が、開口一番、言った言葉が忘れられない。

「アントニオーニじゃなくて、蔵原惟繕に似ているわね」

 

まったく意外な指摘だったが、考えてみれば、たしかにマレーシア出身で、台北に留学したツァイ・ミンリャンが描く無機的な都市景観と、ボルネオで生まれた蔵原惟繕が『憎いあンちくしょう』等で追求した観念至上的な愛のモチーフは、自分の居場所を<異郷>として眺めてしまう根無し草のような虚ろさ、コスモポリタンな感覚が漂っている点ではとても似ているという気がする。

 

 結局、矢島翠には作品評は書いてもらえなかったが、その代わりに彼女を深く尊敬していた故石原郁子さんが見事な批評を寄せてくれた。石原さんは、すでに『アントニオーニの誘惑――事物と女たち』(リュミエール叢書・筑摩書房)を上梓していたが、たしか、この著作は矢島翠に捧げていたはずだ。

 

 その後、矢島翠は、フランス映画社の完成披露試写の際に、足元がおぼつかない加藤周一を支えるようにして一緒に見に来ているのを、たびたび見かけたぐらいで、彼女自身、その頃は、もはや映画について書くこともほとんどなかったように思う。

 

『出会いの遠近法』はすばらしい映画評論集だが、長編エッセイが中心で、一九六〇年代の『映画芸術』に書かれた膨大な時評、作品評はまだ手つかずのままである。フェミニズムなどという言葉がまだ一般に認知されていなかった時代に、矢島翠は、<女であること>の甘えや虚栄を排し、自らの女性性を深く認識しながら、柔らかな批評言語を研ぎ澄まし、果敢に闘ったといえるだろう。その業績を決して忘れてはならない。

 

 

 

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矢島翠著『出会いの遠近法――私の映画論』(潮出版社)

 

 

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矢島翠(左)と小川徹

 

 

花田清輝の映画的思考とは何か

 毎年、暮れも押しせまり、十一月も半ばを過ぎると、喪中につき年賀欠礼のハガキが届くようになる。いたずらに馬齢を重ねるばかりだが、今年はとくに多いような気がする。そのなかに今年の五月、花田黎門さんの逝去を報せるハガキがあった。
 花田黎門さんは、花田清輝のただひとりの御子息で、著作権継承者でもある。レイモンという変わった名前は、むろん、レイモン・ラディゲからとられている。『自明の理』など初期の著作にはラディゲがよく引用されていたことが思い出される。

 私は、数年前、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』(小社刊)を編集した際に、一度、御自宅に出版の許諾のお願いも兼ねて、ご挨拶にうかがったことがある。
 花田清輝のエッセイによく登場する小石川の住宅街にひっそりとある瀟洒なご自宅で、黎門さんからお聞きした生前の花田清輝をめぐるエピソードがゆくりなくも記憶の底からよみがえってくる。 

 花田清輝の著作をもう四十年近く読み続けているが、まったく飽きることがない。折に触れて読み返すたびに、さまざまな刺戟を受けるのだが、そういう文学者はほかにそういるものではない。

 花田清輝には、ルネッサンスをモチーフにした『復興期の精神』のような掛け値なしの名著もあるが、映画のエッセイのほうが、一般には親しみやすいだろうという判断から私なりの視点で、『ものみな映画で終わる』をまとめたのである。その背景には、漠然と、この十数年、記号分析のような小賢しい映画批評やら、気色悪い多幸症的なグルメ趣味みたいな文章が跋扈し始めたことへの反撥もあったかもしれない。

 花田清輝の映画エッセイの魅力とは、G・K・チェスタートンやオスカー・ワイルドを思わせる諧謔と逆説、アイロニーに満ちた豊かな批評精神が息づいていることだ。この映画はこう見ろ、という教条主義や独断専行に走ることなく、ああでもない、こうでもないというふうに、一見、のらりくらりと逸脱を繰り返しながら、常に、読む側の視点を解放させ、不断に新たな<読み>を提示するような、のびやかな批評精神が、どんなエッセイにも見出せるのである。 

たとえば、クロード・シャブロルの『いとこ同志』と松竹ヌーヴェル・ヴァーグを比較した時評では、前者にある「敵を味方の眼でみるとともに、味方を敵の眼でみることを忘れないバルザック的なリアリズム」こそ、後者に欠けているものだという鋭い指摘はいまなお新鮮である。

 小林信彦さんとの論争のきっかけとなった映画時評では、「しかし、それにしてもシャブロルとヒッチコックとではくらべものにならない。一方は、やせたりといえども、ちゃんとした芸術家であるのに反し、他方は、デブの職人にすぎないではないか」などど、「カイエ」の<作家主義>を信奉する無邪気なシネ・フィルが読んだら卒倒しそうなことを平気で書いている。
 しかし、花田黎門さんにお話をうかがったところ、実は、花田清輝は、ヒッチコックが大好きで、テレビの『ヒッチコック劇場』などは毎週欠かさず見ていたそうである。

 小林信彦さんがデビュー評論「ヒッチコックと『二重の鍵』」で暗に批判した花田清輝の「ヒッチコックの張扇」という悪名高いエッセイがある。これなども、一見、ヒッチコックの無思想性を批判しているかのようだが、子細に読めば、「本来、娯楽というものは、エッセンスのかたちで示された、芸術にほかならない。したがって、娯楽作品の作り手たちは、否応なしに、かれの芸術家としての正体を、人眼にさらさなければならなくなる。」という一節などは、そのまま「娯楽奉仕の心構え」に殉じたヒッチコックへの屈折したオマージュとも読めるのである。  

『勝手にしやがれ』で、パリの街中を行き当たりばったりにさまようジャン=ポール・ベルモンドの歩行と、ディグレッションとしての自分の批評の在り方がまったく瓜二つであることを告白した「ベルモンドよ!」というエッセイも印象深い。花田清輝は、『勝手にしやがれ』のベルモンドの無造作な死にざまと、『灰とダイヤモンド』で、ズビグニエフ・チブルスキーが演じたテロリスト、マチェックの「最後まで、英雄主義の残滓がこびりついてはなれない」悲愴な死にざまを比較し、ベルモンドへの深い共感を語っていた。 

 ここで、あらためて『灰とダイヤモンド』を批判した「無邪気な絶望者たちへ」というエッセイが思い出される。しかし、花田黎門さんによれば、昔、公開時に、『灰とダイヤモンド』を一緒に見た記憶があり、その時には、深く感動していたそうである。恐らく、花田清輝は、当時の知識人たちが、『灰とダイヤモンド』をあまりにセンチメンタルに、あるいはロマンティックに手放しで礼讃する風潮に腹が立ち、あえて嫌われ役を買って出て、そのヒロイックな感傷性を批判する役割を演じたのかもしれない。

 花田清輝には、「イジワルジイサン」と称されるほど、老獪でひねくれた皮肉屋な面をことさら露悪的に誇示するところがあった。私は、その辛辣きわまりないアイロニカルなユーモアは、なんとなくロバート・アルトマンの映画に似ているなとずっと思っていた。
 すると、黎門さんは、父親とふたりで最後に見た映画がアルトマンの出世作『M★A★S★H』で、花田清輝は面白がって、大絶賛していたという。なんだか、すっかりわが意を得たりという気分になってしまった。

 黎門さんにお会いしたとき、息子の花田十輝さんの『お嬢様特急』という文庫本をいただいた。花田十輝さんはゲーム、アニメの原作者としては大変な人気作家らしく、花田清輝も漫画映画論をずいぶん書いていたし、やはり、血は争えないなと思ったが、黎門さんの話によれば、なんと「おじいちゃんの本は一冊も読んだことがない」そうである。

 奥様のお話では、花田清輝の著作権は、その花田十輝さんが引き継いだとのことである。

 

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『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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