「荒木一郎・アフター・ダーク」 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
「荒木一郎・アフター・ダーク」

 先日、小沢信男さんから新刊『本の立ち話』(西田書店)を贈っていただいた。
 小沢信男さんは、周知のように、学生時代に花田清輝に見出された作家で、半世紀にわたって新日本文学会に在籍し、そこで出会った作家たちを回想した『通り過ぎた人々』(みすず書房)は、みずみずしい名著である。以前、私が、このメモワールを「図書新聞」で書評し、また『ものみな映画で終わる/花田清輝映画論集』(小社刊)を編集したことが御縁となって、新著が出るたびに、贈っていただいている。 

 小沢さんはポルトレ(人物スケッチ)の名手で、『本の立ち話』にも佐多稲子、長谷川四郎、川崎彰彦といった作家の見事なスケッチが収められているが、『通り過ぎた人々』で最も印象に残ったのは菊池章一という文芸批評家だった。
 慶応大学出身で、いつもベレー帽をかぶって小脇にフランス語の原書を抱えていたという、このほそおもてで垂れ眼、長身痩躯の人物は、戦時下に女優の荒木道子らと劇団を創設して、治安維持法にひっかかり、留置場にぶちこまれてもいる。   
 やはり、戦時下、社会思想研究家だった父親が投獄されるという過酷な時代を描いた映画『母べえ』の原作者、野上照代さんも若き日のダンディな菊池章一にすごく憧れたと『蜥蜴の尻っぽ とっておきの映画の話』で述懐している。
 
『通り過ぎた人々』で、小沢信男さんは、さりげなく、この時期に、菊池章一と荒木道子は結婚し、生まれたのが荒木一郎だったと書いているが、恐らく荒木一郎の父親の名前が活字で明かされたのは、この本が初めてではなかったろうか。

 私のような一九六〇?七〇年代に日本のポップスを浴びるほど聴いて育った世代にとって、荒木一郎とはなによりも不世出の天才シンガー・ソングライターである。

 たとえば、ビート・ジェネレーションの聖典、アレン・ギンズバーグの長篇詩「吠える」の諏訪優訳に、奔放で大胆なロックのリズムの曲をつけた大作「僕は君と一緒にロックランドに居るのだ」は、今、聴いてもまったく古びてはいない。
 恩地日出夫監督の名作『めぐりあい』(67)の冒頭に流れる、荒木一郎が歌った主題歌「めぐり逢い」(作詞も荒木一郎、作曲は武満徹だ!)は、日本の映画音楽史上、もっとも抒情的で美しいスコアである。

 荒木一郎は、映画俳優としても、その存在感は突出していた。
 前回のコラムで、私的な大島渚作品のベスト3に挙げた『日本春歌考』(67)でも、大学受験のために上京した高校生に扮した荒木一郎のぶっきらぼうで不穏な佇まいは、引率の教師を演じた伊丹十三をはるかに凌駕するほど魅力的だった。

 さらに、荒木一郎は、中島貞夫監督の『893愚連隊』(67)、『現代やくざ/血桜三兄弟』(73)といった東映のヤクザ映画、村川透監督の初期日活ロマンポルノの傑作『白い指の戯れ』(72)でも、時には飄々としたチンピラ、時には深い鬱屈を抱えた青年をリアルに演じて忘れがたい印象を残した。

 七〇年代の半ば頃、名画座で見た『スキャンダル夫人』という珍品がある。かつてマスコミを賑わしたデヴィ夫人の愛人スキャンダルと六〇年安保をテーマにしたエロティックな映画で、監督は鬼才武智鉄二だった。全編がキワモノというか前衛舞台劇のような趣向で、荒木一郎は、たしかヒロインのビデ夫人(!)の愛人だった津川雅彦の役を演じていたと思う。この頃は、荒木自身がスキャンダルに巻き込まれ、音楽業界からパージされていたから、なにやら破れかぶれといった風情の不思議な迫力を感じさせた。

 数年前、ラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショーで「ICHIRO ARAKI アフター・ダーク」と題した荒木一郎の映画祭を企画したことがある。この特集では、ぜひ『スキャンダル夫人』を上映したかったのだが、八方手を尽くしても遂にプリントが見つからなかった。まさに曰くつきの幻のカルト映画といえようか。

 この荒木一郎映画祭は、新聞でも取り上げられて一部で話題になり、レイトにもかかわらず、プログラムを追うごとに、とくに若い女性が目立って増えてきた。その評判を聞きつけたのかどうか、急遽、楽日に、荒木一郎本人が来場することが決定した。

 当日は、私が司会で、一時間ほどトークを行ったが、還暦を過ぎているにもかかわらず、ジーパン、ジージャンにサングラスというスタイルで颯爽と荒木一郎が登場した瞬間、若い女性で熱気ムンムンの場内から一斉に溜め息がもれたのを思い出す。

 ちなみに特集のタイトルは、荒木一郎が書いた小説『ありんこアフター・ダーク』(河出書房新社)をもじったものである。この書名自体が、カーティス・フラーの名盤『ファイブスポット・アフター・ダーク』のもじりであるのはいうまでもない。

『ありんこアフター・ダーク』は、渋谷のジャズ喫茶にたむろする高校生の眼を通して、東京オリンピック前夜の東京を描いたジャズ小説で、直木賞候補にもなった。
「ところが選考委員の五木寛之が作品に嫉妬しちゃてさ、結局、落ちたんだよ」と荒木一郎は苦笑気味に語っていたのを覚えているが、あながち嘘とは思えない。『ありんこアフター・ダーク』は、政治的メッセージをしのばせた五木寛之のセンチメンタルなジャズ小説よりもはるかに優れた傑作だった。

 荒木一郎は、他にも処女作である『シャワールームの女』や(大和書房)『雨の日にはプッシィ・ブルースを』(河出書房新社)といった洒落たミステリー、ハードボイルド小説を書いているが、いつ頃からか、ぷっつりと書くのをやめてしまった。

 音楽活動のほうは、最近、久々にライブを行ったようだが、名曲「ジャニスを聴きながら」「空に星があるように」「君に捧げるほろ苦いブルース」を聴くたびに、その歌詞のリリックな美しさには、あらためて感嘆してしまう。 

 荒木一郎の特異で詩的な言語感覚はどこからくるものなのか、ずっと謎だったのだが、最近、近所の古本屋で、菊池章一の『戦後・文学の五十年』(武蔵野書房)という大部の本を格安で見つけた。
 自伝的な回想をまじえながら、花田清輝の『復興期の精神』、大岡昇平の『酸素』、長谷川四郎の『目下旧聞篇』、大西巨人の『迷宮』などを子細に論じたこの評論集を拾い読みしていると、荒木一郎という天才の裡には、間違いなく、この<戦時下に、ベレー帽をかぶり、フランス語の原書を抱えていた、反骨のダンディ>の血が流れていることを、しみじみと実感したのだった。

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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