相米慎二監督が選んだ「日本映画ベスト3」 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
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相米慎二監督が選んだ「日本映画ベスト3」

 前回、高峰秀子さんのささやかな追悼を書いていて、ふと思い出したのは、相米慎二監督のことである。相米さんは、2001年の9月9日、つまり、アメリカで同時多発テロが起きた9・11の二日前に亡くなったので、ひときわ鮮明に記憶に残っているのだ。
 そのせいか、毎年、9・11が近づくと、ああ、そろそろ相米さんの命日だなと、自然に連想が働いてしまうのである。

 相米さんとは、別に、それほど親しかったわけでもないのに、訃報を聞いた時には、なぜか説明のつかない、すさまじい喪失感に襲われ、通夜、告別式と出てしまった。
 告別式では、当時、まだ、かろうじて元気だった今村昌平監督が、愛弟子である長谷川和彦がとても世話になったこと、『魚影の群れ』がいかに素晴らしかったかを、淡々と弔辞で述べていたのが記憶に残っている。あ、そうだ、大勢の参列者のなかにTBSの伝説的な深夜放送パック・イン・ミュージックのDJだった林美雄さんを見つけて、なつかしさのあまり、思わず声をかけたことを思い出した。
 林さんもその翌年、胃癌で亡くなってしまったのだ。まさに往時茫々。

 高峰秀子さんと相米慎二監督とはまったく接点はないが、なぜか、私の中ではひと連なりの記憶として残っている。
 それはなぜか。
 最初に相米さんと会ったのは、東京国際映画祭のヤング・シネマ部門で『台風クラブ』がグランプリを受賞した時だから、1985年だったと思う。受賞記念として、『月刊イメージフォーラム』で、編集長の西嶋憲生さんと一緒に相米監督にインタビューをしたのである。

 当時から、インタビュアーをはぐらかすのが得意で、韜晦をもってなると言われた相米さんだったが、この時は、かなり率直に自分の少年時代や映画界入りの経緯、自作について語ってくれたように思う。
 インタビューが終わって、四谷三丁目の居酒屋で飲んだ後、飲み足りない風情の相米さんを誘って、私の行きつけの新宿区役所脇にあったジャズ・バー「シネ・スマイル」に流れた。
「シネ・スマイル」のママである加納とも枝さんは、当時でも、毎週、数本の新作を見るような筋金入りの映画狂で、新宿ゴールデン街でも一目置かれるようなユニークな女性だった。
 私も永年の常連で、とも枝さんが2003年に亡くなった時には、私の責任編集で『シネマの快楽に酔いしれて』(小社刊)という遺稿集をつくったこともある。

 とも枝さんは、映画関係の客がやってくると、一種の通過儀礼というべきだろうか、ノートに今まで見た映画のベスト3を書かせるという不思議なクセ(?)があった。  
 この晩も、とも枝さんは、相米さんに、ぜひ、書いてくれとせがんだが、私が、「この人はそんなこと、絶対しないよ」と言うと、相米さんは「いや、書くよ」と言って、その場でさらさらと「邦画、洋画のマイ・ベスト3」を書いたのだった。
 もはや、相米さんが洋画ベスト3に何を挙げたかは、忘れてしまったが、かろうじてフェリーニの『カビリアの夜』だけは憶えている。
 そして邦画のベスト3は未だに鮮明に記憶に残っている。次の三本である。

 『小原庄助さん』(清水宏監督)
 『たそがれ酒場』(内田吐夢監督)
 『女が階段を上る時』(成瀬巳喜男監督)

 私は、この渋い三作品の連なりを見て、相米さんは、ほんとうに映画を知っている、深く愛している監督だなと思った。
 とくに高峰秀子の匂い立つような色香が忘れがたい『女が階段を上る時』は、私も成瀬のなかでもっとも愛する映画だけに、我がことのように嬉しかった。 

 当時、相米さんは、沈滞した日本映画界の最前線を疾走する鬼才としての評価はゆるぎないものがあった。とくにトレード・マークともいわれる<ワンシーン=ワンショット>の長回しを駆使したダイナミックな演出で知られ、デビュー作『翔んだカップル』に始まり、『ションベン・ライダー』『台風クラブ』といった子供を主人公にして寓話的な拡がりをもった作品が高く評価されていた。

 ただ、私は、むしろ『ラブホテル』や『魚影の群れ』のような大人を主人公としたドラマをもっと見たいと思っていた。まさに、成瀬のような、陰翳に富む古典的な恋愛映画を撮れる監督だと漠然と思っていたのだ。
 後年、『あ、春』で、寺島純子、藤村志保といった大女優たちを悠然と動かしているその見事な演出を見るにおよんで、ああ、やはり、相米さんは成瀬巳喜男の後継者になれる器だなと思った。

 その後、相米さんの『雪の断章』のアクロバティックな冒頭シーンの撮影を取材するために、東宝の砧撮影所に行ったことがある。キャメラマンが何台ものクレーンに次々に乗り移りながら撮影している異様な光景を眺めて、これは、まるでマックス・オフュルスの『快楽』を思わせる、などと記事に書いたことを覚えている。

 最後に相米さんに会ったのは、亡くなる一年ぐらい前、私が編集したロバート・アルトマン監督の『クッキー・フォーチュン』のパンフレットのために、インタビューしたときである。
『クッキー・フォーチュン』のキャメラは、かつて相米さんの『お引越し』の撮影を担当した栗田豊通さんである。
 栗田さんは、70年代に単身渡米して、アメリカ映画のインディーズ・シーンで腕を磨き、アラン・ルドルフの『トラブル・イン・マインド』『アフター・グロウ』などを経て、ついに、巨匠アルトマンの撮影監督を務めるまでに至ったわけだが、その独特のルックの魅力を語ってほしいという思いもあった。

 相米さんは、今のアメリカの風土や人間をまるごと描けるのは、クリント・イーストウッドとアルトマンしかいないこと、とくにアルトマンが女性のシナリオライターを好んで使う理由として、成瀬巳喜男と水木洋子の関係を例に引きながら、「女の肌ざわりみたいなものがほしいんじゃないかな」と語ったのが強く印象に残っている。
 ほかならぬ相米さん自身が、女性のシナリオライターをよく使っていたのだ。やはり、女の肌触りがほしかったのだろうか。

 相米さんは、遺作となった『風花』を『浮雲』に比較されるのを嫌がっていたそうだが、やはり、それも韜晦というべきだろう。

 成瀬巳喜男と高峰秀子の名コンビによってつくられた日本独特の<女性映画>の系譜は、相米慎二の死によって、途絶えてしまったのではないかというのが私のきわめて悲観的な見立てなのである。

相米慎二監督.jpg
相米慎二監督

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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