ドナルド・リチーのアンダーグラウンドな戦後史 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
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ドナルド・リチーのアンダーグラウンドな戦後史

  数年前、ドナルド・リチーの『The Japan Journals 1947?2004』が一部の映画関係者の間で話題になったことがある。
 数多くの映画人、とくに三島由紀夫との交友を赤裸々に回想していることなどがゴシップ的な興味を惹いたようだが、特異な映画人による戦後カルチャー史としても抜群に面白いし、翻訳する価値は十分あると思われる。

 ドナルド・リチーは、まずなによりも、日本映画黄金期の巨匠たちを逸早く海外に紹介した映画研究者として知られている。ニューヨークのジャパン・ソサエティに永年勤務していた平野共余子さんによれば、あのスーザン・ソンタグもリチーには深い尊敬の念を抱いていたらしい。

 たしかに『小津安二郎の美学――映画の中の日本』『黒澤明の映画』(どちらも社会思想社文庫)といった著作が、海外における日本映画研究に多大なる貢献を果たしたことは言うを俟たない。しかし、私がドナルド・リチーを心底、すごいと思うようになったのは、こうした一連の日本映画研究ではなく、それ以前に書かれた三冊の評論集によってである。

 敗戦の翌年、進駐軍とともに「パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス」の記者として来日したドナルド・リチーは、1950年に『現代アメリカ芸術論』(早川書房)を上梓している。この本は<戦後アメリカ文化の啓蒙書>という体裁をとりつつも、訳者あとがきで加島祥造が書いているように「審美的な芸術性への志向と、商業主義への反逆」が底流にある。苛烈なディズニー批判などはその最たるものだ。
 たとえば『わが心にかくも親しき』を「これまでのうちで最悪の作品の一つだといえよう。極端に感傷的な物語で、ディズニーはそれ故、ここでは単に金を儲けているにすぎない」と激しく糾弾している。自由と民主主義を標榜する楽天的な<アメリカニズム>のシンボルであったディズニー作品を、リアルタイムで、これほど悪しざまに罵倒した批評は皆無であろう。

『現代アメリカ芸術論』の白眉は、ジョン・フォード、アルフレッド・ヒッチコックと並べてプレストン・スタージェスを論じた「アメリカの三人の監督」という章である。
 リチーは、当時、『結婚五年目』と『殺人幻想曲』の二本しか公開されていなかったプレストン・スタージェスの作風について「マーク・トウェイン的であり、そして偶像破壊的であり、しかし、それはまた、アメリカ人が直面する非常に興味深い道徳問題の一つを摑んだものである」「彼のユーモアには二つの主流、すなわち諷刺(サタイヤ)とペーソスがあり、彼の最上の作品には両者が均等にいりまじっている」と精妙に分析し、代表作『サリヴァンの旅』についても、「極端に苦い諷刺と子供のように物悲しいユーモアをもち、そのためにいまなお記憶されている」とその魅力を見事に言い当てている。
 
 ドナルド・リチーは、一時帰国した後、1956年に『現代アメリカ文学主潮』(英宝社)を書いた。一見、戦後アメリカ文学の通史を装った、この本の中で、リチーの筆が最も躍動し、生彩を放っているのは、<スリー・マイナー・ノベリスト>と副題にあるナサニエル・ウェスト、ポール・ボールズ、カーソン・マッカラーズという三人の作家を論じた章である。
 この三人に共通するのは、近親相姦や同性愛など、当時タブー視されていた倒錯的な主題を好んで取り上げ、聾唖者や精神薄弱者、あるいは肉体的な欠損を抱えた畸形的なキャラクターたちがひしめく、グロテスクで甘美な悪夢的世界を造型したことである。
 たとえば、ナサニエル・ウェストの『孤独な娘』について「トマス・ウルフの全作品よりも価値あるものなのである」「ウェストもまた彼自身の同胞を余りに愛する故の厭世家であった。……彼のなしえたことと言えば、彼自身の理想主義を裏返しにし、アメリカ人たちを、実際にそうであるよりもさらに酷い、恐ろしい存在として眺めることだった。彼らを愛せないとしたら、すくなくとも彼等を憎むだけのことはやりえたわけだ」と書く。  
 これは呪われた作家ウェストの優れた素描であると同時に、リチー自身のアメリカへのアンヴィヴァレントな感情の表白とも読めるのではないだろうか。

 ちょうど、この翌年、ドナルド・リチーは『この焦土』(新潮社)を発表している。占領軍の白人将校たちと日本の有閑夫人たちの愛欲模様を、あたかも『蝶々夫人』のパロディのような諷刺的なタッチで描いた風俗小説である。当時、花田清輝が「占領軍に対する批判では、三島由紀夫の『女は占領されない』よりも、この作品のほうがはるかにシンラツかもしれない」(『近代の超克』あとがき)と評価しているのが興味深い。

 かつて、大島渚が「映画史上の革命的な作家たちをその生涯のピークをなす作品においてとらえた文章は私にとって十分以上に革命的だった。作品が達した高みに対する限りなき尊敬と賞賛とそのような作品をつくる作家であるがゆえに彼らが受けなければならなかった運命の苛酷に対する痛憤と同情は、抑制された筆致の下でも鮮烈極まりない詩となって喨々(りょうりょう)と鳴りひびき私の胸を打ったのだ」と絶賛した『映画芸術の革命』(昭森社)は、映画批評家としてのドナルド・リチーの精髄が味わえる。『戦艦ポチョムキン』から『ルイジアナ物語』に至る10本の映画史上の名作を解説しながら、一貫して真のアヴァンギャル精神とは何かを追求した評論集である。 

 なかでもジャン・ヴィゴの『新学期・操行ゼロ』を論じた章では、この名作についての最も優れた考察としてジェイムズ・エイジーの批評をたっぷりと引用し、さらに自らのユニークな知見を重ね合わせている。このふたりの『操行ゼロ』論を読むと、カルトムーヴィーの傑作『狩人の夜』の脚本家でもあったエイジーとドナルド・リチーは極めて資質が似ていると思う。

 数年前に『ドナルド・リチー作品集』(ダゲレオ出版)というDVDボックスが出て、アヴァンギャルドな実験映画作家ドナルド・リチーの全貌が明らかになった。セロニアス・モンクを思わせるピアノ・ソロが印象的な(作曲は武満徹だ)、アントニオーニ風のアンニュイとゲイ・テイストあふれる『熱海ブルース』、ピクニックにやってきた三人の親子が一人の男を食べ尽くす『五つの哲学的寓話』などを見ると、そのおぞましくもグロテスクなユーモアにしばし茫然となる。

 ドナルド・リチーは、将来、海外への日本映画の紹介者としてではなく、『スコーピオ・ライジング』のケネス・アンガーに匹敵する、エロスとタナトスに憑りつかれたアンダーグラウンドな作家として再評価されるだろう。

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 『JAPAN JOURNAL,S 1947-2004』

 

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花田清輝が高く評価した小説『この焦土』

 

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 大島渚も絶賛した映画論の代表作『映画芸術の革命』

  

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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