高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2011年2月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2011年2月アーカイブ

田中路子と<国辱映画>『ヨシワラ』、そして『蝶々夫人』

 数年前、古本屋の均一台で、背表紙もとれたぼろぼろの『私の歩んだ道―滞欧二十年―』(朋文社)という本を見つけて、狂喜してしまった。伝説のオペラ歌手・田中路子の回想録なのだ。

 田中路子は著名な日本画家田中頼璋を父に持ち、一九三〇年、二十一歳の時にウィーンの土を踏む。渡欧の表向きの理由は<音楽研究>だったが、真の原因は斎藤秀雄との不倫だった。以後、<恋多き女>としてヨーロッパの社交界に君臨し、数々の浮名を流す。大富豪のレストラン王マインル、ドイツの国民的俳優、演出家デ・コーヴァと相次いで結婚し、オペラ歌手・映画女優として活躍した。戦後は渡独した無名時代の小澤征爾、若杉弘をはじめ新進音楽家たちを手厚く庇護するパトロンとしても知られた存在であった。

 自伝には、天衣無縫の性格を反映するかのように、あけすけなまでに華麗な男性遍歴が語られている。なかでも、<私の終生の恨事>と述懐する、『ヨシワラ』で共演した早川雪洲と深い関係になり、宝石や毛皮のコートを質入れまでして貢いでしまう顚末は、早川のあまりのジゴロぶりに爆笑してしまう。しかも、この映画に出演したため、彼女は国賊呼ばわりされ、父親の絵を買った者が絵を焼き払うという異様な事態にまでなった。『ヨシワラ』は、戦前は上映禁止となり、敗戦の翌年、ひっそりと公開されている。

 この自伝を読んで、しばらくして、フィルムセンターの「ドイツ・オーストリア名作選」で田中路子の小特集が組まれ、「田中路子の帰国風景」「田中路子の音楽夜話」といったTV番組とともに、ようやく問題作『ヨシワラ』を見る機会を得た。
 
『ヨシワラ』は、しばしば<国辱映画>の代名詞として語られる作品である。
 たとえば、『ぼくの採点表1』で双葉十三郎は「デタラメの極み。しかも、下品でいやらしく、西欧人が日本の遊郭を眺めるときの最も卑しい視線が感じられる。失笑するより立腹したくなる非常識さ。見るに耐えない大ゲテモノである。」と最大級の罵倒を浴びせている。

 しかし、はたして『ヨシワラ』は、そんなにひどいゲテモノ映画なのか。
 たしかに、日清戦争前夜を背景に、吉原に身売りした小花(田中路子)とロシアの海軍将校との恋愛を描く、この映画は、主役以外は、ほとんど西欧人が不似合いなチョンマゲ・キモノで登場し、一見、フジヤマ・ゲイシャ・サムライの異国趣味を強調した『蝶々夫人』の俗悪なパロディのようだ。
 だが、監督のマックス・オフュルスは、マックス・ラインハルト門下の逸材で、舞台・オペラ演出でも際立った才能を発揮した演出家である。オフュルスは、ウィーン国立音楽学校を卒業し、二十三歳の時にグラーツの市立オペラ劇場で『蝶々夫人』でデビューし、華々しい脚光を浴びた田中路子のことを知らないはずはない。田中路子は全篇、フランス語で台詞を喋り、美しい歌も聴かせるのだ。
『ヨシワラ』は、ビア樽のお風呂で入浴する芸者たちをレヴュー仕立てにするなど、唖然とするような珍景もあるが、『蝶々夫人』と同じく、愛に殉じた女の悲劇を主題にしているのである。

 とりわけ、ロシア将校と小花が、車夫早川雪洲の人力車に乗って逢引するシーン、久々の再会の歓びに打ち震える田中路子の表情には、オフュルスの晩年の名作『たそがれの女心』で、愛人との馬車での密会がようやく叶ったダニエル・ダリューが失神せんばかりに、歓喜に身をゆだねる場面と同じく官能的なエモーションの脈動を伝えてくる。
 娼館で、ふたりが旅行のゲームに興じながら、書き割りの背景が瞬時に変化していく場面も、『忘れじの面影』でジョーン・フォンティーンとルイ・ジュールダンが逢瀬を重ねる遊園地のシーンをすぐさま想起させる。

 そして、狂恋のあまり、早川雪洲が小花を襲い、娼館から外へ、急な坂道へと追いつ追われつするふたりをダイナミックなクレーンによる移動撮影でとらえたクライマックスは、まさにマックス・オフュルスの超絶技巧が如何なく発揮され、めまいを覚えるようだ。

 このようなオフュルスの絢爛たる演出を見ながら、私は三谷礼二さんの伝説的なオペラ『蝶々夫人』の舞台を思い出していた。

 三谷礼二さんの『蝶々夫人』は鈴木清順監督に捧げられていた。したがって、その演出も突然、障子がいっせいに奥に倒れて真っ赤に染まったり、絶妙なタイミングで真紅の幕がステージを覆い尽くしたり、桜の花が狂ったように乱舞したりする、まったく意表を突いたものだった。
 いっぽうで、蝶々夫人が初めて登場する場面などは、背後の大鏡の衝立が一斉に分割されて、乱反射状態となり、まるで『上海から来た女』の迷宮の間のような幻惑感を覚えたものだ。
 鈴木清順+オーソン・ウェルズのようなバロック的で映画的な舞台というのが、私なりの三谷オペラの見立てだったのだが、もしかしたら、三谷礼二さんのオペラ演出に一番近いのはマックス・オフュルスだったのではないか。
 そういえば、『蝶々夫人』の舞台には、『輪舞』をはじめオフュルス作品のトレードマークといえるメリー・ゴーランドが印象的に登場していた。『ヨシワラ』で芸者たちが余興で使う扇子にしても、三谷版『蝶々夫人』での使われ方ときわめて似ているのだ。
 三谷さんは、敗戦時に『ヨシワラ』を見たことがあったのだろうか。 

 三谷さんの遺稿集『オペラとシネマの誘惑』(小社刊)には、「紹介状だけでうかがった私のために、お赤飯を炊いて待っていて下さり、チェリビダッケのリハーサルへ連れて行って下さるなど、人の面倒を見ることの素晴らしさを、感動的に教えてくださった。」と田中路子への感謝を述べた印象的なくだりがある。

 田中路子はナチスの勃興にために亡命する直前のトーマス・マンやシュテファン・ツヴァイクとも交友があったという。こういう日本人女性が、つい、この間まで生きていたというのは不思議な気がする。

 そして、<国辱映画>の汚名を着せられた『ヨシワラ』にしても、マックス・オフュルスの<自己犠牲を強いられる特異な女性映画>の系譜に置きかえてみると、まったく違った貌がみえてくるはずである。
 それにしても、『ヨシワラ』前後の、アメリカに亡命する以前のマックス・オフュルスの作品の全貌がつかめないのは残念なことである。

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田中路子著『私の歩んだ道?滞欧二十年』

 

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『ヨシラワ』に出演した田中路子

 

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三谷礼二さんの伝説的な舞台『蝶々夫人』

清水宏の美しい遺作『母のおもかげ』

  先日、日本映画専門チャンネルから電話があり、三月の特集番組「ハイビジョンで蘇える 日の当たらない名画・名作たちに協力してほしいという。
 この企画は、昨年、私も参加したキネマ旬報の増刊『オールタイム・ベスト・映画遺産200・日本映画篇』の中からDVD化されていないレアな作品を九本ピックアップし、放映するというもの。
 評論家の上野昂志さんが選んだ『甲賀屋敷』、それに黒沢清監督の選ぶ『桜の代紋』、篠崎誠監督の選ぶ『われ幻の魚を見たり』とか、通常の教科書的な日本映画ベスト・テンには絶対に選ばれないであろう意表を突くマイナーな作品ばかりが並んでいる。

 私が選んだのは、清水宏監督が大映で撮った遺作『母のおもかげ』(59)である。十数年前、京橋のフィルムセンターで偶然見て、深く心を揺さぶられた映画だった。

 清水宏は小津安二郎と同じ1903年生まれの松竹出身の映画監督である。小津や溝口健二、山中貞雄が「天才」と呼んだと言われ、近年、とみに再評価が高まっている。

 たしかに、戦前の清水宏の作品、たとえば、『有りがたうさん』(36)、『按摩と女』(38)、『簪』(41)を見ると、小津の厳密で、堅牢に構築された画面とは対極にあるような、自然光を生かした大胆なロケーション撮影と作為がまったく感じられない人物たちののびやかな躍動感に驚かされる。<早過ぎたヌーヴェル・ヴァーグ>と称されるのもむべなるかなと思う。

 清水宏は、戦後も、前回のコラムで紹介した、相米慎二監督が日本映画ベスト3に選んだ『小原庄助さん』(49)などの名作を撮っているが、晩年は、小津、溝口の神格化された絶大な評価の高さと較べると、<忘れられた巨匠>扱いではなかったろうか。

 清水宏の真骨頂は、子供たちの自由奔放な魅力を生き生きと描き出す、その尋常ならざる手腕にあった。『風の中の子供』(37)、『蜂の巣の子供たち』(48)を見ると、子供の世界を描かせたら世界一ともいっても過言ではないとすら思える。

『母のおもかげ』は、母を病いで亡くし、水上バスの運転手の父親(根上淳)とふたり暮らしの少年・道夫が主人公である。父に縁談が持ち上がり、小さな少女を連れた新しい母(淡島千景)が家にやってくる。少年は、美しい継母への仄かな思慕と、それゆえに湧き起こる亡くなった実母への後ろめたさの感情の間を揺れ動く。

『母のおもかげ』を見ながら、私は同じ年につくられた二本の映画を思い出した。
一本は、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(59)である。道夫がよるべない思いを抱えて隅田川河畔を徘徊する場面は、パリの街中をあてどなく彷徨する、いかようにも世界と折り合えないアントワーヌ・ドワネル少年(ジャン=ピエール・レオ)が体現した全き弧絶感と瓜二つのように思えたのだ。

 もう一本は大島渚監督の『愛と希望の街』(59)である。『鳩を売る少年』という原題を持つ、この大島の処女作は、鳩の帰巣本能を利用して、同じ鳩を何度も売るという<犯罪>に手を染めざるを得ない極貧の少年が主人公である。渡辺文雄がライフルでこの鳩を射殺する、あまりに有名なラストシーンによって、この大島のデビュー作は永遠の生命を得た。

『母のおもかげ』でも、やはり道夫が母の形見である鳩を後生大事にしている設定がキー・ポイントになっている。
 ある日、道夫は、少女が誤って鳩を逃がしてしまったことを知るや、激昂し、部屋中を追い回して、執拗に折檻を加える。「お兄ちゃん、ごめんなさい」と絶叫し、懇願する少女を無視して、延々と殴打し、果ては少女の耳を噛んで傷つけてしまう道夫の残酷さは、『愛と希望の街』の伝説のラストシーンに優に匹敵するほど、衝撃的である。

 この凄惨きわまりない光景をなすすべもなく見つめたまま、耳をふさぎ、茫然と立ちすくむ継母・淡島千景の困惑と絶望感がないまぜとなった表情を、決して忘れることはできない。

『母のおもかげ』は、清水宏の古巣である伝統的な松竹大船調メロドラマの骨法を遵守するかのように、見事に感動的な大団円を迎えるが、この異様なまでに壮絶な迫力に満ちた折檻シーンは記憶の底に深く沈殿することになる。

 恐らく、当時、三益愛子主演で大ヒットした大映の<母もの映画>の一本として企画されたとおぼしい『母のおもかげ』は、清水宏という偉大な子供映画の名匠が放った、このうえなく美しい<白鳥の歌>であるといえるだろう。
 そして、また、『母のおもかげ』は、淡島千景という戦後を代表する大女優の美しさがもっとも眩い光沢を放っている稀有な一本だと私は確信している。

 一昨年、森繁久彌が亡くなった際に、「キネマ旬報」の追悼特集のために、淡島千景さんにインタビューする機会があり、名コンビだった森繁さんの思い出を語っていただいた。淡島さんは、さすがに代表作『夫婦善哉』(55)の記憶はとても鮮明で、爆笑エピソードには事欠かなかったが、合間に、さりげなく、この『母のおもかげ』のことを聞いてみると、まったく記憶にないという答えが返ってきた。

 その時は、いささか落胆してしまったが、考えてみてれば、当時は、まさに日本映画の黄金時代であり、年間十数本の主演作を撮っていた淡島さんが、そんなプログラム・ピクチュアの小品を憶えているはずもないのである。

『母のおもかげ』は、たぶん、プロの映画批評家でも見ている人は少ないはずである。この極めつきの幻の映画を、この機会に、ぜひ、ご覧になっていただきたいと思う。

 

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清水宏監督『母のおもかげ』

 

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『母のおもかげ』を撮影中の清水宏監督(右) 

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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