レナード・コーエンとアラン・ルドルフ - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
レナード・コーエンとアラン・ルドルフ

 最近、レナード・コーエンがスペインのアストゥリアス皇太子賞の文学部門を受賞したという記事をネットで見つけた。
 レナード・コーエンは、かつて<カナダのボブ・ディラン>などと称された伝説的なシンガー・ソングライターで、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコ、ジョニ・ミッチェル、女優のレベッカ・デモーネイほか数多くの女性たちと浮名を流したドン・ファン的な猟色家としても知られる。
 なんといっても、あの独特の低い艶をおびた<声>は一度、聴いたら忘れようもない。

 1970年代のはじめ頃、集英社から出ていた薄いクリーム色のカバーの「現代世界の文学シリーズ」は、私が偏愛していた叢書で、フィリップ・ロスのケッサクなマスターベーション小説『ポートノイの不満』や、アラン・シリトーの『屑屋の娘』、アイリス・マードックの『鐘』、ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』など面白い小説が目白押しだったが、なかでもひときわ異色なのは、レナード・コーエンの『嘆きの壁』だった。
 ただし、ジェイムズ・ジョイスばりの内的独白や意識の流れ、奔放なまでの言語実験が駆使された、この難解きわまりない小説は、当時、生意気盛りのティーン・エイジャーにはまったく歯が立たなかった。 

 その頃、レナード・コーエンの歌はスクリーンからも聴こえてきた。  
『М★A★S★H』(70)で一躍、時代の寵児となったロバート・アルトマンの異色西部劇『ギャンブラー』(71)だ。
 この映画では、大胆にもレナード・コーエンのファースト・アルバム『レナード・コーエンの唄』から「シスターズ・オブ・マーシー」、「ストレンジャーズ・ソング」「ウィンター・レディ」の三曲だけが使われている。

 語りによる回想録『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)によれば、アルトマンは、『雨に濡れた舗道』(69)をヴァンクーバーで撮影中に、マリファナでぶっ飛びながら、このレナード・コーエンの傑作アルバムを擦り切れるほどに聴き惚れ、いつか自分の映画に使いたいと夢想していたのだという。

 若き日のレナード・コーエンのややしわがれた、呟くような繊細な歌声は、『ギャンブラー』の阿片中毒の娼館の女将ジュリー・クリスティーの絶望と憂いを宿した眼差しや、子供のように走り回る、ウォーレン・ベイティの滑稽きわまりない、雪の中の幻想的な決闘シーンと絶妙なまでにマッチしていた。
 
 この『ギャンブラー』をオールタイムベスト10に選んでいるのが、アルトマンの愛弟子アラン・ルドルフである。
 このふたりの映画作家の師弟関係は、ちょうど鈴木清順と大和屋竺のそれのように、微妙に屈折していて興味深い。一見、師匠のほうが達観、老成の境地に至っているかに思えるが、実は、対抗的な弟子のほうから深い影響を受けていたりするのだ。
 
 複数の男女がメランコリックな性愛の輪舞を繰り広げるアラン・ルドルフの幻のデビュー作『ロサンゼルスそれぞれの愛』(77、テレビ放映のみ)は、LA版『ナッシュビル』の趣があり、呪われた作家ナサニエル・ウエストの悲痛な名作『孤独な娘』をパロディにしたような『チューズ・ミー』(84)は、80年代のアメリカ映画が持ち得たもっともファニーで、エロティックな恋愛映画の一本である。

 豊潤で優美なエロティシズムをたたえた<女性映画>の名匠マックス・オフュルスは、ロバート・アルトマンがもっとも私淑していた映画作家だが、性愛をアイロニカルに眺めるアルトマン作品にはエロスはやや希薄であり、むしろ、弟子のアラン・ルドルフのほうにこそ、オフュルス的な艶やかな放蕩の匂いが色濃く感じられる。

 ジャンル神話破壊の究極の一本であるアルトマンの『ロング・グッドバイ』(73)への返歌のような探偵映画をアラン・ルドルフはのちに撮っている。なぜか日本では劇場未公開で、ビデオでのみ発売された『探偵より愛をこめて』(90)である。 

 私立探偵のハリー(トム・ベレンジャー)は、謎の美女(アン・アーチャー)から愛人(なんと歌手のニール・ヤングだ!)の浮気調査を依頼されるが、ハリーは、まちがって違う男を追跡しはじめる。やがて、この男は二つの名前とふたりの妻をもつトンデモナイ重婚野郎であることが判明する! 
 いっぽうで、ハリーと同棲している女が探偵見習いのステラ(エリザベス・パーキンス)にハリーの素行調査を依頼するが、やがて、ハリーと失恋の傷を抱えたステラは惹かれ合い――。

『探偵より愛をこめて』は、ストーリーのみを取り出せば、これまで無数につくられてきたハードボイルド探偵映画のクリシェだけを丹念に拾い集めて出来上がったような通俗映画には違いない。
 しかし、冒頭から、街中のあらゆる場所でキスを交わす若いカップルをとらえながら、レナード・コーエンの名曲「エイント・ノー・キュア・フォー・ラブ」が流れ出した瞬間、一気に画面全体が湿潤を帯び、濡れそぼり、淫風が吹きぬけていくような甘美な錯覚を覚えるのだ。

 深い翳りをおび、渋さを増したレナード・コーエンの歌が、あたかも、トム・ベレンジャーとエリザベス・パーキンスの奇妙にトンチンカンで切実な<愛の渇き>を癒やすための、対症療法のように、変奏され、リフレインされるのである。

『探偵より愛をこめて』では、もうひとつ、ビリー・ホリデイの最晩年の名盤『レディ・イン・サテン』の絶唱で知られる名曲「恋の味をご存じないのね」が、さまざまなバリエーションで使われている。<喪失感と失意、苦いメランコリーの意味を知らないあなたは、まだ、愛を知らないのよ>というサビの一節を、アン・アーチャーやトム・ベレンジャーが、突然、調子っぱずれな声で歌い出すので、思わず笑ってしまう。

 地味なスタンダード・ナンバーを、これほど洒脱なアレンジで再活用したのは、アラン・ルドルフと名コンビを組むソングライター、マーク・アイシャムの手腕によるものだろう。この映画のサントラCDは愛聴盤で、何度、繰り返し聴いてもまったく飽きることがない。

 いずれにせよ、あまりに誘惑的で、あまりに催淫的なレナード・コーエンの歌の魅惑がもっとも美しく結実した『探偵より愛をこめて』は、永く記憶されてよい隠れた傑作である。

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若き日のレナード・コーエン

 

 

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アラン・ルドルフの隠れた傑作『探偵より愛をこめて』のビデオ

 

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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