一枚の白バックの高峰秀子 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
一枚の白バックの高峰秀子

 大晦日の夜、ほろ酔い気分のところに、突如、高峰秀子さんの訃報が飛び込んできたので、しばし茫然となる。肺がんを患っていたようで、享年八十六。
 ああ、ついに来たか、という暗然たる思いと同時に、すっかり酔いも醒めてしまい、手許にあった『浮雲』のビデオを見直し、元旦は、彼女の傑作メモワール『わたしの渡世日記』を読み返して過ごした。

 生前、高峰秀子さんと交友があったオペラ演出家の故・三谷礼二さんは、「永遠の夢と詩」という素晴らしいジュディ・ガーランド論(『オペラのように』所収・筑摩書房)で、「『スタア誕生』は、モーツァルトの四大オペラ、シェイクスピアの四大悲劇に匹敵し得る人類財産と私は信じる。」と書いている。ひさびさに再見した『浮雲』も、高峰秀子という女優の美しさがほとんど神々しさの域に達した、稀有な<人類財産>のひとつだとつくづく思った。

 まさに昭和という時代そのものをシンボライズする、この偉大な女優について、私ごときが云々するなど、まったく烏滸がましいが、ふいに、昔、高峰秀子さんと、ささやかな仕事上のお付き合いがあったことが思い出されたのだった。

 もはや、四半世紀も前のことになるが、1980年代の後半、映画雑誌『月刊イメージフォーラム』の編集を辞めてから、一時、映画の世界を離れていたことがある。
 なにをしていたかといえば、『一枚の繪』という美術雑誌の編集部に籍を置いていたのである。
 当時は、映画ジャーナリズムの裏側や人間関係の嫌な面も見えてきて、心身ともにぼろぼろになっていた時期でもあり、もはや、映画の世界には戻れないかもしれないという漠たる不安もあった。
 かといって、まったく予備知識なしに飛び込んだ美術業界も、実は、映画界以上におどろおどろしく面妖で、こんな胡乱な世界にはそう長くはいられないという思いは常にあった。

 結局、当時、私がだらだらと、数年間も『一枚の繪』という雑誌にとどまっていたのは、桂ゆきさんと岸田今日子さん、そして高峰秀子さんの魅力的な連載エッセイを担当していたゆえではなかったかという気がする。
 当時は、ファックスはまだ、ほとんど普及しておらず、編集者は、著者に直接会って、原稿を受け取っていた。
 新宿余丁町に住んでいた桂ゆきさんは、いうまでもなく、戦後日本を代表するアヴァンギャルド画家であり、お宅に伺い、「夜の会」の盟友だった花田清輝や岡本太郎、埴谷雄高などのゴシップ話を聞くのが楽しみでならなかった。
 岸田今日子さんも、赤坂の自宅マンションに伺って、見たばかりの映画や舞台、彼女が出演した増村保造の傑作『夫が見た』『卍』の話題が出ると、つい長居することもしばしばだった。ちなみに、この時の連載『妄想の森』は、後に文藝春秋から単行本になり、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。

 しかし、高峰秀子さんだけは、当時、すでに芸能界引退を宣言し、人前に出ることはまずなかったし、私も連載が終わるまで、一度も、会うことはかなわなかった。原稿はいつも速達の封書で届いた。
 それでも、時おり、会社に、高峰さんから原稿の確認で電話がかかってくることがあった。たまたま私が取って、あの独特のエロキューションで「高峰ですけど、編集部の高崎さん、いらっしゃる?」などと自分の名前が呼ばれた時には、ほとんど、一日中、夢見心地だった。

 もしかしたら、昔の映画仲間と呑んだ時に、自慢げに、そんな話をしたことがきっかけだったのかもしれない。ある日、ユーロスペースの代表・堀越謙三さんから電話がかかってきた。当時、彼は、<ゴダールの再来>と呼ばれた鬼才レオス・カラックスの問題作『汚れた血』を配給していた。その彼が急遽、キャンペーンのために、来日することになった。   
 堀越さんによれば、カラックスは熱狂的な成瀬巳喜男ファンであり、ついては、その数々の名作でヒロインを演じた伝説の女優・高峰秀子に会うのを熱望しているのだという。そこで、私は、乞われるままに、高峰さんの住所と電話番号を教えたのである。

 しばらくして、堀越さんから、無事に高峰秀子さんと一緒に食事をする機会を持つことができ、その際に、流暢なフランス語を話す高峰さんに、カラックスは、当時の恋人ジュリエット・ビノシュと大感激していたという話を聞いた。
 後に、堀越さんがプロデュースしたカラックスの超大作『ポンヌフの恋人』の破滅的な堕ちていくカップルには、たとえば、『浮雲』で、腐れ縁の果てに南方へと向った森雅之と高峰秀子のふたりの残響がかいま見えるはずである。

『わたしの渡世日記』には、昭和26年、家族との軋轢などで精神を疲弊させてしまった高峰さんが、映画の仕事をすべて擲ち、半年間パリに遁走して、自分を見つめなおすというくだりがある。恐らくフランス語は、この時期に覚えたのであろう。
 戦前から、天才子役として活躍するも、多くの家族を扶養しなければならず、小学校にもまともにいけなかった高峰秀子という女優の比類なき聡明さにはただ驚くばかりである。

 それゆえだろうか、『わたしの渡世日記』には、ところどころ、いささか埃っぽい日本映画界、映画人への複雑な呪詛めいた言葉が書き連ねてあるのが気にかかる。戦後は、文壇、画壇の大家たちのマスコットのような存在となり、谷崎潤一郎や志賀直哉、梅原龍三郎などとの優雅な交遊が、楽しげに回想されているのとは、際立って対照的だ。

 しかし、レオス・カラックスや最近、亡くなった台湾の天才監督エドワード・ヤンの熱烈なオマージュを例に引くまでもなく、成瀬巳喜男監督とのコンビによって生み出された名作群は、彼女が崇拝していた梅原龍三郎やら荻須高徳の作品などとは比較にならない、普遍的な<世界遺産>であることは疑い得ない。私は、高峰さんは、生前、そのことを、どこまで自覚していただろうか、と思うことがある。 

『わたしの渡世日記』を再読して、もっとも印象に残ったのは、「イジワルジイサン」と題された成瀬巳喜男を追想した章である。ガンで再入院が決まった成瀬を自宅に訪ねた高峰さんは、別れ際に、成瀬から、「ほら、約束のあれ(傍点)も、やらなきゃね」という謎めいた言葉をかけられる。
 あれ(傍点)とは、成瀬がひそかに念願していたという、<高峰秀子が主演で、装置も色もない、一枚の白バックの前で芝居だけを見せる映画>のことである。

 松竹蒲田時代に「小津はふたりいらない」と撮影所長に言われ、追われるように東宝に移籍して、数多くの小市民映画の名作を放った成瀬が、最後に夢想していた高峰秀子主演の、この究極の<女性映画>を、ぜひ、見てみたかったと思う。

浮雲.jpg

『浮雲』撮影スナップ 高峰秀子、森雅之の演技を見守る成瀬巳喜男

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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