清水宏の美しい遺作『母のおもかげ』 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
清水宏の美しい遺作『母のおもかげ』

  先日、日本映画専門チャンネルから電話があり、三月の特集番組「ハイビジョンで蘇える 日の当たらない名画・名作たちに協力してほしいという。
 この企画は、昨年、私も参加したキネマ旬報の増刊『オールタイム・ベスト・映画遺産200・日本映画篇』の中からDVD化されていないレアな作品を九本ピックアップし、放映するというもの。
 評論家の上野昂志さんが選んだ『甲賀屋敷』、それに黒沢清監督の選ぶ『桜の代紋』、篠崎誠監督の選ぶ『われ幻の魚を見たり』とか、通常の教科書的な日本映画ベスト・テンには絶対に選ばれないであろう意表を突くマイナーな作品ばかりが並んでいる。

 私が選んだのは、清水宏監督が大映で撮った遺作『母のおもかげ』(59)である。十数年前、京橋のフィルムセンターで偶然見て、深く心を揺さぶられた映画だった。

 清水宏は小津安二郎と同じ1903年生まれの松竹出身の映画監督である。小津や溝口健二、山中貞雄が「天才」と呼んだと言われ、近年、とみに再評価が高まっている。

 たしかに、戦前の清水宏の作品、たとえば、『有りがたうさん』(36)、『按摩と女』(38)、『簪』(41)を見ると、小津の厳密で、堅牢に構築された画面とは対極にあるような、自然光を生かした大胆なロケーション撮影と作為がまったく感じられない人物たちののびやかな躍動感に驚かされる。<早過ぎたヌーヴェル・ヴァーグ>と称されるのもむべなるかなと思う。

 清水宏は、戦後も、前回のコラムで紹介した、相米慎二監督が日本映画ベスト3に選んだ『小原庄助さん』(49)などの名作を撮っているが、晩年は、小津、溝口の神格化された絶大な評価の高さと較べると、<忘れられた巨匠>扱いではなかったろうか。

 清水宏の真骨頂は、子供たちの自由奔放な魅力を生き生きと描き出す、その尋常ならざる手腕にあった。『風の中の子供』(37)、『蜂の巣の子供たち』(48)を見ると、子供の世界を描かせたら世界一ともいっても過言ではないとすら思える。

『母のおもかげ』は、母を病いで亡くし、水上バスの運転手の父親(根上淳)とふたり暮らしの少年・道夫が主人公である。父に縁談が持ち上がり、小さな少女を連れた新しい母(淡島千景)が家にやってくる。少年は、美しい継母への仄かな思慕と、それゆえに湧き起こる亡くなった実母への後ろめたさの感情の間を揺れ動く。

『母のおもかげ』を見ながら、私は同じ年につくられた二本の映画を思い出した。
一本は、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(59)である。道夫がよるべない思いを抱えて隅田川河畔を徘徊する場面は、パリの街中をあてどなく彷徨する、いかようにも世界と折り合えないアントワーヌ・ドワネル少年(ジャン=ピエール・レオ)が体現した全き弧絶感と瓜二つのように思えたのだ。

 もう一本は大島渚監督の『愛と希望の街』(59)である。『鳩を売る少年』という原題を持つ、この大島の処女作は、鳩の帰巣本能を利用して、同じ鳩を何度も売るという<犯罪>に手を染めざるを得ない極貧の少年が主人公である。渡辺文雄がライフルでこの鳩を射殺する、あまりに有名なラストシーンによって、この大島のデビュー作は永遠の生命を得た。

『母のおもかげ』でも、やはり道夫が母の形見である鳩を後生大事にしている設定がキー・ポイントになっている。
 ある日、道夫は、少女が誤って鳩を逃がしてしまったことを知るや、激昂し、部屋中を追い回して、執拗に折檻を加える。「お兄ちゃん、ごめんなさい」と絶叫し、懇願する少女を無視して、延々と殴打し、果ては少女の耳を噛んで傷つけてしまう道夫の残酷さは、『愛と希望の街』の伝説のラストシーンに優に匹敵するほど、衝撃的である。

 この凄惨きわまりない光景をなすすべもなく見つめたまま、耳をふさぎ、茫然と立ちすくむ継母・淡島千景の困惑と絶望感がないまぜとなった表情を、決して忘れることはできない。

『母のおもかげ』は、清水宏の古巣である伝統的な松竹大船調メロドラマの骨法を遵守するかのように、見事に感動的な大団円を迎えるが、この異様なまでに壮絶な迫力に満ちた折檻シーンは記憶の底に深く沈殿することになる。

 恐らく、当時、三益愛子主演で大ヒットした大映の<母もの映画>の一本として企画されたとおぼしい『母のおもかげ』は、清水宏という偉大な子供映画の名匠が放った、このうえなく美しい<白鳥の歌>であるといえるだろう。
 そして、また、『母のおもかげ』は、淡島千景という戦後を代表する大女優の美しさがもっとも眩い光沢を放っている稀有な一本だと私は確信している。

 一昨年、森繁久彌が亡くなった際に、「キネマ旬報」の追悼特集のために、淡島千景さんにインタビューする機会があり、名コンビだった森繁さんの思い出を語っていただいた。淡島さんは、さすがに代表作『夫婦善哉』(55)の記憶はとても鮮明で、爆笑エピソードには事欠かなかったが、合間に、さりげなく、この『母のおもかげ』のことを聞いてみると、まったく記憶にないという答えが返ってきた。

 その時は、いささか落胆してしまったが、考えてみてれば、当時は、まさに日本映画の黄金時代であり、年間十数本の主演作を撮っていた淡島さんが、そんなプログラム・ピクチュアの小品を憶えているはずもないのである。

『母のおもかげ』は、たぶん、プロの映画批評家でも見ている人は少ないはずである。この極めつきの幻の映画を、この機会に、ぜひ、ご覧になっていただきたいと思う。

 

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清水宏監督『母のおもかげ』

 

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『母のおもかげ』を撮影中の清水宏監督(右) 

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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