伝説となった湯布院映画祭のマキノ雅広特集 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
伝説となった湯布院映画祭のマキノ雅広特集

 ここのところ、東映名誉会長の岡田茂、長門裕之、と日本映画の黄金時代を担った映画人の訃報が続いている。 
 先日、『キネマ旬報』の岡田茂追悼特集のために、鈴木則文監督に話を伺う機会があった。実に愉しい取材で、あらためて鈴木則文という映画監督の人間的な魅力に触れた思いだったが、そういえば、鈴木監督には、かつて、1991年の湯布院映画祭・マキノ雅広監督特集の際に、インタビューしそびれてしまったなあということを思い出した。

 地元の有志による映画祭の草分けである湯布院映画祭の長い歴史の中でも第16回のマキノ雅広特集は、そのゲスト陣の豪華さ、派手やかさにおいて、今や、伝説となっているといっても過言ではないだろう。

 実は、その当時、『AVストア』というビデオ業界誌の編集長をしていた私は、マキノ雅広監督の絶妙な語り口を生かし、インタビュー形式で、名著『マキノ雅弘自伝 映画渡世』(平凡社)のビデオ版を作れないだろうかという夢のようなことを考えていた。その夢想めいた企画を、社長が面白がって、やってみようという話になった。

 すぐさま、マキノ監督の自宅に伺い、企画の趣旨を説明すると、ご快諾をいただいた。ちょうど、その年の湯布院映画祭で、生誕八十周年を祝って大規模な「マキノ雅広特集」を開催するというので、まずは、私が陣頭指揮を執り、プロのスタッフを使って、この映画祭の模様を完全ドキュメントすることになった。

 前夜祭のパーティの感動的な光景は、今でも鮮やかに脳裏に浮かんでくる。
 最後のお礼の挨拶で、マキノ監督が「親の代から、四つの時から、ヤクザな家業と言われ、人の家の前で頭を下げて撮影させていただいて、道路でやったら、ヤクザに怒鳴られ、殴られて、それでもカメラだけは大事に持って逃げた――」と滔々と幼少期のつらい思い出を語りだすと、にぎやかな会場は水を打ったように静まり返った。
 そして、最後に、声をふりしぼるようにして、「日本映画には情感しかないんです。どうか、皆さん、日本映画を見てやってください」と切々と訴えるマキノ監督は、まるで後光が射しているかのように神々しかった。割れんばかりの拍手が沸き起こり、その時、会場にいた全員が泣いていた。

 翌日は、映画評論家・山根貞男さんの司会で、マキノ監督とその弟子である岡本喜八、笠原和夫、澤井信一郎、鈴木則文さんによるシンポジウムが開かれたが、とっておきの爆笑エピソードが次々に披露され、あれほど腹を抱えて笑ったトークというのは、それ以前にも以後も記憶にない。
 当時、こんな超豪華メンバーが一堂に会するのは東京では絶対に不可能であり、さっそく、各人にマキノ監督の魅力についてお話を伺ったのだが、終始、マキノ監督の車椅子をひいていた鈴木則文さんには、なかなかゆっくりインタビューをする時間がとれなかったのだ。

 このマキノ特集の最大の目玉は、東宝の『次郎長三国志第八部 海道一の暴れん坊』をニュープリントで上映したことだった。マキノ雅広監督の代表作であるこのシリーズの中でも最高傑作といわれた『海道一の暴れん坊』は、ラストで、森繁久彌演じる森の石松が闇討ちにあい、つぶれた片目が開いて、御詠歌が流れる中、無念の表情を浮かべて絶命する瞬間の名状しがたい無常感は忘れられない。

 このインタビューで、私が最も印象に残ったのは、笠原和夫さんの「マキノさんのヒューマニズムの奥底にあるのは、大正アナーキズムだ」という言葉だった。<マキノ監督七年周期説>というのがあり、マキノ監督は七年ごとにスランプに陥るそうなのだが、その鬱がきわまった時には、「泉鏡花を思わせるような極端な耽美主義に沈潜することがあり、その時のマキノさんは溝口健二を越えている」とまで笠原さんは語っている。

 たしかに、湯布院映画祭で上映された作品のなかには、『待って居た男』、『鴛鴦歌合戦』といった娯楽映画のエッセンスのような明るく軽妙洒脱な逸品もある。
 しかし、いっぽうで、『海道一の暴れん坊』のラストや、大友柳太朗と千原しのぶが、破滅的な狂気の愛に殉じる『仇討崇禅寺馬場』、それに、やはり大友柳太朗が、領主に恋仲だった丘さとみを奪われて復讐の鬼と化し、全身に九十九の刀傷を背負って帰郷する『港まつりに来た男』には、奈落の底を垣間見るような深いメランコリーと悲愴美が感じ取れるのである。

 当時は、笠原和夫さんの言葉に大いに刺激され、大正アナーキズムという視点から眺めると、ビデオ版『映画渡世』は、かの名著とは違った色合いが出せるのではないかなどと妄想はふくらむばかりであった。
 しかし、やがて、バブル崩壊で、ビデオ業界も急速に冷え込み、数年後には会社が倒産の憂き目にあって、結局、私の手元には、この湯布院映画祭の膨大なビデオ映像だけが残った。
 93年にはマキノ雅広監督も逝去された。
 
私は、あのマキノ監督の感動的なスピーチを含めて、この貴重な証言が満載のドキュメントはなんとか散逸だけは避けたいと思った。そこで、当時、立命館大学に設立されたばかりのマキノ映画研究室に、そっくり寄贈することにしたのである。

 いつしか、ゲストで登壇した岡本喜八監督、笠原和夫さんも鬼籍に入られてしまった。 
 年はめぐり、五年前、東映から『マキノ雅弘と高倉健』DVDボックスが発売された。
 その特典映像として「映画監督・マキノ雅弘 91湯布院映画祭マキノ雅弘監督特集記録」が収録されることになった。一時間ほどに編集されたバージョンだが、幻の湯布院映画祭マキノ特集が、こんな理想的な形でよみがえったことは嬉しくてならなかった。

 そういえば、湯布院映画祭が終わった直後に、『AVストア』でも、誌面をリニューアルして、「マキノ雅広特集」を組み、愛弟子である岡本喜八、澤井信一郎両監督の対談を企画したことがある。たっぷり二時間あまり、それぞれ、東宝、東映という異なった撮影現場における師匠マキノ雅広監督の作品の魅力を縦横に語っていただいたが、これは実に刺激的な読み物であった。
 当時、『キネマ旬報』編集長だった植草信和さんが、これを読んで、「よく、こんな豪華な対談ができたね、うらやましい」と語っていたのが思い出される。

 実は、この対談は、ページの都合で、そのほんの一端しか採録できなかったのがずっと悔やまれてならなかった。今もそのテープは手許にあるのだが、どこかの媒体で、完全誌上採録ができないだろうか。今となっては、きわめて貴重な映画史的な資料だと思う。

 

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『第16回湯布院映画祭・マキノ雅広監督特集』のパンフレット

 


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DVDボックス『マキノ雅広と高倉健』(東映)に特典映像として収録されている「映画監督・マキノ雅弘 91湯布院映画祭マキノ雅弘監督特集記録」

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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