エリザベス・ボウエンの『日ざかり』が映画になっていた - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
エリザベス・ボウエンの『日ざかり』が映画になっていた

『新潮』の十一月号で長谷川郁夫の新連載「吉田健一」が始まった。長谷川郁夫は、今や伝説的ともいえる元小澤書店の社主であり、「ポエティカ」など吉田健一の著作を数多く手がけた編集者だった。すでに伊達得夫や堀口大学の優れた評伝の書き手としても知られているだけに、この特異な文学者の評伝はどうやら決定版という趣きさえ感じられる。

 

 吉田健一の小説では『金沢』『東京の昔』『瓦礫の中』が代表作として挙げられるが、私は『残光』(中央公論社)という短篇集が好きだ。

 種村季弘は名著『書物漫遊記』(筑摩書房)の中で、この短篇集の得もいえぬ魅力を絶妙な語り口で紹介しているが、吉田健一の「或る田舎町の魅力」という稀代の名エッセイを知ったのも、この種村のエッセイ集だったような気がする。

 

 しかし、私が、吉田健一のすべての仕事の中で最も敬意を表し、感嘆するのは、やはり翻訳だ。そして、その膨大な訳業の中から、あえてベスト三を選ぶとすれば、G・K・チェスタトンの『木曜の男』(創元推理文庫)、イヴリン・ウォーの『ブライズヘッドふたたび』(筑摩書房)、そしてエリザベス・ボウエンの『日ざかり』(新潮社)となる。

 

 なかでも六十年前に翻訳されたエリザベス・ボウエンの『日ざかり』は、古書市にもほとんど出ない入手困難な幻の本として有名だが、最近、ようやく、知人の好意で入手することができた。

 

 エリザベス・ボウエンは、近年、ミネルヴァ書房から『あの薔薇を見てよ』『幸せな秋の野原』(ともに太田良子訳)の二冊のミステリー短編集が刊行されて、一部で話題となり、その後、国書刊行会からも『リトル・ガールズ』『エヴァ・トラウト』『愛の世界』の長篇が<ボウエン・コレクション>全三巻として、すべて太田良子訳で刊行されるなど、さながら、小ブームとなっている感があるが、私は、エリザベス・ボウエンという作家の本質的な魅惑を知るには、やはり、まずは、この吉田健一訳の『日ざかり』と『パリの家』(阿部知二、阿部良雄訳・集英社文庫)を復刻すべきだと思う。  

 

『日ざかり』は、吉田健一のあとがきの見事な要約を借りれば、こんな小説である。

「これは恋愛小説であると同時に一種の戦争小説であり、そして又、一種の思想小説でもある。一人の中年の女と、思想的にナチ・ドイツに共鳴している英国の将校の恋愛は、この異常な取り合わせの為に本ものの、場合によっては清純に抒情的でさえある恋愛関係たるを少しも失っていない。又、一九四〇年当時の空襲化のロンドンと、そのロンドンでの生活の描写は、多少の環境の相違があるにもかかわらず、正確で切実である点で我々の戦時中の記憶を甦らせるに充分なものを持っている。それは或いは我々の体験と全然異なっているかも知れない。併し我々がそう感じないのは、それだけ自分の環境に忠実な作者の眼がそこに働いているからなので、我々はその眼を通して見ずにはいられなくさせるのである。死を前にしての張り詰めた心境に映る風景の<硝子越しに眺めたような>静寂は、我々にも無縁ではないはずである。」

 

 ステラという女とその恋人でドイツ側に情報を提供している英国の将校ロバート、それに、ステラに横恋慕している英国特務機関に務めるハリソンとの奇妙な三角関係のドラマであるが、とくに、ステラの寝室で、ステラとロバートとの間で交わされる恋愛と祖国愛をめぐる激しい言葉の応酬は、異様な迫力を帯びていて、胸に迫る。

 

 ところで、このエリザベス・ボウエンの『日ざかり』が、なんと映画化されていたのである。

 

 数年前、近所の小さなビデオ屋が閉店するので百円均一のバーゲンセールをやっていて、のぞいて見たところ、『デス・ヒート/スパイを愛した女』という聞いたこともないビデオを見つけたのだ。

 パッケージを眺めると、「マイケル・ヨークなど、ヨーロッパの演技派がスリリングに展開するロマンティック・ミステリー!」と惹句に謳われていて、原題が「The eat of the ay」。原作がエリザベス・ボウエンとある。かなり誤訳しているが、間違いなく「日ざかり」の映画化だった。

 思わず、狂喜してすぐさま購入したが、一九八八年のイギリス映画で、主演はパトリシア・ホッジ、マイケル・ヨーク、マイケル・ガンボンという実に地味なキャスティングで、監督のクリストファー・モラハンは全く知らないが、テレビのミニシリーズ『群衆の中の宝石』でエミー賞を受賞しているという。

 

 ステラを演じたパトリシア・ホッジは、ジュリー・アンドリュースを彷彿とさせる親密な雰囲気を発散させるイギリス女優で、なかなか魅力的だった。ロバート役のマイケル・ヨークは、あの独特の腺病質なオーラを放っていて、ひたすら懐かしかったが、ステラにストーカーのように執拗にまとわりつくマイケル・ガンボンが妙に哀切で泣けてくるような名演を見せる。

 なかでも、原作のクライマックスをなしている、ステラとロバートの恋愛と祖国愛をめぐる果てのないディスカッションが、みごとに再現されていた。

 

『デス・ヒート/スパイを愛した女』という映画が、ボウエンの原作のミステリアスな雰囲気をある程度、忠実に伝えることができた最大の功績は、脚本を担当したハロルド・ピンターのアダプテーションが卓越していたからだ。

 

 最晩年になってノーベル文学賞を受賞したハロルド・ピンターは、英国劇壇における重鎮として君臨していたが、映画の世界においても、ジョゼフ・ロージー監督とコンビを組んだ『召使』『できごと』『恋』などの名作のシナリオライターとしての仕事が際立っているのは言うまでもない。

 だが、私は、むしろ、こうした地味な未公開ビデオの中で、脚本家ハロルド・ピンターの名前を発見しては、ささやかな悦びを見出していた。

 たとえば、イアン・マキューアンの『異邦人の慰め』を映画化したポール・シュレイダー監督の『迷宮のヴェニス』は、クリストファー・ウォーケン、ヘレン・ミレン主演で、音楽がアンジェロ・パダラメンティのせいかデヴィッド・リンチ風なグロテスクな味わいのエロティック・サスペンスだった。

『海に帰る日』(86)という映画も忘れがたい。水族館で出会った書店に務める冴えない中年の男リチャード・ジョンソンと女流絵本作家グレンダ・ジャクソンが、水槽の亀を海に逃がそうと画策する。こんな地味なお話ながら、孤独な中年男女の相寄る魂の行方を繊細にとらえ、とくにグレンダ・ジャクソンの翳りを帯びた名演がすばらしかった。

 こうしてみると、つくづく、イギリス映画は、奥が深いのだと思う。

 

 ひざかり.jpg

吉田健一の名訳で知られるエリザベス・ボウエンの『日ざかり』

 

デスヒート.jpg

『日ざかり』が原作の『デス・ヒート/スパイを愛した女』

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
バックナンバー
検索