高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2011年9月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2011年9月アーカイブ

渡辺温、及川道子、そして『アンドロギュノスの裔(ちすじ)』

 二年前、私が編集した虫明亜呂無のエッセイ集『女の足指と電話機――回想の女優たち』(小社刊)は意想外な好評を博し、数多くの書評が出たが、中でも読売新聞に掲載されたノンフィクション作家・黒岩比佐子さんの書評はとても印象深いものだった。 
 黒岩さんはとりわけ、虫明亜呂無が本書で何度も言及していた<忘れられた伝説の女優・及川道子>に興味をもったようで、その後、ブログでも、古書市で見つけた昭和八年発行の『婦人倶楽部』の附録「和装洋装流行見立大集」のモデルに及川道子が登場していることを発見し、嬉しそうに書かれていた(後に『古書の森 逍遥』(工作舎)に収録)。
 それを読んで、彼女のブログへコメントを送ったりしているうちに、及川道子と相思相愛だった夭折の天才作家、渡辺温にゆかりのある「ギャラリー・オキュルス」の存在を知った。お電話をすると、オーナーの渡辺東さんが「渡辺温と及川道子の資料ならお見せしますから、どうぞ、いらっしゃいませんか」とおっしゃってくださった。 

 高輪にある「ギャラリー・オキュルス」のオーナー渡辺東さんは、渡辺温の兄である探偵小説作家・渡辺啓助の御息女で、画家でもある。ちょうど、その前年に、『W,W,W,長すぎた男・短すぎた男・知りすぎた男 渡辺啓助、渡辺温、渡辺濟――「新青年」とモダニズムの影』というユニークな展示会を開催されており、お伺いした時に、素晴らしいカタログをいただいた。
 渡辺東さんは、薔薇十字社刊の『アンドロギュノスの裔』からインスパイアされた『アンドロギュノスの裔たち』というドローイングの作品集も出しており、叔父である渡辺温への深い想いがうかがえるが、実は、その時に、東京創元社から渡辺温の作品集が出るという話を聞いていた。
 そして、先日、ようやく創元推理文庫『アンドロギュノスの裔 渡辺温全集』が出来上がった。薔薇十字社版以外の単行本未収録の小説やエッセイを収めた決定版ともいえる。

 渡辺温は、大正十三年、プラトン社の映画筋書懸賞募集に応募した『影』が一等に入選、鮮烈な作家デビューを飾る。選者は谷崎潤一郎で、後に、渡辺温は『新青年』の編集者となり、昭和五年、原稿依頼で谷崎潤一郎宅に赴いた帰路、西宮市外夙川踏切で貨物列車に乗っていたタクシーが衝突し、急逝する。享年二十七。まさに奇しき因縁というほかない。

 この文庫版全集を繙くと、小説では、メランコリックな代表作『可哀想な姉』や溜め息の出るような名掌編『兵隊の死』などは、何度読んでも、見事というほかないが、あらためて、渡辺温と<映画>との深い関わりが見えてくる。 
 処女作『影』は、もともと映画のシナリオを想定して書かれており、誰もが指摘するようにドイツ表現派の代表作『カリガリ博士』の影響が濃厚で、谷崎潤一郎も、渡辺温と初対面の折に、その憂いに満ちた貌自体が、『カリガリ博士』の登場人物アランにそっくりであった証言している。ちなみに、当時、『新青年』の編集長であった横溝正史は、同じ『カリガリ』でも<眠り男>チェザーレのほうに似ていると語っている。

 映画をめぐるエッセイ、雑文が数多く収められているのも嬉しい。
 たとえば「想出すイルジオン]というエッセイでは、『プラーグの大学生』について「僕は未だ二重人格の話さえよく知らない年齢だったにも拘らず、ようやく<荒唐無稽>に対する変な嗜好が判然と働きかけて来た頃であったので、すっかりあの写真に引きつけられてしまったのである」と絶賛している。また、『最後の人』についても「フランク・ムルナウの燦然たる技倆は、ああした種類の器用さを誇る米国のどんな監督をも一蹴してしまったことと信ずる。映画技巧の上乗なる見本と云い得るものである」と指摘し、エルンスト・ルビッチの傑作喜劇『花嫁人形』を大好きな映画とも書いている。

幻想文学の作家・渡辺温についての最大級の賛辞は、やはり、江戸川乱歩の次の評言に尽きるのではないだろうか。
「私は身のほど知らずにもポーの名を僭しているものだが、渡辺温君こそ、われわれの仲間では最もポーの影響の感じられる作家ではなかったか。事実また、同君は熱心なポーの愛読者で、ポーの一行一行を味読し、理解している点、私など遠く及ばぬところであった」(『探偵小説四十年』)

 さらに、『少女』や『赤い煙突』といった佳篇には、<永遠の処女>と呼ばれた女優、及川道子との悲恋の翳が揺曳しているのは明らかである。当時、不治の病と言われた結核に冒された及川道子は、家族の猛反対に遭い、渡辺温と添い遂げることはできなかった。
 渡辺温の没後、及川道子は自著『いばらの道』(紀元書房・昭和十年刊)で次のように回想している。
「私は小学校の時分から、ずっと後に映画界に出るようになる迄、よい指導者として、またよき愛護者として、渡辺さんに、どれだけ御恩を受けているか知れません。――冬の真中にもなお、外套をもっていないということで、母の心を痛めさせたわたしが、音楽学校への受験写真には、立派な外套を着ているのも、その頃或る雑誌が懸賞でシナリオを募集した時、それに応じて一等に当選された渡辺さんが、懸賞の一部で私に買って下さった、思い出深い外套なのです。」

 このエピソードを、黒岩比佐子さんのブログに送付したところ、「悲恋、結核というと、徳富蘆花の『不如帰』に通じますし、<外套をプレゼントされた>エピソードを読むと泣けてきそうな気がします。彼女のことをもっと知りたくなりました」と返信にあった。

 私は手許に清水宏監督の『港の日本娘』ほか及川道子が主演した何本かの松竹作品のDVDがあったので、いずれ、折をみて、黒岩比佐子さんにもダビングして差し上げようと思っていた。
 ところが、黒岩さんは、二〇〇九年十一月に、膵臓癌であることがわかり、以後は、闘病生活を続けながら、ライフワークである『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)の執筆に専心する日々だった。その壮絶な記述をブログで目にすると、映画を見るような悠長な気分には到底、なれないだろうと思い、DVDを送ることは差し控えた。

 そして、黒岩比佐子さんは、『パンとペン――』を上梓し、二〇一〇年十一月十七日、亡くなられた。
 黒岩さんは、『パンとペン――』を書き上げる前に、及川道子の父、鼎が、明治期の社会主義者であり、堺利彦とは旧知の仲であったことを知ってとても驚いていた。
 私は、もし、黒岩さんが病に倒れなければ、いずれ、<忘れられた伝説の女優・及川道子の数奇な生涯>をめぐるノンフィクションが生まれたのではないかと夢想するのだ。

eiga10.3.jpg

 『アンドロギュノスの裔 渡辺温全集』(創元推理文庫) カバー装丁はコラージュ=西山孝司(Fragment)、デザイン=柳川貴代(Fragment)

eiga10.2.jpg

夭折の天才作家・渡辺温

 

eiga1.jpg

伝説の女優・及川道子

安田南 いま、いずこ

 前回、TBSの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のアナウンサーである林美雄さんのことを書いたが、もうひとり、一九七〇年代を駆け抜けていった、忘れがたいパーソナリティーがいたことを思い出した。伝説のジャズシンガー安田南である。

 

 先頃、『東京人』の3月号で「青春のラジオ深夜放送」という特集が組まれ、「『雑誌の時代』のラジオ」という一文で、山崎浩一が、FM東京の深夜番組「きまぐれ飛行船」のパーソナリティーだった安田南が「番組から謎の失踪を遂げてしまうのだ。そして、なんと三十三年たった今も、彼女の消息は杳として知れないのだという」と書いていた。

 そして、この一文に、坪内祐三が『本の雑誌』5月号の「読書日記」で噛みついたのだ。坪内さんは次のように書いている。

「近代ナリコさん栃内良さんに続いて山崎さんあなたもか。安田南はもう何年か前にガンで亡くなり、ガンで闘病中の彼女を励ますイベント(赤瀬川原平さんや秋山祐徳太子さんらも参加)の紹介記事が某大新聞に載ったというのに。……安田南は不思議なブラックホールなのだろうか。」

 

 この一節には、やりきれぬような、鈍い衝撃を受けた。そうか、もう、すでに安田南は亡くなっていたのか。

 

 一九七〇年代の半ば頃だったが、FM東京の月曜日深夜一時から三時まで、「きまぐれ飛行船」というステキな番組が始まった。パーソナリティーは、当時、小説家として活躍を始めたばかりの片岡義男で相方を務めたのはジャズシンガーの安田南だった。このふたりの、まさに、きまぐれというか、とりとめのない会話がなんとも魅力的で、当時、若者に媚びるような、あるいは説教じみたご託宣を語るディスクジョッキーが多かった深夜放送の中では、きわめて貴重な番組だった。まったく、役に立たない、無為そのものを目指すようなノンシャランな雰囲気は、格別なものがあった。

 

 安田南はすでに当時から、ある種、伝説的な存在で、原田芳雄の十八番(オハコ)である名曲「プカプカ」のモデルであることは広く知られていた。

 安田南は、原田芳雄と同じ俳優座養成所出身で、その後、自由劇場、黒テントの舞台にも立った。当時、『話の特集』の「世直し風流陣」という連載で、小林信彦さんが、黒テントの舞台で阿部定に扮した安田南が歌った「モリタート」(「マック・ザ・ナイフ」)を聴いてあまりのすばらしさに陶然となり、自分もジャズ歌手を目指す妄想にかられる、という爆笑もののエッセイを読んだ記憶がある。

 

 安田南は、『話の特集』や、当時、創刊されたばかりの『ワンダーランド』(『宝島』の前身だ)にも飾らない、乾いたトーンの魅惑的なエッセイを書いていて、のちに『みなみの三十歳宣言』(晶文社)に収められたのではなかったか。

 

 LPの『South』『Sunny』は、長い間、私の愛聴盤だった。スタンダード・ナンバー中心で、山本剛トリオがバックを務めているが、『Sunny』のなかに、「赤とんぼ」と「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」をカップリングしたナンバーがあり、安田南は、日本語の歌の方がよいのではないか、と漠然と思ったりもした。

 

 それは、初めて聴いた彼女の歌が、映画『赤い鳥逃げた?』の主題歌「赤い鳥逃げた?」と「愛情砂漠」(作詞・福田みずほ、作曲・樋口康雄)だったせいかもしれない。

 

 安田南が歌う「透かし彫りのように 街がきれいだ」「信じはじめたばかり 風がきれいだな」という「赤い鳥逃げた?」の一節、あるいは「ひとの心は水玉模様 いつも丸くて冷たいね はじけ散るのは夢ばかり」という「愛情砂漠」の一節などは、今、聴いても、心に沁み入ってくるような透明感のある哀しみと切なさ、抒情がある。

 

「きまぐれ飛行船」に出演していた最後の頃は、記憶があいまいなのだが、急に、安田南に連絡が取れなくなったのではなかったろうか。

 その頃、多分、一九七八年ぐらいだと思うが、安田南が、番組の中で、話している途中で、突然、号泣し始めたので、驚いたのを憶えている。たしか、愛猫が死んだばかりで、急に哀しみがこみあげてきたらしいのだが、数分間も、泣き続ける安田南を、そのまま受け止め、だまって聞いている片岡義男もなかなかすごいと思った。

 安田南の歌からもうっすらと感じとれる、繊細さ、傷つきやすさ、がはっきりと露呈した瞬間だった。

 

 そういえば、若松孝二監督の問題作『天使の恍惚』(1972)で、横山リエが演じたクラブ歌手、過激な革命戦士は、最初、安田南が演じる予定だったが、クランク・イン直前になって降板したという有名なエピソードがある。

 足立正生は『映画/革命』(河出書房新社)で、安田南は芝居ができないので降りてもらったと語っているらしいが、私が、以前、若松監督から直接、聞いた話では、安田南はシナリオを読んで、作品に対する激烈な批判文を突きつけ、自ら降りた、というのが真相ではなかったろうか。安田南は、俳優座養成所出身で、黒テントの舞台に何度も立っているのだから、演技ができないなどということはありえないからだ。

 

 結果としては、激しいセックスシーンがふんだんにある『天使の恍惚』は、若松監督の『秘花』などのピンク映画にも出ている横山リエこそふさわしかったようにも思える。なによりも、劇中で彼女が歌う「ウミツバメ」と「ここは静かな最前線」は、鮮烈でわすれがたい印象を残した。

 

 実は、最近、『天使の恍惚』のサントラ盤(ウルトラ・ヴァイヴ)を入手した。映画用音楽テープからの最新マスタリングとあるが、横山リエの歌う二曲と、中村誠一、森山威男という最強メンバーの第一期山下洋輔トリオが、すさまじいプレイを繰り広げ、絶頂期の日本のフリージャズと最前線の日本映画の奇跡的な遭遇を刻印する、すばらしいアルバムである。

 そして、この中に、「ウミツバメVer.2」(横山リエ+山下洋輔トリオ)という演奏が収められているのだが、歌っているのは、明らかに、横山リエではなく、安田南なのだ。

 恐らく、クランク・インの前に、御手合せのような感じで、吹き込んだ演奏だろうが、こんな日本のジャズ史上、貴重な音源が残っていたことに感謝したいと思う。

 

 荒涼としたメランコリックな味わいのある横山リエの歌唱と較べると、山下洋輔トリオの壮絶でダイナミックな即興演奏に対峙する安田南は、原曲のメロディアスなバラード風の旋律を完全に壊し、まるでオペラのアリアのような荘厳さで、朗々と歌い上げている。彼女のアルバムでは、聴くことのできない、ある意味では、演劇性を強く感じさせる、安田南の女優としての可能性を垣間見させる、すばらしい絶唱である。 

 

 この激しくも感動的なナンバーを聴いていると、安田南が主演した<幻の『天使の恍惚』>を見てみたかった、という想いに駆られてしまうのだ。

 

天使の恍惚.jpg

 『天使の恍惚』のサウンドトラック盤(ウルトラ・ヴァイヴ)

原田芳雄、林美雄、そして「サマー・クリスマス」

 原田芳雄さんが亡くなって、そろそろ四十九日を迎えようとしている。

 ちょうど、追悼特集を組むことになった『キネマ旬報』(9月5日発売)から、「歌手としての原田芳雄」というテーマでエッセイを依頼され、さらに、『赤い鳥逃げた?』『祭りの準備』『父と暮らせば』『寝盗られ宗介』などの原田さんの代表作の撮影を担当した天才キャメラマン鈴木達夫さんにインタビューする機会もあって、否応なく、この稀有な映画俳優に想いを馳せることになった。 

 

 私のような日活でのデビュー作『反逆のメロディー』を封切りで見ている世代にとっては、原田芳雄とは、一九七〇年代という時代そのものを体現する存在であり、また、同時に、林美雄という名前と分かち難く結びついている。

 いうまでもなく、林美雄さんは、一九七〇年代の始めに、TBSの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティを務めていた伝説のアナウンサーである。

 

 林美雄さんが、当時、まったく無名だった荒井由実を発掘したこと、七一年の夏に封切られた藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』を熱狂的に擁護し、毎週のように映画で使われた石川セリの主題歌を流したのがきっかけで、翌年、レコードが発売され、歌手石川セリが誕生したこと、その石川セリをゲストに呼んだ際、たまたま井上陽水がパックに来ていて、その出会いから結婚に至ったこと、などなど数多の伝説的なエピソードには、事欠かない。

 

 緑魔子が歌う「やさしいにっぽん人」、石原裕次郎の「憎いあんちくしょう」、荒木一郎の「僕は君と一緒にロックランドに居るのだ」、『日本春歌考』で吉田日出子が歌った「雨ショポ」、『私が棄てた女』で流れた渡辺マリの「東京ドドンパ娘」、亀淵ユカの「ひとりぼっちのトランプ」etc、林さんのパックで聴いた、さまざまな歌の断片がよみがえってくる。

 

 原田芳雄さんも林パックの常連で、時おり酔っ払っては、当時、弟分だった松田優作を引き連れて、スタジオに乱入し、ギターの弾き語りで、「プカプカ」「愛情砂漠」などを熱唱していたことも忘れがたい。

 

 一九七五年の一月十九日、新宿厚生年金会館大ホールで、林美雄さんが、企画・プロデュース、司会を務めた「歌う銀幕スター、夢の狂宴」というイベントがあった。渡哲也、菅原文太、宍戸錠、藤竜也、中川梨絵、桃井かおりらが出演した、この今や伝説となっている一夜限りのコンサートは、演出が『青春の殺人者』でデビューする前の長谷川和彦で、構成が、先頃、急逝した脚本家の高田純だった。

 もはや、三十五年以上も前の舞台だが、中でも、もっとも強烈に記憶に残っているのが、原田芳雄さんが歌った「プカプカ」「早春賦」「黒の舟唄」であり、宍戸錠に日の丸の旗をすっぽりかぶせられた鈴木清順監督が朗々と歌った「麦と兵隊」だった。

 

 この幻のイベントの映像を、最近、見る機会があった。

 二〇〇二年に林美雄さんが胃癌で亡くなった後、彼を偲ぶ熱心なファンが自然発生的に集まり、「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」という名前で、毎年、林さんの誕生日である八月二十五日に「サマー・クリスマス」というささやかな呑み会を開いている。

 私も、いつの頃からか、この会に参加するようになり、これまで、林さんにゆかりのある日活ロマンポルノの名優・高橋明さんや女優の中川梨絵さんをゲストにお呼びしたこともある。

 

 そして、今年は、原田芳雄追悼ということもあり、林美雄夫人が秘蔵する、DVDに起こしたこの幻の『歌う銀幕スター 夢の狂宴』の映像を特別上映したのだ。

 原田さんは、『反逆のメロディー』で共演した佐藤蛾次郎が歌う「もずが枯れ木で」をはさんで、「プカプカ」「早春賦」「黒の舟唄」を歌っていたが、ほとんど記憶していた通りなので、われながら驚いた。

 

 原田芳雄の歌といえば、日活ニューアクションのアンチ・ヒーロー像をそのまま体現した男くさいブルースという印象が強いが、どちらかといえば、両性具有的な魅力がある。

 「プカプカ」にしても、途中から<あたい>という女性の語りに変化する瞬間、トーンがふっと柔らかくなるし、荒木一郎とデュエットした「ミッドナイトブルース」など、荒木一郎のほうが男性的で、精一杯、シャウトしているにもかかわらず、原田芳雄のほうが手弱女(たおやめ)風に耳に聴こえるのだ。

 

 鈴木達夫さんがキャメラを回した『寝盗られ宗介』で、越路吹雪ばりのドレスアップした女装姿で「愛の讃歌」を絶唱するクライマックスなど、そんな原田芳雄の倒錯的な魅力が一気に開花した名場面といえるのではないだろうか。

 

 今年の「サマー・クリスマス」のサプライズ・ゲストは、『祭りの準備』で原田さんの妹を演じた桂木梨江さんで、桂木さんは、『祭りの準備』の現場の想い出を切々と語ってくれたが、これには心底、感銘を受けた。

 

 封切り以来、久々に『祭りの準備』を見直すと、桂木さんの演じたヤクザにヤク中にされ、頭がおかしくなって帰郷した妹は、主人公の江藤潤の恋人・竹下景子よりもはるかに重要な役で、ちょうどフェリーニの『812』のサラギーナのような邪悪さとイノセンスを象徴するヒロインなのだった。

 鈴木達夫さんは、インタビューの中で、原田芳雄さんが、帰ってきた桂木梨江さんを無言で行水させる名場面は、その場で原田さんが思いついたアイディアだと語っていたが、桂木さんに聞いてみると、まさに、その通りだという。

 

 桂木さんは、「原田芳雄という兄貴のことを思う時に、バブルが始まった八〇年代以後ではなく、未だにさまざまな可能性をまさぐっていた一九七〇年代という時代のことをもっと真摯に考えなければいけないような気がします」と話していたが、私も深く同意したい。

 

 漠然と、数年前から『林美雄とパック・イン・ミュージックの時代』という本をつくりたいと思っていた。もちろん、林さん御本人は、亡くなってしまっているので、ちょうど、ジョージ・プリンプトンの『トルーマン・カポーティ』(新潮文庫)のように、林美雄さんと関わりのあったさまざまな有名・無名の方々に話を聞き、オーラル・ヒストリーの形で、林美雄と深夜放送というカルチャーが最も輝きを放っていた時代をとらえてみたいと考えていたのだ。

 そして、まず、最初にインタビューしなければと思っていたのが、原田芳雄さんだった。

 まさに、その矢先の突然の死であった。

 

 加藤泰監督の『遊侠一匹』の主題歌「何が意気かよ」の<何が意気かよ 気が付く時は みんな手おくれ 吹きざらし>という一節が身に沁みてくるようだ。

 残された時間も人間も少なくなってきている、とあらためて自分を鼓舞しているところなのである。

 

 

 

  

反逆.jpg 

『反逆のメロディー』

« 2011年8月 | メインページ | アーカイブ | 2011年10月 »
著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
検索