草森紳一ふたたび - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
草森紳一ふたたび

 近所の書店をのぞいたら、草森紳一の新刊『記憶のちぎれ雲 我が半自伝』(本の雑誌社)が平積みされてあったので、ちょっと驚いた。
 草森紳一さんが亡くなったのは2008年3月だから、すでに3年以上が経過しているのに、続々と新刊が出されるのは、未だに単行本未収録の膨大な原稿が眠っているということなのだろう。
 いずれにせよ、一昨年、亡くなった平岡正明と同様、没後に、新刊が陸続と刊行されるというのは、それぞれ熱烈なファンの編集者が存在するからにほかなるまい。

 私も、このふたりの書き手には十代で出会って以来、心底、夢中になり、一時は、新刊が出るそばから買っていた時期がある。
 とくに、草森紳一は、中国文学の素養をベースに、百科全書的ともいうべき知識を柔軟に駆使しながら、風俗、写真、絵画、イラストレーション、文学、音楽、ファシズム、コマーシャル、書、とあらゆるジャンルを自在に横断する、<雑文>の書き手として、眩い存在だった。

 あれは、たしか1970年代半ば、学生の頃だが、当時、定期購読していた「日本読書新聞」に赤瀬川源平の『素朴の大砲――画志アンリ・ルソー』(大和書房)の書評が出たことがある。その紹介の仕方が、あまりに水際立った、購買意欲を刺激する魅惑的なものだったので、どうしても欲しくなってしまい、当時ですら7千円もした大著を、アルバイトをして、買った思い出がある。

 中野重治ではないが、「素朴」というのは、草森紳一の批評を解くキーワードのひとつであったように思う。評論家としてのデビュー作は1964年の『美術手帖』に発表した「幼童の怪奇」というアンリ・ルソー論だった。

 草森紳一には、そのほかにも、中国の天才詩人・李賀、永井荷風、副島種臣などをテーマに、永い時間をかけて、じっくりと対象をめぐって考察し、彫琢を重ねた大著が多い。しかし、私にとっては70年代に書かれた『ナンセンスの練習』(晶文社)、『底のない船――悪食病誌』(昭文社)、『軍艦と草原――分別と無分別』(九藝出版)、『印象』(冬樹社)といった雑文集に思い入れがある。
 誰かが、草森さんを<日本のロラン・バルトだ>と喝破していたが、むべなるかなと思う。

『記憶のちぎれ雲』は、雑誌『クイック・ジャパン』に連載されたもので、草森紳一が婦人画報社の『メンズ・クラブ』編集者時代に出会った真鍋博、古山高麗雄、田中小実昌、中原淳一、伊丹十三をめぐるスケッチ的な回想だが、私は、これは、草森さんの新境地だなと思い、毎月、興奮しながら読んでいた。

 若者向けのサブカル誌に元祖サブカルチュア評論家が自伝的メモワールを載せるという妙味もさることながら、言葉の真の意味でのサブカルチュアがもっとも輝いていた時代への挽歌のような哀調のトーンが底に流れているのが、なんとも魅力的であった。
 とくに、離婚寸前にあった伊丹十三と川喜多和子を描いたくだりなど、ふたりの関係をみつめながら、思考をめぐらす草森紳一自身の眼の在り処が太い描線として機能し、一篇のフィクションを読んでいるようでもあり、さらに60年代という時代の豪奢な寂寥感のようなものまでが、浮かび上がってくるのである。

 やはり、草森紳一も時代の子であったのだなと思わせるのは、川喜多和子のポルトレを描く際に、両親である川喜多長政、かしこ夫妻の東和映画の黄金時代に言及した箇所である。
 慶應義塾大学では、中国文学を専攻しながらも、ミステリー研究会に所属していた彼は、実は、映画監督志望で、東映の助監督試験を受けるも、面接の際に、大川博社長と喧嘩になり、落とされた、と自筆の履歴にある。

 しかし、草森紳一は、大勢の人間を傍若無人に動かせるマキャベリスト的な資質が必須の映画監督には、一番、向かないタイプの含羞の人であると思う。

 私は、一度だけ、草森紳一に会ったことがある。90年代の始め、編集長を務めていたビデオ業界誌の『A?ストア』で、なるべく業界的ななまぐさい話題とは一切無縁なコラムを好きな書き手に書いてもらっていたのだ。

 映画監督志望が挫折してしまった反動なのかどうか、草森紳一には、映画評論が意外に少ない。私が読んだ範囲では、『軍艦と草原』所収の「緑の道のオートバイ――『イージー・ライダー』の起承転結」と「無残の磁場――三國連太郎の官能的体系」ぐらいである。
 なかでも、この三國連太郎論は出色で、三國を阪東妻三郎、三船敏郎、辰巳柳太郎の系譜におき、そこに共通するのは<素朴の魂をのこして大人になってしまった人間の悲哀である。その悲哀が、見るものを攻撃してくるのであり、いわば失われた素朴なるものへの鎮魂の役割を果たすのであり、……三國連太郎は、この素朴なるものの魂のケイレンを表徴する演技が、よくできるような気がしてならないのである。>と喝破している。
 恐らく誰も指摘していないユニークな卓見で、この論考を読むと、草森紳一は、映画評論家としても優に一家を成すことができたのではないかと思えるほどだ。

 草森さんとは、終の棲家となった門前仲町の駅前にあった喫茶店で待ち合わせ、受け取ったのは、『グローリー』という南北戦争をテーマにした映画の原稿だった。
 どんな内容だったかは、忘れてしまったが、雑談しているうちに、なぜか、どちらともなく、軽く一杯、いきましょうということになり、午後も早い時間なのに、近くの蕎麦屋で二、三時間飲んでしまった。
 ふだん、書き手と、初対面で、そのまま酒になるという体験はほとんどなかったので、鮮烈に記憶に残っているのだが、草森さんとはジャズ、ミステリー談義、それと植草甚一、花田清輝の魅力という話題で、かなり盛り上がった。恐らく、彼も、このふたりは、<雑文宇宙の大家>として、私淑していたのではないかと思う。
 
 草森さんは、私が老け顔のわりに、意外に年齢が若いことを知ると、「あんた、ちょっと、高平(哲郎)に似てるね」と呟いたことを、よく、覚えている。

 高平哲郎は、言うまでもなく晶文社の創設者のひとり小野二郎の義弟で、60年代の後半、学生時代から晶文社に出入りし、植草甚一、小林信彦のカルチャー・エッセイの発掘、ジャズ関係の翻訳本の編集者として活躍していた。恐らく、草森さんの『ナンセンスの練習』も、彼が手がけたのであろう。

 私が編集者になってしまったのも、生意気盛りのこの時代に、晶文社の本と、草森さんが常連執筆者だった雑誌『話の特集』を耽読していたからには違いないから、この草森さんの言葉は、素直に嬉しかったのである。

 草森さんの訃報を聞き、しばらく、手許にある彼の雑文集を再読したりしていたが、漠然と、彼の映画エッセイ集をつくろうかと夢想したりもした。しかし、膨大な原稿を探す労力を考えると、いささか、しんどい作業になるなと逡巡していたところ、なんと、近々、若い編集者によって、草森さんの映画エッセイ集が上梓されるのだと言う。

 そのなかには、どうやら、私が依頼した『グローリー』のエッセイも収録されるらしい。
 括目して、待つことにしよう。


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草森紳一著『軍艦と草原――分別と無分別』(九藝出版)


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草森紳一著『底のない船――悪食病誌』(昭文社出版部)

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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